<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


始まりの空


------<オープニング>--------------------------------------

「ボク、明日枯れるんだ」

 え?、とルディアは突然聞こえた声に振り返った。
 手にした桶の中の水が、たぷん、と揺れる。
 白山羊亭の戸口の前でルディアは声の聞こえた方へと視線を向けたが、そこには誰も見あたらない。
「……誰?」
 ルディアの問いかけは青い空へと消えていく。
 しかしルディアが首を傾げながら辺りを見渡していると、もう一度同じ声が聞こえた。
「ボク、明日枯れるんだ。ボクの終わりの刻。ボクの眠りの刻」
「……枯れてしまう?」
 枯れる、と聞いて思い浮かべるのは植物だ。植物にだって命はある。心があっても可笑しくはない。
 ルディアはそんな様子を見せている植物を探す。
 しかしルディアが見つけるより先に声をかけられた。
「此処だよ」
 それは戸口のすぐ傍にある樹の上から聞こえた。ルディアが慌てて見上げると木の枝に裸足の少年が座っている。
 その樹は確かに今年の春、花を咲かせなかった。その前も段々と花を咲かせる数が少なくなってきていた。
 ルディアが小さな頃からあった樹。

「どうして?」
 樹の上の少年は笑ったようだった。諦めているわけではなく、確実に訪れる出来事を静かに受け入れているそんな表情で。
「……頑張ったけどもう寿命なんだ。だからボクは明日枯れる。でも枯れる前に、終わってしまう前にいろんな人のたくさんの『始まり』を聞いてみたくなったんだ」
「たくさんの始まり?生まれた時のこと?」
 ルディアは少年に尋ねる。しかし少年は首を左右に振った。
「ううん、例えばキミが此処で働き始めた時のこと。それだって始まりだろう?意志を持って何かをやろうとする時はいつだって始まりだと思うんだ」
 それが楽しかったって辛かったって始まりは始まりだろう?、と少年は言う。
「それを聞いてあなたは逝くの?」
 少年は小さく頷いた。
「たくさんの始まりの話を心に刻んで、ボクは新しい始まりを選ぶんだ」
「そう……」
 ルディアは瞳を伏せその話を聞く。今までずっとあったものが消えてしまうのは悲しい。いつも特に気にしていなくてもそれが消えてしまうのは淋しい。
 しかし少年の声は明るかった。
「此処は人々がたくさん集まるだろう?だからボクは此処でいろんな始まりの話を聞きたいんだ」
「それなら大丈夫ですよ。たくさんの方がやってくるから。きっと皆さんお話を聞かせてくれると思います」
 ルディアは顔をあげるとニッコリと微笑む。少し目の端に光る雫を浮かべながら。


------<お使い>--------------------------------------

「もう限界、やってらンないね」
 そんな声が何処からともなく聞こえてきたかと思うと、ルディアの目の前に一人の男が現れた。
 木の影の中からゆらりと出てきたその男の姿にルディアは声を上げる。
 それは陽光のせいなのか暑さのせいなのかぐったりとした葉子・S・ミルノルソルンだった。
 いつものあの陽気さが失われている。
「葉子さんっ!えぇっと……大丈夫ですか?」
 フラフラとしている葉子に駆け寄るルディア。
「なんつーか、炎天下でのお使いってのも悪魔にゃ命懸けだヨネ」
「えぇぇっ!葉子さん死んじゃ駄目です!とりあえずお水……あぁ、コップ無いので取ってきます」
 パタパタと走っていくルディアを眺めながら、葉子は隣に置かれた水桶の中に手を突っ込み一息つく。
 指の先から冷たさが這い上がってる来る感じが心地よい。
 大きな木の影から先は強い太陽の光に照らされ、ゆらゆらと蜃気楼が見えている。

