<PCクエストノベル(1人)>


森の番人・ラグラーチェ、泉を守る赤眼の梟

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【1649 / アイラス・サーリアス / 軽戦士】

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プロローグ

アイラス・サーリアスが『その話』を知ったのは、つい先刻の事だった。
自らの背へと流した長い髪を纏めた姿の、肘をついたままの姿勢で、眼鏡の奥の両眼から、ぼんやりと宙を見つめる。
―何故、こんな気持ちになるんでしょうか……?
自分の判別の付かぬ感情に少々戸惑いが半分で、残り半分に、正直言って一部に好奇心があったのも事実だった。だが、好奇心は付属品の意味合いが強いように思われたのも、現実問題としては本当の事で……。
確かに、人には時々、自分の理解の及ばぬ範疇で、何かに突き動かされかけるような事例が幾らかあるのも事実だ。アイラスとて、最初からその事を知らぬ訳では無いし、認めないのだと、あくまで強硬な姿勢を貫きたいという訳でも無い。大抵それは、突き動かされるかのような衝動だったり、感情のうねりだったりするわけだが……。
けれど激情とも違う……されど、鼓動は何時もより僅かに早く打ち続け、今アイラスの中にあるのは、彼自身を急かすようにそこにある、そういうものだった。
―強いて言えば、今自分が感じているのは戸惑い……かもしれませんね。
 ただ否が応に突き動かされそうになる、そんな感覚にアイラスは自分でも少々は困惑もしていた。あえて、今それにあるがままに素直に従おうとする自分を感じる分、余計になのだ。それが自分を次の場所へと向わせようとしている事にも気が付いていた。
―そう、僕は今、それに似たものを感じているんですね。
それはある部分では、確信が含まれているかのように思われた。そうして、そう思った時、少し何かが開けたように感じた。これは自分の中にある、守護と何処か通じるものが伝え、そこへ向わせ教えようとしている証なのか。アイラスはそう自らに問うた。
  

1.発端の朝

 ―最初の発端は何気ないところにあったのだ。そう、本当に何気ない場所に……。
 今から約小半時程前、アイラスは何時ものように、自宅て使い慣れた共有井戸へと向った。
いい朝だった。陽光が眩しく、思わず目を細めたくなる程に、内包した鮮烈な生の力を彷彿とさせる、そんな始まりを感じられる光だ。
アイラスは、まず井戸へ向って、そこに置かれたままの町の人間達の共有の杓子で、一杯の水をすくい上げた。普段では見知った人間が集っていそうな場所ではあったが、今はまだ誰の人影も見えない。
アイラスが杓子ですくい上げた水が雫となって幾つかが水面へ落ちていった。そこには揺らめく波紋がただ、滑らかに広がってゆく。
喉を通したばかりの水は、ひんやりとして心地よかった。水の感覚が消え去った後でも、体内の深い部分から潤されてゆく余韻が、身体の中に微かに残っていた。
井戸の中の水は澄んでいて、光を反射する事で揺れながら輝きを放っていた。足元を通り抜けてゆくような、爽やかという表現が似合いの風と共に、確かにそこにあった……何時もと何ら変わらぬ風景だった。
ふと、目を上げると、路地の傍らに誰かが立っているのに気が付いた。
いや……立っているというよりは、むしろ壁にもたれかかるような姿勢で、空を見上げているかのような背中が見える。その人物の身体を覆うのは、大きすぎる程の布だった。
その人物の表情は、アイラスの立つ位置からは全く窺えなかった。
アイラス:「……」
 それに対して、最初は特に何も思えなかった。
確かに見慣れぬ人影は珍しいが、それをあえて考慮する必要など無いほど、ここは平和だったのだ。
 その時だった。
 今しがたまで、斜めに見えていた人影が動いたのだ。
瞬間的に、何かがぐらりと揺れるような感覚がアイラスを襲ったのも、ほぼ同時だった。
―何なんでしょう! これは……。
動いたばかりの人影がこちらに近づいてくるのが分かった。
いや、途中からそれが『人』族の同朋で無い事に直ぐに気が付く。何かの警鐘が鳴り響くのを感じる。
―非常にまずいですね……これは。僕の釵は、全てを家の中に残したままですから。
丸腰を充分に思い知らされたアイラスに、人ならぬ『何か』はそのままに全く構う事無く近づいてくる。
だが、そんなアイラスの予想に反して、更に予測不能な事態が起こった。
近づいてきた布で覆われた影が、大気に溶け込むように、その輪郭を曖昧なものへと返っていったからだ。次第に、同化してゆくかのように、徐々に消えてゆく。
 アイラスは、当初、視力までも奪われかけたのかと思っていたのだが、明らかにそれは錯覚などでは無かった。
―確かにこちらに近づいてくる度に、消えかけています……!
奇妙な事態に、アイラスはただ立ち尽くしていた。その時、アイラスは思わず目を閉じていた。何かがせめぎあってくるような、強烈な感覚を受けていたからだった。
―これは、そうですね……何かに似ているような……。
暫く考えて、今も喉に残ったまま潤すような感覚が、何かを彷彿とさせる。それが、水だと気が付くまでに、そうは時間は掛からなかった。
全身を水の中に取り込まれたかのような、冷えた何かを感じた。
さっきまで自分は確かに、あの眩いばかりの朝陽の元で目覚めた空を見たはずなのに。
今はそれが欠片も無かった。水面から、その更に外の世界を見つめるような、そんな奇妙な感覚が全身を支配していた。
水の中に全てを抱かれたような……。
アイラスは、思わず自分の中の力が、意識せずとも抜けてゆくのが分かった。気が付いた時には、当初抱いていた、姿を現した目の前の存在に対しての、忌むべき悪しきものという、感覚は既に跡形も無く消え去っていた。
それとどころか、ただ体内へとゆらゆらと流れてくる感覚に身を任せて、これを自分に与えた存在に、アイラスは言葉すら紡ごうとした。自分が何を伝えようというのか……それすら分からないままだ。
―いいえ、でも僕は知りたいんです……これは何なのですか? あなたは、この僕に何を伝えようとしているのですか?


