<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


rabbit foot
「ペットの兎がいなくなった?」
 こくん、と頼りなげな頷きを見せる少女に、困った顔をするルディア。
「そういうのはちょっとねぇ…」
 言いかけ、下から泣きそうな顔をして見上げてくる少女にうっ、と言葉を止め、
「い、一応聞いてみるけど…駄目だったらごめんね?」
 言葉を変えたのは、この場で突っぱねてしまうことへの罪悪感だろうか。それも、少女へ断わるのを先延ばしにするだけなのかもしれないのだが。
「それで、その兎ってどんなのなの?」
「黒くって、傷だらけで、それに、きむずかしやさんなの」
 あんまり飼いたいと思うような兎じゃないわね…。
「ええっと…それで、あなたのお名前は?」
 気を取り直して名を尋ねると、
「アリス。――アリス・コンスタンティ」
 はきはきとした声で答え、その名にルディアがえ、と小さく声を上げる。その名は、間を端折っているものの紛れも無い名家の名だったからだ。傍流としてもかなりの家柄に連なる存在だとしたら…。
 良く見れば、少女の身なりも一見質素に見えるが上等の布を使っており、胸元で上品に服を彩っているブローチも恐らくルディアには一生かかっても手に入らないであろう品だった。
「その兎って、家族の方が買って来たの?」
 ううん、と大きく首を振る少女。
「お庭に倒れてたの。それで、ずっと手当てしていたのだけど」
 そうしたらいなくなっちゃった、とまたべそをかきそうになる少女を慌てて宥める。
「えーと、どういう状況でいなくなったのか教えてくれる?」
「うん」
 こくりと頷いた少女、アリスの言うには。
 彼女の部屋の鳥篭の中に寝かせていたらしい。最近まで飼っていた小鳥が逃げ出したのでその中にソファを敷き詰めて居たのだと言う。――きつくなかったのだろうか、とルディアが余計な心配をしてしまったが。
 それが昨日、鳥篭ごと忽然と姿を消してしまったらしい。部屋は荒らされた様子も無く、ただ鳥篭だけが無かったのだと、そう言うとまた少女がくしゃっと顔を歪めた。
 この場所はメイドの1人が噂していたのを聞き、こっそり抜け出して来たのだと聞いてルディアが困った顔をし、
「それじゃお家の人が心配してるんじゃないかしら。良かったら近くまで…」
 そう言葉を続けようとした時、店の扉がバタンと勢い良く開き。
「――お嬢様!」
 悲鳴じみた声が、店内に響き渡った。
   * * * * * *
「――というわけなの」
 はぁ、と店の隅っこに子供の落書きを貼り付けながらルディアが溜息を付く。酒の肴にしようと言うのか珍しい張り紙を見た男達からの問いに、簡単に説明し、改めてその絵を見つめる。
 稚拙な絵だが、家紋を入れた金細工のメダル付きの首輪を付けた酷く目つきの悪い兎だということだけは分かった。金細工と言うのはあれからこの絵を持って再びやってきたメイド――ルーシィと言う名だった――から聞かされている。
 ルーシィからの捕捉によれば、その兎は彼女たちメイドにあまり好かれていなかったらしい。何か、此方を観察しているような目付きが怖かったのだとか。おまけに、その庭は高い塀に取り囲まれていて、鳥以外の動物が入り込んだこと等今までなかったのだと不安げに言い置いて行った。
 何となく心当たりがないではなかったのだが、
「まさか、ね…」
 以前にも依頼人(兎)としてやって来たことのあるやたらと知恵の効く兎たち――それが一瞬頭に浮かび、笑って消し去ると、他の客の声に朗らかな声で答えぱたぱたと移動して行き、間もなくそんな依頼があったことさえルディアの頭からは消え去っていた。

