<東京怪談ノベル(シングル)>


traning,happening,mortifying.

 最早それは遼介にとっては、趣味と言うよりは生活の一部になっているのだろう。朝、目覚めて顔を洗うのと同じぐらいの当たり前さで、遼介は山中の涼しげな空気の中、剣を振るうのであった。

 ここは聖都エルザードから少し離れた所にある山。然程高くは無いため、登山者が訪れる事も無く、何の伝説もメリットも無いため、冒険者も寄っては来ない。ただ深い緑と程々に険しい山道が修行の為に丁度いいのか、己が能力を高めんとする者達が自主的に集まってきては、それぞれのやり方で訓練をしていくだけの山だ。彼らは、それぞれ目的があるため、出会っても互いの邪魔をする事無く、手合わせを等と言う無粋な事も言わずに、ただ黙って通り過ぎていく。だが密かに、通り過ぎる瞬間に相手の力量を見極めてしまうのは殆ど条件反射、それによって悔しさに歯軋りしたりほくそ笑んだりするのだが、いずれにしても、それは更なる特訓への機動力となるのであった。

 こんな、この山の空気が遼介は気に入っていた。魔法学院が春休みに入り、同級生達が帰省したり旅行に行ったりする中、遼介は何の躊躇いも無く修練の道を選んだ。道場に通うと言う手も考えたのだが、恐らく今の遼介の成長速度から鑑みれば、あっと言う間に道場内の主要な選手を超えてしまう事は目に見えていた。だったら最初から、どれだけ経っても追い越す事など不可能な、己自身を相手に鍛錬を積んだ方が効果的だろう、と、山篭りの手を選んだのだ。

 今朝もまだ暗いうちから起き出し、宿のおかみさんに頼んで作ってもらった弁当を片手に軽快な足取りで山道を登っていた。いつもの場所に辿り着くまでは、一度も休む事無く駆け足で行くのだと遼介は決めていた。遼介にとっては、朝目覚めた瞬間から、既に修練は始まっているのだ。それでも薄らとしか掻かない汗は、日頃から肉体を鍛えている証拠だ。一見小柄に見える遼介の体内には、その外身からは想像が付かないぐらい、張り詰めて密度の高いパワーとエネルギーが満ち満ちているのである。
 少しだけ息を切らして遼介が辿り着いたのは、山の中腹よりはもう少し上にある、滝壷だった。
 「…ふぅ、…明日っからはちょっと大回りしてくるかな…今の距離じゃ、物足りなくなってきちまった」
 そう言って笑いながら、遼介は滝壷の縁へとやってくる。冷たく澄んだ川の水で顔を洗い、改めて白く飛沫を上げる滝の落下し始める地点を見上げた。
 ここは、今現在、遼介お気に入りの修練場である。そんなに大きな滝ではないが、滝壷も周りには大きな玉石がごろごろしていて、足場の訓練にも最適だ。しかも弾ける清流の飛沫が空気を清めるのか、ここだけ大気が違うような気がして気持ちいい。それは実はマイナスイオンが…とか言う話になるのだが、まぁそれは別の世界の話で。

 遼介は弁当などの荷物を傍らに置き、愛用の剣をすらりと抜く。まだ上がりきっていない太陽の光を弾いて、剣が挑戦的に陽光を反射した。それに応えるよう、遼介も不敵な笑みを浮かべる。剣は遼介にとって相棒であり片腕であり、勿論武器でもあるのだが、それ以上に、一番身近なライバルだと言う気がしてならなかった。
 「…ンじゃ、行くぜ」
 声を掛けると同時に、遼介が腰のポーチからカードを出して、ティアマットを召還する。半人半竜のヴィジョンは、分かり切った事とばかり、滝の上まで一気に逆走して駆け上る。遼介が剣を構えた事を確認すると、滑り台を滑り落ちるかのよう、凄い勢いで滝を滑り落ち、渦を巻いて遼介へと襲い掛かっていった。
 両手で柄を握り締めた剣を、右肩を左に引くようにして、身体の左側後ろへと引く。足を踏ん張って衝撃に耐える準備をし、ティアマットの渦が己の目の前まで来たその瞬間、捻った身体を戻す反動を利用して、ほぼ一回転する勢いで剣を水平に薙いだ。
 「ッ―――…、てえいぃッ!」
 気合いの声と共に、遼介の剣とティアマットの渦が相殺されて弾け、大粒の霧になる。それが再び竜人の姿に戻る前に、大岩の側面を蹴って空へと舞い上がった遼介が、頭上へと振り上げた剣を勢い良く霧に向けて振り下ろすと、まるでその勢いに圧されたかのよう、大粒の霧は左右に裂けてしまう。そうしてさすがの遼介でも手の届かぬ上空で再び形取り、挑発するように口元で笑うのであった。


