<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


海と風と切なる願い

 きらりと日の光が煌いた。
 水の反射が眩しい。
 今日も聖都に程近い海で座礁し、足止めをくらう事になった海賊船、スリーピング・ドラゴンの乗組員達は、誰もが皆が快活だった。
 スリーピング・ドラゴンは、座礁した際に船体に受けた損傷箇所の修復の為、現在はエルザード港に停泊している海賊船だ。
 船内には、幾つもかの個室や大きな食堂、船長室などが存在し、一般の人間にも広く公開されている為、船の噂をききつけた、ありとあらゆる人々が客としてよくここには訪れていた。
 一応、最奥の宝物庫だけに限り、立ち入り禁止の措置が下されているが、それ以外に関しては出入り自由のせいか、頻繁に様々な人間達がこの船にはやってくる。
 だが、今日はそんな来訪者達も無く、船内は気心の知れた船員仲間のみに限られていた為、至極のんびりとした雰囲気に包まれていた。
 船員達が修理の合間に口笛を吹き、陽気に海の歌をうたう。
 修理道具が船体に打ち付けられる軽快な音が響けば、まるで合唱でもするかのようにして、周囲にいる他の船員が、次々に歌い出す。
 海賊ユリアン一家の面々は皆、陽気な者達ばかりだった。
 しかも船の周囲の海面には、巨大な海獣らしき何かの生物の姿が見え隠れしていた。
 一見しただけで、その大きさと白と黒の外観を見るからに、それがシャチの影らしい事が分かる。
 そんな光景の中で、スリーピング・ドラゴンは、沖合いの海から吹いてくる風の中、船は温かな日差しの中を浴びていた。
 風は滞り無く穏やかな中を、背の青い魚達の群れが、船の周辺を泳ぎ回る。
 そうして、その中の一人で、先程から甲板から釣り糸を垂れて乗組員が、今、眠そうに欠伸をひとつした。
 この船のキャプテンである、海賊一家に生まれた貴公子ユリアン・D・バニラスカイ通称、キャプテン・ユーリは現在ここには姿を見せてはいない。
 ざっと周囲を見まわせども、見えるのは甲板の釣りをしている男を含め、数人の海の男達の姿だけに限られていた。
 その時、釣りをしていた男からは、少し離れた辺りから何人かが叫ぶような声を聞き、その男は顔を上げた。
「……まったく何だよ、騒がしいじゃないか」
 せっかくいい気分でいるのに……そう言って、面倒くさそうな表情で、騒ぎの方へと目をやった男の視界に突如、一人の大柄な男の姿が飛び込んできた。
 非情な凶獣ウォズを殺すが故に生きとし生けるものを、己の全てを賭けて守護する、ヴァンサーの一人、オーマ・シュヴァルツだった。
 オーマは通常の人が数える時よりも遥かに長くを生き、その生の中で、実に様々な能力を得た。
 それはごく単純に敵を殲滅する、そういったものの意味に収まりきらない。
 勿論、強靭な肉体を鍛え上げられた……だが、それ以上に医師として、卓越した技能を磨いた。
 それは気の遠くなる程の、時の流れの中。
 オーマが……いや、その他にも多数が存在するヴァンサー達が、彼等が凶獣を狩る事で、引き換えにするものは計り知れない。
 常に同属殺しの汚名を引きずりながらも、それでも護りたいものがあると、彼等は願う。
「お前さん達、ここから早く離れねぇと、こいつに食われるぜ。いい餌食になりかねぇからよ」
 オーマは眼をぎらつかせながら、周辺の男達にそう言い放った。
 その声には、通常の余裕は何処にも有りはしなかった。
 オーマの声に呼応するかのように、突然、水中から幾筋もの閃光が上空に突き抜けるかのごとくなさまを見せた。
 そうして、それがそのまま天に向かって放たれる。
 それとほぼ同時に、水柱が何本か炸裂するように、高く上がった。
 驚きの表情を隠しきれない船員達の目前で、瞬間的に何か闇色の塊のようなものが、スリーピング・ドラゴンの甲板付近に飛来した。
 飛び散った水泡と共に、低い獣の唸りのような音が響いた。
 その異変に、誰もが何事かと、一斉に身構えた。
「こんな事になるなんてね。困るじゃないか? 僕の船に……」
 そう口にした青年の姿に、船員達はその男の方を振り返った。
「キャプテン!! 」