   * * * * * *

「ルディアちゃん、ナンカ面白い事ネェ?」
 暇潰しのためと豪語しそうな勢いで依頼の張り紙の前に陣取りながら、バイトはどうしたのか葉子・S・ミルノルソルンが首を伸ばし忙しそうに動き回っているルディアに声をかけた。
「面白いこと?うぅん…」
 『面白い』が依頼を受ける尺度なら…と作業を済ませて近寄ってきたルディアが張り紙を見て考え、それからぽんと手を叩く。
「そうだ、こういうのがあるんですけど」
 教えられたのは、一枚の絵と――それにまつわる少女の依頼。そして、探し物に対するルディアの想像…そこまでを聞いてニッカリと歯をむき出して笑いかけ。
「もしかしてもしかする?」
「…想像通りだったら」
 慎重に答えるルディア、だが葉子はもうすっかりその気になっていた。そこへ、見慣れた人物が姿を現したものだから、勢い気分も盛り上がり。
「オヤ、アンタも暇?」
 戸惑ったような顔を向けてくるアイラスに軽口を飛ばし、そしてひらひらと手招きした。
「コレコレ、面白そージャネエ?」
 相変わらずの、軽薄そうな語り口で一枚の絵を指さす。その絵に不審気な顔を見て内心満足げに笑い。
 訳がわからないまま葉子を見上げたアイラスに、
「ペット探しサ。黒くって見るからに性格悪そーで…おまけに妙に頭の良さそうな、と来た。心当たりアンデショ?」
「…ああ…」
 あの折を思い出したか、こくこくと頷いたアイラスに、
「一緒に探さネェ?俺は念のため集落に行って来るケド、すぐ戻ってくるし」
 ルディアに聞いたことのいきさつをかいつまんで説明し、それで飲み込んだか分かりました、と頷いたアイラスが、
「…そうですね。じゃあ僕はこの飼い主の女の子の所へ行ってきます。何か分かるかもしれませんし」
 屋敷の位置を聞くためかルディアに近寄って行ったアイラスの背を眺めると、急ぎ集落へ向かって移動していった。
   * * * * * *

「いるいる。…大きな鍋に入りきらネーナこれは」
 自分で自分の言葉にけらけら笑いながら、ひょろりとした足取りを、一面緑色に染まっている集落に向ける。そこからもちらほらと見える兎たちは、次第に近づいて行く葉子に一部は警戒して巣穴に飛び込んでいき、残りは相変わらずの知性を感じさせる目でじっ、と葉子を見つめ。
 ぱっ、と何匹かは顔を輝かせた。
「ふふん?そう簡単には忘れネェってワケネ」
 ぴょこぴょこと寄ってくる兎たちを見るうちに気づいた事がふたつあった。
 ひとつは、例の黒兎が住んでいた巣穴。草で覆われかけていたが、そこから顔を出すモノもその穴に潜って行くモノもおらず。
 そして、もうひとつは。
「ホホゥ」
 ぴょこぴょこぴょこぴょこ。
 大人兎の半分も無い小さな姿があちこちの巣穴から、興味心身で葉子を見上げていた事だった。
「春だネェ〜」
 つんつん。
 なにやら感慨深げにいる葉子の足を、そっと…遠慮がちに突付くものがおり、足元を見下ろすと。
 そこに、あの日と変わらずふわふわした毛を全身にまとった白兎が小さく首をかしげたまま葉子を見上げていた。
 ――そして、その白兎の後ろにも数匹のもこもこした小さなモノが。半数は白く、残りは茶色く。聞くまでもなく、白兎たちの子供と知れる。
「これまたなんと美味そう…いやいや」
 実に柔らかそうな白い仔兎を1匹つまみあげると、やはり血筋かどこか賢そうな目付きでじっ、と葉子を見つめて来る。その様子をやや心配そうに見上げながらも、止め立てはせずにいる白兎。
「最近街で見かけネーと思ったら。こりゃ忙しくてそれドコロじゃねーか」
 ぽ。
 頬が赤らんでいるかどうかなどは白い毛に覆われてうかがい知れなかったが、前足で顔を挟んでもじもじと動く様子を見れば大体分かった。
「そうそう。今日来たのはサ」
 街に黒兎が来ているらしいこと、飼われていたらしいがいなくなったこと、もしかしたらこの集落に戻ってきているのではないか…ということを簡単に伝えると、どの言葉にも心底驚いたように棒立ちになり、そして最後の質問にはぷるぷると首を振ってちらっ、と誰も入るモノのない巣穴に視線を送る。
「ヤッパリ。じゃ、も1つ質問。――アイツが戻って来たガッタラどうする?」
 見上げ続け、もしくは見下ろし続けることに互いに疲れたか、葉子がしゃがみこんで白兎に訊ねた。
 しばらく戸惑い、答えを出すことをためらう白兎。
 だが、やがて、はっきりと意思を感じさせる視線を送り、こくこく、と葉子に向かって大きく頷いて見せた。
「受け入れるんだな?リョーカイ」
 手の中でもこもこ動く小さな白い固まりをむにむにとつまんで弄びながら、
「『コレ』土産にしてイイ?」
 そう訊ねて白兎と遅ればせながらやってきた茶色い兎の両方からげしっ、と軽い警告代わりの蹴りを喰らって笑いながら仔兎を手放した。
 やっぱり鍋持って来れば良かったかな。
 そう、内心では思いつつ。

