<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【踊り子の靴】
「踊り子の靴?」
「ああ、ここから北にある今は寂れた教会。そこによ、かつて神がかった舞で名声を得た踊り子が死ぬ際、命の次に大切にしていた靴を当時の神父に預けたそうだ」
「それで?」
「何せ偉大なる踊り子がその身に着けていたもんだ。その価値といったらそこらのお宝以上だろ? 盗もうとする剣呑な輩が後を絶たなくて、結局神父さんは強力な結界を張って誰にも近づけなくさせたそうだ。やがて教会が寂れ、そこには強力な魔物が住み着くようになった。靴は、今はその魔物たちに守られてるってわけだ」
「……欲しいわね、それ」
 呟いたのは男たちの隣でワインを飲んでいたエスメラルダだ。
「それを履けば、もっとお客たちを楽しませることが出来るかも……」
「あんた踊り子だもんな。欲しくなるよな」
「でも、駆け出し冒険者の俺たちには、無理そうだなぁ」
 男たちの乾いた笑いが響く中。
 ――誰か取ってきてくれないかなあ。エスメラルダは店内の客たちに流し目を送った。

「名前長いし、呼び方はティアでいいわ」
 と、美麗の剣士は自己紹介した。ウェーブのかかった長いブロンドの髪、整った顔、手足もスラリと長い。ティアリス・ガイラスト。その風貌からは想像もつかないが、男とも互角以上に渡り合える剣術の達人にして、一国の王女である。
「喜んでその依頼、引き受けるわ。魔物魔物! 強い魔物と戦えるもの!」
「勇ましいわね」
 エスメラルダは次に、薄衣の同業者を見た。
「レピアさん、あなたはどうして?」
 どうして、とは戦士でもないのに魔物の巣窟に乗り込むつもりか、という意味だ。まさか、レピア・浮桜のような華奢な女性が名乗り出ようとは思わなかった。
「うん、同じ踊り子として、その靴に興味があるんだ。それに、他ならぬエスメラルダの頼みだもの」
 レピアはウィンクして答えた。
「でも、剣士のティアさんはともかく……」
「大丈夫。剣だの斧だのは使えないけど、私なりの戦い方があるから」
 肩に優しく手を置いてくれるレピアを、エスメラルダは深く追求しなかった。大丈夫というならば信じるのが友情というものだ。
「ふたりとも、危なくなったら靴なんていいからね」
 失敗した時のことなど考えにはない。形ばかり頷いて、ティアリスとレピアは魔の教会へと出発した。夜の闇が近づく夕方だった。

