<東京怪談ノベル(シングル)>


コマドリと春の風

 子供の頃の記憶は、いつしか薄れていくものではあるけれど、ティアラの中にある両親の面影は、薄れるどころかいつも色鮮やかに微笑んでいる。それはきっと、いつも両親の事を心に想って生きているからだと、ティアラは信じている。

 春の陽射しは、人を外へと連れ出す力を秘めている。元より散歩は嫌いではないが、今日は特に、暖かい日差しに誘われてティアラは、のんびりと静かな草原の道を歩いていた。ここは彼女が住んでいる街から程近く、この季節には色とりどりの花々が咲き乱れる美しい場所である。誘いを受けたのはティアラだけでなかったらしく、他にも幾人かの人々が、彼女と同じように暖かい空気や花の匂い、小鳥のさえずりを楽しみに来ていた。
 「あ、ティアラだ!」
 「こんにちは、ティアラ。いい天気だね」
 「ティアラ、また歌を聞きに行くからな!」
 癒しの歌姫として、劇場の人気者であるティアラには、皆が気軽に声を掛けてくる。劇場のスターとしてと言うよりは、それぞれの家族の一員のように親しみが篭っており、それはそれだけ彼女が人々から愛されている証拠だ。ティアラは、そんな彼らの挨拶にひとつひとつ丁寧に笑顔で応えながら、若草色の芝生を踏み締めて行く。

 そんなティアラの横を、一人の若い母親が通り過ぎていく。乳母車の中では、母親と同じ色の髪をした赤ん坊が、すやすやと安らかな寝息を立てていた。そんな我が子の様子を覗き込む母親の視線は優しく、慈愛に満ちている。それを見たティアラも、釣られたように幸せそうな笑みを浮かべた。
 ティアラは、母親の顔を知らない。いや、正確には母親を感じた事がない、だろうか。顔だけなら、残された肖像画で知る事ができる。だが、ティアラの母は彼女を産み落としてすぐ亡くなってしまったので、彼女はその腕の温もりを感じる事なく、成長を遂げたのだ。
 絵画の中の母親は、ティアラに良く似た美しい女性であるが、たおやかで線の細い印象で、身体が弱かったと言う父親の言葉を、素直に信じる事が出来た。勿論、父親の言葉を根っから疑っていた訳ではない。だがティアラの心の中には、母が命を落としたのは己の所為では無いかと言う僅かな疑惑と後悔の念があったのだ。だがそれも、母が自らの命の危険を感じつつもティアラを生む決意をしたと言う話を聞き、より深く母の愛を感じる事ができ、ティアラの心も晴れたのだった。
 お母さんは、本当にお前が生まれるのを心待ちにしていたんだよ。父は幼いティアラに、何度もそう言って微笑み掛けた。互いの愛の結晶であるティアラ、母は彼女をその身に宿している時から、辛いつわりや体調の悪さに苦しんではいたが、大きな自分の腹を撫でながらまだ見ぬ我が子に、自分がどれだけ誕生を待ち侘びているか、よく語って聞かせていた。その傍らで、父親はそんな母子を暖かい眼差しで見詰めていたのだろう。実際に両親が二人揃った所を見た事はないが、そんな風景を自然とティアラには思い浮かべる事ができた。

 ふと、ティアラが何かの声に気付いて視線を向ける。芝生の真ん中で敷物を広げてピクニックを楽しんでいる家族の姿が目に入った。お父さんとお母さん、そして幼い男の子と赤ちゃん。赤ん坊は、大声で泣いて手足をばたばたさせている。泣くのが仕事で言語である赤ん坊とは言え、若い両親はさすがに手を焼いているようだ。
 ティアラの父親は観劇が趣味で、近くにある大きな劇場に、幼いティアラをしょっちゅう連れていった。男手一つで乳飲み子を育てるのは容易ではなかっただろう。だがそれでも、父は一人でティアラを育て上げた。片親の辛さや寂しさなど微塵も感じさせず、一人で二人分の愛情を娘に注ぎ込んだ。そんな愛情溢れる父娘の様子は、すぐに劇場内でも評判になったらしい。優しい目をした父親と愛らしい幼女の姿は、見るだけで心を和ませると噂になり、やがてティアラと父親は、その劇場の経営者夫妻と仲良くなった。観劇の帰りに経営者宅に寄り、食事を共にするなどして、賑やかな笑い声を響かせたものだ。
 そんな優しい父親も、ティアラが四歳の時、当時の流行病に掛かると呆気ない程にすぐ亡くなってしまった。四歳では、まだ死の概念など分からぬ年頃である。動かなくなった父親の身体を揺さぶり、朝が来たから目を覚ましてと泣く幼いティアラの姿は、周りの人々の涙を誘った。
 これで身寄りも無くなり、路頭に迷いかねない境遇となったティアラだが、彼女が受け取る愛情は両親からだけは無かったらしい。家族付き合いをしていた劇場経営者夫妻には実子が無く、自然、ティアラは彼らの養女となって暮らす事となったのだ。運がいいと人は羨むかもしれないが、ティアラがその身に纏う庇護欲は、彼女の両親や周りの人々の愛情によって育まれた、彼女自身の財産なのである。確かに、裕福な家庭に貰われていった事は幸いではあったが、ティアラにしてみれば、例え貧しくとも、愛する両親が揃った家庭に変わる幸せなどありはしないのだ。