   * * * * * *

「相変わらず美味そう…いやいや、元気だったヨ、連中」
 常にもまして艶々しく見えるのはきっと気のせいだろう。少し街から離れた兎の集落に行って戻ってきた葉子の様子は何やら楽しげで、打ち消す前の言葉の方が本音だったのではないかと勘ぐりたくもなってくる。
「連れ帰って来てないだろうな?」
 じろりと眺める塵にも涼しい顔でわざと腹を撫でる仕草をしてみせると、何か言いかけた塵を無視してアイラスに向き直り、
「で?有効な情報はあったカナ?」
 睨みをきかせる塵に気付きながらわざとそ知らぬフリで訊ねていた。
「聞き込んでみたんですが、なかなか。屋敷の外へ籠ごと持ち出されたらしいと言うのが塵さんの情報で、僕の方はというと忙しい時間帯に消えたらしく誰も見ていないようなんです」
「ジョニーとか言う奴のことは?」
「あの方ですか…依頼されましたが、どうにも肌が合いませんね」
 え?
 急に2人の視線をまともに浴びたのだろう、やや居心地が悪そうな顔をして、
「その兎が見つかっても屋敷に連れ帰らないでくれと言われました。そして、首に下げているリボンを証拠に死んだものと報告するように、と」
「…ほう」
 同じ屋敷内でそう言うことを言い出す者がいるのか、と不審気な顔をする塵。
「断りましたけれど」
 それだけ言うと、葉子さんは?と話題転換する。聞かれればひょいっと肩を竦め、
「戻ってる様子はなかったナァ。連中も今は忙しそうだったしネー」
 そこで何か思い出したのかにやりと笑い、
「彼の巣穴は残ってたけど、サテ戻るかナァ?」
 くすくすと楽しげに唇に笑みを浮かべる。
「向こうでも何かあったんですか?忙しそうって言ってましたけど」
「イーヤ、平和さ平和。もっと刺激があった方が楽しいのに、ネ?」
 まるで逆のような事を言い、そして、
「ジャア籠探しにレッツゴー♪」
 何やら不機嫌になりかかっている塵をアイラスが宥めつつ、葉子が先に立って――いや、微妙に浮いて動き始めた。
 目指すは屋敷の向こう側…そこで見つかると良いのだが、と思いつつ。

   * * * * * *

 聞き込みははかどらなかった。あまり人通りの無い場所だったから尚更だろうが、それとは別に途中まで行きつ戻りつしていた式が、ある地点まで行くと匂いが途絶えてしまったらしく、その場から塵の元へ戻って消え去ってしまう。
 ――さて。どうしたものか…。
 川を挟んだ向こう岸を見ながら、途方に暮れ。
「おっちゃんおっちゃん。探し物してるんだって?」
 声をかけられたのは、そんな時だった。3人がほぼ同時にくるりと振り返る。
「知ってるのか?」
「鳥篭?オレは多分知らないなー」
 言いながら手を出し、ひらひら、と何やら催促する少年。にやにや笑うその顔は、塵ら大人の鋭い視線にも怯える様子は微塵も無い。むしろ、その目に負けん気をもたげてくるのか笑いを浮かべながらも視線は強く、3人をまともに射抜いてくる。
「…わかった。これでいいんだな」
 ちゃりん、数枚のコインが少年の小さな手の中に落ちた…と思った途端にもうその手はポケットの中へと消えており、その足でくるりと踵を返し、
「こっちだよ、おっちゃんたち」
 子分らしき少年を何人か従えた姿でぱたぱたと駆け出した。

