<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『僕の地下室の友達』

 何かが積もって行く。静かに、音も無く。
 部屋の机の上に、白くうっすらと。窓の桟に、指で触れると微かな跡が残る。
 鼻から口から耳から。それはヒトに取り込まれる。そして・・・いつしか、ヒトがそれに取り込まれて行く。
 日々積もっていく、想い出という名の胞子に。

<オープニング>
 今夜も、酒場に不似合いな人物が、意を決した様子で黒山羊亭の扉を押す。一人で繁華街など訪れそうもない、身持ちのよさげな奥様風の女性だった。
「10歳の息子のことで、相談したいことがあるのですが」
 まわりを見回しながら、エスメラルダに小声で呟いた。
 その婦人の話によると、息子が奇妙な通販でキノコを購入し、地下室で育て始めてから、様子がおかしくなったというのだ。
 外で友達と遊ぶことも無くなり、地下室に籠もりきりになり。言葉も少なくなって、母親ともあまり口をきいてくれなくなった。
「健康の為に外で遊ぶことを勧めると・・・その・・・今までそんなことは無かったのに、乱暴な言葉で反抗したり、物を投げるような暴力的なことをするようになりました。
 うちは、父親が亡くなって、息子と二人きりで。息子にキノコの事を強く問いただすこともできません。
 こちらに、お力をお借りできるかたは、いらっしゃいませんでしょうか?」

< 1 >
 婦人はマニー家という商家の未亡人だった。依頼を受けた三人は、屋敷に案内された。
「夫が、生活できる程度のものは残してくれました。でも人を雇う余裕は無いので、今はロジャーと二人きりです」
 母親は、白い茶器で丁寧に紅茶を入れると、セフィラス、フィセル、アイラスの三人の前にカップを差し出した。
 屋敷は決して豪邸では無いがきちんと整えられていた。しとやかなマニー夫人と子供の二人だけでは、静かすぎるだろうと思わせた。
「まず、通販の事をお伺いしたいのだが」
 緑の鋭い瞳が光り、フィセル・クゥ・レイシズが口火を切った。冷淡に聞こえるほど厳しい口調だった。ほつれも無くきつく規則正しく結んだ金の三編み髪が、彼の潔癖さをよく表していた。
「一応、会社に問い合わせもしてみました。その商品に関しては変わった事例は報告されていないそうです。
 ただ、空気中にもたくさんの胞子が飛んでいるそうですから。ロジャーの栽培環境で他の危険なキノコが育ってしまった可能性はあるそうです」
「ということは、まずはキノコを調べてみないとラチがあかないか」
 母親のセリフに、セフィラス・ユレーンがうすい唇を噛んだ。一見薄情そうな唇だが、実は怒りや同情できつく結ばれる機会は多かった。長身の彼は、窮屈そうに足を組み代える。
「会社の方で、逃げ口上を用意していたというのも考えられますけどね。でもまず、キノコですね」
 アイラス・サーリアスも、外した眼鏡のフレームをいじりながら意見を述べた。普段レンズ越しで曖昧になる瞳の色が、くっきりと青い光を湛えた。後ろで緩く結んだ淡い髪のせいか、少し女性的な優しげな印象の青年だった。
「ただいま。・・・お客さま?」
 居間のドアがガチャリと開き、近所の私立学校のリュックを背負った少年が顔を覗かせた。栗色巻毛のまだあどけなさの残る顔だちだったが、その愛らしい唇からは毒が発せられた。
 客人達を一瞥し、
「母さまの新しい恋人?どれが父さま候補?それとも三人とも恋人なの?」
「ロジャー!!」
 母親が立ち上り叱責した。テーブルでは母親のティーカップが倒れ、白いクロスに濃い染みを作った。
 少年は、乱暴にドアを閉め、派手な足音で廊下を駈けて行った。
「すみません。ロジャーが失礼なことを」
 母は、うつむいたまま、細い指でカップを直した。クロスには、洗っても落ちそうにない、苦(にが)そうな汚れができていた。