 突然現れた、一人の青年の姿に一同に動揺が走った。
 巨人族の末裔とも言える、象徴的な長身と黒く大きなつばの広い帽子の、端正な顔立ちのキャプテン・ユーリだった。
 赤いドラゴンで、毎日ユーリのお供としてくっついているたまきちも、今日ばかりはその両の目を光らせて、何時もの可愛らしい様子は、何処にも垣間見る事が出来ない。
 それだけ自らの主人の、切羽詰った心情を、そのままに受け止めている証拠なのだろう。
 そうして、ユーリ本人は、大股で即刻、一番近くにいたつい今しがたまで釣りに興じていた男に近づいていった。
「ど……どうしたんですか?! これは一体……」
「あのオーマの言う通りサ。全員、彼に従うんだ。非情事態だから。さあ、ここから全員離れてくれ、いいな? 」
 ユーリは青ざめた表情で、肩で息をしながら、ゆっくりとそう語った。



 ―思えば事の発端は、たった一体のウォズが現れた事に起因していた……。
 オーマがその問題の凶獣ウォズの存在に気が付いたのは、今から数日前の事だった。
 だが、今回に関してはこれまでとは、まるで勝手が違っていた。
 オーマとユーリはその事に関して後から痛い程に知らされる羽目になるわけだが、話を急いても、今は何の意味も無いだろう。
 まず順序立てて、今回のこの顛末の一部始終を語る必要があるのだから。
 そう、発端は、ウォズは存在そのものを溶け込ませるかのように、無いものとして潜む術を身に付けていた事にあった。
 そもそもの話の発端はそこだった。
 まるで肉眼で捉えられないのだ。
 精神体や、念に近いもので構成された存在だからこそ、とも言えるのかもしれない。
 しかも単にそれだけの話で終らなかった。
 ウォズに対して放った攻撃が、そのまま自らにも撥ねかえってくるというおまけまでついていた。
 空間さえも捻じ曲げてしまえる、そういう力によるものなのか、オーマでさえも、その確たる事情を推察する事が出来ないでいた。
 かくして、そのウォズとの戦闘は極めて凄惨なものになった。
 片やヴァンサーであるオーマと、ウォズは対極に位置する相関関係に位置しながら、元々ある意味の部分では、同属とも称する事の出来る存在でもある。
 その象徴的なものが、両者が保持する『具現能力』であった。
 ―それは全ての脅威であり、忌むべきものでもあり、又、畏怖の象徴でもあり「罪咎」「罪垢」の証でもありしモノ。
 『具現能力』とは精神力をそのまま具現させ操るもので、ウォズの場合はヴァンサーとは異なり、自らを一般的な魔物の姿から自然物、日常的にありふれた物、動物や人間、兵器までと、ありとあらゆるものにその姿形を具現する事が可能だった。
 そんな宿敵である凶獣ウォズとの戦闘の果て、途中半ばでは、最後の留めを刺すべきところまで追い詰めていながらにして、結果的には当のウォズにまんまと逃げられてしまったのだ。
 それを、このオーマは歯噛みをする程に悔しがった。
 しかも当然の如くに、オーマ自身も無傷という事は有り得ない。
 既に肩から胸の辺りを鋭利な刃物で裂かれたかのように抉られ、負傷していた。
 しかもウォズの一戦交えた果てに刻まれた傷は、通常のものとはかなりの部分で意味合いが異なっていた。
 つまりウォズを長年に渡り、屠るという行為を幾度となく繰り返してきた、経験値を積み重ねたヴァンサーであっても、状況を見誤る事は起こり得る、という事だ。
 受けた傷に対して、この程度の痛み……そう全てを適当に言ってしまいたかったが、残念ながらオーマは医師だ。
 他ならぬ自らの事、その現状が極めて芳しくないであろう事も、重々承知の上の事だった。
 だが、そんな激痛にあえて耐えながらも、尚立ち上がる道をオーマは選ばざるを得無かった。
 言わば、医者の不養生とはこういう事を言うのかもしれない。
 要するに、オーマにとっては悠長に構えていられる状況では無かったという事だ。
 それでも、一旦オーマがウォズを封印しかけ、ユーリがオーマの元に駆けつけた時には、既にオーマはその戦闘の果てに、深手を負った後だった。
 転機はその時だったのだ……今改めて思い返すならば。
 今更そんな過ぎ去った過去を蘇らせたとしても、今のこの事態が何らかの好転を見せるわけではない。