 日陰に入って少し人心地ついたのか、葉子は先ほどから痛いほどに視線を送る主を寝ころんだまま見上げた。
「アララ、そんなとこで涼んじゃって。ウラヤマシイ。俺様も混ぜて欲しいナァ」
 木上から一部始終を見つめていた裸足の少年に、ニィ、と笑みを浮かべた葉子。やっと自分のペースを取り戻しつつあるようだった。
 少年はひらりと枝から飛び降りると葉子の隣へとやってくる。
「暑さに弱いの?」
「俺様悪魔ダカラ。太陽の光浴びると溶けちゃうノ」
「本当に?」
「さぁ、どうでしょ。限界まで試したことナイし、むしろやりたくナイし」
 気持ちイイー、と葉子は子供のようにパシャパシャと水の中に指をくぐらせ遊ぶ。
 少年は近くから大きな葉を取ってきて葉子を仰いだ。どうやら風を送って冷やそうとしてくれているらしい。
「それイイね。極楽極楽……って俺悪魔なのに極楽浄土見ちゃ駄目ジャン。でも続けてくれると俺様幸せ」
「これくらい良いよ。でも大変なんだね」
「いつもはお使いなんて行かないんだケド。今日はたまたま」
 そこへルディアがコップに氷を浮かべた水を持って走ってくる。
「葉子さん生きてますか!大丈夫ですか……ってアレ?」
 ルディアは下に降りてきて寝ころんだ葉子に風を送っている少年と顔を見合わせ、それから葉子を見る。
「あれ?もう仲良しさんですか?」
「そうそう。仲良しサン」
 うひゃひゃと笑った葉子はルディアから受け取った水を一気に飲み干す。
「生き返るー。ルディアちゃんアリガト。俺様助かっちゃった。ルディアちゃんも悪魔の行き倒れなんて見たくないヨネ」
「って、悪魔とかそういうの抜きにして葉子さんの行き倒れは見たくありません。なんていうか、もう少ししたら日も落ちるのになんでこんな炎天下の中を……」
 ルディアは燦々と降り注ぐ太陽の光を見ながら葉子に言う。
「ちょっとした命懸けのお使いだったり。まぁ、とにかく俺様助かったし。そろそろ行こうかナァ」
 そして、今度はやっぱり影を使って移動しよう、とぼそりと呟く。
 よいしょ、と葉子は起きあがり少年にヒラヒラと手を振った。
「んじゃ、またネ」
 そういって背を向けた葉子の手を掴む少年。ん?、と葉子は少年を振り返る。
「ねぇ、お兄さんは始まりの物語をしてくれる?」
 どういうコト?、と葉子は首を傾げて少年に尋ねた。
 すると少年は葉子の手を離し、自分のこれからの事を話して聞かせる。
 葉子は笑みを浮かべたまま少年の話を聞いていた。


------<始まりの物語>--------------------------------------

 一通り聞き終えると葉子は明後日の方向を見つめながら、始まりネェ……、と唸る。
 しかしすぐにニパッと笑顔を浮かべると言った。
「始まり思いつかないやv……イヤ今この時が始まりってのは如何?」
「今が?始まり……」
 悩み始めてしまった少年に、葉子はヘラヘラと明るく告げる。
「俺様植物と話したコトなんてなかったカラサ。こっから俺と君の物語の始まり……ってなんだか恋愛小説の煽り文句みたい」
 うきゃー、と葉子は先ほどまでのヘタレ具合が嘘のようなハイテンションで話し始める。
「で、そんなお話はお気に召しませんカネ?」
 しかし少年も葉子の言葉に頷いて笑った。
「そんな始まりも良いと思う。始まりの話を作ってみたい」
「オーケイオーケイ。それじゃ始まりの物語始めまショ。まずは自己紹介からいってみる?」
 ルディアがそんな二人を微笑ましそうに見つめている。
「なんだか二人ともこれからお見合いするみたいですよ」
 クスクスと笑いながら言うルディアの言葉に葉子がおどけてそれに続けた。
「本日はお日柄も良くー……って?」
「初めまして、ボクはカイって言います。趣味は人間観察です。どうぞヨロシクお願いします」
 更にお見合いモードで話を進める木の精カイ。
「うひゃひゃひゃ、俺様耐えられナーイ。とりあえずようこちゃんって気軽に呼んでヨ」
 日陰で十分休んだおかげで、体力気力共に回復したのか葉子はふわりと宙に舞う。
 だいぶ日も落ちてきて、日差しも弱まってきていた。
 これならば太陽の強い光に弱い葉子も何の気兼ねもなく外を歩き回れる。

「さてと、自己紹介も済んだし?先ずカイくんは其処から離れられる?」
「大丈夫。今日一日はどんなことでも出来るように力を蓄えておいたから」
 頷いたカイに葉子は手を差し伸べる。
 きょとんと宙にふよふよと浮いている葉子を見上げるカイ。
「オーケイならチョット空でも飛んでみナイ?いつも見下ろす形だろーケド、ソレより高い視線ってのもイイモンだと思うヨ」
「空?もっと空に近づけるの?」
 葉子の提案に目を輝かせるカイ。
「とりあえずこの木の高さよりはネ」
 ニィ、と笑った葉子の手をカイは掴む。そして、いってらっしゃーい、とルディアが手を振り見つめる中、葉子はカイの体を抱き上げ高い空へと舞った。


