<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『こねこのミステリー』
<オープニング>
 紫煙とアルコールの匂いでむせる、夜の酒場。
扉を開けたのは、店には不似合いな老婦人だった。しかし、臆することなく、まっすぐにカウンターに向かって来る。
銀の髪をきっちり結いあげ、縁無しの老眼鏡を高い鼻に乗せた姿は、厳格な老女教師のようにも見えた。
「あら。珍しい。アーリー先生じゃないですか」
 エスメラルダが声をかけると、老婦人は肩のショールを直しながら「先生はよしておくれ」と微笑んだ。口の両脇に優雅な深い皺が刻まれた。
 彼女は、聖都エルザードに住む小説家だ。年齢が年齢なので今は寡作であるが、かつては本屋のAの段にはアーリーの本がたくさん並んでいたものだ。
「まさか、一人で飲みにいらしたわけじゃないですよね?」
「あたしはそんな不良ばあさんじゃないよ。ジェインって奴を探して欲しいんだ。あたしの屋敷の中で、行方不明になっちまって」
 アーリーは郊外の屋敷で一人で暮らしている。近くに住む息子家族が旅行に行くというので、孫の仔猫を預かったのだそうだ。ジェインは、自分の意志で仔猫と少女と、どちらにも姿を変えられる。
「ばあさんをからかって本棚の森でかくれんぼでもしてるのか、それとも屋根裏かどこかで怪我でもして出て来られないのか。とにかく、何かあったら孫のシェリィに会わす顔がないよ」
「安心して。ここの常連さんは頼りになる人ばかりよ。きっと助けてくれるわ」
「それを聞いてほっとしたよ。じゃ、スコッチをシングルでもらおうか」
「なによ、やっぱり呑むんじゃない」
 エスメラルダが肩をすくめると、老婦人はくくっといたずらっ子のように笑った。

< 1 >
 エスメラルダから無理矢理握らされた地図。皺になったそれを伸ばし、辿り着いたのは街はずれのさびれた屋敷だった。軽装だが、歩いたので汗で髪が顔にへばりつく。青い一筋の髪が、細い頬に線を描いた。
『猫さがし?この俺がか?』
 一流の魔法戦士であり、生と死の狭間に生きる傭兵の、このセフィラス・ユレーンが。
『この店のツケ、溜まっているそうね?』
 アセシナート公国との争いも現在は小休止のようで、傭兵としては生活が苦しいところだった。エスメラルダはペイのいい仕事は早めに教えてくれて、恩もある。しぶしぶ受けた依頼だ。
 錆びた鉄の門をきしませ開けると、数歩で辿り着く玄関だ。狭い庭は荒れて、木の枝は勝手に手を伸ばし、雑草は膝を被うと思う長さだった。老人一人の暮らしでは、庭の手入れ迄は行き届かないのだろう。そう好意的に思っても、やはり暑苦しい庭には変わらないが。セフィラスは、切れ長の青い瞳を不快そうにさらに細めた。
 時代がかった獅子のノッカー。握ろうとした途端、先に扉が開いたので驚いた。セフィラスの胸の高さ、小柄な老婦人が眼鏡越しに見上げた。
「セフィラスさんだね?依頼を受けてくれて、ありがとよ」
『なぜ、ノッカーを使う前に?』
 その疑問は、居間に通され、紅茶をすする先客と接した時に解消された。
「この正面の鏡に、玄関に立つ人が映るんですよ。ほら、何枚も鏡が併せになっているんです。扉の真上や廊下の隅にも鏡があったの、気づきませんでしたか?それに、門を開けると、この部屋で鈴が鳴る音がします。面白い屋敷ですよね」
 アイラス・サーリアスと名乗るこの青年は、黒山羊亭で時々見かけた。困った人には即座に手を差し伸べる男と聞いている。きっと、老人にも親切なのだろう。金目当てで来た自分とは正反対の奴に違いない。
「遅れてすまなかった」
 セフィラスはアイラスに一礼すると席に座った。
「いえ、僕が早く着き過ぎたんです。
では、アーリー先生。人数も揃ったので、猫のジェインさんの特徴などを教えていただけますか?」
 セフィラスは、『猫に敬称か』と苦笑した。動物にも優しい男らしい。
「セフィラスさんは、これでいいかね?」
 老人がスコッチの瓶をテーブルに置いた。セフィラスは瞳を思わず見開いた。
「仕事の前だ。俺も紅茶でいい」
「そうかい。すまないね。じゃあ、あたしだけ戴くよ」
 老人は微塵もすまない様子も無く、躊躇無く自分のグラスに酒を注いだ。セフィラスは悟った。あの庭は、手が回らないから荒れているのではない。このばあさんは、庭の手入れをしようなんて殊勝な考えを起こすタマじゃないのだ。