 そんな模擬戦を延々と繰り返し、いつしか太陽は遼介の頭上真上へとあがった。昼か、と空を仰いで汗を拭い、そろそろ本日最初の休憩を…と思っていたその時である。
 えっほ、えっほ、えっほ、えっほ
 「…なんだ、ありゃ」
 遠くから聞こえてくる掛け声のような声に、思わず遼介は動きを止めてそちらを見遣る。次第に大きくなっていくその声は複数の人間のものであり、やがて姿を現したのは、直接は知り合いではないが、顔ぐらいは見知っている、エルザード魔法学院の武術部の面々であった。
 魔法学院に所属しているからと言って、肉弾戦などの戦闘能力が皆無な訳ではない。勿論、どちらかと言えば体力的には自信の無い生徒が多いものの、遼介のように魔法も武道も両方いける生徒も少なくは無い。彼らもそんな中の一握りだった。
 「お、湖泉じゃねーか」
 武術部のひとりが遼介を認めてそう声を掛ける。剣を片手に汗を掻いた状態の遼介を見て、恐らく同級生であろう部員の一人が片眉を上げた。
 「なんだぁ、こんな所で一人で剣の練習かよ」
 「悪ぃかよ。そう言うあんたらは一体なんなのさ」
 遼介が憮然とした表情で剣を鞘にしまうと、胴着を来た部員が腰に両の拳を宛がい、仁王立ちをした。
 「言わずとも分かるだろーがよ。オレたちゃ、ここに修行に来たんだよ」
 春の強化合宿中だ、と他の部員が説明をした。
 「と、言う訳でてめぇは退きやがれ」
 「はァ!?」
 脈絡の無いその言葉に、思わず遼介の語尾が跳ね上がる。ついでに片方の眉もひくひくと痙攣した。
 「はァ?じゃねぇっつうの。ここはこれからオレらが滝修行に使うんだよ。ヒトリ寂しく練習ちぅのりょーすけちゃんはおとなしく……ぎゃ!」
 言い終わる前に、遼介の拳が部員の顔面で炸裂した。そのまま拳をふるふると震わせると、遼介は徐に剣を足元の地面にぶすりと突き刺す。そうして両腕の袖を捲ると、片手は拳、逆の手は手刀で構えた。
 「なんだ、テメェ、やる気かよ!」
 「やる気なんざ更々無かったけど、しょうがねぇから昼飯前の腹ごなしに付き合ってやらぁ!」
 ハ、と鼻で笑った遼介の激昂した部員が、一斉に襲い掛かってくる。三方向から同時に遼介を捕らえようと飛び掛ってくる彼らを、上空へのジャンプで容易に避ける。当然、重力に引かれて遼介の身体は落下する訳だが、その踵は部員の一人の後頭部をげしっと踏み付け、弧を描いて斜め後ろへと退いた。着地した瞬間に、次の部員の突きが襲ってくる。その手首を掴み、捻る要領で力の方向を変えてやると、自分よりも遥かに大柄な相手でも、いとも簡単に引き倒す事が出来た。どぉんと派手に倒れ込む相手を横目で見つつ、体勢を整えた遼介の回し蹴りが次の部員の鼻先で炸裂する。薙ぎ倒した後も回転し続ける遼介の蹴りは、次なるターゲットの首に足の甲を引っ掛け、そこを支点にして回転の向きを変える、その力をそのまま相手の身体に伝えて、身体を捻らせる事に成功した。
 「うぎゃあぁッ!」
 もんどり打って地面に顔面を叩きつけた相手の背中を踏み付け、遼介が軽やかに地面へと降り立つ。息一つ切らしていないその様子に、今更だが怯んだ部員達が、数歩後退りした時だった。
 「何をやってるんだ、お前ら」
 大声ではないのに、びぃんと響き渡るようなその声、それは彼がそれなりの威厳と威圧感を兼ね備えている事の証明でもあった。一瞬にして、部員達を取り巻く空気が凍る。大柄なだけでなく、きちんと鍛え上げた筋肉の持ち主は、この武術部の部長であった。
 「ぶ、部長……」
 「………」
 情けない声を上げる部員達は無視して、部長は遼介の方を見る。挑戦的に睨み返す遼介の姿を、その視線に煽られる事もなく冷静なままでじっと見詰めた。
 「…確か、湖泉だったか。お前も修行の最中か」
 「そうだ。ここは俺が、もう何日も前から先にやって来て訓練してたんだ、それを後からやって来て寄越せなんで言われたって、ハイソウデスカと差し出せるかっつーの」
 「それは尤もだな。だが、今更、では一緒にやろうと言われても、納得も出来ないのだろう?」
 部長がそう言うと、遼介は素直にこくりと頷く。遼介とて、ここが自分の持ち物で無い以上、最初から一緒に場所を使っていいかと言われていれば承諾もした筈だ。それをいきなり傍若無人な言い方をされたからキレただけの話だ。それに、比較的あっさりした性格とは言え、悪意は、少なくとも半日ぐらいは根に持つ方だ。
 「分かった、では、この場所を賭けて俺とやり合うか?」
 部長がそう言って拳を握ると、望む所だと、遼介も握った拳を部長のそれに軽くぶつけた。