 急速に地面から離れていく感覚に、カイはぎゅっと葉子の腕を掴む。
 カイはぎゅっと目を瞑り、葉子にしがみついたまま固まっている。
「ほら目を瞑ってないで見てみなヨ?まだまだ上に行けるケド…」
 どうする?、と葉子はカイに尋ねた。
 まだまだゆっくりと上昇しているのを感じる。
 カイはゆっくりと瞳を開け、眼下に広がる世界を見つめた。

 それはいつも見ている世界よりももっと広い世界。
 自分が根付いていた大地を見下ろしている。

「うわっ……凄い……ボクの木があんなに小さく……こんなに広い世界にボクは居たんだ」
 ニヤリ、と目を細めて笑う葉子に、嬉しそうにはしゃぐ声が届く。
「凄い凄い。ボク初めてだよ、こんなに凄い風景見たの。アレが海でしょ、鳥たちから聞いたことがあったけど初めて見るよ。ねぇねぇアレは何?」
 カイの目に映る全てが初めて見る光景だった。
 夕焼けに輝く海も、染まりゆくエルザードの街並みも。
 小さな一角をずっと見つめ続けてきたカイには全て初めてのもの。
「…お気に召しマシタか坊や」
「うんっ!たくさんたくさん、初めてがいっぱい。一気に押し寄せてきてボクどうしよう……」
 軽くパニックを起こしているカイ。全てに興味が湧いてそれだけで頭の中はいっぱいのようだ。

 空は鮮やかな橙色の綺麗な夕焼けで、昼間のような強い光ではなく優しい色が世界に満ちていた。
 その景色を葉子は少し目を細めて見つめる。
 自分がこの世界に現れた時もこの色が世界を染め上げていた。
 ただ柔らかく、そして全てのものを包み込むように。
 そしてその橙はゆっくりと何処か淋しげに暗闇へとその色を変えていく。
 すぐに暗闇に染まる空の一瞬の柔らかい表情。朝や昼とは違う別の顔。

「随分綺麗な空の色。俺が初めて召喚された時もこんな色だったカネ」
 ニィ、と笑いはしゃぐカイの耳元で小さく呟く。
 その声にカイは近くにあった葉子の顔を見つめた。
 オッドアイの目が一瞬柔らかく細められていたように見えたのはカイの気のせいだったのか。
 カイは視線を街並みに戻し言う。
「ボクも初めてこの世界に根を張って、初めて見た夕焼けに一瞬心を奪われたよ。なんか夕焼けってとっても温かい感じがするよね。そして夕焼けに染まる街並みもすごく温かくて……ずっとみていたい感じ」
「キレイだとは思うしイイんじゃナイ?まだもうちょっと真っ暗になるまで時間あるだろうし」
 葉子はそのまま、すぅっと近くの塔まで飛んでいきカイと共に降りる。
 其処からはエルザードの街並みがぐるっと一望できた。

「ボクね、明日また新しい素敵な物語を始められると思うんだ」
 カイは街を見下ろしながらそう呟く。
「…植物はサ、俺達とは違って再びの[始まり]が約束されてるンだヨネ。ま、俺自身はまず終わりさえ明確にいつかは分からネェケド」
 その前にいつ魔界に帰れるのかも分からネェケド、と葉子は笑う。
 とにかく、と葉子は続けた。
「…精々もっと立派な樹になって花咲かしてヨ。俺まだアンタの花見たことナイし?そりゃもう綺麗な花だったりするンデショ?」
 葉子はカイの髪の毛を引っ張りながら、ここら辺にぱぁっと、と告げる。
 それに対しカイはブンブンと頭を振って葉子の手から逃れた。
「そこに花は咲かないってば」
「なんだ、残念」
 どうやら葉子は頭が花まみれのカイの姿を想像していたらしい。
 ぷぅ、と頬を膨らませたカイだったが、すぐに笑顔になり葉子に言う。
 再び始める物語を誰か一人でも気づいてくれていると嬉しい、と。
「ちゃんとボクは新しい始まりに立つから。そしてボクの花を咲かせてみせる。……見てくれたら嬉しいな」
「花ネェ……咲かせたらその下で宴会なんてしてみたりシテ」
「それいいね!やってよ。たくさん人が居るといいな」
「居るんじゃネェの。酒って聞いただけで飛びつきそうな知り合いがちらほら……」
 指折り数えて葉子はブツブツと呟く。3往復くらいしただろうか。
 悪魔のクセに俺ってば知り合い多いヨネ、と自画自賛している様子を眺めて、カイは嬉しそうに笑った。
「それも楽しみにしてる。ボクは今日のたくさんの初めてをぎゅって閉じこめて、新しい始まりに備える。もちろん葉子ちゃんとの始まりの物語もね」
 その言葉にうひゃひゃと笑い葉子は夕日を見つめる。
「俺のこの世界での始まりもそれなりに愉快だったヨ」
 小さく呟いた言葉は風に乗ってすぐに消えてしまいカイの元まで届かない。
 葉子は鼻歌を口ずさみ、カイと共に暮れゆく空を見つめていた。


