<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【エスメラルダは誰の物にもならない】
 美貌の踊り子は誰の物にもならない。愛や楽しさや悲しみ――そういった感情を、ただ観客のためだけに舞ってみせ、喜ばせるのが仕事であるからだ。誰かひとりに特別な感情を持とうとはしないし、持たせてはいけないのだ。黒山羊亭のエスメラルダも、それを心がけている。
 それでも、彼女に言い寄る者は多い。始末が悪いことに、その種類は男女を問わないのだ。美に溢れる滑らかな体のライン。誘惑の光を無意識に放つ視線。唇は愛の花。ベルファ通り、いや、エルザード全体でも、彼女ほど人を惑わせる女性はいないだろう。
「いい加減、対策を練らないといけないわね」
 客商売とはいえ、愛想を振りまいて何とかやり過ごすのも精神が疲れるし、そもそも来るたびに追い返すでは何の解決にもならない。
 少々荒療治が必要か。エスメラルダはそう考えた。
「やっぱりあれかな。私には強い戦士とか騎士とかがついてるから無駄よ――とか。やってくれる人、いるかしら」

 何しろエスメラルダは黒山羊亭のスターとも言える存在である。彼女が誰彼に迫られて悩んでいる、自分の身を守ってくれる者を求めているという噂は、瞬く間に知れ渡った。
「まずは礼を言うわ。ありがとう」
 その夜、我こそはと名乗り出たナイトたちに、エスメラルダは頭を下げた。
「いつもお世話になっていますから。それに、エスメラルダさんに何かあったら、エルザードすべての冒険者が悲しみますから」
 生真面目な顔つきでアイラス・サーリアスは言った。
「で、具体的にどうすればいいのかな。言い寄る相手ってのは、どんなやつらです?」
 不安田がのんびりとした口調で言った。
「そうね、最近目立ってよく来るのが若い男の三人組。何でも、誰が先に私を手に入れるかって競争しているみたいなのよ」
「女をモノ扱いしてるんだね、そいつら。ろくなもんじゃないわ」
 踊り子のレピア・浮桜は端正な顔をやや歪ませた。エスメラルダとレピアは同じ職業だけに親近感が強くなる。だから余計に怒りがこみ上げてくるのだ。
「その三人ってのが、見るからに強そうな戦士なのよね。少し不安だけれど」
 エスメラルダは三人を見渡した。少なくとも体格ではこちらが劣っていると思った。
「強そうな戦士か。逆に好都合ですよ。彼らを追い返せたら……第一には話し合いするつもりですけど……あんな強い戦士でも近寄るのは無理だ――と、誰もエスメラルダさんには言い寄らなくなる算段は高いですよ。ねえ、不安田さん?」
「ああ、三人組なら、ちょうど俺たちと同じです。一対一に分かれてバシッとやってやりましょう。まあ、最初は説得でね」
 アイラスは軽戦士、不安田は暗殺拳士。共に小で大を制する戦術の心得がある。もし相手が話し合いを無視して襲いかかってきたとしても、あしらえる自信はある。
「レピアさん、あなたはどうするの? あなたは戦闘は」
「うん、戦いは知らないよ。でもね、ちょっと考えがあるんだ。耳を貸してくれるかな」
 レピアはエスメラルダに近づいて耳打ちした。その作戦を全部聞き終えると、エスメラルダはやや頬を染めた。
「まあ、大胆ね……でも、意外といい方法かも」
「どんな方法なんです?」
 アイラスが聞いたが、レピアは内緒と言って微笑むばかり。
「ん……来たようだよ」
 不安田が戦士の気配を感じ取った。四人は無言になった。
 やがて、勢いよく入り口の扉が開かれた。
「エスメラルダちゃーん! 今日こそいい返事を聞かせてもらうぜ!」
 馴れ馴れしい口調の男を筆頭に、傷だらけの鎧に身を包んだ三人の男がドカドカと侵入してきた。アイラス、不安田、レピアはエスメラルダを守るように、彼女の前に立った。
「うん、何だ、お前らは。これから俺たちとエスメラルダちゃんは忙しいんだ。あっち行ってくれないか」
「それが出来ないんですよ。まあ、色々事情がありましてね」
 アイラスはあくまで穏やかに言った。