「ほら、あれさ」
「ん〜」
 橋の上から、数メートル下をさらさらと流れる川を覗き込む面々。見れば、水で削られた物か、レンガの一部が欠けているその部分に絡まるように引っかかっている丸い籠らしきものが見えた。
 そのほとんどが水の中に沈んでいるため、目的の籠なのか、『中身』があるのか、今いる位置からは目で確認出来なかった。尤も中身など入っていない方がいいのだが…。
「もう少し行けば洗濯場があるから、そこまで流れててくれたら拾ってやれたんだけどなぁ」
 悔しそうに言う少年に、
「長い棒でどうにかなりませんかね…」
 同じく難しい顔で覗き込むアイラス。とにかく拾えないことには話しにならないのだが…と。
「待て」
 塵がぼそりと呟くと、同じく橋の上から覗き込んでいる男にくるりと向き直った。非常に何か言いたげな感情を押さえているらしく、時折ぴくりと眉が跳ね上がりそうになる。
「――何でお前まで一緒になって覗き込んでるんだ?」
 極力抑えたその声に、視線を向けられた葉子がにやりと笑い、「やーネェ」手をひらひらっと振り。
「葉子ちゃん、って呼んでって言ってるジャナイ?」
 くっくっ、と喉で笑い声を立てながら目をすぅっと細める。相手の問いかけの意味は良く汲んだ上でのからかいに、塵の眉がびくんっと神経質に跳ね上がり、
「今は時間が無いかもしれないから言う。行って取ってきてくれ」
 それでも口元をむず痒くさせながらそう言った――いや、ある意味では懇願した。
 それに対し。
「ええ?そんなの面倒クセェ」
 あっさりと、しかも機嫌を損ねた様子ではなく、にこやかにそう言ってのけた。
 目を細めつつ、楽しげに言う葉子と、何やら湯気が立ちかかっている塵と…その2人を見てどう治めたものかおろおろしているアイラスと。
 その3人を、不思議そうに見ている子供達の目の前で、
 ぶちん。
 どこかでそんな音が聞こえたような気がし――そして次の瞬間、むずと葉子の首根っこを掴んだ塵が橋の上から目的の、籠らしきものが見える場所へと力任せに叩き込んだ。
「ふーッ、…さて。今日は暑いな」
 ぽっぽっと頭から湯気を立てながら、塵が無骨な手で自らを扇ぐ。その隣で苦笑しつつ、アイラスが同意し、
「ええ…今日はいい天気ですからね」
 わざと川面を見ないようくるりと背を向ける。
「おっちゃん、容赦ねーなー」
 唖然とした顔の子供がぽつりとそう言い、水音を期待したように耳を傾けていたが、何の音も無く。
「――どっかに引っかかってるのかな…あれ?籠無くなってる」
 橋の上から身を乗り出して見に行った子供の1人が頓狂な声を上げた。腑に落ちないと言ったように細い腕で身体を支えながらしきりと首を傾げている。
 その、直後。
「――ひぃ…ッ」
 何を見たのか、喉の奥で引きつった悲鳴を上げた子供の1人がじりじりと後ずさり。
「どうした?」
 視線を向けられた塵が一歩踏み出そうとした、その時。
 ―――――ぞくっ。
 首筋をひやりと冷たいもので撫でられた。同じく、子供の視線の先を見ていたアイラスも数歩あとずさって引きつった笑みを浮かべる。
「全く何シヤガルカネこの親父は…」
 ぺたり、ぺたりと水を含ませた手で塵の首筋に手を回していたのは、笑みを浮かべながらもほんの少しばかり冷たい眼差しを浮かべた葉子だった。影を伝い塵の足元から戻ってきたものらしい。指先に水に漬けられた吊り下げタイプの鳥篭をぷらぷら揺らしながら、濡れた手を塵の服できっちりと拭ってふー、と息を付く。
「これですね、籠は」
 最早遠巻きに眺めるだけの子供たちに苦笑を浮かべると、話をわざとあっさり切り替えたアイラスが手を伸ばして籠を受け取り、そっと地面に置いた。――ある意味では予想通り、籠は空だった。…ただし。
「なんだ、これは」
 呆然と呟いた塵の言葉がその場の皆の気持ちを代弁していた。
 丈夫な針金で作られている鳥篭は、どういう趣味なのか、その周囲を更に針金でぐるぐる巻きにされており、その上重たげな石を縄でくくりつけてあったからだ。…少し隙間の空いた天井部分はいびつに歪んでおり、針金の隙間に、小さな布の切れ端とぽやぽやっとした毛らしきものがこびり付いた、何か異様な物体に見えた。
「いい趣味してるネェ」
 改めて籠を見直して、川に突き落とされた事より楽しい事と見たか、ひゅぅ、と小さく口笛を吹き鳴らす葉子。ゆっくり首を振ったアイラスが、少し顔を歪めて前後左右から籠を見、
「これって…中に入っていたのが生き物なら」
「普通死ぬな」
 塵が当然、という風に言葉を続ける。
「…惨いことを」
「逃げたッポイけどネー。つーか、コンナ逃げ方できるヤツ…顔見てミテェな。いや、すぐ願いは叶うか」
 にやりと笑いながらも、葉子の目もあまり笑ってはいなかった。
「その籠を渡してもらおうか」
 背後から、そんな声が聞こえても皆予想していたというように顔を向けながら。
 まず立ち上がったのは塵。その手にぶら下った空の籠を見、割合整った顔の、金髪碧眼の男があからさまに顔を歪め、言葉を吐き出していく。
「貴様たちだったんだな、アレを逃がしたのは。何処にやった!?」
「はぁ?」
 何やら一人合点している青年…いや、大きな子供と言った所か。もしかして、と目配せをした塵にアイラスがこくりと頷く。これが、屋敷で出会ったジョニーだと。
 その様子に気付くことなく、ぶつぶつと自分の言葉に酔っていく男。
「何を考えたのか、大事な家紋付きのメダルまで付けてやって…川に漬けておけば苦労せずにメダルの回収が出来たかと思ったのに邪魔しおって」
 おいおい。
 川に漬ける…その意味を分かっているだろうに、事も無げに、むしろ失敗した事を腹立たしげに言い切ると舌打ちしつつアイラスたちをじろりと見、
「さあ、教えてもらおうか。アレは何処だ?」
「アレ…と言われても、よく分からないんですが」
 青年の言葉を繰り返すようにアイラスが言うと、男がにやりと卑しげな笑いを浮かべ、懐を探る。
「知らぬふりか、まあいい。これでどうだ。思い出せたか」
 いい様、金貨を数枚その場に放り投げた。ちゃりん、と澄んだ音が石畳に響いていく。
「貴様らのような連中にはこれでも多いくらいだろう?さ、話せ。何処だ?いや、あの下賎な兎などどうでもいい、メダルだ。メダルは何処だ」
 籠の『中身』がアリスの言っていた兎に違いないようだったが、とは言え。
「残念だが、知らん」
 きっぱりと言い切った塵が、あからさまに厭そうな顔で、
「知っていたとしても、少女が可愛がっているような兎を溺れ死にさせるような神経のヤツに誰が教えるものか」
 そう、続けた。
 みるみるうちに青年の端正な顔が怒りでか赤く染まっていく。
「ぶ…ぶ、無礼なッ」
 声を裏返して甲高く叫び、
「貴様らは、私を一体誰だと思っているッッ!?」
 突然その場でじだんだ踏み出したのには唖然とさせられた。かんしゃくを起こしたのだろうが、それにしてもあまりにも幼稚な怒り方で。慌てたように駆け出してくる数人の男たちが必死で機嫌取りをし始めるのをしおに、籠を手にすたすたとその場を去っても誰一人止める者がいなかったというのはどこか滑稽だった。