------<お使い再び>--------------------------------------

 昨日まではまだ葉を付けていた白山羊亭の脇に立つ木は、今朝はもう葉を散らしカイの言っていた通り枯れていた。
 まだ薄暗く、日が昇り始めようとしている時刻。
 葉子は白山羊亭のカイの木の元にふわりと降り立った。
「昨日は仰いでくれてドウモ」
 ニィ、と笑った葉子は、ぽきり、とその枝を一本折る。
 その時、ルディアの声が背後から聞こえた。
「あれ?葉子さん。早いですね」
「ルディアちゃんこそ早いンじゃナイ?」
「いえ、ただこの木の精さんのことを確かめたくて……やっぱり……」
 俯いたルディアに葉子は木の根本を指し示す。

「さて、コレは何でショウ?」
「えっ……木の芽?でも半日で?」
「気合い入ってンじゃナイ?ちゃんと自分の物語を始めるってヨ」
「それじゃぁっ!」
 ルディアの顔が笑顔に変わる。
「そういうコト」
 花が咲いたら教えてネ、とヒラヒラと葉子は手を振り日が昇りきらないうちにバイト先に戻ろうとふわりと体を浮かす。
 その背にルディアが声をかけた。
「あのっ!昨日から気になってたんですけど。葉子さんのお使いって……」
「あぁ、それ。コレで解決?」
 手に持った木の枝を見せて葉子はうひゃひゃと声を上げて笑い飛び去った。
 そこには謎だけを残されて立ちつくすルディアがいた。

 地獄の底からの招待状とでもいうようなものすごい音を響かせて、葉子のバイト先である紅茶屋の扉は開く。
 朝から気合いの入っている重低音だ。
「んー、イイ音」
 にんまりと笑みを浮かべた葉子は折ってきた枝をひょいっと棚の上に飾る。
 元からオカルト的なものが並べられた店内で、その枝は浮くことなく馴染んでいた。
「これで良し。ごちゃごちゃした店内ダカラ増えても誰も気にしナイだろーし。それにこれで俺のお使い完了」
 葉子のお使いとは、夏に向けて店内に新しいオブジェを、というものだったのが果たして本当にそれで良いのだろうか。
 悪魔のオブジェの感覚はそれでいいのだろうか。
 店内のおどろおどろしさに多少磨きがかかったような気もするが、夏にむけて、ということになるとどうだろう。
 しかし棚の上に飾られた枝を見上げ、満足げに頷いた葉子は、さぁって寝ヨ、と大欠伸をしながら屋根裏部屋へと上がっていったのだった。





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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】


●1353/葉子・S・ミルノルソルン/男性/156歳/悪魔業+紅茶屋バイト


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■□■ライター通信■□■
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こんにちは。夕凪沙久夜です。
相変わらずのギリギリの納品で大変申し訳ありません。

そして私が書くとどうして葉子さんはいつもいつもいつも(強調)へたれているのでしょうか。
申し訳ありませんーっ!(土下座)
ものすごい愛があるんですが、私の愛は捻くれているのでしょうか。(泣)
夕焼けって私も大好きで、見ているとほんわかしてきてしまいます。
でも何処か淋しい部分もありますよね。
その微妙な感覚が好きでたまりません。

葉子さんには次にも参加して頂いている依頼があるので、そちらの方も懲りずに楽しんで頂ければなぁと思います。
今回は本当にありがとうございました。
それではまたお会い致しましょう。