 誰もいない路地に連中のひとりを誘って、アイラスは話し始めた。
「単刀直入に言います。エスメラルダさんに言い寄るのは止めてもらえませんか」
「その前にお前さんが誰なのか聞かせろ。何様のつもりだ」
 男は眉をひそめて強く言った。赤の他人、しかも自分より一回りも小さい少年に邪魔されているのだから当然の反応ではあった。
「僕は彼女の用心棒のようなものです。一時的の、ですけどね。ずいぶんあなたたちの対応に苦慮しているようなので見過ごせないと思って」
「む……」
「エスメラルダさんの恋人は彼女の踊りを見てくれるお客なんですよ。決して誰かの者にはならないんです」
「んなこたあ、百も承知だ。だがな、それでも諦めずいつかは……ってのが男ってものだろう。そうは思わないか、あーん?」
 男は力説する。一理はあるが、実際問題としてエスメラルダは困っている。同意するわけにはいかない。
「俺は彼女の踊りに惚れたんだよ。それで、いつしか自分だけの女にしたいって思った。まあ、あの人が直々にハッキリと断ってくれりゃあ、諦めがつくかもしれねえがよ」
「そう言えるならとっくに言っているでしょう。あの人は踊り子、他人のためのサービス精神が染み付いている。迷惑していたってお客を強く非難したりは出来ませんよ」
「ち、いちいち正論を吐きやがって。恋路ってのは理屈じゃあねえだろうが」
 男の言うことも正論だ。が、引き下がることは出来ない。
「それでも無理を通すって言うなら、こっちにも考えがありますが」
 アイラスは『釵』を取り出し、両手に握った。
 釵――鉄棒から角が突き出したような特殊な形状で、相手の武器を受け止めることを目的とした武器である。釵の達人は武器を受け止めるだけでなく、奪うという。それも、いとも簡単に。
 男は目を見張った。一分の隙もない構え。戦闘用に切り替わった鋭い視線。優男に見えたこの少年は間違いなく達人だと、戦士の直感が理解した。
 一方、アイラスは目の前の戦士をなかなか話が通じる男だと評価していた。いきなり襲おうとはしなかったし、言葉にも無茶がない。出来ることならここで引き下がって欲しいと、切実に思った。
 そうして睨みあうこと数分。――折れたのは男の方だった。
「やめだ」
 男はアイラスに背中を見せ、歩き始めた。
「もともとガードが固い上にお前さんみたいなナイトがいたんじゃあ、難しすぎるにもほどがある。……ああもう諦めてやるよ、ちくしょう、バカヤロー!」
 それっきり、振り返らず何も喋らず、男は立ち去った。
「よかった。何だかんだ言って引き際をちゃんと知っている戦士だった」
 アイラスは肩の力を抜き、釵をしまった。
「さて、あとのふたりはどうしたかな」
 路地裏からベルファ通りに戻ると、駆けてくる足音が聞こえた。アイラスは身構えたが、その人影を見てすぐに構えを解いた。不安田だった。
「こっちは終わったよ。そっちも何とかなったみたいだね」
「レピアさんが心配です。急ぎましょう」
 ふたりして走ると、間もなく黒山羊亭が見えてきた。悲鳴も怒声も漏れては来ず、騒がしい様子はない。果たしてどうなったのか。アイラスが勢いよく入り口の扉を開けた。
「エスメラルダさん、レピアさん!」
 と、目に入ってきたのは何事もない様子のエスメラルダとレピアだった。
「よかった、無事だ」
 不安田が続いて戻ってきた。
「お帰り。そっちも片付いたようね」
 レピアの言葉にアイラスと不安田は安堵し、手近な椅子に腰を下ろした。
「しかし、どうやって追い返したのかやっぱり気になりますね。作戦があったみたいですけど、聞かせてくれますか?」
 アイラスが尋ねると、
「企業秘密よ」
 エスメラルダとレピアは笑いあった。アイラスは気になって仕方がなかったが、どうせ教えてはくれまいと思った。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/軽戦士】
【1728/不安田/男性/28歳/暗殺拳士】
【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。今回は戦闘は無しで、
 なかなか平和的に収まりました。人間同士で争うのは
 なるべく避けたいものですね。

 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu