<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【止められた刻】


------<オープニング>--------------------------------------

「誰かあそこの塔の刻を知らないかな」

 そう言って褐色の肌の少女が黒山羊亭の扉をくぐる。
 長い黒髪は二つに結い上げられ、ツインテールが揺れている。
 しかし少女の言葉に反応する者は居ない。
 少女の悪戯っぽい赤い瞳が店内をぐるりと見渡し、エスメラルダに首を傾げながら尋ねた。目の付け所は間違っていない。
「此処って色々手助けしてくれるって聞いたんだけど…?」
「まぁ、手助けしてくれる人がいるには居るけど……『あそこ』って何処の塔の事?」
「捻れの塔。あの空まで伸びる塔の刻が消えちゃってさ。あれ、戻しておかないとアタシ怒られるんだよね」
「刻が消えた?」
 訝しげにエスメラルダが問うと、少女はポリポリと鼻の頭をかきながら告げる。
「消えたっていうか止まったっていうか。アタシ、冥夜って言うんだけど塔の管理をしてるんだ。でもずっとそこに居るわけじゃなくってあちこち色々飛び回ってて。で、久々に戻ってみたら塔の時間が止まっちゃっててさ。今まで止まった事なんて無かったからどうしていいか分かんなくて。あそこの管理任されてるのは良いんだけど、あそこって行く度に迷うんだよねぇ。入る度に捻れてる回数とか変わってるし。まぁ、死ぬような仕掛けは無いからそこは安心なんだけど」
「止まったってどうしてそれが分かるんだい?」
 時間って見えないものだろう?、とエスメラルダが言うと、美しい銀細工が施された懐中時計をポケットから取り出した冥夜が答えた。
「だって塔に入った瞬間、時計がぴたりと動かなくなるんだ。そしてまた塔から出ると刻を刻み出す。あの中だけが刻が止まってるんだよ」
「それはまた……」
「別に止まってたって関係なさそうだろ?でもこれがまた大変でさー。アタシもイヤになってくんだけど、あの塔の捻れって時間の流れを受けてそうなってるんだって。で、時間が止まるとそこからだんだんと風化して崩れるっていう話なんだよね。もうアタシもお手上げ」
「で、あんたは留守にしてたからその間のことが分からないと」
「そ。でもねー、鍵も掛け忘れてたみたいだから誰でも中に入ることは出来たと思うんだ。だから刻を止めたかった誰かが入り込んで潜んでいる可能性はあると思う。途中いっぱい仕掛けあるけどさっきも言ったように死ぬようなのはないし。まぁ、迷ったら出られない可能性はあるけど」
 はぁぁぁ、と大きな溜息を吐いて冥夜はカウンターに突っ伏す。
 全く困った依頼者だね、とエスメラルダは苦笑する。
「で、その止まった刻を取り戻せばいいんだね?」
「そそ。お願いー。御礼はちゃんとするからさ。欲しいものをあげるよ」
 アタシこれでも何でも屋なんだ、と冥夜は、ぱちり、とウインクをしてみせた。


------<再会>--------------------------------------

「はぁー、ホント誰か手伝ってくれないかなぁ」
 冥夜は手元にあったダーツの矢を持つとダーツボードに向けて、ひゅっ、と投げる。
 それは、すとん、とど真ん中に命中した。
「こんな簡単に手伝ってくれる人に当たればいいのになぁ」
 もう一度溜息を吐いた時だった。
 冥夜は見知った姿を店内に見つける。
「いたー!発見!」
 冥夜は、ひょいっ、と椅子から降りるとその人物に向かって走った。

