<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


雨はこの想いを凍えさせる


「……雨、止まないみたいだ……」
 史乃・アルメージュは、美しいグラデーションを誇る両の翼をけぶる雨の中に晒しながら、じっと崖から自身の隠れ家のある森を見下ろす。
 あの日も雨が降っていた。
 アズリィ・アルメージュ。
 その名が盗賊団の末席に刻まれたあの11年前の雨の夜を、自分は今も鮮明に思い出すことが出来る―――――



「今日からコイツも俺ら盗賊団アルメージュの仲間になる」
 いきなりの宣言と共に頭領がずぶ濡れになりながら隠れ家に連れてきたのは、やけに細くて小さな少女だった。森を彷徨っていたところを捕獲してきたという彼に、お頭の拾い癖がまた出たと団員達が笑い出す。
 歓迎の乾杯でもするかといって盛り上がる大人たちの間で、史乃だけはひどく淡々と溜息をついていた。
 まったく、お人よしなんだから――このときの自分にはそんなどちらかといえば突き放した感想しか持てなかったのを覚えている。
 相手がほとんど変わらない年齢だということで、子供ゆえに足手まといとなっている自分がそこに重なったせいかもしれない。
 だが、ふと気付けば何故か史乃は彼女から目を逸らせなくなっていた。
 取り巻く大人たちの間で、頭領の陰に隠れ、ただの一言も発しない彼女。どこまでも怯えを含んだ金の瞳がひどく印象的で。
 ドラコニオンと思しき尾によって辛うじて自身を支えているように見えたのは、そんな姿があまりにも弱々しく映ったせいだろうか。
 お前は歳が近いんだから面倒見てやってくれと、そう頭領が告げたから、だから自分は彼女に関わっていたのだと思おうとしていた。
 今思えば、この時から史乃は自分でもよく分からない感情を彼女に抱くようになっていたのだろう。
 だが、幾度夜を迎えても、アズリィはほとんど何も喋らなかった。ひたすら薄暗い隠れ家の片隅でじっと膝を抱え、地面を見つめて過ごしていたのである。
「アズ……ほら、ごはん食べなよ……」
 焼けた肉を皿に盛って、そっと差し出してみた。
 だが、アズリィは史乃を見ることすらなく、ただいらないと無言で首を横に振って拒否を示す。
 そうして強く自分の肩を抱きしめ、尾を身体に巻きつけて膝に顔を埋めてしまう。
 もう一度食事を促しても手を出そうとしない彼女に、史乃は小さく溜息をつき、そのまま皿を地面に置いて隣に腰掛け、膝を抱えた。
 後はただ無言の時間が2人の間を過ぎていく。
 どれくらいそうして過ごしていただろうか。
 彼女が小刻みに震えているのが、ふと触れた肌から伝わった。
 ほんの少し所在なげに史乃は視線を宙に彷徨わせ、どうしようか、こんなことをして更に怯えさせたりしないだろうか、こんなことをするのは自分らしくないのではないか……そんなためらいを覚えながらゆっくりと翼を広げ、寒さに震える身体をやわらかく包み込んだ。
 驚いたように顔を跳ね上げた相手に、史乃は極力安心させるように気をつけて笑みを作ってみる。
「ここってけっこう寒いし、カゼ引きやすいから……」
 大きな瞳がまっすぐに自分を見つめている。そこにはやはり自分には理由の分からない怯えが含まれているけれど、それでも、口元には僅かな笑みらしきものが浮かんだ。
「………ありがとう」
 はじめて見る表情に、どうしてよいのか分からず慌てて目を逸らしてしまった。
「ところでさ……アズ……やっぱりおなか、へらないの?」
「おなか……」
「おいしいからさ…少しでも食べた方が……いいと思うんだけど、ね」
 見つけた話題はそれしかなくて、とりあえず食事を勧めてみた。
 指差した先の皿を、今度こそ彼女はしっかりと見、そして、
「………じゃあ、もらう」
 ようやく手を伸ばして、冷えてしまった肉の一切れを口に運んだ。
「アズ」
 咀嚼音と共に再び2人は沈黙するが、それを取り囲む空気はずっと優しいものへと変化していた。
 それがたまらなく嬉しくて、ずっとこんな時間が続けばいいとすら思った。
「お、仲良くやってんな、ちびっこども」
「……あ」
 不意に頭上から投げかけられた言葉に、史乃とアズリィは同時に顔を上げる。
「お頭、おかえり。今日はどうだった?」
「まずまずってとこだな。ま、しっかり稼いで来てやったぜ?」
 彼はにっと自慢げに笑ってくしゃくしゃと2人の頭を掻き撫で、今夜は宴会だからお前らも来いと片腕にひとりずつ抱き上げた。
 棟梁の体越しに、アズリィがさっきよりもずっと嬉しそうに顔をほころばせているのが見えた。
 ちくりと、胸に小さな痛みが走る。
 この感覚はただの錯覚なのかもしれないのに、胸に刺さった『棘』は、気のせいと済ませるどころか時を重ねるごとにその存在を主張し始めてしまった。

