<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『若草のドレス・花かんむり』

<オープニング>
「このドレスを着ていただきたいのです!」
 男は、若草色の豪華な布をカウンターテーブルに広げた。たっぷりの高級レースで飾られた、美しいドレスだ。
 エスメラルダは肩をすくめる。
「嬉しいけど、あたしはもっと胸の開いたセクシーな方が好みなんだけど」
「違う、違う、違う〜!」
 男は真っ赤になって、首を振った。
「依頼を受けたかたに、着ていただきたいのです。ご主人様の『孫娘』の振りをしながら、護衛をお願いしたい」
「事情がありそうね」
 興味を持ったエスメラルダは、身を乗り出した。
男は、富豪のガォネガット家の執事だと言う。富豪は高齢で足が悪く、最近は視力も失いつつある。
「女装でもバレないってことね。護衛と言ったけど?」
「気難しい方で、側に警護を置きたがりません。孫娘役は付きっ切りで大変なので、交替制でもいいかと思います」
「それで」と、エスメラルダは、耳をそばだてていたお客達に向き直った。
「あんた達、どうする?」

<1>
「ステキなおうちね!スゥ、がんばる!」
 執事に連れられ、ヴォネガット家の豪華な客間に通された少女は、瞳を大きく見開いて喜びを現した。縁取られた長い睫毛は化学繊維だが、それを忘れさせるほどの愛らしい漆黒の瞳だった。スゥ・シーンは、10歳位の少女の姿を模した、心を持った人形である。
 もう一人の客人、ティアリス・ガイライトは、上質の布が張られた椅子に背筋を伸ばして座り、金の縁飾りの茶器で優雅にすみれのお茶をいただいていた。さる国の王女である彼女は、こういう場面で気後れする様子は全くない。
「今回は、ご主人様の為に、ありがとうございました」
 執事が、ティアリスにすみれ茶のお代りを注ぎながら、慇懃に礼を述べた。
「わたくしは、執事のバクスターです。着ていただくドレスは、今持って参ります。スゥさんには、お嬢様が子供だった頃のドレスをご用意します」
 スーツ姿で老けて見えたが、執事はまだ20代の青年と思われた。
「バクスターさん。執事というと年配という感じがするのですが、あなたは随分お若い執事さんなのね」
「あ。は、はい。わたくしは、ここに来て一年、まだ未熟な執事です。不備がありましたら、ご容赦を。これには理由がありまして・・・。
御主人様の恥を申し上げるようですが、お二人のお役目を考えてお知らせしておきます。執事は、わたくしの前に居た者は、半年で辞めてしまったそうです。その前のかたは2年。その前は一週間だとか。それで、わたくしのような若輩者でも雇っていただけたようです。
私のこの額の傷は、お茶を濃く入れすぎて、杖で殴られた時のものです。先週もコックが、堅すぎるとパンを投げつけられ、顔に命中して鼻血を出しました」
「・・・。」
 ティアリスはぱちくりと、赤い瞳を丸くした。

『そんな御主人様ですが、たった一人のお嬢様のことは、それはもう溺愛されていたそうで。お抱え弁護士の話では、お嬢様が御主人様の許さぬ相手と恋をして、駆け落ちされてしまったので、偏屈に拍車がかかってしまったとか。奥様が亡くなられた後は、もう、殆どどなたとも接することなく・・・』
 あてがわれた客室で二人は指定のドレスに着替えると、執事に導かれ、ヴォネガットの書斎に通された。家出した娘のものだという年代もののドレスは着るのも大仕事で、ティアリスはコルセットを力持ちのスゥに締めてもらった。裾を引きずる丈なので、スゥは長い廊下で2度も転びかた。
 袖の膨らんだフリルのドレスはスゥによく似合ったし、金髪巻毛の豪華な美貌の持ち主ティアリスも、銀糸の刺繍と絹レースのドレスをみごとに着こなした。しかし。娘の瞳はグリーンだったのだろう。赤の瞳と黒の瞳には、若草色は違和感のあるドレスの色だ。
「御主人様。捜査の者が探し当てた、アンジェラ様のお嬢様達でございます」
 草模様の繊細な彫りの扉を、執事がノックした。ティアリスはさかんに瞬きし、スゥもティアリスと繋ぐ手の指に力が入った。執事が堅い重い扉を押した。
 窓から、ふんだんに陽が注いでいた。車椅子に乗った老人は、黒光りする大きな机に背中を向けて、庭を眺めている様子だった。尖った顎が振り向いた。視線は宙を彷徨い、影を探しているように見えた。そして、二つの若草色を認識すると、視線が止まった。
 スゥは、この老人を見たとたん、切なくなった。似てる。なんだか、自分と似ている。母親を探して旅をしている自分と、孫娘を捜し求めていたこの老人と。
 ティアリスがドレスの裾をつまんでレディの礼をしたその隣で、スゥは駈けだして老人の膝にすがった。
「おじいさま!おじいさま!おじいさま!」
 老人の視線が、膝の少女に注がれた。執事が慌てて説明する。
「妹のスゥ様です。こちらが、上のティアリス様。二人は孤児院で育ち、アンジェラ様のことは全くご存じありませんでした」
「孤児院・・・。そうか。不自由をかけたな」
 老人は、スゥの銀の髪に恐る恐る手を伸ばし、そっと触れた。そして、静かに撫で始めた。
『執事さん。聞いた印象と随分違うわ』
 ティアリスが小声で執事の脇腹をつついた。
『わ、わたくしも、こんな御主人様を見るのは初めてです』