 さすがに部長であるだけの事はあるらしい。さっきまでの部員達とは比べ物にならない程の重量が、空を切って飛び掛ってくる。体格の割りには素早い動きに翻弄されつつも、どこかで遼介はワクワクする気持ちも抑え切れず、思わずその口元には笑みが浮かんでいた。
 「余裕だな、何を笑っていられる」
 「べっつに。あんた、ちょっと強くて楽しいなぁって思っただけさ」
 バック転で部長の突きを避け、砂煙を上げながら足を踏み込んだ遼介が、体勢を低くとって笑う。そんな遼介の言葉に刺激された様子もなく、それはドウモと部長も口端を歪めて笑った。
 遼介が爪先に力を溜め、低い体勢のままでダッシュを掛ける。機動性重視、尚且つ攻撃は最大の防御理論でのその動きは、部長の鳩尾を狙った頭突きだ。尤もこれには、そのまま首を腕で巻き取られる可能性もあるから、危険な技であるには違いない。しかも、これだけ鍛え上げた相手の身体では、どれだけのダメージを与えられるかも分からなかった。
 だから、と言う訳でもないのだろう、恐らくは咄嗟に身体が動いてしまっただけなのだと思うが、遼介は部長の足元で片手を突くと、それを中心にして身体を水平方向に勢いに乗って回転させ、鋭い蹴りを部長の脛へと放った。
 「…っぐ……!」
 骨と腱が撓む感覚に、一瞬、部長の顔が歪む。遼介はもう片手も地面に突くと、流れに乗ったまま、その場で倒立する要領で部長の顎下を両の踵で狙う。それは面白いまでに綺麗に炸裂し、部長の大柄な体躯が後方へとぐらり傾いだ。見守る部員の中に、どよめきが走る。
 「ぶちょぉお!」
 「やかましい!」
 そう叫び返したのは部長ではなく、遼介だ。振り上げた両足を下ろそうとしたその時、その足首を部長に掴まれた。まさに目から火が出るような衝撃の中でも、部長は状況をちゃんと見極めていたらしい。
 「しまった!」
 部長は、掴んだ遼介の足首をそのまま持ち上げて身体を吊り上げる。素早くその腹部辺りを両腕で巻き込み、ぎりぎりと容赦なく締め付けた。ほんの一瞬の気の緩みを猛烈に後悔しながらも、決して負けを認めなかった遼介はそのまま落とされ、僅かな間だが気を失ってしまった。


 「…あーあ、負けちまった」
 ぶつくさと呟きつつも、勝負は勝負。己が未熟さを悔しく思いつつ、荷物を纏めた遼介がその場を立ち去ろうとすると、その肩に部長の手がぽむりと置かれた。
 「…なんだよ」
 「なんだよ、じゃない。お前は俺に負けたんだから、今日からお前は武術部の一員だ」
 「はあァぁあ!?ナニ訳の分かんねぇ論理ブチかましてんだよ!」
 足を踏み鳴らして怒る遼介に、平然と部長が腕組みをして言い放った。
 「勝者の論理だ。敗者は勝者に従うものだろ」

 そうして。えっほ、えっほと掛け声掛けつつ、胴着を着た遼介も部員と一緒にランニングしている。勿論、一番下っ端扱いの遼介は、列の最後尾だ。それがまた悔しくて、遼介は走りながらも地団駄を踏んでいる。
 「そこ!真面目に走らんか!」
 指導をするのは、先程遼介が後頭部を足蹴にした部員だ。ぎりり、とまた悔しさのあまり、奥歯を噛み締める。
 「うっせー!ちゃんとやってるだろーがよー!!」




☆ライターより

いつもありがとうございます、碧川桜でございます。
今回は、格闘シーンが当社比でもかなり多めになってしまい(笑)、どうなんだろうと我ながら首を傾げてしまいましたが…本人としては大変楽しく書かさせて頂きました。
スピード感とか重量感とか、そう言ったものが表現できていればなぁと思います。尚且つ楽しんで頂ければ幸いです。
それでは、またお会いできる事をお祈りしつつ…。