 だが、それでもオーマは、その時の自ら不甲斐なさを思い返す度ごとに、何度も顔をしかめて見せた。
 それから、決まったように唇を歪め、忌々しげに舌打ちをする。
 余程、納得のゆかぬものを感じているのだろう。
「すまねぇな……ユーリ」
 オーマは静かに一言だけそう呟いた。
 それは、オーマにとっての精一杯の言葉とも取れる内容だった。
 傍らのユーリは沈黙したまま、オーマに首を振って見せた。
 その時、ユーリが見せたのは、責任を感じる必要などないのだから、という強い意志がこもった表情だった。
 だが、ユーリ自身が幾らそう考えてみた所でも、オーマは自分自身を許す事など到底出来ないらしく、大きく息を吐き出した。
 ユーリの助けもあって、オーマは一旦戦闘を離脱したもの、今度は、駆逐しかかった筈の問題のウォズが、手負いの獣よろしく、暴走を始めてしまった。
 オーマを更に愕然とさせたのは、その後だった。
 そうして、この港に修理の為に停泊中だった、スリーピング・ドラゴンに入り込んでしまったのだ。
 おそらくユーリとオーマの中に元々あった、何らかの心象風景を、ウォズが読み取ったせいに違いない。
 オーマもこの船には、過去に何度も足繁く訪れてたのだから。
 そうでなければ、こんな偶然のような事態が生じようか。
 しかも殊更に今回の件に関しては、状況がもっと悪かった。
 ウォズが、スリーピング・ドラゴンの内部に巣くうかのごとくに、船倉に入り込んでいた。
 眠れる竜の内部には、最早、爆弾のような存在が眠る巣窟と化した。
 言うなれば、ウォズの寝所とも言うべき状況である。
 普通に考えれば、追い詰めたも同然の状況であったろう。
 ―だが……。
 ウォズの具現能力故に、簡単に手出しが出来ぬ状況に陥った。
 事態はまさしく、そのまま膠着状態へと突入していったのだった。



 一言で膠着状態と言っても、ユーリとオーマとて、決して手をこまねいていたわけではなく、既に様々な作を講じたのだ。
 とにかく、考えうる限りの手段を使ったと言ってもいい。
 だが、存在を全て消し去る、ウォズの奇妙な技に加えて、攻撃をしかければ仕掛けるだけ、更なる犠牲が生じた。
 それはつまりオーマとユーリ両者にとっては、負傷する傷が更に増えるだけの結果に繋がってゆくという事だ。
 幸い何度かの攻勢の果てに、ウォズが入り込んだのは、船倉へと繋がる階段付近の小部屋だという事は掴んだものの、無理な真似を仕掛ければ……下手すれば、攻撃でウォズごと船もろともを破壊しかねない。
 何としてもそれだけは避けなければならなかった。
 しかも最悪な事に、既に泥試合にも近い。
 降り出した雨が叩きつけるかのように、二人の上に降り注ぐ。
 スリーピング・ドラゴンの船体が、波の中で僅かに揺れていた。
「嵐が近いね……」
 ユーリは甲板の端で、顔の前で両の手を組むと、祈るようにそう呟いた。
「どうしたらいいんだろう、このままじゃ……」
 既にウォズがスリーピング・ドラゴンに入り込んで5日が経過している。
 幸い船体を壊されるという事にはならなかったが、このままでは何も出来ない。
「でも……確かなのは、僕の船をこれ以上、あいつに好き勝手にさせるわけにはいかないってことだね〜」
 ユーリは灰を溶かしたような、淀んだ空を見つめながらそういった。
 風も先程から強さを増して、二人の服を揺らしていた。
 大気の状態も不安定だ。
 その間も、オーマは沈黙し続けていた。
 もう何も言うべき言葉が見つからぬ、というのが本音だったのだろう。
 ヴァンサーとしての経験の上に基づく策は全て使い尽くした今だからこそ……。
「ねぇ、僕がどうなったとしてもいかなきゃならないだろうな」
 ユーリの言葉に、オーマがはっとしたように顔を上げた。
「……! 」
「冗談だよ〜そんなにびっくりしないでよ〜。そんな覚悟があるなんて嘘だからサ。冗談だって。元々僕はこの通り、一応簡単にのされる程、そんなにやわじゃないからね〜。だから多分、大丈夫だからね〜。ねぇ、やろうよ、オーマ。こんな何時終るとも知れない持久戦はもう出来ない……続けられないからね〜。このままじゃ海は確実に嵐になるから。このまま僕達だって、ここから監視することすら危うくなるだろう? それまでにさ〜時間が無いよ〜」