「お兄さん、コンバンハ。アタシ、冥夜」
 追いついた冥夜は、グラスを持って知人と話をしていた青年に声をかける。
 青年は一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに元の表情に戻り、あぁ、と声を上げる。
 その青年は以前エルザードで雨が止まなくなった時に、冥夜が遭遇し手を貸して貰った人物だった。
 名をスラッシュといい、スラムの片隅で歯車仕掛けの商品を扱う店を営んでいる。
「いやー、お兄さん。この間はアリガトね」
 この間あげた輝石役に立ってる?、と冥夜が尋ねると青年は小さく頷いた。
「良かったー。これで役立たないって言われたらアタシ今から何も頼めなくなっちゃうし」
 その言葉にスラッシュは、また何かしでかしたのか、と冥夜に尋ねる。
 この間も確か冥夜の不注意のせいで雨が止まなくなったのだ。
 また何か問題を起こしたとなると、相当のおっちょこちょい、ということになる。
「あはは……そう言われちゃうと困っちゃうんだけどね。アタシが管理任されてる捻れの塔ってのがあるんだけど聞いたことない?」
 悪びれた様子もなく言う冥夜に、噂だけは多少……、とスラッシュが告げる。
 あちこちで捻れの塔の噂話は聞いたことがあった。
 なにがあるのか分からない鍵のかかった変な塔があると。
 空高くそびえ立つ捻れた塔は止まることなく日々動いていると。
 それが冥夜の言っている捻れの塔だとするならば、以前からその塔の存在が気になっていたスラッシュの興味を惹かないわけがない。
 スラッシュは歯車仕掛け職人としての顔と探索士としての顔も持っていた。友人が最期まで追い求めていたある『モノ』を今も探し求めている。それが何処にあるのか未だに分からない。それを見つけるのはスラッシュの目標だった。
 知人に別れを告げ、スラッシュは冥夜の話に耳を傾ける。
「んじゃ、とりあえず話聞くだけも良いから聞いてよ。アタシ本当に困ってて」
 はぁ、と溜息を吐きながら冥夜はスラッシュに事の次第を話し始めた。

「刻の消えた…仕掛けに満ちた塔、か……俺の範疇でもあるし…別段、知らない相手の頼み…と言う訳でもないし、な……俺で良ければ、協力させてもらうよ」
 話を聞き終えたスラッシュがそう呟くと冥夜は飛び上がって喜ぶ。
「本当?やーっぱ頼りになるね。そう言ってくれると思ったんだ」
 満面の笑みを浮かべて冥夜は、お礼何が良い?、とスラッシュに尋ねた。
 するとスラッシュは左右に首を振りながら言う。
「御礼は要らない……捻れの塔に入れることが…俺にとって価値のあるモノだからな…」
「うわー。なんかカッコいいね、それ」
 ほぅ、と感嘆の溜息を吐いた冥夜はスラッシュを見上げる。
 その間にスラッシュは自分の荷物を抱えて店を後にしようとしていた。
「ちょっ…!えっと塔の鍵はー?アタシ行かなくても良い?」
 それに気づいた冥夜が慌てて告げると、スラッシュは今気づいたかのように頷いた。
「あぁ……そうだな……鍵くらいは借りていくか」
「ほんとにそれだけでいい?」
 スラッシュは頷く。本当に一人で行くつもりらしい。
「塔の場所は?けっこう遠いんだけど。そこまでアタシが送ってあげようか?」
「…頼む。あと、あっちについてからはなんとかなると思う」
「分かった。それじゃ、アタシはここで待ってるから」
 ニッコリと微笑んで冥夜はスラッシュを送り出すため黒山羊亭を後にした。


------<捻れの塔>--------------------------------------

 冥夜はスラッシュに足りないものは無いか尋ね、自分の車の中からごそごそと様々なものを取り出す。
「アタシね、何でも屋だから色々持ってるんだ。そのまま塔に行くんだったら足りないモノとかあるでしょ。貸してあげるよ」
 あげてもいいんだけど、と冥夜は言うがスラッシュは首を振って断った。
「んじゃ、貸すだけね」
「あぁ、借りるだけだ」
 スラッシュはその中から塔の攻略に使えそうなものを見繕い自分の鞄に詰める。
 その合間に冥夜は塔の中の構造についてスラッシュに説明した。しかし、冥夜自身もその塔を完璧に理解している訳ではなく、毎回構造が変わるため把握できていないのだという。
 大まかな仕掛けだけを聞いてスラッシュはそれを頭に叩き込んだ。