 次に気が付いた時には、アイラスは先程までと全く同じに、井戸の前に立っていた。
周囲を見回してみたものの、町は普段通りの風景を映し出しているだけだった。
朝陽は眩しいままだったし、何気なく振り返ると、見覚えのある、この付近に住まう、幾人かの人々の姿も垣間見えた。
だが、つい今しがた起きたばかりの事柄の全てを、幻とひとくくりにしてしまう事など、到底出来そうにも無かった。
―あの水の感覚……まだここに残っている気がしますね。
そんな中、不意に何かを感じたアイラスは、足元に近い井戸の端に書かれた文字を見た。そんな場所に刻まれた文字など、普段であれば全く気にも止める事は無かっただろう。だが、今日は……今日は明らかに違う。
そこに綴られた文字そのものは、掠れてよく読めなかったが、しゃがみ込んで、ぐいと顔を近づけてみると、何とか意味だけを掴む程度は可能だった……そこには、森の番人・ラグラーチェと記されているらしかった。
アイラス:「ラグラーチェ……類稀な気高い鉱物を、たった一羽の梟ですね。その地には、清浄な泉を湛える泉も存在しているとか……」
アイラスもその名は何時だったか、聞き及んでいた。確かこの町の、北側の山の頂き近くに位置するらしい泉の名だ。アイラスはその場に、ゆっくりと立ち上がった。


2.偶然

後で調べてみたら、ラグラーチェは正式には、その地を守護する梟の名前だったらしい。
梟と知り、アイラスは奇妙な一致を覚える事になった……なってしまった。
アイラス:「参りましたね……まさか、このせいなんでしょうか。僕の守護聖獣はオウルですから……これがまさか偶然の一致とは、そんな訳がありませんよね」
町に関連した文献は図書館に数多く残されていただけに、割と情報の入手に関しても容易かった。ただ、ひとつだけアイラスにとって意外だったのは、あの何気なく使い続けてきた、単なる町の共有箇所であった筈の井戸が、かの高名なラグラーチェからの清水を引き込んだ水路に繋がっていたという点だった。
それは最も驚くべき事実だった。よもや、そんな話自体、聞いた事も無かった。元々あった、粗末な井戸に、秘められた事実に驚きを隠せない。
調べる事によって、事実が目の前に突き付けられる事により、アイラスの中には殊更に、不思議な感情が芽生えてきていた。
ごく身近にあった筈のものが、徐々にごく当たり前の風景の中から剥がされ、本当の姿を晒してゆく事への不思議さ。そう考えてみると、日々の生活の中にも、見えるもの全てが色を変えてゆくような気がした。自分の普通に飲み干していた水は、守護を受けた特別な流れを宿していたのだから……。


