<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【依頼主はドラゴン】
 日付も変わり、黒山羊亭は閉店時刻となった。店内にはわずかにふたり。
 カランと入り口のドアが開く音がして、フロアを掃いていたマスターは振り返った。
「すいませんね、今日はもう――ひええ?」
「どうしたのマス――」
 カウンターを拭いていたエスメラルダは二の句が告げなかった。
 見惚れるほど美しい黄金の皮膚、障害などありえない白銀の爪、牙のような角、角のような牙。そこに立っているのは魔物の中でも最高位に位置するドラゴンだった。
 一歩ごとにフロアが軋む。歩み寄ってくるそれに、マスターは冷や汗を流すことしか出来なかった。
「ド、ドラゴンだ! 魔物だ! エスメラルダ、逃げろ!」
 ドラゴンは目を見開いた。それはまったく恐ろしさのない目線。そして。
「ここもかあ! 何でドラゴンってだけでみんな怖がるんだよう」
 襲いかかってくるかにと思われたドラゴンはその場にへたり込み、まるっきり子供のように泣きじゃくりはじめた。
 ――事情は簡単だった。自分を狙う人間を退けてくれる戦士を探しているとのことだった。ドラゴンの舌は妙薬になると言われ、ドラゴンハンターを名乗る冒険者は多い。
「こっちは人間を襲ったことなんてない。ただ静かに暮らしているだけなのに、何でこんな目にあうのさ。僕には恋人がいるんだ、捕まるわけにはいかないんだよ」
 人間ふたりは顔を見合わせた。この世界にはさまざまな種族が存在していることは確かだが、このような人間味あふれるドラゴンは初耳だ。
 ともあれ、頼ってきた者を無碍にするのは店の流儀に反する。彼は危険を押してまでここに戦士を求めてきたのだからなおさらだった。
「わかったわ。今日の同じ時間にまた来なさい。それまでに見つけておいてあげるから」
 エスメラルダの言葉に、ドラゴンは目を輝かせた。

 黄金のドラゴンは、きっかり24時間後に黒山羊亭に駆け込んできた。人目を忍んでここまで来るのに相当気を張ったのだろう、息を切らしている。
「はぁ……はぁ……。エスメラルダさん、見つけておいてくれた?」
「ええ、こちらがご要望の戦士様よ」
 エスメラルダが手の平を向けた先に、若い男がふたりいた。両者ともどちらかというと細身で、見た目からは戦士という印象は薄かった。
「へぇー、この方がですか。確かに驚きますよね」
 アイラス・サーリアスは興味ありげに眼鏡を持ち上げ、ドラゴンの全身を見回した。
「鱗といい牙といい、立派に目立った体だ。みんな寝静まった真夜中とはいえ、よく2日連続で見つからなかったもんだね」
 仔ドラゴンのジークを肩に留める魔導剣士フィーリ・メンフィスもまた、珍妙な依頼主を一通り眺めた。
「ありがとうございます。でも、どうして引き受けてくれる気になったんですか」
 ドラゴンがおそるおそる聞くと、
「いやまあ、困っている人……あなたは人じゃないですけど、やっぱり見過ごせないっていうか」
「仲間意識か、このジークが可哀想だって言うからさ。ちょうど暇だったし。……それにしても、ドラゴン退治なら経験はあるんだけど護衛とはね」
 と、アイラスとフィーリはそれぞれに言った。少なくとも自分を恐れているようではないとわかり、ドラゴンは心が落ち着いてきた。
「しかし、ドラゴンといえばあらゆる生物の中で最強のはずなんですが……自分で戦えないんですか?」
 アイラスが聞くと、ドラゴンは途端に涙目になった。
「だって怖いんです、戦いが。彼女も血は嫌いって言ってるし、最近はドラゴンバスターって剣があるっていう噂もあるし」
「臆病なドラゴンなんて聞いたことがないなあ。それにドラゴンバスターを持つ騎士なんてまずお目にかかれるものじゃあないよ。それくらい高価なんだ。ははは」
 フィーリの笑いが黒山羊亭にこだまする。ちっともドラゴンらしくない彼を楽しんでいるようだった。
「ま、本題に入りましょうか。具体的にどうしましょう、フィーリさん」
「彼の住処でハンターを直接迎え撃つのがいいだろうね。場所は?」
「ここから歩いて西へ1時間くらいのとこの、岩山の洞窟です」