 いつも彼女の隣に居た。
 歳が近いというただそれだけなのに、当然のように傍にいた。
 ときおり不意に壊れてしまいそうなほど危うげに映ることもあったけれど、それでも彼女には少しずつ笑顔がこぼれ始めていた。
 だが、どれほど言葉を交わしても、どれほど笑顔を交わしてみても、アズリィの目は自分を追ったりはしなかった。
 自分の追いかける視線を彼女が捉えることはなく、彼女の心はただひたすら『彼』に向けられていた。
「……アズ、君は……」
 誰よりも近くにいて、誰よりもまっすぐに見ていたから、だから自分は気付いてしまった。
 亜種族盗賊団をまとめ上げ、酒と宴会が好きで、そして何故か拾い癖があるあの男を見る時だけ、彼女の視線にほのかな熱が帯びることを自分だけが知っている。
 だから、彼女と頭領が2人で隠れ家から消えた日も、史乃はあえてそれに気付かないふりをした。
 久しぶりにのんびりできると、仲間達は思い思いの時間を過ごしていたし、あるものは夕食用にと数人で組んで狩りに出かけていた。
 よくあることだった。誰がどこで何をしようと、それがプライベートな時間ならば誰も気に止めたりはしない。
 だから自分もわざわざ気に止める必要なんてなかった。
 なかったはずなのに、何故かこのときの自分は2人の行動に特別な『何か』を見出してしまっていた。
 そんな自分の心が煩わしくてたまらなかった。
 視線を外に向ければ、しとしとと途切れなく降り注ぐ雨が当たり一帯を覆っているのが見えた。
 身体から熱が奪われていくように感じるのはあの雨のせいだ。こんなにも寒いのは、あの雨のせいだ――――
 史乃を凍えさせる雨は日が暮れるまで降り続いた。
 そして、夜もかなり更けてからアズリィは頭領とともに隠れ家へと戻ってきた。
「あれ?お頭、どこ行ってたんすか?」
「ん?ああ、ちょっとな」
「お帰りなさい。遅かったですね。飯の仕込み、もう終わってますよ?」
「すまん」
 次々と出迎える部下達に頭領は一切の事情を説明しなかった。
 頭領のマントに隠れていた彼女の姿が垣間見える。
 どうしたのかと問いかけられないほどに、その表情はこわばり、蒼褪めているのが分かった。
 深く強く閃く憎悪の光。
 そして、アズリィは取り巻く大人たちの間で突如声を上げて泣き出した。
 駆け寄りたい。
 大丈夫かと抱きしめてあげたい。
 この空と海の色彩を映した翼で彼女を包んであげたい。
 何かの抑えが効かなくなったかのようにぼろぼろと涙をこぼし、頬も服も濡らしながらひたすら泣きじゃくる彼女に、伸ばしかけた史乃の手が止まる。
 彼女を抱きしめる太くたくましい腕。宥めるように頭を撫で付ける大きな手の平。全てを知りながら、何も言わない頭領の優しい眼差しが注がれていて、史乃の心に刺さったままの棘がその光景に痛みを増した。
 大人たちがうろたえながら心配そうに彼女を取り囲み、アズリィの姿が自分から隠されてしまうと、史乃は思わず胸を掻き掴んだ。
 アズリィにするように広げた羽根で自分をゆっくりと包んでみても、史乃を苛む痛みと寒さはけして癒えなかった。