< 2 >
 アイラスとフィセルは、食堂横の廊下から地下への階段を降りて行った。三人でゾロゾロ行ってロジャーの話を聞くのもマヌケかと思い、セフィラスは居間に残ることにした。ロジャーの変化を母親から詳しく聞く役も必要だろう。
「すみません、今クロスを替えますので」
 母親は茶器をトレイに移し、染みのできたクロスを外しにかかった。
「手伝おう」
 セフィラスは自分の居た側の布をテーブルの角から脱がせると、手早くたたんだ。
「・・・再婚するのですか?」
 セフィラスは思い切って聞いてみた。ロジャーの母は、10歳の息子がいるとは思えないほど若々しく、伏目がちの淡いグレイの目が儚なげで美しい女性だった。二度目の求婚者がいてもおかしくはない。
「いえ!・・・とんでもないですわ。今はロジャーを育てることで精一杯です」
 きちんと幾つもストックを準備しているのだろう。夫人は、ききりと目にしみる洗い立てのクロスをテーブルに広げた。
「すみません、あの子が失礼な事を言って。最近あの子は神経が過敏になっているようです。
 主人の喪が明けたので、仕事関係や、葬儀の事などでお世話になった皆様に、ご挨拶に回る機会が多くなったのです。わたくしが着飾って会食やパーティーに顔を出すのが、ロジャーは面白くないようです。
 お化粧をして、ちょっとよそいきのドレスで出かけるだけで、恋人ができたのかとか、新しい父さまができるのかなどと、詰問して来ます」
 夫人は白い指で二杯目の紅茶をカップに注いだ。
「新しい父親などいらない、と言うわけか」
 煎れたての紅茶に口をつけ、セフィラスが頷く。
「再婚など考えていませんのに・・・。何年も先のことはわたくしもわかりませんが、今は、ロジャーを育て上げることしか考えられません。ロジャーがいるから主人が亡くなった悲しみにも耐えて来られました。
 確かに、久しぶりに、着飾って外出するのは楽しいです。今まで、病気の主人の看病に明け暮れていましたし、亡くなってからはろくに外出もせずにずっと黒いドレスを纏っていました。
 でも、子育て以外のことを未亡人が楽しもうとするのは、罪なことなのでしょうか?」
 涙ぐむ夫人を前に、セフィラスは言葉を失った。10歳の子供や病気の夫が相談相手になるはずもなく、全ての悩みも苦しみも内に押し込め、独りで抱え込んできたのだろう。久々に耳たぶを重くする綺麗な宝石に心を踊らしたとして、セフィラスはそれが悪いことだとは思えなかった。シャンパングラスを交わし、時々大人の会話を楽しむぐらい、許されていいはずだ。
 だが、ロジャーは、家での地味な母親を見慣れていたので、美しく生き生きと外出し始めた母親に戸惑っている。どこか遠くに行ってしまいそうな不安を感じているのだろう。
 セフィラスが外見通りの二十歳そこそこの青年ならば、少年のロジャーの心情は理解しても、夫人のつらさには無頓着だったかもしれない。母親は、子供のことだけを考えて生きればいいと思ったかもしれない。
 だが、数百年生きてきたこの男は、夫人の想いも感じ取ることができた。
「あなたが幸せである事が、ロジャーの幸せでもあると思うが。
 ずっとそばにいてほしい、あなたを独占したいというロジャーの気持ちは理解できる。だが、それは彼が乗り越えなければならない壁だ。ロジャーの拗ねた心に、あなたが合わせる必要は無い」
 セフィラスの言葉を聞いて、夫人は、涙をためた瞳で深く大きく息をついた。ロジャーの異変を自分のせいと思い、責めていたのだ。誰かにこう言ってほしかった。楽にしてもらいたかった。