   * * * * * *

「こ、これです…!で、でも、こんな石や針金を付けた覚えはありません…」
 何か籠のどこかに特徴でもあったか、暫く調べていたルーシィがそう言い、不安そうに歪んだ籠を見つめる。あまり好きではなかったとは言え主人の大切にしていたペット、その行方が気になって仕方ないらしい。
「そりゃそうでショ。そんなイイ趣味した主人だったらおもしれーケド」
 とにかく、確認は取った上で使い物にならなくなっているこの籠の処分をお願いし、今度は中身…あのがんじがらめの籠から逃げ出した兎を探すために、再び街の中へと戻っていった。

   * * * * * *

「……」
「おい、何か最近恨まれるようなことでもやったのか」
「俺?ンナ訳ネーデショ」
 ぴたりと足を止めた塵、ほぼ同時に周囲に鋭く目をやるアイラス。そして、気付いているのかいないのか全く変わりなく涼しい顔でいる葉子。
 兎を探して半日近く街中をうろついている間に、囲まれていたようだった。――辺りにひと気は無く、大通りからも遠く――巡邏の姿が近くを偶然通りかかる、などということも無さそうな路地の一角で。
「見つけたぞ」
 なにやら恨みがましい声と共に、あの青年が囲みを割って現れた。一気にやれやれと肩を竦める3人にぴくぴくと癇の筋を立てながら、それでも無理に余裕を見せようとしてか引きつった笑みを見せる。
 どうやら、勘違いしきったまま――兎の行方をこの3人が知っていると思い込んだまま、馬鹿にされたと思ったか人手を集めて無理にでも吐かせるつもりでいるらしい。ただ、この様子を見る限りではどこか慣れた様子もあり、こう言った行為そのものも初めてではないような印象を与えていた。…間違ってはいないだろう。
「ひとついいか」
 囲みが小さくなるに従い、何か考えていたような塵が鋭い視線を青年に向ける。それが剣匠の闘気をまとっているのに気付けばこの後の悲劇はほんの少しは避けられたかもしれなかったが、人数の差にすっかり気が大きくなっているらしい青年には気付かれなかったらしく。アイラスもやれやれと言った様子で溜息を付きながら僅かに構えを見せる。
「何だ?今更命乞いか?」
「…そういうチンピラのような陳腐な台詞じゃなくてだな。あの兎を手にかけようとしたのはお前か?」
「それがどうした。命を粗末にする奴には罰が当たるとか言うんじゃないんだろうな」
「当たりだ」
 はっ、と青年が鼻で笑うのと、包囲するだけの状況に飽きたごろつきの1人が殴りかかってきたのがほぼ同時だった。
「罰など当たる筈もないだろう?あんなのは虫を殺す程のことも無い」
「…気付いてないんですね」
 アイラスがするすると荒くれの遅いが重い拳を避けながら、どこか哀れみを持った目を青年に向け。
「僕たちじゃなくて…本人が当てに来てるってことに」
「なんのことだ、それは?私に誰が当てに来るって?」
 はっはっはっ、と笑い声を上げた青年の声が、
 ――どずん。
 何かやたらと鈍い音にかき消されたのはその直後だった。塵とアイラスがあーあ、と呟きながら敵の攻撃を受け、あるいは避ける。
 さっさと戦線から離脱していた葉子は実に楽しげに上からその様子を見下ろしていた。
「な…なんだ、今のはっ。まさか、伏兵…」
 後頭部に衝撃を受けた青年が顔面をしたたかに地面に打ちつけ、擦りながら起き上がり…そして、見た。
 まだ乾ききっていないのだろう、ごわごわの毛並みと、褪せたような黒い色の、小さな姿を。
 ひたりと目を青年に向け、全身から殺気を噴出している――黒い兎を。
 べしんっ、と剣ではなくハエタタキでごろつきの1人の顔面にしたたかに打ち込み――常の人の動きでさえ痛みは伴うと言うのに、振る人間が違う。それは木刀を打ちつけたにも等しい衝撃で――どすん、と尻餅を付いたのを見てくるりと踵を返すと、
「言っておくがな…そいつは普通の兎と訳が違うぞ」
「もう遅いよ。まー、自業自得と思えば気も楽になるカモ?」
 くっくっ、と上から笑い声を上げる葉子に苦い顔をし。
「――家にいてもきっと、罰を当てに行ったんじゃないでしょうか?」
 ずん、と剣の柄を鳩尾へ飲み込ませ、のた打ち回る男からすっと離れて他の男達へ身構えながらアイラスが軽口を叩く。
「な、なんだって、たかが兎だろうが…」
 これもたしなみの1つか、酷く細身の剣をすらりと抜き去った青年が、まだじんじんと痛むのか後頭部に軽く手をやってから、馬鹿馬鹿しいと言う表情をしつつ構えた。――構える瞬間まで、襲い掛かることがなかった兎の行為に気付く事無く。
 そして。
 ずん。べきん。
 ばきん。
「ひぁぁぁぁ……」
 べしべしべしべしべしっっっ!
 数分かかることなく地面へ倒れ伏した青年を冷たく見下ろす兎がぎろりと目をまだ立っているごろつきたちへ向け――次の瞬間跳躍した。