 白い女神の水瓶から滴り落ちる水の音と、スゥの笑い声が重なり合う。数日の滞在で車椅子を押すのにすっかり慣れたティアリスも、口許を手で隠して笑った。老人の白髪の上に、スゥ作のしろつめくさの王冠が鎮座していた。
これの作り方は、老人が教えてくれた。目が悪いのに、無骨で皺くちゃの手で、丹念に細い茎を編んでみせてくれた。太い指は何度かやり直しをしながら、素朴な女王の冠を作り上げた。そしてスゥも、今度はその小さな手で、草の汁で指を汚しながら一生懸命作った。所々茎がピンと飛び出して、決して上手とは言えないけれど。
「ひどいぞ。スゥが載せたのに、そんなに笑うとは」
 スゥの影に見当をつけて老人は苦笑を返し、肩をすくめてみせた。
「うふふ、ごめんなさい、おじいさま、だって」
 老人の重厚な雰囲気と、白く可憐な花かんむりが、あまりにちぐはぐで。いや、そうじゃない。楽しくて楽しくて、スゥは笑いがこみ上げて来るのだ。
 暖かい陽は、書斎のガラス越しの光とは、肌触りが違う。老人は目を細める。世の中から目を背けるためでなく、もっとよく見る為に。そよぐ風が頬を撫でる。草の匂いが心地よかった。風が、老人のひざ掛けを飛ばした。
「あ!スゥが取って来てあげるね」
 少女は、小犬がじゃれるように、嬉しそうに布を取りに駈けだした。
「おじいさま。風が出て来ましたわ。書斎に戻りますか?」
 ティアリスが気を利かせた。
「そうじゃな。外は気持ちがよくて、名残惜しいが。何度もスゥにひざ掛けを取りに走らせるのも気の毒だしな」
「平気よ。おじいさまの為なら、何度だって走るわよ」
「スゥ、今度はわたしのために、本を読んでおくれ」
「あら、おじいさま、スゥでは絵本がやっとですわ。朗読は私に任せてくださいな」
「ティアお姉さまこそ。あんな大袈裟なシェイクスピアじゃ、聞いている方が恥ずかしくなるわ」
「まあ失礼ね。私の熱演に何てこと言うの!」

 華やかな笑い声が、バクスターの窓にも届いていた。彼は庭を見下ろしながら、唇を噛んで、『秘』と印の押された書類をくしゃりと握りしめた。
 主人が昨夜命令したとおり、屋根裏に封印してあった絵画を先程ロビーに掲げた。娘のアンジェラが20歳になった記念に描かせたという肖像画だった。

<2>
 スゥが書斎で朗読をしている間。ティアリスはバクスターの部屋をノックし、返事を待たずにせっかちに開けた。バクスターは慌てて手を止めた。旅支度をして、荷物をまとめているところだった。
「執事さん。逃げるの?」
「な、なにをおっしゃるのです?わ、わたくしはただ、荷物整理を・・・」
「あなたは、本物の、ヴォネガットさんの孫なのね?だってあなた、あの肖像画にそっくり。メイドやコックも、あの絵を見て騒ぎだしているわ」
「・・・。」
「なぜ?私達にこんなことをさせてまで?」
「そうですね。巻き込んでしまった以上、お話しないといけないでしょうね。
数年前。一人の青年が、この屋敷を訪れました。亡くなった母の手紙を大切に握りしめて。身寄りの無くなった青年は、ただひとりの肉親に会える事に・・・初めて祖父に会えることに、心をときめかせていました。
 青年は、祖父に目の前で手紙を破かれ、熱い紅茶をかけられ、追い出されました。アンジェラの子供は、娘に決まっておる。息子など、認めん。孫娘がいるとしたら、若草色のドレスが似合う、アンジェラそっくりの愛らしい娘に決まっておる。おまえは偽物だ、アンジェラの手紙も偽物だ、アンジェラが死んだなんて嘘だ、と」
「あなた、そんな目に遭ったのにおじいさまが気がかりで、執事にまでなったの?」
「ヴォネガット氏の視力が落ちたので、あの時の青年だと知られることはありませんでした」
「だって・・・それでいいの?私たちが楽しそうにしていて、あなたは寂しくないの?そして、あなたはこっそり出ていくの?」
「・・・。」
「任せなさい」
 ティアリスは、にっこりと、優雅に微笑んだ。