3.緑の音

―僕は梟に会いたいんです。どうか会わせて下さい。
森を歩き回りながら、アイラスはただそう願っていた。
あの後、アイラスが一路目指したのは、この森だった。
その思いを与えたのが、自分自身の中に息づく守護聖獣ゆえか、単なる好奇心だったのか……それ以外の何かなのかは、判別は出来なかった……実際にはする必要性も感じられなかったわけだが。けれど、確かなのはアイラスは今、これまでに感じた事の無いような高揚を覚えている。
もう随分歩いていた。
全体として判断するならば、足の裏にある地面が、割と歩きやすい道とは言え、所々の難所も確かに点在していたので、そう簡単に、という訳にはいかないわけだが……アイラスは余裕のまま、微笑んで、自分の周囲を見つめ続けていた。
森の中は、鮮やか過ぎる緑の中にあった。目を隠しても、感じられる程の、柔らかな土の匂いと、稀有なる聖域を守護する力がそこにはあった。
光の加減によって色彩を変える木々の葉。果ては、悪戯好きの精霊の仕業か、風は時々吹いては消え、また、アイラスの伸びた淡い青の色彩の髪を揺らして吹く事を、幾度と無く繰り返す。
くっきりとした生命の音が、そこには確かに息づいていた。
それに加え、この周囲には至るところに、聖域を司る為に置かれたものなのか、碑文が立ち並んでいた。守護の為か、祭事の為か、何かを奉る礎かも分からぬものからは、あの井戸で目にした、掠れた文字の羅列を、そのままに思い起こさせられた。今の自分を指し示す事になった、残像だ。
刻まれて以来、時の流れの中で風化されていった文字を指先で辿り、思いを馳せながら目を細める。
冷えた石版には、もう戻る事のないまま、淘汰されていった生命の儚ささえも感じられた。
アイラスは、そのままゆっくりと息を吸い込んだ。
―もしも、このまま、何も見つからなくてもいいのかもしれないですね。
心からそう思えた瞬間だった。
確かに不測の事態を経験し、何かに導かれるかのようにして、自分はここまで来たのだ。
だが、今はここにあるものは全てがいとおしい、そうも思えた。本当に心からそう思ったのだ。
それに夕刻に近いとはいえ、天上の日はまだかなり高い。残滓とも言えぬ、明るさだ。それを考慮しても、梟には会えないかもしれない。
その時だった。
木々の梢を揺らす音が、森の一角に響いた。
アイラスは弾かれたように、振り返る。確信めいたものが、アイラスを支配していた。
アイラス:「……! 」
 ―やはり、直感は信じてみるものらしいですね。僕は間違っていなかったという事でしょうか。
アイラスは目の前に舞い降りてくる、大きな梟を前にしてそう思った。
アイラス:「あなたがラグラーチェ……そうなんでしょう? 」
梟の低い声が、夕日を映し出しかけた森に、同化してゆくように響いていった。
梟の羽毛は精製されたばかりの真綿を思わせる白だった。その梟には、大きな真紅と表現して差し支えない、独特な深い印象を宿した両眼が覗いている。
 アイラスはただ、それをじっと見つめ続けていた。
 目の前にいるのは、極めて特異な聖域そのものと言ってもよい、鉱物を守護する守り神だった。
その直後、梟はアイラスの目前で、再び羽音を立てて飛び上った。
アイラス:「……」
それは優雅な羽ばたきにも見えた。
アイラスはまた、導かれるようにして、梟を追った。
ただ、走り出した。


4.清浄な泉

それから、どれくらい走ったかは、よく思い出せなかった。
元来、この森そのものが幻に似た、広大な幻影の中にある。
それは森に限らず、聖獣界ソーン全てに共通するものだ。この世界の全ては曖昧に……そして気まぐれに姿を変えてしまう。人の思いを宿し、時を感じながら……。
―だから、僕はこの世界が大好きなんですよ。
ようやく、もう一度梟の姿をはっきりと捉えた時には、アイラスは見た事もない清水の脇に立っていた。
清浄な深い青で満たされた泉。
そこが一体何を意味するのかを、アイラスはもう気が付いていた。
アイラス:「ここが……」
 アイラスは背中に微かな震えを感じていた。
源泉……とでも呼ぶべきか。
 自分は確かに、全く知らされぬまま、この加護を受けていたのだと、はっきりと自覚する。もう、疑いは無かった。
 あの時感じた、実体の無い水の色彩そのままのものが、直ぐそこに確かにあったのだから。
緩やかな流れを成し、太古の世のから、長い時を見つめ続け、そこに存在したであろう、聖なる泉。
アイラス:「ああ、何て事なんでしょう。あなたが、僕を……僕をここへ連れてきてくれたというのですか? 」
 アイラスは戸惑いながらも、泉の端で羽を休めたまま、こちらを見つめている梟に、そう言った。
自分の声が唇から確かに発せられているのに、ひどく喉が乾いているようで、声さえ掠れているような気がしてならなかった。
肩に掛けられたままだった釵が、音を立てて落ちていった。
アイラスは両手を水面から滑り込ませると、聖なる水をすくい上げた。水に濡れた指先からは体温が奪われて、そこから徐々に冷えていった。
アイラス:「少しだけ……どうか、どうか……許して下さいね」
祈るようにそう呟き、アイラスは懐から小さなビンを取り出した。


エピローグ

もう森が背後に遠ざかっていた。
時は既に夕闇を過ぎ、天には夜の帳が広げられていた。
アイラスは、時々思い出したように、背後を振り返る。
たった今歩いてきたばかりの、その道を……。
そうして、自分の目の前にあるのは、これから辿って行く道なのだ。
背後の視界の中の次第にぼやけてゆく、彼方の森の姿を目にした、アイラスは自身の懐をそっと撫でてみる。
そこからは、僅かながら、力の波動が感じられるような気がした。
―あの幻は、ひょっとしたらあの古い井戸が、僕に見せてくれた贈り物だったのでしょうか。おかげで素晴らしいものを見る事が出来ましたが……。聖獣が引き寄せてくれたものだと感じていましたが、あの森を見て、生命にはもっと深い流れがあるのだと感じられました。流れの中で繋がっている、水も生命も、全てが……。僕は今日の事をずっと忘れないでしょうね。


おわり



初めまして、ライターの桔京双葉と申します。
お申し込み頂きまして、本当にありがとうございました!
大変嬉しかったです。
アイラスさんのキャラクター、とても奥が深く、書かせて頂いても、それを実感させて頂く事が度々でした。
本当にありがとうございました。