<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
【大空での戦い】
「はい、その翼竜は私たちの住処である高台を乗っ取ろうとしているのです」
「驚いた。お空の上にもそういった剣呑な輩がいるのね」
用心棒を求めて黒山羊亭にやってくる者は種を問わない。以前はドラゴンが来たこともある。今エスメラルダが相談に乗っている少女の背には、見目麗しい翼があった。有翼人である。
「奴を退けてくれる戦士様を、紹介してくださいませんか」
「でもねえ、空を飛べないことには……。あなたみたいな翼を持つ者はそうはいないわけだし」
「その点は大丈夫です。一族秘伝のこれを使えば……」
と、少女は持っていたバッグから白い翼を取り出した。
「地上の戦士様に助けを求めるような事態を想定して作られたものです。これを身に着ければ、普通の人間でも空を飛ぶことが出来ます。これを報酬としてもよいと長老はおっしゃいました」
「いい品ね。わかったわ」
エスメラルダは店内の戦士たちに向かって、気風のいい声を上げた。
「今ならもれなく大空の旅がついてくるわよ! さあ、このコを助けてあげて!」
「空の旅ですか〜、良いですよね〜」
穏やかな声の主は、黒山羊亭の常連であるアイラス・サーリアスだ。カウンターの真ん中でワインを飲んでいる。
「その依頼、是非この僕にやらせてくれませんか」
アイラスは席から立つと、有翼人の少女に右手を差し出した。
「ありがとうございます、こちらこそお願いします。……そういえば名乗ってませんでしたね。私はシアルといいます」
シアルは顔を明るくしてアイラスの手を握り返した。
「それと……すみませんが貴女の翼、少し触らせていただけないでしょうか?」
「ええ、いいですよ」
シアルはアイラスに背中を向けた。アイラスはおずおずと白い翼を撫でてみる。
「へえ、気持ちいいや。鳥の羽よりもずっと滑らかでフワフワしてて……こんなものが体の一部なんて羨ましいですね」
「その戦い、私も参加させてもらおうか」
凛とした声に店内が静まった。アイラスはとっさにシアルの翼を触るのを止めて、
「武士……ですね?」
歩み寄ってくる長身の女性の腰の刀に目をやった。
「ああ、私はジュドー・リュヴァイン。生粋の『もののふ』だ」
「もののふ?」
聞きなれない言葉という風に、シアルは首を捻る。
「心技体ともに優れた戦士です。心強いですよ」
アイラスが説明すると、ジュドーは満足げに頷く。
「……じゃあ、このふたりで決まりですかね。早速行きますか」
「いや、私の知り合いも誘おうと思う。ベルファ通りの別の店にいるはずだから、行って声をかけてこよう」
ジュドーが店を出ると、アイラスはカウンターに座り直した。
「翼竜……手強そうですけど、3人いれば何とかなるでしょうか」
「3人よりは4人じゃない?」
エスメラルダがウィンクする。
「私にもひとり、心当たりがいてね。もうすぐ目覚めるはずだから、ジュドーさんが帰ってきても、日が完全に沈むまで待ってくれないかしら」
そうして夕陽が落ちると、黒山羊亭の前に有翼人の一団が現れてベルファ通りの人々は騒然となった。
正確には、背に借り物の翼を身に着けた普通の人間、である。
「最初は扱いが難しいかもしれません。しかし皆さんなら慣れは早いと思います」
ただひとり生粋の有翼人であるシアルは、戦士たちに翼の使用方法を説明した。心で飛べと命じれば飛ぶという簡素な代物らしい。
「竜は範疇外だけど……まぁ、せっかくだからつき合うわ」
エヴァーリーンは少しばかり面倒そうに呟いた。彼女がジュドーの言った知り合いである。
「竜ほどのものと戦えるなど、そうそうないことだぞ。存分に戦わせてもらおうではないか?」
「それにしたって空の上で戦うのは、なかなかきついわよ」
「そうかしら。大空って、とても素敵だわ」
踊り子レピア・浮桜が背の翼を誇らしそうにしてターンをする。
「まさか空の上で踊れる日が来るとは思わなかった。話を持ちかけてくれたエスメラルダに感謝しないとね」
「私たちは戦いに行くんですよ、レピアさん」
「わかってるわ。あたしなりに戦ってみせるから」
「皆さん、よろしいですか? こうしているうちにも翼竜が高台を襲っているかもしれません」
シアルはすでに宙に浮かんでいた。夜空に白い翼が映えている。
「そうですね。急ぎましょうか」
アイラスは眼を閉じると、
――飛べ。
心に伝えた。
下から歓声が上がった。
「うわ、本当に飛んでいる……!」
バランスを取りながら、シアルの隣まで行った。
「お見事です。ほら、やはりあなたたちはセンスがいいんですよ」
ジュドー、エヴァーリーン、レピアもまた、初めての飛行に戸惑ってはいない様子だ。すでにコツを掴んだらしく、シアルより上空に飛んでみせている。
「さあ、私についてきてください!」
ひとりの有翼人と4人の人間は夜に上昇していく。ベルファ通りの通行人たちは彼らが見えなくなるまで頭を上げていた。
黒山羊亭にして軽く500階建て。見下ろしても下界の家明かりはかすかにしか感じられず、荘厳なるエルザード城は豆粒のごとき小ささ。有翼人たちの住処は、エルザードでもっとも天に近い高台だった。
高台に降り立った人間らは感嘆のため息を漏らした。あまりにも高地だと動植物が容易に生存できないのは常識である。だが、ここの地面はどんな力が働いているのか花が咲き誇る草原であり、緑葉をつけた高木亜高木もふんだんに生えている。ところどころに見える木造の家屋は有翼人たちの住居だろう。全体の面積は、エルザード城の敷地で言えば100個分はくだらない。まるで下界から隔離された天界のような、広く美しい場所だった。
「宝石をちりばめたような夜空って、このことね」
レピアが天を仰いだ。
「このような素晴らしい場所では、乗っ取ろうという者が現れても無理はないか」
ジュドーは深呼吸して天界の空気を存分に吸う。
「しかし敵は素早そうですよね。相手に取り付くのは難しそうです」
アイラスは腰から剣を抜いた。それは竜殺しの名が高いドラゴンバスター。以前、とある依頼を解決した際に手に入れたものだ。普段刃物など持たない彼がこの宝剣を引っ張り出したのは、これが「守るための戦い」だと認識しているからだ。
「空で剣を振るう練習でもしておきたいところですが……いつ現れます?」
「奴は、いつも私たちが休もうとする夜に襲ってきます。だからそろそろ来る頃かと」
「……そうですか」
有翼人はシアルを除いてすべて家で寝静まっているらしい。
「今までは寝ずの番で我々の戦士たちが迎撃していましたが、追い返すのがやっと。もう我々は疲れ果て戦うことが出来ません……キャ!」
突如、暴風が吹き荒れた。5人は風上を見据えた。
「あいつだね。言ってる側から来た」
エヴァーリーンが指差す先。金色の塊が星空を割って近づいてくる。
家一戸分ほどの大きさの怪物がついに目の前に現れた。
「金色の翼竜か! ますます珍しい」
ジュドーが腰の刀を抜いた。未知なる敵に表情が楽しそうだ。
「シアルさんは家に避難してください!」
アイラスが風にかき消されないように叫ぶと、シアルはご武運を、と言い残して走り去った。
「まずは、あたしに任せてもらおうかしら」
レピアが前に出た。
「どうする気です。武器も何も――」
ジュドーの懸念は当然だろう。この踊り子は何ひとつ武器らしいものを持っていない。
「大丈夫よ。あたしは回避能力なら誰にも負けない。うまいこと混乱させるから、そこを狙って」
翼を羽ばたかせて地を蹴り、レピアは翼竜へと飛んでいった。
「グオオオ!」
咆哮が大気を振るわせる。邪魔をするなと叫んでいる。
怪物は右前肢を上げた。大剣にも似た爪が、向かうレピアに振り下ろされる。かすっただけで命を掠め取る凶器だ。
――だがそれは、当たればの話である。
「さあ、踊りましょうか!」
それは、大海に翻る人魚のよう。青い髪を泳がせ、豊かな肢体を滑らせる。レピアの踊りが始まった。
頭上からの第一撃は、クルリと体を後転させてかわした。続く左前肢による薙ぎは、肢を軽々と潜り抜けてやり過ごした。
一方的な翼竜の攻撃はそのまま数十続く。
「ギ、グ?」
レピアの舞いに、翼竜はまだ焦点を合わせられずにいた。爪も牙も尻尾による打撃も、ことごとく空振っている。
直撃すれば即死するというのに、恐れることなく紙一重でかわしている。
「当たらないのがそんなに不思議かしら?」
歌うようにレピアは告げる。
別に特別なことではない。いつものように踊りを楽しんでいるだけ。このような神技を成せるのは、レピア・浮桜をおいて他にはない。まさしく天賦の才だ。
「ほら、どうしたのかしら。ついてきてみなさい」
背後に回ったり頭上を旋回したり、大空の踊り子は翼竜を挑発する。
「ガアァー!」
今度は体当たりだ。広範囲を破壊する金色の弾丸。レピアの華奢な体を粉々にせんと超スピードで迫り――
「――ガ?」
彼女の体をすり抜けた。レピアの体は半透明になり、やがて消えた。幻影魔法、ミラーイメージだ。
「ふふ、まんまとはまってくれたわね」
翼竜の進行方向には高台の岩肌がそびえていた。
ドガン!