 夕闇の中、魔の気配が漂っていた。かつては神聖で荘厳だっただろうその建物の見る影のなさに、ティアリスもレピアも息を飲み込んだ。白塗りの壁は濃緑の苔がむし、汚らしい染みが覆い、漆喰が剥がれ落ちている。窓ガラスは当然のようにすべて割れ落ち、枠組みの木はボロボロだ。屋根の十字架は何とか原形を留めてはいるが黒く錆付いていた。こうなってからどれほどの時が経っているのか。
 入り口に扉はなく、外から内部が丸見えだった。魔物にとってみれば、出入りするのに邪魔なのだろう。
「……じゃあ、入ろうか。覚悟はいい、レピアさん?」
「ええ」
 ふたり並んで、堕ちた聖堂のホールをくぐった。何もない。更地と化した床に埃が積もっているだけだ。たちまち、停滞する空気の不潔な匂いが鼻腔を突いた。
 ふいに、ティアリスが目にも止まぬ早業でレイピアを抜き放った。
「ティア?」
「動かないで!」
 そして、あっけにとられているレピアへと突き出す――!
「ガ――!」
 鮮血が飛び散った。だがそれはレピアのものではない。
「頭上からいきなりとは汚いわね、小悪魔」
 レピアに鋭い爪が突き刺さる寸前だった。その魔物は右手首を完全に貫かれ、次いで地面に打ちつけられた。苦悶の叫びがあがった。
「ゴメン、油断した」
 レピアが顔を引き締める。
「さーて、次は左腕かな?」
 ティアリスが言うと、小悪魔は聖堂の奥に逃げた。
 頭上に巨大な十字架を構える祭壇。そこに、幾多の魔物を侍らせて、頭領らしい威厳に溢れた魔物がふんぞり返っている。
「お、おかしら、お助けを!」
「バカが」
 剛拳が一閃する。小悪魔はいとも簡単に頭部を吹き飛ばされてわけもわからぬまま絶命した。
「不意打ちでも殺せないような部下はいらん」
 頭領は立ち上がった。背丈は人間より少し高い程度だが、頭には二本の角、口元には残虐な牙。全身は凄まじい黒の筋肉で覆われている。
「で、何なんだお前らは。ん、人間の女よ?」
「あんたが親玉か。殺気がビンビン伝わってくるわ。いい戦いが出来そうだね!」
 ティアリスがレイピアを頭領に向ける。
「くっ……はははは! こいつは傑作だ。ああわかった、戦ってやる」
 頭領は豪快に笑いながら、ティアリスとレピアに歩み寄る。
「安心しろ、部下たちには手は出させん。……なんとも麗しい美女だ。俺がひとりでたっぷりと犯したあと骨も残さず食ってやるわ!」
 言うが早いか、頭領は高速で肉薄してくる。兎に狙いを定めた獅子のようだった。
 その標的は青い髪の踊り子。まずは弱そうなレピアを仕留める腹積りだ。
「顔は狙わないでおいてやる。犯すときに楽しめないからな!」
 レピアのみぞおちを穿とうと、死を呼ぶ大腕が唸りをあげて一直線に伸びる。
 それを、レピアは身じろぎもせずに受け止めた。
「レピアさん?」
 ティアリスの悲鳴。だが、頭領は眉をひそめた。まるっきり手ごたえがない。
 そして、拳をまともに食らったはずのレピアの体が幻のように消えた。――いや、真実幻だった。
「幻影の魔法か!」
 頭領が忌々しそうに吼えた。
 ミラーイメージ。華麗なる舞は幻を生み、敵を確実に惑わせる。凄絶なる修練の果てに身につけた、レピアの最強防御だ。
「いくらすごい力でも、馬鹿正直に向かってくるのではかわすのは簡単よ。あたしにとってはただ踊っているのと変わらない」
 明らかな挑発。その言葉は、頭領にとって、かつてない侮辱だった。
「ふ……ふん、だが体力では俺が勝る。お前が疲れ果てる時を待てばいいのだ。それにお前には俺を倒す力はあるまいが!」
 言って、頭領はその巨躯を先程と変わらず突進させる。レピアは何の武器も持っていない。彼の言うとおり、レピアには頭領の攻撃をかわし続けるしか手段はないはずだ。
「もちろん、ずっと守りに入っているつもりはないわ」
 レピアは再び幻で剛拳をかわす。頭領はまたしても彼女を見失った。
 それが好機だ。
「ハッ――!」
 脚線美が弧を描く。一瞬の隙を突いたレピアの蹴撃は、頭領の右脚の向こう脛に、寸分たがわずヒットした。
「ガ! アアア!」
 頭領はたまらずしゃがみこんで右脚を押さえた。
「どう、そこは鍛えようがないでしょう? 力は使いようよ」
 骨にヒビが入ったろう。頭領は顔に脂汗を浮かべている。
「ぬぬぬ! だ、だが、こんなものでは俺を死に至らしめることは不可能だろう」
 歯ぎしりしながら頭領は不敵に笑う。だが。
「うん、そうだね。だから次は私が相手するよ」
 嬉しそうな声。ティアリスだ。
 頭領の顔から血が引いた。彼女の武器は鋭利なレイピア。心臓、喉、額。いくらでも命を奪う手段はある。
「いいでしょ、レピアさん?」
「ええ、確かに彼の言うとおり、あたしではアレが精一杯だもの」
「……舐めるなあ!」
 それが彼の唯一の戦法なのだろう。頭領はまたしても直線の拳を繰り出さんと突進する。当たれば死だ。
 だが、速度はにわかに落ちている。それを剣士は見逃さない。
 カウンターの要領だ。ティアリスは紙一重で拳をかわし、レイピアを頭領の喉に突き立て、貫通させた。通常ならばありえなかっただろうが、頭領の愚直な勢いと、ティアリスの天才的なセンスがそれを成功させた。
「ア――」
 レイピアが引き抜かれる。埃を巻き起こし、頭領は力なくドウと倒れこむ。
「お、おかしらが負けた! ああああああ!」
 彼の部下たちは絶叫と共に、次々と霧散してゆく。彼らは頭領の魔力によって生み出された存在だった。頭領が死に行く今、生きながらえる術はなかった。
 部下が消える様子を苦々しく見つめながら、頭領は必死に声を出した。
「な、なぜ――」
 間断なく血を吐く頭領。なぜ俺が人間の女ごときに負けた。そう言いたかった。
「偉そうにしてないで、全員でかかってくればよかったのよ。私たちを甘く見たのが敗因よ。あとは、単に相性の問題じゃない?」
 突き放す口調でティアリスが言った。それっきり、頭領は何も喋らなくなった。
「さて、探すとしましょうか。踊り子の靴ってやつを」
「……ねえ、ティア、あれは何かしら」
 レピアが指差す先は、頭領が座っていた祭壇だ。そこに、淡く赤く、優しい光がこぼれているのが見える。
 ふたりは無言で祭壇に上がった。光は床から放たれていた。よく見ると、小さな取っ手がついている。
 床を開けると、中にはひとつの箱があった。それを取り出し、迷わず箱を開ける。
「わぁ!」
「キレイ……」
 捜し求めていたものは、想像以上の宝物だった。
 色とりどりの宝石をちりばめたその赤い靴に、ティアリスとレピアはうっとりと頬を染めた。
 偉大なる踊り子が持ち続けた生涯の愛具は、数百年の月日が流れても、その輝きを失っていなかった。

