<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『こねこのミステリー』
<オープニング>
 紫煙とアルコールの匂いでむせる、夜の酒場。
扉を開けたのは、店には不似合いな老婦人だった。しかし、臆することなく、まっすぐにカウンターに向かって来る。
銀の髪をきっちり結いあげ、縁無しの老眼鏡を高い鼻に乗せた姿は、厳格な老女教師のようにも見えた。
「あら。珍しい。アーリー先生じゃないですか」
 エスメラルダが声をかけると、老婦人は肩のショールを直しながら「先生はよしておくれ」と微笑んだ。口の両脇に優雅な深い皺が刻まれた。
 彼女は、聖都エルザードに住む小説家だ。年齢が年齢なので今は寡作であるが、かつては本屋のAの段にはアーリーの本がたくさん並んでいたものだ。
「まさか、一人で飲みにいらしたわけじゃないですよね?」
「あたしはそんな不良ばあさんじゃないよ。ジェインって奴を探して欲しいんだ。あたしの屋敷の中で、行方不明になっちまって」
 アーリーは郊外の屋敷で一人で暮らしている。近くに住む息子家族が旅行に行くというので、孫の仔猫を預かったのだそうだ。ジェインは、自分の意志で仔猫と少女と、どちらにも姿を変えられる。
「ばあさんをからかって本棚の森でかくれんぼでもしてるのか、それとも屋根裏かどこかで怪我でもして出て来られないのか。とにかく、何かあったら孫のシェリィに会わす顔がないよ」
「安心して。ここの常連さんは頼りになる人ばかりよ。きっと助けてくれるわ」
「それを聞いてほっとしたよ。じゃ、スコッチをシングルでもらおうか」
「なによ、やっぱり呑むんじゃない」
 エスメラルダが肩をすくめると、老婦人はくくっといたずらっ子のように笑った。

< 1 >
 その老婆は、酒場では嫌でも目立った。アイラスは、黒山羊亭への依頼人だと判断し、「何かお困りなのですか?」と自分から話しかけた。
 老婆は水割りのグラスを揺らしながら、「酒場でアイスティーをお飲みかい?」と笑った。
「酒はあまり強く無いのですよ。僕はアイラス・サーリアスと言います」
 老婆は、エスメラルダに告げたのと同じ依頼を、青年に話した。

 アーリーの屋敷は、老人が一人で住むに相応しい、こじんまりと落着いた建物だった。アイラスは居間に通され、もう一人を待った。
「紅茶に、ブランデーをたらすかい?」
「い、いえ、結構です」と、アイラスは思わずカップを両手で覆う。
 その時、鈴の音が聞こえた。
「セフィラスさんが来たようだね。門を人が通ると、鳴るしくみなのさ。
ここの鏡を見ていてごらん。玄関に立つ人物が映るだろう?玄関の上に鏡があってね。それが廊下の突き当たりの鏡に映って、反射して、ここに映る」
「へええ。面白いですね」
 アイラスは好奇心で青い瞳を輝かせ、眼鏡を直して鏡を凝視した。
「老人の一人暮らしだから、色々ね」
 老婆はそう言いながらも達者な足取りでセフィラスを迎えに出た。

 セフィラスとは、何となく面識があった。黒山羊亭での依頼を時々受けている傭兵だ。あまり愛想が無く、一人カウンターで呑んでいるのを見かけることがある。アイラスを一瞥し、にこりともせず「遅れてすまなかった」とわびて、席についた。
 彼ははっきりと、金で動く。アイラスのように、報酬は気にせず善意で動く者を、横から腕組みして見降ろしているような印象があった。坊や、いいことをするのは楽しいか?、とでも言うように。
『いけませんね。一緒に仕事をしようという人に、そんな偏見。僕らしくもない』
 僕らしい?・・・そう。僕らしいとは、どんな風だろう。
 アイラスは、甘みのない紅茶に静かに口をつける。

< 2 >
 アイラスは、老婆から詳しく猫の外観を聞き出した。
 ブルーグレイの短い毛並み、銀の瞳。人間の歳にしたら6歳位。ジェインは少女の姿になって、引き戸やノブを回すこともできるという。
「アーリー先生。屋敷内に、粉を蒔かせていただいていいですか?足跡が見つけ易いので。もちろん後で掃除をします」
 セフィラスが横で憮然とした気がしたので、
「あ、掃除は僕一人でやりますから」と、笑顔で断りを入れた。
『なんでこんなに、気を使っているんでしょう・・・』
 心の中で苦笑するが、外には出さなかった。
「じゃあ、探しにかかるか」とセフィラスは立ち上がる。
「単独行動の方が、効率がいいですよね?」
「危険な探索でもあるまい。別々に探そうか」
 二人同時に言って、二人とも苦笑した。あちらもアイリスに苦手意識を持っていたのかもしれない。