 かくして一行は西へ向かった。何者の気配もしない深夜だったが、それでもどこぞの旅人とすれ違わないかと緊張しっぱなしの行程だった。
 そうしていくつかの小川を越え、暗い森を抜けると、ドラゴンの住処へとたどり着いた。彼の言うとおり、小高い灰色の岩山の一点に、洞窟が口を開けている。
「おーい、帰ったよ!」
 ドラゴンが洞窟に向かって声をかけた。と、中からもう一匹、やや小ぶりなドラゴンが現れた。
「あなた、お帰りなさい! 大丈夫だった?」
「うん、戦士さんが見つかったんだよ。これで安心だ」
「あ、あなた?」
 フィーリが素っ頓狂な声を上げた。ジークも目を丸くしている。
「これが彼女です。ついこの前結婚したんで、そんな風に呼ばれてますけど……」
「それはまた家庭的ですね。微笑ましいな。これじゃ、なおさら頑張らないといけませんね」
 アイラスに同意を求めるフィーリ。ところがフィーリはドラゴンをキッと睨んで、
「いーや、家庭を持つ以上は他人に頼ってばかりじゃいけないね。ちょっと耳を貸してくれないかな」
「な、何ですか?」
 コソコソと耳打ちしはじめた。ドラゴンの徐々に顔が青ざめる。
「え……えー?」
「そういうこと。じゃあ俺たちは寝るから」
「フィーリさん、一体何を」
 アイラスがうろたえまくっているドラゴンを心配しながら見ていると、フィーリは意地が悪そうな顔をする。
「あとで教えるから。そんじゃおやすみ」

 夜が明け、朝陽が瞼を通す。アイラス、フィーリが目を覚まして地面から体を起こすと、ちょうどドラゴン夫妻が洞窟から出てきた。
「おはようございます」
「おはよ、なんて呑気に挨拶している場合じゃないよ。ドラゴンハントの基本は朝駆けだから、今すぐにでも来るかもしれない。ふたりはこの岩山のてっぺんに登って、身を隠してもらおうかな」
 フィーリが高さ20メートルほどの岩山の頂上を指差す。そこくらいしかないですね、とアイラスも頷く。
「……それじゃ、お願いします」
 さすがはドラゴンといったところか、強靭な爪を足がかりにして2匹はあっという間に岩山を駆け上がった。彼らは頂上まで着くと、言われたとおり地上から見えなくなるように隠れた。
 その時、アイラスとフィーリは戦士の気配を感じ取った。フィーリの肩に乗ったジークは息を鳴らした。
 振り返ると戦士はふたり。精悍な顔とガッシリとした背格好がよく似ている。
「何だ、先客のようだぞ兄者」
 予想通り、兄弟ハンターだ。
「君らもハンターなのか。ここを突き止めたのは我々だけかと思ったが」
「いや、僕たちはハンターじゃありません。そう、ドラゴン……セイバーかな?」
 眼鏡をつけた細身の少年にそう言われて、兄弟は愕然とした。
「セイバーだと?」
「俺たち、護衛を頼まれてね。ドラゴンっていうだけで追い掛け回されてつらいんだってさ。そこの洞窟にはもういないから。隠れてもらったよ」
 長い黒髪の少年がいつの間にか剣を構えている。――自分たちと戦うというのだ。兄弟は憤慨した。
「ふざけるな! なんで人間がドラゴンの味方なんぞ!」
「一応聞きますけど、見逃してやる気はありませんか。あのドラゴンたち、これからあったかい家庭を築くっていうし、可哀想じゃないですか」
 アイラスが期待を込めずに言う。兄のほうがせせら笑った。
「は、そんなもん知るか。邪魔するなら――」
 兄弟に殺気が宿る。邪魔するなら、お前たちから切る。狩人の目がそう言っていた。
「やっぱり説得は無理でしたね」
「ま、何とか殺さないよう頑張ろう。ジークは隠れてなよ。やる気なのはわかるけど、2対1で戦うわけにもいかないしね」
 仔ドラゴンが洞窟に駆け込む。その合間、ハンターとセイバー、両者は視線を互いに突き刺していたが、
「行くぜ、後悔するなよ?」
 兄弟たちの猛突進で、戦いは幕を開けた。