■エピローグ■

「ティア、申し訳ないんだけど」
 教会から出ると、レピアはティアリスに聞いた。
「この靴、あたしからエスメラルダに渡してあげたいんだ」
 しっかりと踊り子の靴を胸に抱いているレピア。その思惑を感じ取ったのか、
「元々それにはあまり興味はなかったし、別にいいよ」
 軽い口調でティアは返答した。
「エスメラルダさんに伝えるメッセージもないし、報酬も欲しいわけじゃないし、私はもう店には戻らないよ。ここでお別れだね」
 ティアリスが右手を差し出した。ほんのひと時の戦友に、レピアは極上の微笑を浮かべながら、その手を握った。
「色々とありがとう。あなたみたいな強い女性は結構好みよ」
「どういたしまして。そんじゃ、彼女によろしくー」

 そうしてレピアは黒山羊亭に戻った。
 すでに店内は酒に酔いたい人間たちで賑わいを見せていた。休憩中なのか、エスメラルダはカウンターでひとり、ワインを飲んでいた。
「ただいま、エスメラルダ」
「ティアさんは? まさか……」
 エスメラルダは、ひとりで戻ってきたレピアを見てうろたえ始めた。
「ああ、違うのよ」
 慌ててレピアは事の成り行きを説明した。
「なぁんだ、驚いた。……それが、踊り子の靴?」
 ええ、と言ってレピアは胸に抱いていた踊り子の靴をエスメラルダに手渡した。
「この靴は大した魔法の品よ。履けばきっと踊りが巧くなる。……でも」
 レピアは一息ついて、続けた。
「踊りって毎日の練習の積み重ねよ。だからエスメラルダ、決してこれに頼りきりにしないで、日々の努力を怠ったりはしないでほしいの。……ゴメンね、おせっかいだったかしら」
「いいえ、心遣い、ありがとう」
 友の忠告と優しさに、エスメラルダは心から感謝した。
 そして、宝の靴を履いてみる。
「あっ……!」
 ――確かに魔法の品だろう。地面から力を吸い上げているような確かな感触がエスメラルダの体を流れた。
「ああ、さっきまでの疲れが嘘のよう。さっそく踊りたくなったわ。ほら、一緒にやりましょ!」
「うん!」
 空気は魅惑に包まれる。希代の踊り子ふたりの共演に、黒山羊亭は沸き上がった。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】
【1962/ティアリス・ガイラスト/女性/23歳/王女兼剣士】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。
 戦闘シーンはわりとあっさりめかもしれませんが、
 レピアさんの天才的防御とティアさんの天才的剣術を
 書くのは楽しかったです。
 
 それではまた。
 
 from silflu