 もう月は空の天辺に昇り、もう少しで日付が変わるような時刻だ。
 申し訳なさそうに冥夜が告げる。
「ごめんね、なんかこんな時間に働かせちゃって。もう寝る時間だよね」
「いや、それに……急ぐんだろう?」
 こくん、と冥夜は頷いて小さく笑った。
 ありがとう、と。
 それからすぐに表情をいつもの人懐っこい笑みに戻すとスラッシュに尋ねる。
「あ、そだ。刻を戻した後こっちに戻ってくる時、また空間開くからそれをどうやって教えて貰おうかなぁ」
 うーん、と冥夜は自分の持ち物の中から探そうとするが、それをスラッシュが止めた。
 そして自分の鞄の中から二つの貝殻を取り出す。
「ほぇ?……何これ?」
「双子貝の貝殻だ。遠距離で相互に会話できるものだ。……片方を持っていてくれればこちらから連絡する」
「凄いもの持ってるね。へぇ、すごーい。んじゃ、片方預かっておくね。連絡お待ちしてマース」
 えへへ、と冥夜は楽しそうにその貝殻を見つめるとスラッシュを送る準備を始める。
「転移の魔法陣かくのだとアタシが行かなきゃならないから……こういう時はコレかな」
 よし、と冥夜は鞄の中から二つの石を取り出す。
「これをあっちに着いたら塔の脇に大きな木があるからそこの洞の中に入れておいて。それが媒体になって帰ってくる時に必要だから」
「分かった」
 それじゃ送るね、と冥夜は近くにあった木の洞に二組の石を放り投げる。余りにも大雑把な様子にスラッシュは、大丈夫か、と心配になる。
 しかし冥夜はあくまでも真剣な表情でその洞に手を翳して何事か呟いた。
 ぽうっ、と冥夜の手から光が溢れその洞の中へと吸い込まれていく。
 その光が洞の中に満ちると木と冥夜の間に光る空間が現れた。
「はい、アッチまでの空間開いてみたからこっからドウゾ。それじゃ、よろしくー!頼りにしてるね」
 冥夜はスラッシュに、気をつけて、声をかける。
 その言葉に頷きスラッシュはその光の中に姿を消した。


 光の中に姿を消し、再びスラッシュが目を開いた時に見たのは先ほどとは全く違った景色だった。
 冥夜に言われたとおり辺りを見渡すと、今自分が出てきた位置のすぐ後ろに大きな木があった。そしてその横には空の彼方まで続いている塔が見える。
「これか……」
 スラッシュは冥夜から預かった石を二つ洞の中に放り投げた。
 こん、と二回乾いた音が響いたが特に何が起こるというわけではない。
 気にすることなくスラッシュはそびえ立つ塔を観察するため歩き始めた。

 見上げた塔は特に傷んだ様子もなく、ただそこに存在していた。
 しかし捻れの塔というだけあって、どういう構造になっているか分からないが巻き貝のように塔は捻れたまま空に向かって伸びている。
 本来はこれがぐるぐると動いているのだという。
「さてどうかな……」
 攻略できるだろうか、と言うことは今は考えない。
 ただこの塔の刻を戻し風化を止めることを考える。
 スラッシュは借りた塔の鍵で中へと入った。

 塔の内部は月明かりが差し込んでいるのか、足下が見えないほどではない。
 上を見上げても階段は続いているが、それは複雑に絡み合いそこが何階だということは分からなくなっていた。
 しかも階段を阻むように壁がそびえ立っている。まさに迷路そのものだった。
「上か……それとも下か……」
 普通塔の最上階に何かがある様な気もするがスラッシュは、最上階に上ること、それ自体がダミーのような気がしてならなかった。
 冥夜は特に何も言っていなかったが、この塔には地下があるような気がしていた。
 微かに下から流れ出てくる空気もその地下の存在を主張しているような気がする。
 死なない程度の仕掛けとはどのようなものか。
「お手並み拝見……というところか」
 スラッシュは危険を察知し、仕掛けを避けながら下へと降りる階段を探す。
 見えてはいないがどこかにあるはずなのだ。
 カツン、とスラッシュの足跡が塔の内部に響く。
 普段から掃除もしていないのだろう。床に積もった砂埃がスラッシュが動くたびに舞い上がった。スラッシュの足跡の他に冥夜が歩いたのか小さな足跡も残っている。
 その時、ふと上を見上げたスラッシュの目に埃の被っていないランプが目に入る。
 壁にある他のランプを見てみるが、それらは全て埃を被り白くなっていた。
「あれか……」
 塔の入口のすぐ脇のランプ。
 そこならば足下の埃を舞い上がらせなくとも手が届く。人が中に入った形跡を残さずにそれを動かすことも可能だろう。
 スラッシュは入口まで戻るとそのランプを下に引いてみる。
 するとそれは音もなく下がり、目の前の壁がゆっくりと下がっていく。
 大人が一人通れるような穴が開き、そこに地下へと続く階段が現れた。
 今居る場所とは全く別の空間を思わせる塔の地下。
 今スラッシュはその塔の心臓部と思われる場所へと歩き出そうとしていた。
 扉の開閉確認をし、内側からも開くことを確認した上でスラッシュは地下への階段を降り始める。
 真っ暗な中で、以前冥夜から貰った輝石が力を発揮した。
 カンテラ代わりにその石を翳し、暗闇の中を降りていく。
 あちこちに仕掛けはあったが、それは子供だましのようなもので触れなければ作動しないものばかりだった。
 こんなにたくさんの仕掛けをしておきながら、殺傷能力のあるものがないということはどういうことだろう。
 そんなことを思いながらもスラッシュはひたすら降りていく。
 そんな時、微かに空気の流れが変わった。
 スラッシュは輝石を持たない方の手でダガーに手をかける。
 何かが蠢く気配。
 刻の止まった塔の中で息づくもの。
 ズルズルと何かを引きずるような音と共にその気配は去っていく。
 危険だ、と思いつつもスラッシュはその後を追った。