 ――後悔するのは自分だったと思い知らされるまで、一分も経たなかった。
 フィーリの太刀筋はおそろしく速かった。兄は剣を振りかぶった瞬間に胴を一閃されようとした。それをどうにかかわして今度は薙ぎを試みるも、黒い剣士の圧倒的な速度の剣に弾き返される。それの繰り返し。
「くっ……てめえ、何もんだ?」
「ただの魔導剣士さ。でもこの分じゃ魔術を使う必要はないかな」
 フィーリが笑う。楽しんでいる。この戦闘は、ネコがネズミを追い詰めてジワジワといたぶる様に似ていた。
 黒翼の死神。目の前の男がそんな異名を持つ冷淡な強剣士であることを、ハンターが知るはずもなかった。勝負ははるか昔についていた。
「うわぁ!」
 腕を切り付けられ、赤い鮮血がほとばしった。とうとうハンター兄は剣を落とし膝を突いた。刃幅は広く、竜をあしらった柄が美しい剣。それを見たフィーリは、
「その剣、驚いたよ。ドラゴンバスター、苦労して手に入れたんだ? さぞかしいい戦闘が楽しめそうだと思ったけど……まだ扱いが未熟のようだね?」
 脳髄が凍るほどの冷たい笑みを浮かべた。
「ま、待った、参った参った! 助けてくれ!」
「こ、降参! 降参だからもうやめてくれ!」
 同時に同じような声が響いた。横に視線を泳がせると、アイラスと戦っていた弟の方がうずくまっている。どうやら両腕を折られて戦意を喪失しているようだ。ならばこれ以上は無駄だろう。
「強いですね、フィーリさん!」
「そっちもね、アイラス君」
 影が濃くなる。早朝の戦いは終わりを告げ、空はようやく日差しが本格的になろうとしていた。
 
「おーい、終わったよ! 降りてきてくれー!」
 ハンターたちを縄で縛ったと思うと、フィーリが頭上の岩山に向かって叫んだ。アイラスは首をかしげた。
「フィーリさん?」
「うん、とどめは彼にしてもらおうと思ってさ……おおお?」
 その場の一同は一斉に体を浮かせた。なんと、20メートルの高さからドラゴンが舞い降りた衝撃で、地震が起こったのだ。
「……全然痛くない。僕の体、こんなに強かったんだ」
「だろ? 君は強いんだって。さ、やっちゃいなよ」
「他人に頼ってばかりじゃいけないって、そういうことだったんですか」
 アイラスの問いに、フィーリが頷いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 動けない俺たちをなぶり殺しにしようって言うのか」
 兄弟の顔が死人じみてくる。恐怖に涙さえ浮かばせている。
「お前たちだって、そういう風に仲間を殺してきたんだろう!」
 急にグワーっという勢いで吼えるドラゴン。その視線に、まさしく魔物の王者たる強さの光を宿していた。
「今まで殺してきたドラゴンたちに、あの世で謝れ!」
「ひひ、ひいー!」
 ハンター兄弟を八つ裂きにせんと、巨大な鋼鉄の爪が振り下ろされる。
 ――その直前で、前肢は止まった。ドラゴンはフィーリを振り返った。
「これでいいんですか?」
「見事な演技だよ。これでこいつらもガタガタだ」
「ま、そんなことだろうと思っていましたけどね。彼に殺しは似合わないですから」
 ふたりと1匹が笑いあう。ハンター兄弟は小便を流し、失神していた。

■エピローグ■

 ドラゴン夫妻は仲良く肩を並べて、恩ある戦士たちに向き直った。
「僕たち、ここを離れます。ここ以上に人目のつかないところに住んで……。それでももしハンターに見つかったら、今度は自分で戦ってみようと思います。彼女を守るために」
「その意気その意気」
「頑張って」
 そうしてアイラスとフィーリはその場を去った。今回の戦利品、ドラゴンバスターを携えて。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/軽戦士】
【1112/フィーリ・メンフィス/男性/18歳/魔導剣士】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。お楽しみいただけましたか?

 書いてて感じたのは、人間が魔物に襲われるのが嫌なように、
魔物も人間に襲われるのが嫌だということです。魔物イコール
倒すもの、と定義付けるのは可哀想ですよね。

 そんな感じで、またお会いましょう。

 from silflu