 その頃、ロジャーは夢を見ていた。地下室で、ピンクのキノコを一口齧り、現実から逃避しようとしていた。
 まだ子供の自分に地団駄を踏み、大人でないことに歯噛みをしながら。
『ロジャー、ほら、おみやげだ。いい子にしていたか?』
 大きな父親の手が、銀紙の四角い板を差し出す。父の掌で柔らかくなっていたチョコレートは、とろりと甘くて、ロジャーの口の周りにカカオ色の汚れを残す。母親は眉をしかめハンカチーフでぬぐおうと追いかけて来る。
『そして僕は、ゴシゴシされるのが嫌で、父さまの腕に逃げ込む。父さまは僕を軽々と担ぎ上げ、肩に乗せるんだ』
 少年は矢継ぎ早に夢を見る。
 母を見下ろす自分。父のように広い肩幅の青年になった自分は、母の手を取って街に繰り出す。お洒落な服屋に入り、札束の溢れるサイフから金を取り出し、母は少女のようにはしゃいでドレスを選んで・・・。
 次のシーンでは少年に戻り、手には細身の剣を握っている。チャベルの階段を、母と、見知らぬ男が笑いながら降りて来る。ロジャーは力まかせに男のタキシードの胸に剣を突き刺す。血の飛沫が、母の白いドレスに、華やかに点描を描く。
 夢はいつも・・・悲しげな母の顔で終わる。眉をしかめた、美しい顔で。

< 3 >
 荷物を引きずりながら昇るような、不穏な音が階段の方から聞こえた。セフィラスは居間を飛び出した。
 アイラスが、地下室からの階段を、這いつくばるようにして昇って来ていた。
「セフィラスさん・・・。キノコは、幻覚作用があるものでした・・・」
 息苦しそうにアイラスがやっと言った。吐き気がするのか、手すりにつかまり、片手で口を抑えた。
「フィセルさんとロジャー君を連れ出してあげてください・・・。セフィラスさんも匂いをかがないように・・・」
 そのままアイラスは階段の途中にしゃがみこんだ。
「わかった」と一言告げ、セフィラスは階段の入り口のカンテラを鷲掴みにすると、階段を駆け降りた。
 地下室のドアはアイラスによって開け放されたままだった。セフィラスは呼吸を止めて部屋に入り、薪の束にかけてあった布でキノコの箱を覆った。胞子が飛ぶのを防げるし、匂いも少しはマシになるはずだ。次に床に倒れたロジャーを抱きおこした。そして居間まで運び、長椅子に寝かせた。
「ロジャー!」
 母親は悲鳴を上げる。
「眠っているだけのようだ。もし目を覚ましたら、冷たい飲み物でも与えてやってください」
 セフィラスは、続けてフィセルを連れ出すために階下へ急いだ。
 どんな夢を見たのか、いつも堅い表情のフィセルの、唇が微笑んでいる。目尻に涙がたまっていた。
『起こすのが忍びないな』
 苦笑しつつ、彼の頬に手を触れた。フィセルははっと緑の瞳を開いた。
「気がついたか?」
 フィセルは、急いで額を片手で覆った。セフィラスのカンテラがまぶしかったのか、涙を隠したかったのか。
「肩を貸すぞ」
 何も見なかった振りをしてセフィラスが言った。
「まったく、いい大人二人が、情けない」と、意識して冷たい言葉を吐いた。
 だいぶ足取りのしっかりしたアイラスも、地下室に様子を見に降りて来ていた。
「僕の方はバッドトリップでした。あれが夢でよかったです」と青ざめた顔色で苦笑した。
「そう思えるのは、現実が幸せだからじゃないか?」
 セフィラスに肩を借りたフィセルが、振り向いてアイラスに言った。目尻の涙の跡はもう乾いていた。

< 4 >
 アイラスとフィセルは居間のソファに深く腰掛けた。二人とも船酔い乗客のような蒼白な顔色だった。
 アイラスは母親が用意したコップの水を一気に飲み干した。コップを握った左手には、正気を保つためにつけたのか、釵を押しつけた痣ができていた。
「ロジャー君は、明日にでも病院へ連れて行った方がいいでしょう。彼はキノコと接した期間が長かったし、子供なので、一応検査をした方がいいですよ。まあ、あの種類は体には毒では無いんですけどね」
 ロジャーはぐったりと長椅子に横たわり、大きな鼾をかいていた。母親は静かに頷いた。