 階段が終わるとそこから道が二手に分かれてしまう。
 ご丁寧にもそこからは輝石は必要ないようだった。
 壁のランプに明かりが灯され、床を見ると何かを引きずったようなあとが見える。
 引きずっても平気だということはもう罠は無いのだろう。
 輝石を仕舞い、スラッシュは辺りを観察した。
 二手に分かれた道、どちらを選ぼうかと考えていた時、左側で微かな音がした。
 聞き逃してしまいそうなほど小さい音だったが、神経を研ぎ澄ましていたスラッシュは聞き逃すことはなかった。
 その音に導かれるようにスラッシュは左側の道を進む。
 床自体に仕掛けはなさそうだったが、壁側にはやはり子供だましの仕掛けがある。しかし触れなければ発動されないものだったが、それは階段のものとは違い、随分と丁寧に作られているようだった。
 そしてまたカツンと小さな音が響く。
 それからクスクスという笑い声。
 通路の突き当たりには扉が見える。音はどうやらそこから発せられているようだった。
「誰か……忍び込んだ奴か」
 スラッシュの呟きは静かに静寂に溶けていく。部屋の中にまでは聞こえていないだろう。
 足音を忍ばせたスラッシュは扉まで近づくと中を窺う。
 そしてドアにも扉にも仕掛けが無いことを本能的に察知すると素早く扉を開け中に入った。


------<塔の地下>--------------------------------------

「だぁれ?」
 スラッシュが中に入ると、そこには小さな少女が自分の背丈ほどもあるクマのぬいぐるみを抱いて座っていた。
 きょとん、とした瞳で首を傾げる。
 しかしスラッシュはその光景を見てもダガーから手を離すことは無かった。
 やはり何処か可笑しい。直感的にスラッシュはそう思った。
「ここは……立ち入り禁止のはずだが」
「ココはメリィのおうち。ずーっと前からあたしのおうち。あなたはだぁれ?」
 メリィと名乗った少女は舌っ足らずな口調でそう告げてクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「いや、ここは少なくとも……50年以上は立ち入り禁止になっていると聞いた。だからここに人が居るわけはない」
 しかもこの場所は隠し扉を使ってしかこれない場所だ。メリィが隠れ住むには余りにも不適切だ。
「そんなコトないよぅ。アタシはずぅっとココに居たんだから」
 くすり、とメリィが笑うと周りに散らばっていた人形も笑う。
 やはりこの空間は可笑しい。メリィの笑い声に合わせ、周りの人形達の笑い声も増えていく。
「……誰だ。この塔の刻を盗んだのは……」
「アタシだよぉ」