<3>
 突然、書斎の扉が開いたかと思うと、レイピアを握ったティアリスが飛び込んで来た。スゥは絵本から顔を上げ、ヴォネガットもドアの方を振り返った。
「待て、くせもの!」
 バクスターも剣を持って追いかけて来た。
『く、くせものぉ?』
 スゥは目を丸くした。
「ご、御主人様。ええと。この者は・・・。屋敷の装飾品を狙う・・・強盗?盗賊?・・・盗賊でございました。孫娘とは、真っ黒な嘘」
それを言うなら真っ赤な嘘でしょ。スゥはあきれて、今度は『盗賊』のティアリスを見上げた。ティアリスは剣を天井に掲げ、ポーズをとった。
「よく見破ったな、執事!我は、聖都を脅かす女盗賊なり。こうなれば、主人の命を奪い、宝を持ち去るまでよ。轟け、雷鳴。我が名を呼べ。世界の宝は我の手にふさわしい!」
『・・・。』
「・・・。」
 呆れて絶句するスゥの隣で、老人も同様に呆れていた。
「御主人様の命、このバクスターの命に代えても、お命お守りいたします(棒読み)」
「何をっ!とう!」
 ティアリスは、左手でドレスの裾をつまみ、華麗なステップで剣をふるった。金の髪がなびき、ドレスの裾が華やかに波打つ。反対に、当然だがバクスターはへっぴり腰で、剣の刃の向きも反対だった。初めて剣を握ったらしい。しかし、ティアリスの剣さばきはみごとで、きちんと執事の剣とぶつかり、執事が互角に闘っているようには見せていた。カチャカチャと何度か白金がぶつかりあった後、ティアリスは「つうっ!」と大袈裟に叫ぶと、レイピアを放り投げ、右手を握りうずくまった。
「参りました。御主人を守ろうとなさる気迫に負けました」
「お、おじいさま。お怪我はありませんか?(やっぱり棒読み)」
 バクスターが車椅子にかけ寄る。
「はっ。いけない。『御主人様』でした。つい、口が滑って(もちろん棒読み)」
「・・・。は・・・ははは。わっはははは」
 ヴォネガットは、腹を抱えて笑いだした。肩を震わせ、時々額に手をあて、それでもなかなか笑いを止めることができなかった。老人の目には、笑いすぎたせいか、涙が浮かんでいた。
「バクスター・・・。すまなかった。あの時私は・・・。娘の死を受け入れられずに、孫のおまえに酷い仕打ちを」
「御主人様・・・」
「知っていた。だが、一度意地を張ったので、素直になれなかった。
 アンジェラの時もそうだ。恋人は、悪い男ではなかった。ただ、娘を取られた気がして、許せなかっただけなのに・・・。
もう『御主人様』はやめておくれ。さあ、もう一度。芝居でなく。本当に呼んでくれ、『おじいさま』と」

<4>
「おかしいわねえ。あんなに名演技だったのに、なんで芝居だとわかっちゃったのかしら?」
 屋敷から、ベルファ通りへ帰る道すがら、ティアリスはさかんに首をかしげていた。
「やっぱり、執事さんが下手すぎたのよねえ。そうそう、私のせいじゃないわ」
 そう納得し、にっこりと「ねえ?」とスゥに微笑みかけた。
 スゥはと言えば、まだふくれっ面だ。
「スゥはもう少し孫でいたかったのに。ティアリスさん、ひどいわ」
「ごめんなさいね、スゥ。でも、ヴォネガットさんは、私達のことも孫のように可愛いって言ってくださったじゃない。自由に遊びに来ていいっておっしゃったし」
「そうね。また、ご本を読んだり、花かんむりを作ってあげたりするわ」
「スゥ・・・。そうね。すてきね」
 ティアリスは、スゥの小さな手を握った。そして、黒山羊亭まで、繋いだ手を軽く振りながら戻って行った。
 
< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1962 / ティアリス・ガイライト / 女性 / 23 / 王女兼剣士】
【0376 / スゥ・シーン / 女性 / 10 / マリオネット】

執事バクスター
ヴォネガット氏

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■         ライター通信          ■
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ライターの福娘紅子です。今回はご依頼ありがとうございました。
いつも颯爽とかっこよく、しかも美人のティアリスさん。チャーミングでお茶目な部分も書いてみたかったので、ちょっと笑いに走ってしまってすみません。でもこんなティアリスさんも可愛いかな、と。
スゥ編とは、<2>のシーンを変えてあります。読みくらべていただけると嬉しいです。