「……だったら、お前さんじゃなく俺が行くぜ。そいつは俺の役目だろうぜ。元はといえば、俺がウォズのヤツを上手く封じられなかったコトに端を発してんだからよ。こうなった以上はな、刺し違えたとしても、俺がヤツを仕留めてやるぜ、そうでもしなけりゃ気が済まねぇからな」
 オーマの言葉に、ユーリはにっと笑って見せた。
「だからさ〜やめようよ。そんなのはもう。僕達はここ数日で出来ることはもう殆どやり尽くしたじゃないか。オーマがずっとその間、何時だって前向きでどうやったって諦めたりなんかしてないって事も、僕にはよく分かったからさ〜。だからいいんだと思うんだよ〜それにさ、本当は誰も悪くなんか無いんだよ〜そう思わない? 」
「ありがとよ……お前さんのその言葉が俺にはこれ以上ありえねぇ程の救いになってくれるからよ。そうだな……確かに、お前さんの言う通りだと、俺も思うぜ。やるだけの事をやりつくした今、取れる方法をひとつっきゃねぇわけだしな。だが、俺はいいけどよ。肝心のお前さんをそれに巻き込むってのは……なぁ? 」
 オーマの言葉に、ユーリが頷いて見せた。
「ま、ね。……で、この場合だけどね〜巻き込むとかさ、そんなんじゃなくて……今、実際にここで二人でいるわけだし、とにかくそれを有効に……建設的に考えるとだ、何とかウォズを外へ引きずり出すしか無いわけだし、それとも破滅させるか……考えちゃうね〜。だからさ……」
 ユーリは腰に携えた、自分の武具の、身の丈の九割にも達する程の長大なロング・レピアをさすった。
「そうは言ってもよ、ウォズを殺す事は禁忌なんだぜ。そう考えんのなら、俺は尚更お前さんは行かせられねぇな。あいつ等を殺す事は『代償』を負うのが必死だぜ……そいつは俺が受ける」
 オーマは低くそう呟き、首を横に振った。
「そうかな〜それでも、ふたりいればなんとかなるとは思わないかい? 分担だよ、分担。お互いに出来ることをやろうよ。共闘ってのもありだよ〜この際」



 常日頃から、ユーリが左手に装着した義手は、目的に応じてとにかく多種多様だった。
 鉤付き義手の『ロックアップ』に始まり、黄金製の生活用義手『貴婦人』。
 大砲仕込みの義手『カノーネ』や強大な呪力の籠められた、竜の頭を模した形の鉤爪付きガントレット『ドラゴンブロウ』もある。
 だが、今回は利便性を考えても『アンカーボルト』が選ばれた。
 鎖のついた錨を発射する機構を持つものだ。
 船への破壊行為を最小限に留め、尚且つ攻撃能力のある器具としては、充分だった。
「さて、行こうかな〜」
 ユーリは口元に笑いを浮かべながら、スリーピング・ドラゴンの船内へと飛び込んだ。
「こんな方法しかねぇってのが、ほんと情けねぇな」
 そう言いながら、オーマがその後に続く。
「何言ってるんだよ〜? 僕はこれでも今、結構楽しんでるんだけどな〜。分からないのかな〜? 僕は何時だって面白いのが好きさ〜。この船でこんな事になるなんてね〜生きてると何が起こるか分からないものだって、改めて思い知った気分さ。それに、何となくさ……何となくなんだけど、まるで別の異世界に来たみたいな気持ちになってくるんだよね〜」
 二人は一気に弾丸のような早さで、船倉へと続く階段へと滑り込んだ。
 木製の床が激しく軋む音をたて、二人の靴音が乱暴に続いた。
「ウォズの野郎、何がなんでも俺が封じてやる、こんな所に長々と居座りやがったコト、後悔させてやらねぇとな! 」
 階段を降りきった二人はそのまま船内へと駆け込んでいった。



「さ、オーマ始めようか〜」
 ウォズを目の前に見据えながら、ユーリがそう言った。
 そこは海賊船スリーピング・ドラゴン内部の、最下層に程近い、倉庫のような場所だった。
 並べられた樽が、ユーリとオーマの背後に整然と並び、船内がぎしぎしと軋む音が更に酷くなった。
 天候の悪化が著しいのか、船体がぐらりと波に煽られて揺れた。
 その中で、ユーリは足を広げたままで立ち、ウォズをじっと見据えていた。
 ウォズは何かが炎で焦がされたような、炭にも近い色彩の毛並みを持った、獣の姿を見せていた。