『アタシだよぉ……アタシ……アタシぃ』

 周りの人形達がメリィの口まねをして騒ぎ出す。
 耳を塞いでも聞こえてくる声。
 スラッシュは部屋を見渡した。
 グルグルと回るような部屋の中で、唯一止まったままなのは砂時計。
 他のものは動いているのにそれだけは止まったままだった。しかも上に砂がある状態で。
 そしてよく見てみれば部屋の中のものは何故か全て逆さまになっている。
 メリィの肖像画も机も椅子も何もかもが。
 逆さまではないものはスラッシュとメリィとメリィが抱きつくクマのぬいぐるみだけだった。
「逆さま……少女は大人……」
 呟いたスラッシュの言葉に今まで笑みを浮かべていたメリィは怒りを露わにする。
「うるさいっ!アタシがこの家に帰ってきて何が悪いの。アタシはずっとココに居たんだから。ずっとずっとここに居たんだから」
 でもココだって昔のままじゃない、とメリィは呟いてぬいぐるみにしがみつく。
「本当にココが家だったのか……?」
 スラッシュの問いにメリィは頷く。
 しかしそれはきっと今では無いのだろう。遠い昔のお伽話。
「いつもアタシの遊び場はココだった。お父様とお母様には近寄っては駄目、と言われていたのにアタシはいつもココに忍び込んでは遊んでた。たくさん仕掛けがあったけれど、アタシは小さくて軽いから全然平気で。下まで来てしまえば壁に触らなければ先のない矢も飛んでこないし、ボールに追いかけられることも無かったからアタシには恰好の遊び場だった。そこにアタシはいつもの様に忍び込んで遊んでいたの。たくさんの本と絵に囲まれて毎日楽しかった。でもお父様に見つかってしまって怒られるのが怖くてアタシはお父様を突き飛ばして逃げ出したの。お父様壁にぶつかって動かなくなってしまった。寝てしまったのだと思ったわ」
 でもね、とメリィはぬいぐるみを抱きしめる。
「今、お父様はアタシといつも一緒だからいいの。ずぅっとずぅっと一緒だから」
 スラッシュはそのメリィの言葉に寒気を覚えた。
 どうしてこの塔をメリィの親が作ったのかは分からない。しかし、メリィに突き飛ばされた父親は壁から飛び出た矢が刺さり命を落としたのだろう。至近距離からであれば、いくら先のない矢でも当たり所が悪ければ死に至ることもある。
 そして何よりも恐ろしいのはメリィが笑顔で抱き続けているクマのぬいぐるみに父親の亡骸が入っていることだろう。メリィの口調から察するにきっとそうに違いない。そして父親と過ごせなかった時間をメリィは今取り戻そうとしているのだろう。
 スラッシュは首を振って告げる。これは間違っている。刻を戻すのも、そして刻を止めてしまうのも。
「それは……偽りでしかない」
「刻を戻したんだもの。これは現実」
「違う。取り戻したのはお前の時間だけだ。……父親の時間も塔の時間も戻ってはいない」
「嫌よ、そんなことないもの。アタシはお父様と一緒にココでずっと暮らすの。この塔が崩れ落ちるまでずっと」
 うふふふ、とメリィは笑う。
 少女の刻は壊れ始めている。塔が滅びを待つように。
 メリィがぬいぐるみに顔を埋めている間にスラッシュは砂時計を手にしようとする。
 それを周りのぬいぐるみ達が阻止しようと飛びかかってきた。
 スラッシュは迷い無くダガーを振るい、人形を切った。
 綿が飛び散りメリィの上に降りかかる。
「きゃぁぁぁぁっ!」
 メリィは顔を覆い人形の最期を見ようとはしなかった。
 その間にも次々とスラッシュを襲ってくる人形達。それは全てメリィが襲わせているはずなのに、メリィはスラッシュを見ようともしない。
 それを不思議に思いながらもスラッシュは砂時計を手に取った。
 そしてそれをたたき割ろうとする。
 その瞬間だった。クマのぬいぐるみがスラッシュを襲ったのは。
 スラッシュはためらったものの、クマのぬいぐるみを持っていたダガーで薙ぐ。
 断末魔の悲鳴が部屋に響いた。
 中から骨が出てきて床に落ちる。それはまるで陶器が割れるようにがしゃんと砕け散った。
 クマのぬいぐるみが崩れ落ちるとスラッシュを攻撃していた人形達はぐったりと床に落ちる。
 メリィが司令塔ではなく、どうやらメリィの父親が周りの人形に影響を及ぼしていたようだった。
 メリィは目を見開きクマのぬいぐるみを見つめる。
「お父様……」
 砕けた欠片を拾い上げ抱きしめるメリィ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。アタシが遊んでいなかったら………」
 最期まで自分の娘を助けようとしていたのだろう。
 スラッシュが娘の夢を壊そうとしたのを阻止したのだ。しかし、束の間の夢は永遠に続かない。
 メリィはやっと昔の自分が犯してしまった過ちを認めたのだ。
 ゆっくりと溶けていく夢。過去に縋り付いた夢。
「刻は待っていてはくれないの……戻ってもくれないの……アタシが犯した罪も消えない……」
 メリィはスラッシュから砂時計を受け取る。
 そして自らの手でその砂時計を割った。