 決着はあっさりと付いた。
 まだ内心の炎が納まらないのかとんとんと足を踏み鳴らす兎は、それでも3人を襲うことだけは避けて時折壁を蹴り飛ばしていた。
 その周囲にごろごろと横たわる肉塊は、いずれも痛みにうめきながらぴくぴくと動いている。
 その最たるものは、最初に標的に合った青年だろうが。結局一太刀すら浴びせる事も出来ずに、顔にも身体にも足型を付けて泡を吹いていた。

   * * * * * *

「久しぶりだな」
 意識を取り戻した連中がよろよろと逃げ出した――青年は放って置かれたままだったが――のを見て、場所を変えた皆が改めて兎へ声をかける。
「………」
 ちら、と顔を上げて見はしたものの、何も言う気はないのかぷいと横を向く黒兎。あれから何があったのか、ごわごわの毛の間から見える地肌は聞いていたとおりに傷跡だらけだった。見れば、毛並みも川に落とされたためだけでなくあまり良い物ではない。ただ、どれも割と最近のものらしく、集落を離れてからのこの兎の生き様があまり良いものではなかったのが伺えた。
「まさか、また会えるとは思いませんでしたよ。僕たちは、あのお嬢さんに頼まれてあなたを探しに来たんです」
 その言葉も無視したつもりだったのだろう。だが、耳は既にぴくんと動きアイラスにしっかりと向けられていた。くすっ、と笑いながら言葉を続け、
「随分心配していましたよ。…あのようなお嬢さんを悲しませてはいけないと思うんですが、どうでしょう?」
 ぴくぴくと動く耳と、何か考えているのかぴこぴこと動く尻尾。悩んでいるようで、前足を器用に動かして首にかけられたメダルをじっと見つめる。
「って言ってもサ。今回のはどう見てもアレがヤッタコトで、兎チャンには罪はネーよな。まー、戻った所であのニイチャンがいるんなら一緒って気もするケドネー」
「………」
 ぶち。
 水に濡れて変色していたメダルに付いたリボンをひきちぎった兎が、3人の顔を順に見てアイラスの手にぽんと乗せた。
「戻らないのか?」
 ふるふる、と首を振った兎が、遠い目になって町並みを眺める。
「………」
 ひくひくと鼻を動かして、もう一度ふるふると首を振り、
「あの男の恨みを買ってしまったのと、普通の兎のフリはもう出来ないから…だそうだ」
 してたのか、と通訳した後で呟いた塵がげしっと軽く足で蹴られ、苦笑いする。
 ようやく何か語り始めた兎を通訳した塵によれば、あの青年と少女は従兄妹に当たるらしく、しかもメイドたちの噂話を聞けば許婚の間柄でもあるらしい。
 青年は全てのものに対しああいう態度を示す訳ではなく、自分より目下と思っている者に対してだけで。
「おまけに、小動物が大嫌いなんだそうだ」
「ダメジャン」
 おそらくまだ伸びているであろう青年のいる路地の方向を眺めながら、葉子が実に楽しそうに言い切った。

   * * * * * *

「そうですか…」
 メダルを手渡されたルーシィと、その傍で無理を言って付いて来たらしいアリス。そしてもう1人、壮年の男性がその場にいる。彼は言葉すくなにアリスの父親、館の主の執事だと自己紹介した。
 ここは、白山羊亭の一室。
 黒兎の姿を見て少女が目を輝かせはしたが、今アイラスが柔らかな言葉で語るうち、目にいっぱい涙を溜めてルーシィの服の裾をぎゅぅ、と掴み続けた。
 その様子をじっと見つめる黒兎が、じっとしていられなかったのだろう、おろおろと動きながら少女の――アリスの傍に寄り、ぽむぽむ、と柔らかな肉球でスカートの裾を軽く叩く。
「ジョニー様からお伺いはしていましたが、正直申し上げて信じられませんでした」
 ぽつりと壮年の男性が初めて口を開いた。
「申し訳ありませんでした。今回のことは知らなかったとは言え、身内の不始末は主の努め…旦那様からそう言いつかっております。これを」
 ずしりと重い袋を渡されて、首を傾げた姿を見、
「依頼を果たした料金に加え、迷惑料を追加してあります。それと、彼の方の処分もこちらで行わせて頂いています」
 察するに、あの家でも度々問題を起こしていたのだろう。それが今回表で一般の者にまで迷惑をかけた、というニュアンスが含まれており、処分と言いながらもその男性の顔には悲壮感は微塵も見られなかった。
「実を言えば、その…兎様、とでも言えば良いのでしょうか。お嬢様のボディーガードというお話もあったのですが、意思の疎通がままなりませんと…。そちら様から今回のこと、言い出してもらえてほっとしております」
 ぽむぽむ。
 男の話す言葉が聞こえているだろうに、たまりかねてぽろぽろと涙を流している少女をなだめるように、どこか必死になっている黒兎を皆がちらっと見て、そして痛ましそうに目を逸らした。