 大きさはそう驚く程ではない。
 もっともこれは、長身のユーリとオーマの前での話なので、通常の人間が見る分には、自分より大きく感じられる事だろう。
「これが『凶獣』か……まったくもって、僕は初めてだな。こりゃあ、ちょっと驚くねぇ〜。なぁ、オーマやらないのかい? もう時間は無いんだよ〜? そろそろ本気になろうじゃないか」
 ユーリの言葉に、オーマの肩がぴくりと震えた。
「……僕は平気さ。キミの中にある特別な力の……その具現能力、見せてもらうヨ。いいだろう? そして僕はそれをネタに冒険記でも書くさ〜しかも、これからずっと先にね〜。そういうのも面白いと思うからね〜。言っただろう? 僕は愉快でどうしようもない程面白いのが好きなんだってさ〜。僕は今、それを実践してるわけだねぇ」
 ユーリの冗談めいた言葉に、オーマが思わず苦笑して見せた。
 その間、ウォズは自分の目の前に現れた、ユーリとオーマに対して距離を計るようにして、じりじりと距離を詰めてきていた。
 ウォズがこの5日間、居座っていたこの倉庫は、広さはそう無い。
 少しでも戦闘になれば、船そのものを壊しかねない。
「ユーリ、お前さんには参るぜ、こんな時までそんな冗談を考えつく余裕があるなんざ、全く……叶わねぇな」
 オーマがそう言って、地を蹴ると、いきなり素手でウォズに掴みかかった。
 ウォズは目の前のヴァンサーを起こした予想外の攻撃に仰天したのか、慌てふためく様子で実体を消しかけていった。
 だが、それをオーマの具現能力がことごとく遮断する。
 次々と、船倉の倉庫もろともを具現させ、ウォズに逃げ場を失わせる。
「……具現能力を持って生まれたお前さん達には、同じ具現能力しか通じねぇとはよく言ったモンだぜ。まさしく、だな。悪ぃな、ウォズ、前みたいにな、簡単に消えてもらうわけにはいかねぇからよ」
 ―ウォズ……お前さんには可哀想だがな、ここにはてめぇ等にとっちゃ、生きられる居場所なんてモンは何処にもねぇんだ。……俺はこれまでにな、お前を数えきれねぇ程屠る真似をしてきたが、それでも気分はまるで楽にならねぇ……だが、消える為の、退場の時間だぜ。仕方ねぇだろ? 俺がその引導を渡してやるぜ。
 オーマはそう思い、目の前のユーリに叫んだ。
「やってくれ! ユーリ! 」
 ユーリは口元で微かに笑うと、武器は腰に携えた長く巨大なロング・レピアを振り上げた。
 赤いドラゴンのたまきちが、ロング・レピアの風を切る唸りの音と共鳴するように、低い鳴き声を上げた。
 ユーリがウォズに放った一撃は、その身体を貫通した。
 だが、直後には、瞬間的にウォズの身体から、空間を切り裂くような閃光が走り、ユーリに襲いかかった。
 ユーリの皮膚を切り裂き、ウォズの具現能力『相手の放った攻撃をそのまま具現させる能力』が容赦無く襲いかかる。
 しかもその直後には、予想外な事に、船そのものに激震が走った。
 ウォズの叫びと呼応して、海の波が呼ばれでもしたのか、船倉全体が大きく傾き、ユーリとオーマとウォズは、そのままひっくりかえるように投げ出された。
 それはまるで、ウォズがこの世界を司る全てが互換性を持ってしまったのでは思わせられもしてしまいそうな程の、一瞬だった。
「うわあぁ―――! 」
 ユーリが身体が宙に浮きあがりかけた時、咄嗟に左手の『アンカーボルト』を起動させ、鎖付きの錨を壁に向かって強力な力で放った。
 木製の壁に突き刺さった錨が、ユーリの身体を支える。
 吹っ飛ばされたオーマは、そのままウォズもろともに壁に叩き付けられる格好となった。
「オーマ!! 」
 ユーリがオーマを大声で呼んだ。
 オーマは多少顔をしかめはしたものの、平気だとばかりに、無言のまま首を振って見せた。
 それから、船が更に激しく何度も揺らされた。
 最早、外の波に煽られた、そういう類いの揺れでは無かった。
「海がウォズの思いに引きずられてるのか……こんなこと……。僕達は長く何世代もに渡り、海で生きてきた者なのに。そうして、これからもそれがずっと続いてゆくだろう。それなのに、海と共に生き、誰よりもそれに誇りを抱いた者にも刃をむくのか……」
 ユーリが愕然としたように、そう呟いた。