< 2 >
 ブルーグレイの短い毛並み、銀の瞳。人間の歳にしたら6歳位。ジェインは少女の姿になって、引き戸やノブを回すこともできるという。
「アーリー先生。屋敷内に、粉を蒔かせていただいていいですか?足跡が見つけ易いので。もちろん後で掃除をします」
『・・・掃除は俺も手伝うのか?』
「あ、掃除は僕一人でやりますから」と、アイラスがこちらを振り向いて笑顔になった。まるでセフィラスの独白が聞こえたように。
「じゃあ、探しにかかるか」とセフィラスは立ち上がる。
「危険な探索でもあるまい。別々に探そうか」
「単独行動の方が、効率がいいですよね?」
 二人同時に言って、二人とも苦笑した。あちらもセフィラスに苦手意識を持っていたのかもしれない。

* * * * * *
 アイラスが1階の書斎と台所と物置を探すそうなので、セフィラスは2階の寝室と客間、それから屋根裏を請け負った。軋む階段を昇り、アイラスと別れる。
 客間と言ってもそう立派で無く、痛んだベッドと古いタンスが置かれた黴臭い部屋だった。ベッドの下やタンスの隙間を形だけ探すが、ここには生き物の気配がしない。居ないのはわかっていた。
 そして、次に寝室のドアを開けたセフィラスは、ここにも生の気配がしないことに軽い驚きを覚えた。静かで、空気が冷たい。しかし毎夜アーリーはここで休んでいるはずだ。サイドテーブルには栞の挟んだ書籍が置いてあるし、寝酒のグラスまである。だが、生きた者の匂いが無い。
『この空気は・・・自分のものと似ている』
 死んだように生きている老人。諦観と退屈の中で、『その日』を甘い憧れと共に待って、漫然と生きている。
「ばかな。たかが、70年かそこら生きた人間の老婆ではないか」
 セフィラスは翅輝人。外見は青年だが、実年齢は数百歳を超えている。アーリーが自分と同じ想いで生き永らえているとはとても思えない。
「長さじゃないよ」
 背後の老婆の声に、驚いて振り向く。部屋に入って来た気配に気づかなかった。アーリーはベッドサイドの本を手に取ると、そのまま部屋の出口に向かう。
「あたしは、作家だからね。あまりに多くの人生を生き過ぎた。100人の人生を描けば、100人分の人生を歩んだようなものさ」
「・・・。」
 言葉を操る者の戯れ言かとも思う。しかし、部屋の空気の冷たさを肌で感じてしまったセフィラスには、虚言だと言い切ることができない。
「ジェインは腹を空かせているかもしれん。早く見つけてやっておくれ」
 アーリーは本を嬰児のように大事そうに抱き、部屋を出ていった。上履きは足音さえ立てない。

 屋根裏部屋への入口を、廊下の突当りの天井に見つけた。天板が微かに変色し、同色のフックのような金具がついている。扉はわざわざ目立たぬように作ってあるとしか思えない。
 本来は棒のようなもので引っかけて開くのだろうが、見当たらない。長身のセフィラスは背伸びすれば指が金具に届いた。背に隠した翼を出すほどのこともなかった。ぐいと二の腕に力を込めると、バネ式の扉がガタンと下に落ちた。扉には、折り畳み式の梯子が張り付いている。セフィラスは一気にそれを伸ばし、耳を澄ませた。
 直感した。気配があった。とにかく、何かは居る。
 廊下に置いてあった燭台を勝手に手に取った。梯子に一歩、足を掛ける。