* * * * * *
 アイラスが1階の書斎と台所と物置を探すと言うと、セフィラスは2階の寝室と客間、それから屋根裏を請け負った。各部屋の出入口や壁際に小麦粉を巻いた後、アイラスはカンテラを下げてアーリーの書斎に向かった。
『うわぁ』
 アイラスは本棚の背を見て仕事を忘れそうになった。作家の本の揃え方は、図書館とは違うようだ。自分の取材の為と、興味のものに偏っている。噂に聞いた50年も前の俗っぽい恋愛小説や、一度発禁になった哲学書、見慣れぬ文字で書かれた異国の本、手書きの背表紙の書。取って見たい衝動にかられるものばかりだ。
「アイラスさん、本はお好きかね?」
 背後から、老婆が声をかけた。手にはまだグラスを握っている。
「アイラスと呼んでください。ええ、そうですね。どちらかと言えば好きです」
 アイラスの控え目な言い方に、老婆は笑った。
「大手を振って『本が大好き』と言うのは、恥ずかしいと見える」
 アイラスは思わず赤面した。何か、心の後ろ暗い部分をえぐられた気がした。
「読書が好きというのは、あんたのような好青年にも、闇があるということじゃろう?『読書好きだなんて、あらまあ、お勉強家で偉いのね』、こんなこと言う奴は、本を読まない人間さ。読書に取りつかれた者は、現し世の裂け目を凝視している。いつも、光と闇、現実と虚構、生と死、両極で隣り合わせの何かを感じている」
「・・・。」
「違うかい?」
 老婆は、アイラスの返事も聞かずに、資料に使うらしい本を一冊引き抜き、立ち去って行った。
 残されたアイラスはカンテラを握り、茫然と立っていた。自分の本好きを、そんな風に分析したことはなかった。ただ、微かに、現実逃避という負い目は抱いていたのだが。
 
 壁際の本棚の前で、粉溜りが猫の足跡を作っていた。新しい跡ではない。先に猫が歩いた汚れがあり、そこに粉をかけたので目立つようになった。
『上に飛び乗ったわけでもなさそうだし・・・』
 気を取り直したアイラスは、ジェインの捜索を続けていた。その本棚が、他のものに比べ壁から出っ張っていたので、少し押してみた。
『うそでしょう?』
 それは重い音を立てて、本棚ごとスライドした。本来壁があるべき場所には、地下へ降りる階段が続いている。
 多少後ろめたく感じながらも、『ジェインさんの足跡がここで切れていたのだし』と言い訳し、階下へ降りていった。猫の探索より好奇心が勝っているのを自覚していた。
『ここは・・・印刷室、でしょうか?』
 地下室は狭くて湿気臭い小さな部屋だった。部屋の殆どをしめるテーブルには雪のように埃が積もっている。テーブルに乗った木版の埃を、指でぬぐう。埃の下から覗いた木枠の、インクは乾いて干からびていた。
 薄紙に文を書いて裏返し、滑らかな板に貼り、透ける鏡文字を板に彫り付ける。木版にインクを刷り込み、不要なインクを布で拭き取り、削った文字にだけインクが残る。それを紙に写し取って行く。・・・数十年前、手製出版物で行われていた手法だ。何かの本で(『また本か』とアイラスは自嘲的に呟く)読んだことがあった。
 主に、正式な出版を許されない、思想的な書物で行われていたと聞く。
「アーリー先生、まさか思想犯・・・」
 昔、地下で禁書を作成していたのか?だからこそ、用心深く来訪者を知らせる仕組みが設置されていた?
「見つけたようだね」
 老婆は片手に燭台を掲げ、階段の最後の一段を降り切ったところだった。
「まあ、あんたになら、見られてもいいかなとは思っていたが」
 それは、アイラスへの信頼なのか。それとも、同族への共感なのか。
 壁の棚に残った古い紙の束を、老婆は手に取った。ふわふわと埃が羽毛のように散る。紐綴じされた粗末な製本の小冊子だった。皺だらけの指がページを繰る。張り付いたページが離れ、パリパリと時間を剥がす音がした。嗄れた声で、老婆は本を読み上げた。
「“男は青年の青い髪を力まかせにほどく。後ろで結んだ髪がほつれ、淡い青の糸が白い背に舞った。男は『眼鏡が邪魔だな』と苦笑すると、顔を斜めに曲げて青年に口づけた。”」
「な、な、なんですぅ、そ、そ、それっ!」
 アイラスは耳まで真っ赤になって木版を取り落とした。
「先生が発行していたのは、そういう本なのですかっ?!」
 アイラスの狼狽ぶりに、老人は背中をくつくつと震わせた。
「冗談じゃよ。・・・ほら」
 黄ばんだ本を広げて見せる。それは、『理念』や『革命』などの言葉が太く強く描かれた頁だった。
「思想犯ってほどじゃあない。法に触れるところまではしていない。ただ、金もツテも無く、自分で作るしか無かった。若かったし、堅かったよ。『正しいこと』が正しいと思っていた」
「・・・。」
「かつてこの部屋にあった『想い』、熱のようなもの。時間が経って、もうカケラも無いのう」
 しんと静まった空気。咳き込みそうな埃だけがテーブルに舞う。
「ジェインさんは一度はこの部屋に入ったようですね」
 アイラスが、床の埃の中に青みがかった灰色の毛を見つけた。
「遊べるものも無いので、すぐ出ていったんじゃろう。ここは『対抗』でオッズ4倍だったが。やはり『本命』の屋根裏部屋かのう」
「・・・?」
「エスメラルダと賭けをしたのさ。どこでジェインが見つかるか」
「!!」
 老婆は若い笑い声をたてて地下室を出ていく。アイラスは生真面目そうに眉に皺を寄せた。
『まったく、どこまで冗談なのか、本気なのか』
 そこでアイラスはやっと気づく。さっき、古い本の振りをして即興で読み上げた桃色禁書の描写。あの『青年』はアイラスなのだ。そうだ、結んだ青い髪と眼鏡!
彼はまた、かぁぁっと頬を赤面させ、頭を抱えた。
「もう。アーリー先生はまったく!」
「『先生』はやめてくれよ。アーリーでいい」
「年配のかたに、そういうわけにはいきません」
 アイラスは断固とした口調で、カンテラを下げて、階段に続く。
「堅い男じゃのう」
 ショールを直しながら、背が笑っている。若い頃の自分に似ているのか。アイラスの余裕の無さを、いとおしむように笑う。
「あの男。セフィラスと言ったか。あんたと似てるよ」
「え?そ、そうですか?」
 アイラスは面食らった。セフィラスと自分との共通点を思い浮かべることができない。どちらかと言えば正反対のタイプだと思っていたのだが。
 書斎に戻ると、居間の方から仔猫の声が聞こえていた。
「セフィラスさんが、ジェインさんを見つけたようですね」
 老婆はそれには答えず、深く息を吐いた。安堵のため息。明るく振る舞ってはいても、結構心配していたに違いない。
「アイラス、『解決するまでは』と、言いだすのを控えていたのだろう?ここの本、好きなものを貸してやるよ」
 青年の気持ちを見透かしたように、老婆の唇がにやりと動いた。
「いえ。ここへ、時々読みに伺っていいですか?お邪魔でなければ」
「今度は老人福祉かい。親切なこった。
 まあ、この本棚の森に入れば、あんたはきっと気配を消す。本の中に入ってしまうだろう。誰もいないのと同じだ、邪魔にもなるまい」
 本を読むって行為は、生まれ落ちる時と、そして死ぬ時に似ている・・・そう老婆は笑った。
「“独り”なんだ。本を読んでいる時は。そうだろう?」