 あの日、どうして6歳の彼女がひとりで森を彷徨っていたのか。
 一体2人はどこに行ったのか。
 そこで何があったのか。
 何を見たのか。
 何故彼女はあんなにも泣いたのか。
 何故彼女のは――――
 なぜ。
 なぜ。
 なぜ………

 その真相を史乃が知ることが出来たのは、それからずっと後……既に幼年とは言えない年齢になってからだった。
 仕事の合間に偶然立ち寄ったその場所に、全ての答えは用意されていた。
 焼き討ちにあい、炭と化して崩れ落ちた樹木や家の残骸、瓦礫、荒廃した土地と無残な集落の成れの果て。
 死の匂いを残したまま何年も放置されたままのそこに足を踏み入れたとき、アズリィの表情が僅かに歪んだのを見た。
 群れから離れ、ひとり立ちつくす彼女の傍に史乃はそっと近付き、声を掛ける。
「アズ?アズ、どうしたの……?」
「……ここ、あたしの村だったんだ……あいつらニンゲンが」
 ぎりっと歯を噛み締め、彼女の瞳が苦痛と憎悪に燃え上がる。
 平和だった、幸せを幸せと感じられないくらいに当たり前だった日常は、夜明けの濃霧とともに一瞬で奪い去られ、そしてアズリィの世界は奈落へと転落した。
 炎と、そして武器を他に襲撃を掛けて来た人間達の幻影が彼女には見えていたのかもしれない。
 重く圧し掛かる記憶を吐き出すその姿はあまりにも痛々しくて。あまりにも切なく、辛すぎて。
 もう二度と泣かないように。
 もう二度とあんなふうに傷付けられないように。
 守りたかった。誰よりも傍で、彼女だけを見て、彼女のためだけにどんなことでもしようと心に誓った。
 ただ彼女の幸せを願う。
 ただ、彼女の笑顔を願う。
 彼女のためだけに自分は存在し続けるけれど、でもそれは恋なんかじゃない。恋であってはならないのだ。
 彼女がそれを自分に求めてはいないのだから。
 彼女の信頼を勝ち取るために、彼女の傍に居続けるために―――――



「史乃!あんた、まだこんな所にいたのか!?」
 突然の声が、記憶の海から史乃を引き上げた。
「アズ……」
「アズって呼ぶんじゃないよ!お頭だって何回言えばいいんだ!」
 怒声とともに振るわれた拳は、何の遠慮呵責もなく史乃の頭を殴りつける。
「いつっ!何で…こんなことするの?昔からずっと…名前で呼んできたじゃないか……」
 理不尽な行為に不服の声を上げるが、アルメージュの頭領となった今の彼女はそれを許してはくれなかった。
 険しい表情で睨みつけ、格好がつかないだろうが、と言い放つ。
「ひどいな……」
「ひどくなんかないだろ?とにかく仕事だよ!ぐずぐずしてないでさっさと準備しな。ほら、あいつらはもう終わってる」
 彼女の指し示す場所を見下ろせば、木々の合間から装備を負えた盗賊団の仲間達がチラチラと集まり始めていた。
 しっとりと雨が包むこの薄暗い森の中を進み、目指す獲物はここよりずっと先で発見された遺跡のひとつだ。
 彼女が欲しいと言っていたものがそこにある。
「わかったよ……じゃあ、行こうか……特急で、ね……」
「え?な。なに!?」
 自分に背を向け歩き始めていたアズリィを後ろからいきなり抱き上げると、史乃は背に負った大きな翼を広げ、地を蹴った。
 そのまま切り立った崖の上から仲間の待つ場所まで一気に急降下する。
「うわ!バカ、よせ、史乃っ!?」
「そんなに暴れると…僕から落ちるよ、アズ」
「―――っ!」
 じたばたと尾を揺らし抵抗する彼女が不意に大人しくなったことに満足し、史乃はゆっくりと笑みを浮かべる。
 それは、おそらく底意地が悪いと仲間内で評されるような微笑であったかもしれないが、それでもいいと思う。
 胸がまたずきりと痛むけれど、それでも構わない。
 この腕に伝わるほんの少しのぬくもり。
 自分だけのものではないけれど、今だけは自分が彼女を抱きしめている。
 それだけが全てだ。

「ねえ、アズ……して欲しいこと、いっぱい言って。なんだってするよ……アズのためなら、僕はなんだって………」




END