 こぼれ落ちた砂時計の砂がさらさらと落ちていく。
 夢の欠片が崩れて砂になる。
 想いの欠片が捻れた刻を元通りにしていく。
 部屋が逆さまだったのは刻を無理に戻した反動だったようだ。
 砂時計が割れ、刻が刻まれていくのと同時にそれはゆっくりと姿を変える。
 メリィは戻っていく刻の中で自分の手を見つめた。
 少女の艶やかな肌は無くなり、年老いた老婆の肌が現れる。
 メリィの体は大きくなり、やがて白髪の老婆の姿がそこに現れた。
 そしてメリィの体は砂のように崩れていく。
 すでにメリィも現在の時の流れの中には存在しない人物だったのだ。

 そこに残されたのは刻の中に残された砂だけ。
 スラッシュはその砂が突然現れた風に攫われ本の中に消えるのを見た。

 それを見届けるとスラッシュはその部屋を後にする。
 本もそのままにしておいた。
 この塔を訪れた誰かが見つけるかもしれないと思いながら。
 そしてスラッシュは塔を出て冥夜に連絡を取る。

「無事に刻が戻った」
『本当?ありがとう!それじゃ今からこっちに戻ってこれるようにするから』
 そう冥夜が答えて程なくしてスラッシュの目の前に塔の脇に出た時と同様、光の空間が現れる。
 スラッシュはもう一度塔を眺め、グルグルと形を捻れていく様を目に映すと光の中へと飛び込んだ。


「へぇ、じゃクマのぬいぐるみが……」
「あぁ。元々あそこは誰かの私有物だったのか?」
「さぁ。アタシはよくわかんない。でもなんかスラッシュにはものすごい迷惑かけちゃったみたい。ごめんね」
 まさかそんなんいるとはー……、と冥夜は俯く。
「でも……そうだな。彼らを助けられたような気がする」
「刻の呪縛から?」
 冥夜の言葉にスラッシュは頷く。
「そうだね。二人ともずっと捕らわれてたんだろうしね。二人の分もあたしからありがとうって言わないと」
 やっぱコレ貰ってよ、と冥夜は自分が身に付けていたブレスレットを外してスラッシュの手に付ける。
「これね、ちょーっと良い効果あるんだよ。血行が良くなるだけでなく、冥夜ちゃん特製のお守りだから。名付けて『奇跡の声』なんちゃって。スラッシュが大変な時に大切な人に1回だけ連絡が取れちゃうんだ。アタシのは気にしないでね。いくらでも作れるんだから」
 だから貰ってよ、と冥夜は返そうとするスラッシュから離れて微笑む。
「また会えると良いね。アリガト」
 じゃーね、と冥夜はくるりと宙返りをする。
 その姿は朝焼けに溶けすぐに見えなくなってしまった。
 スラッシュは腕にはめられた綺麗な石の連なったブレスレットを眺め小さく微笑んだ。



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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

●1805/スラッシュ/男性/20歳/探索士

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■□■ライター通信■□■
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こんにちは。夕凪沙久夜です。
毎度ギリギリ納品で大変申し訳ありません。
この度は『止められた刻』にご参加いただきアリガトウございます。

零れ落ちた砂時計の砂を取り戻すかのように……仕上がっていますでしょうか。
塔の探索と言いつつも、仕掛けが簡単だったためちょっと物足りない仕上がりになっているかもしれません。
そして何やらえらい長くなってしまいました。
少しでも楽しんで頂けてればよいのですが。
冥夜からのプレゼントも如何でしたでしょうか?ネーミングセンスが無くってどうもすみません。(苦笑)

次回の季節はずれな依頼の方にもご参加頂いてますので、そちらをお待ち下さいませ。
頑張らせて頂きますね。
今回は本当にありがとうございました。