< 3 >
 老婆と、赤いワンピースを着た『少女姿』のジェインが、門まで二人を見送ってくれた。
 ジェインは、自分が家に帰ってしまうと、アーリーが独りぼっちになってしまうことを案じ、隠れていたのだという。
「ジェインちゃん。僕が時々アーリー先生のところに遊びに来るよ。心配せずに、お家に帰っていいんだよ」
 アイラスは少女の目の高さにしゃがみ、話しかけた。ジェインは、男の子みたいに短い髪の少女だった。大きな銀の瞳でアイラスを見つめ、うんうんと何度も頷いた。
 アーリーは二人の手を取り、礼を述べた。
「二人とも、色々ありがとう。だが、アイラスが来るのは、あたしより本棚が目当てのようだがね」
 アイラスは否定もせずに笑った。セフィラスは肩をすくめてみせた。

 門を出ると、夜はまだ浅かった。
 アイラスにとって、小麦粉の掃除をセフィラスが手伝ってくれたのは意外だった。
 老婆の言葉が気にかかっていた。『あんたと似てるよ』
「エスメラルダさんに報告がてら、黒山羊亭で軽く呑みませんか?」
 酒は強くないが、アイラスの方から誘った。
「そうだな。そっちの探索の様子も知りたいしな」
 珍しく、セフィラスも快諾してくれた。
  
<END>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト
2017/セフィラス・ユレーン/男性/22/天兵
NPC
アーリー/老婦人。作家。
ジェイン/仔猫で少女。

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■         ライター通信          ■
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発注、ありがとうございます。ライターの福娘紅子です。
オープニングを提示した時は、ほのぼの系かコメディぽいものを予定していたのですが。
セフィラスさんの「ドタバタ無し」「雰囲気を大切に」というご要望もあり、
アイラスさんも、どちらかというと静かなキャラだったので、
予定を変えてシリアスなものを書いてみました。
普段クールなセフィラスさんの中に、一筋灯る「優しさ」と、
好青年のアイラスさんの中にもある、孤独を好む「影」の部分。
いい人であればあるほど、「自分は偽善者ではないのか?」と感じたり、
独りに惹かれる事に負い目を感じたりするのではないか、と思ったものですから。
アイラスさんは、設定を拝見すると色々な面が想像できて、ワクワクさせられるキャラです。
セフィラスさんの方も、よかったら目を通してみてください。