 ざぁっと風が吹き、ティアラのスカートの裾を舞い上げる。レースがふんだんにあしらわれた清楚な純白のワンピースは、彼女に良く似合っている。癒しの歌姫、天使の歌声と評されるティアラのイメージぴったりの服装だが、それを狙って身に纏っている訳ではない。ただ単に、ティアラがレースやフリルのついた服が好きなだけなのだが、まるであつらえたかのように、彼女に良く映える服装なのである。
 劇場の経営者、新しいティアラの両親は、金銭的にも豊かで人望も厚く、信頼される人物であるが、唯一叶わなかったのは、血を分けた我が子の誕生であった。ティアラとは当然、血の繋がりは無いのだが、だが経営者夫婦は、そんなハンディなど物ともせず、ティアラに可能な限りの愛情を注ぎ込んでくれた。
 親子の愛とは血縁だけに留まらないと、その身を持って証明してくれたようなものである。
 尤も、その限りない愛情は時には過保護と化し、ティアラを、無条件で人を信じるような、無垢で純粋な少女に育て上げてしまったが、そんな彼女を貶めたり利用したりしよう等と思う者は存在し得なかったので、周りの心配も杞憂に終わっている。例え、何かしらの邪な思いを抱いて彼女に近付く者が居たとしても、ティアラの邪気の無い笑顔を見たり、その魂に染み渡るような歌声を聞いたが最後、そんな悪意は綺麗さっぱり洗い流されて、ただティアラのファンになってしまう、と言うのが常だったのである。
 十四歳で初めての舞台に立ち、初舞台とは思えない程、堂々たる舞台度胸を披露したティアラ。その歌声は十六歳になった今でも変わる事が無く、否、益々技巧にも歌声にも磨きがかかって円熟味を増している。彼女の歌声は人の心を癒し安らぎを与えると評判で、ソーンでも一、二を争う歌姫なのだが、ティアラ自身、その自覚は全くない。勿論、歌を聞いてくれる人が楽しんでくれればいいな、喜んでくれればいいな、と思ってはいる。だが、基本的には自分が歌うのが好きなので歌っている、と言う思いが一番強いのだ。
 彼女の歌声に人を癒す力があるとするならば、それはきっと、彼女自身の優しい心や慈しむ心、人を信じる心などが織り成す奇跡なのであろう。そして、そんな奇跡を生み出す始祖となった彼女の個性は、実の両親と育ての両親、四人から受け取った、溢れんばかりの愛情の賜物なのであった。

 春を歌うと言われている、数羽のコマドリがティアラの頭上を飛び交った。鈴の音のような可愛らしい鳴き声を響かせ、大空の歌姫がもうひとりの歌姫を誘う。それを見上げていたティアラは、誘われるがままに大きく息を吸い込むと、高らかに春の喜びの歌を歌い始めた。
 その歌声はコマドリの鳴き声と絡み合い、微風に乗って遠くまで響く。大人達、子供達だけでなく、さっきまで大声で泣いていた赤ん坊も、すっと泣きやんでティアラの歌声に耳を欹てた。春の麗らかな日差しと共に、ティアラの声も人々の身体と心に染み渡る。それは人々の中から苦いものや悪いものを押し出し、その場だけでも、皆、純真で疑う事を知らぬ魂へと変貌を遂げていたのだった。
 パパ。ママ。ティアラは、歌の合間に心の中で呼び掛ける。

 ねぇ、ティアラの歌、聞こえてる?ティアラはこんなに元気だよ。だから、パパとママも天国で幸せになってね?

 ティアラが幸せなのは、もう言うまでもないから。


おわり。


☆ライターより
ご依頼、ありがとうございました!はじめまして、ライターの碧川桜です。
最後の最後に出て来たうえ、タイトルにまでなっているコマドリ…本来は夏の鳥でしかも山に住む鳥なんですが(汗)、駒鳥と言う名の通りの綺麗な鳴き声と、その名前の響きに惹かれて、ここでは登場して頂きました。ので、敢えてコマドリと言うカタカナ表記で、日本やヨーロッパにいる駒鳥とは似て異なる鳥だと思って頂ければ幸いです。そうですね、例えば実はコ・マドリが正式名称とか(違)
ではでは、今回はこれにて。またお会い出来る事をお祈りしつつ…。