   * * * * * *

「ナンカ似てると思ったらサ。あの白い可愛こチャンと雰囲気似てたンじゃネーノ?」
 びくっ。
 アリスたちが帰った後で、沈んでしまった黒兎に、葉子がにやりと笑いながら言葉をかける。
「初めて会った時真っ白い服だったトカ?」
 びくっっっ。
「図星か」
 恐らく人間だったら真赤になっていたのだろう。おたおたと慌てふためく黒兎の様子に塵が苦笑しつつ呟き、
「それで大人しくしてたんですか」
 アイラスが意識せずに追い討ちをかけた。
 ぎろりっ。
 殺気ではなく、照れ隠しの闘気が部屋に充満し。
 ――ダンッ!
 開いていた窓に向かって床を蹴った小さな姿が宙を舞った。
「あーあ。にーげちゃった。せっかく集落に戻ればー、って言おうとシタッテノニ不人情だネェ」
「からかうからだろうが。…どうする気だ?あいつ…」
 怪我や死ぬようなことはないだろうが、と窓の外に消えた兎の姿を追って目を向けながら、塵が心配そうに呟く。
「なんというか。生きるのに不器用な方みたいですから…無事にどこか良い住処を見つけられるといいんですけど」
 気遣う理由は皆同じ。…いや、葉子のみは特に気遣う様子も見せず、また何処かで会えネーかな、などと楽しげに呟いていたが。

   * * * * * *

 その後、とある屋敷にまつわる奇妙な噂が囁かれた。
 ひとつは、時折現れるという黒い小さな影のこと。それは、無謀にも忍び込もうとした盗賊が朝に意識を失った状態で発見され、その口から語られたのだという。曰く、鬼神の如き強さの、黒い塊だったと。
 もうひとつは、これは生きた人間で。どこから聞いて来たのか、その家の一人娘が飼っている動物に会わせて欲しいとしつこく言ってきているのだそうだ。身なりは卑しいものではなく、ただ血色が悪く、薬品の異質な匂いがぷんぷんしているのだそうで、いないと言ってもまた来るのでその家の者もほとほと困り果てているらしい。
 その噂が真実かどうかは、彼の屋敷との繋がりを断った3人には分かる筈も無く。
 ただ、その後白山羊亭の裏口には、小さな陶器の入れ物が置かれるようになった。野菜屑の一部を容器の中に入れておく、と日によって無くなったりそのまま残っていたりする。『何』が容器の中の物を食べているのか、見た者は誰もいなかったが。そして、決して安物ではないその容器が何故こんな場所に置かれているのか訝る者も中にはいたが、ルディアは笑って取り合わなかったと言う。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1353/葉子・S・ミルノルソルン/男性/156/悪魔業+紅茶屋バイト  】
【1528/刀伯・塵        /男性/ 30/剣匠          】
【1649/アイラス・サーリアス  /男性/ 19/フィズィクル・アディプト】

NPC
ルディア
アリス・コンスタンティ
ルーシィ
ジョニー
黒兎
他兎たち

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました、「rabbit foot」をお送りします。
今回は例の能力改造された兎たちの第2弾でしたが、いかがでしたでしょうか。たち、とは言え黒い彼以外は脇役に変わってしまいましたが…。
街に居着くことにはなったようですが、まだまだ安住の地とは言いがたいようです。おまけに、どうやらその彼を狙う――なのか、捜し求める人物も現れるようになりましたし。
まだ、騒動の種は消えてなくなることはなさそうですね。

それでは、またどこかでお会いしましょう。
今回の参加ありがとうございました。
間垣久実