『ロジャー!』
 大人の男性が名前を呼ぶ。だが父の声では無かった。
『ロジャー君!』
 複数の声。これは、夢では無く、現実が呼び戻しに来ているのだ。ロジャーは諦めて、少しずつ浮上していく。
 目を開くと、自分は居間にいて、客人達が顔を覗き込んでいた。
「やあ、目を覚ましましたね」
 眼鏡の青年が笑った。金髪の男も、長身の傭兵風の男も、心配そうな顔で自分を見ていた。
「ロジャー君、あのキノコは危険なものです。処分しますが、いいですよね?」
 アイラスの口調は優しかったが、有無を言わさぬ強さがあった。
 ロジャーは納得いかないと言うように、無言で目をそらす。
「美しい夢を見たよ」と、フィセルがぽつりと言った。ロジャーははっと金髪の男を見上げる。セフィラス達も黙ってフィセルの話を待った。
 フィセルはロジャーの目を見ながら続ける、「亡くしたものの夢だった。嬉しかった、ありがとう」と。
「ただ、つらくもあった。所詮夢なのだから。大人の私でも、このつらさを何度も味わえば、心が壊れてしまうだろうと思ったよ」
 大人なのに自分の弱みを隠さぬフィセルを、ロジャーはじっと見つめ、視線を動かさなかった。
「例え壊れてもいい、何度でも夢見たいという誘惑も確かにある。だが、私が夢に侵食されて精神に支障をきたせば、大事な妹を悲しませる。私が夢の世界に逃げれば、妹はこの現実で一人ぼっちになってしまう。
 あのキノコは、処分して貰えないだろうか?私の心は弱い。あれがここにあると思うと、また誘惑に駆られるかもしれん」
 ロジャーは、『現実から逃げるな』とか『母さまも悲しむよ?』という言葉を予想していたのだが。フィセルは一言も説教臭いことを言わなかった。けれど、全部ロジャー本人にも痛く突き刺さって来る言葉だった。
「わかりました。処分してください。・・・ごめんなさい」
 ロジャーはうつむいて、やっとそう言った。

 数日後、ロジャーの検査も無事に済み、三人はマニー家に食事に招かれた。その間に、配送伝票でキノコ会社の住所を確認して、三人でちょっと会社訪問というか、かなり大暴れというかして来た。マトモなキノコも市場に出している会社だった。謝罪にたくさん商品をくれたのでロジャーの母に差し上げたら、それを使って料理を御馳走してくれるという。
「ロジャーの学校の友達も呼んでいます。子供達と一緒の食事で、うるさいかもしれませんが、ごめんなさいね。でも、ロジャーが友達と遊ぶようになったのが嬉しくて、皆さんにもご報告したかったので」
 笑顔の母親に導かれ、三人は食堂のテーブルに付いた。既に、ロジャーとその友人達は席に付いていた。
「キノコの肉詰は、旨味が逃げないので効果的なんですよ」
 髪を結んだ眼鏡の少年が蘊蓄をかましている。金髪の少年が冷たい視線で無視し、一番大きい少年が、うんざりしながらも切れ長の目を細めて聞いてやっていた。ロジャーは三人の友達に嬉しそうに料理をサーブしている。
「あ、こんにちは!フィセルさん達の方も、僕がやります」
 顔色もよくなり、わずかだが陽にも焼けたようだ。遊んでいて転びでもしたのか、腕に絆創膏を貼っていた。
 ロジャーが鍋から白い皿のスープの中に、ころん、ころんと茶色いキノコを落として行く。彼らは嬉しそうに皿の中で泳ぐと、仲良く中央に集まって寄り添った。
 艶やかな笠が、現実の舌の上で感じる幸福を予想させた。

< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト
2017/セフィラス・ユレーン/男性/22/天兵
1378/フィセル・クゥ・レイシズ/男性/22/魔法剣士
NPC
ロジャー
ロジャーの母
ロジャーの友人達

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■         ライター通信          ■
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発注、ありがとうございます。ライターの福娘紅子です。
クールな美形、滅びゆく種族ということで、フィセルさんと似ているセフィラスさんなのですが、今回は、「クールさ」を、俯瞰でものを見ることのできる包容力として表現してみました。
他のお二人より「お兄さん」な感じなのは当然と思いますが、ロジャーの母親にさえも「お兄さん」のように話を聞いてあげられるのは、セフィラスさんだからこそと思っています。
地下室へ降りたお二人の話の方も、お時間があったら覗いてみてください。