 昇り切り、屋根裏の床に燭台を置く。衣裳ケースと古い玩具箱。そして紐でくくられた絵本の山。衣裳ケースは蓋が開き、埃っぽいドレスやコートが縁に垂れ下がっていた。ぶら下がった死体のように。隠し扉とも思える保護色は、この衣裳ケースを葬りたかったのだろうか?玩具箱も開けっ放しで、蹴散らされたような形跡があった。ばあさんの子供時代のものなのか、息子を育てた時のものか。
 息を詰めている生き物の気配がした。
「ジェインか!? バカヤロウ、ばあさんが心配してるぞっ!」
 しまった、こんな乱暴な言い方では怖がるかもしれない。
 セフィラスは声色を作ろうと息を吸い込んだが・・・やめた。老婆に心配させたくないと思えば自分から出て来るだろう。セフィラスが媚びる必要は無い。
 衣裳ケースの向こう、灰色の尻尾が踊った。燭台の灯が、むき出しの木の壁に大きな蛇のような影を映し出した。
「ばあさんが、俺達を雇ったんだ。無事に探し出してくれって」
 にゃあという返事がしたと思ったら、古いドレスを体にまとわりつかせた幼女が這いだして来た。猫が服を着ていたら変な話だ。人に変身すれば裸に決まっている。布で体をくるんでも両肩が覗いていた。キューピットの肩みたいにふわりと柔らかな丸みだった。
「ごめんなさい・・・」
 セフィラスを上目使いに見上げたジェインの、銀の瞳は溢れそうな涙で揺れていた。男の子みたいに短い藍色の髪がつんつん立っていたが、優しい表情で少女と知れた。
「ここに、残りたかったの。隠れていれば、残れるかと思ったの。私が帰ると、アーリーが独りぼっちに戻ってしまうから」
 ぽとりと布の上に涙が落ちた。シルクオーガンジーだろう、透けるピンクのドレスはジェインの涙を吸い取って染みを作った。アーリーの若い頃のドレスだろうか。あのばあさんも、こんなドレスを着てパーティーに出ていた頃があったのか。
「ジェイン・・・」
 子供好きでも何でも無いセフィラスだが。不可解な痛みが胸を襲った。
 この少女に、何と説明すればよいのだろう。『独りでも、寂しくない人種』が居るのだということを。独りでいることに安堵し、孤独と杯を交わし、神を崇拝もせず悪魔も恐れず、自分しか信じず、いつか心の臓が停まる時を静かに待って生きる者がいることを。
 少女が慕う老婆が、そんな悲しい人間だと。自分と同じように、寂しく哀れな者だと。告げていいものかどうか、セフィラスは唇を噛んだ。
 少女の瞳が涙で揺れるのが怖かった。老婆への同情は、自分が哀れみを受けるのと同じ気がした。セフィラスは話をそらして、逃げた。
「時々、飼い主に連れて来てもらえばいいだろう?」
 少女は悲しげに首を横に振った。
「もうすぐ遠くに引っ越してしまうの。・・・おにいさん、ジェインの代わりに、時々アーリーに会いに来てくれる?」
 うっとセフィラスは言葉に詰まる。すらすらと、調子のいい言葉の出る男ではなかった。
「俺は・・・苦手だ、あのばあさん」
 子供相手に、正直に告白した。ジェインは高い声で笑った、『そうでしょうね』とでも言うように。さっきの頼みは、セフィラスに約束を強要したわけでなく、屋根裏を出ていく為の決めセリフだったのかもしれない。ジェインはするりと布を抜けた。もうブルーグレイの猫に戻っていた。ちゃっかりとセフィラスの肩に飛び乗る。彼は片手に燭台を握り、ゆっくりと梯子を降りた。
 セフィラスがジェインの想いに心が動いたように。孤独を愛する老婆とて、この子の優しさが嬉しくないわけは無かろう。たとえ一人でグラスを傾ける時に、思い出して微笑む程度の嬉しさだとしても。
 肩のジェインは軽い。時折セフィラスの頬に触れる尾は、くすぐったく、暖かかった。

< 3 >
 老婆と、赤いワンピースを着たジェインが、門まで二人を見送ってくれた。
「ジェインちゃん。僕が時々アーリー先生のところに遊びに来るよ。心配せずに、お家に帰っていいんだよ」
 アイラスが少女の目の高さにしゃがみ、話しかけた。ジェインもにこにこと何度も頷いている。自分が言ってやれなかった言葉。少女の笑顔の為に、青年はためらい無く口に出す。
 セフィラスは青年に感謝した。
 アーリーは二人の手を取り、礼を述べた。
「二人とも、色々ありがとう。だが、アイラスが来るのは、あたしより本棚が目当てのようだがね」
 アイラスは否定もせずに笑っていた。セフィラスは肩をすくめてみせた。

 門を出ると、夜はまだ浅かった。
「エスメラルダさんに報告がてら、黒山羊亭で軽く呑みませんか?」
 酒がたいして好きでもなさそうなアイラスが誘った。
「そうだな。そっちの探索の様子も知りたいしな」
 珍しく、セフィラスも人の誘いを快諾する。
 頬にまだ、ジェインの尻尾の感触が残っている。苦い気分が消えたわけでは無いが、たぶん、この青年相手なら、いい酒になりそうだった。

<END>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト
2017/セフィラス・ユレーン/男性/22/天兵
NPC
アーリー/老婦人。作家。
ジェイン/仔猫で少女。

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■         ライター通信          ■
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発注、ありがとうございます。ライターの福娘紅子です。
オープニングを提示した時は、ほのぼの系かコメディぽいものを予定していたのですが、
「ドタバタ無し」「雰囲気を大切に」というご要望だったので、シリアスな感じになりました。
お二人とも静かな青年ですが、相反するキャラとして描かさせてもらいました。
普段クールなセフィラスさんの中に、一筋灯る「優しさ」と、
好青年のアイラスさんの中にもある、孤独を好む「影」の部分。
それを描いてみたいと思いました。
NPCが老婆なので、アクション・シーンが無いのは許してやって下さい。
翼を出すシーンも書いてみたかったです。でも、壮絶に強い敵で無いと出してくれなさそうですね。
アイラスさんの分も、よかったら目を通してみてくださいね。