勢いを抑えられず、衝突した。砂礫がバラバラと下界に落ちた。
「ギャアアアアア!」
間もなく翼竜は悲鳴を上げた。右肩に重さと痛み。
「素晴らしい防御ですね。惚れ惚れして自分の役目を忘れそうになりました」
アイラスがドラゴンバスターを突き刺している。翼竜は苦悶の表情を浮かべた。
「グ……アア!」
左の翼がアイラスを打とうとする。そこへ、
「させるか!」
上昇してきたジュドーが刀を一閃させる。翼に切れ目を入れ、ジュドーは翼竜の左肩に降りた。
「さすがに真っ直ぐ向かっては分が悪い。こうやって正面以外からの攻撃を続けよ――おっと」
翼竜が急上昇した。アイラスとジュドーはたまらず振り払われる。
「いけない、そう簡単に回り込ませてはくれないですね」
アイラスが舌を鳴らす。
と、翼竜は小山のような体を不安定そうに前後左右させた。
「こういう時は、私の出番だね」
エヴァーリーンだ。彼女は翼竜の背後に回って、両の手の平を広げている。
「なるほど、こうやれば素早い動きを封じられますね」
アイラスは夜目を利かせ、巨大な両翼に絡む鋼糸を見た。それは翼全体に広がって、クモに捕まった虫のようだ。
こんな事態に黙っているはずもなく、翼竜は死に物狂いに暴れた。だが、そんなことでエヴァーリーンは糸を離さない。
ドウン!
フルスイングで岩壁に叩きつけられた。肺が軋む。エヴァーリーンは爪が食い込むほど両手を握り締める。離すわけにはいかない。今が絶好の機会なのだ!
「いつつ……! 長くは持たない……。ジュドー、まだ?」
友に向かって叫んだ。
「ありがとう。闘気は充分に溜まった」
安心できる返事だった。
翼竜の頭上、刀を構えたジュドーの体は、ほの明るい光に包まれている。
そして急降下した。しかも、斬撃を見舞おうとする人影はひとつだけではない。
「でやあああああ!」
「はああああああ!」
苦し紛れの鳴き声が上がる。
ジュドーの刀とアイラスのドラゴンバスターが、翼竜の両翼を完全に破壊した。
■エピローグ■
翼竜は壊れた翼で東へと逃げ帰っていった。翼の傷はもはや再起不能のはず。生き延びたにせよあそこまでやられてはもうここを襲おうとはしないだろうと思い、下界の戦士たちは後を追うことはしなかった。
「良い戦いだった。この戦い、忘れんぞ」
とジュドーが言ったのを潮に、4人はシアルのもとへと戻った。
「おお、おお! 我らの地を救ってくださりありがとうございました……!」
シアルが起こしたのか、すべての有翼人たちが戦士たちを出迎えた。先頭に立っている老人は長老らしい。
彼らは何度も感謝の言葉を述べ、両手で握手をし、頭を下げた。
「どうかその翼はお納めください。これくらいでしかお礼が出来ません」
長老が言うと、
「えーと、僕はお返しします。空中散歩は十分楽しめましたし、またこのようなことがあったときに必要でしょうし」
「そうか、次がないとは言い切れないな。……どうしようか。エヴァは?」
「私はもらう。もっと空を楽しみたいから」
「あたしはいらない。それよりもシアルに踊りを見てもらいたいわ。その後は……うふ」
4人はそれぞれに答えた。
近い星々が煌いた。エルザードでは、空の上にも様々な出来事が用意されている。
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【1149/ジュドー・リュヴァイン/女性/19歳/武士(もののふ)】
【2087/エヴァーリーン/女性/19歳/ジェノサイド】
【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】
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■ ライター通信 ■
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担当ライターのsilfluです。ご依頼ありがとうございました。
空の上でのバトルなんて、当然初めてだったんですが、
上手く書けていたでしょうか? 楽しんでいただけたら幸いです。
それではまたお会いしましょう。
from silflu
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