「このままじゃ、全部破壊されてしまう……スリーピング・ドラゴンだけじゃない……何もかもを」
 更に続けざまに、ユーリがまるでうわ言のように、そう言った。
 ユーリの見せた異変に気が付いたオーマが、腕を伸ばして、何とかその身体を止め様と試みた。
 だが、ユーリはその腕を振り払った。
「いいんだ、オーマ……。僕がやる……から。僕がやらなきゃいけないと思うからサ」
「やめろ! ユーリ!! 」
 オーマのその声は、絶叫に近かった。
「僕は、海に育てられた、だから護らなければ……ならないんだ。この海が侵されてゆけば、何もかもが変えられてしまう。ここに生きるもの全てが……だから、その狂いかけた歯車を戻すんだ。僕の手で……全てを生み出してきた、この本当に大切な大切なものを。海は僕のこの声をきいてくれると、そう信じられるから。何時もどんな時にも、ずっと側にあったからね……この僕の」
 ユーリは次第に、何か自分の頭の中にあったものが、全て掻き消えてゆくかのような感覚を味わっていた。
 ―護るんだ……僕の半身を。
 ただ、その思いに導かれるかのようにして、ユーリがウォズに近づいて行く。
 オーマは既に、全身に負っていた傷を顧みず、ユーリに駆け寄ろうとした。
 ウォズを関わり合うことで、必然ともなる熾烈な痛みを知っていたからこそ……。
「な……なんてこった……ウォズのヤツが消されかけているじゃねぇか」
 自分の目の前で起こった現実を、確かに目にしながら、オーマは呆然としたまま、そう言った。
 ウォズを殺すという事……それは、禁忌の行為の代償を甘んじて受けるという事だ。
 それは身体機能の一部を傷つけられる、という事に留まらない。
 ある時は、凶獣は人の心、特に闇の部分にある深層心理さえも抉られ喰われもする。
 そうして、時にはそれが引き金となり『力』が暴走をして大きな爪痕を己自身、周囲、そしてその者が護るべき者にも残す事すらも存在した。
 それは勿論、凶獣そのものを完全な形で屠らずとも起こりうる話なのだ。
 オーマはそれを、他の誰よりも熟知していた。
 ―いけねぇ……ユーリ、お前さんは『それ』を知るべきじゃねぇんだ。あんな思いは俺だけでもう充分だからよ。だからこそ、俺は自分以外の『何か』を護るべき意味を知ったんだぜ。
 オーマは何か身体中を揺さぶるような感覚が、全身を突き抜けてゆくのを感じていた。
 大切な、何かを護りたいという、切なる願い。
 それはどんなに手が届かないものであったとしても、抱き続ける感情。
 ユーリが幼き日から、ずっと傍らにあったものを、その手で護りたいと願う思いは、オーマにはただ痛かった。
 代償は大きすぎるのだから。
 それでも立ち上がらなければ、動かなければ何も変わらないと知ったユーリの姿に、オーマは自らの、過去の自分の姿を重ね合わせていた。
 そうして、オーマの体内の力が凝縮されてゆく。
 オーマの身体はそのまま、翼を生やした巨大な銀色の獅子に変貌していった。
 全てを自らの身に引き寄せる為、ユーリを痛みから守護する為に。
 銀の獅子へと姿を変えたオーマは、最早、ソーンにあるどんな巨大な建造物の大きさにも負ける事が無い程に大きくなっていた。
 その言葉は決して、過言などではなく……。
 ただ、それが狭いこの船倉で不可能を可能に変えさせたのは、今回のウォズが強力なまでの具現能力を保持していたせいでもあった。
 既にこのユーリとオーマが立つスリーピング・ドラゴンそのものが、具現能力によって形作られた影のようなものに摩り替わっていたからだ。
 言わば、船ごとの具現。
 そのきっかけは、オーマが素手でウォズに掴みかかった時から、始まっていた。
 それは、今日に限って言えば、オーマ自身の念とも言うべきものが、ウォズの中にあったものを上回り、支配すらしていたせいだ。
 その事が、オーマの中にあった感情が、どれほどに強いのかを暗示していたも同然だった。
 念の部分では、オーマがウォズをある部分では、既に喰っていたとも言っても差し支えが無いのかもしれない。
 それ故に可能となった、巨大な獅子への変化だった。
 ―封じるのは、俺でいい。もう代わろうぜ。
 オーマは強い思いのまま、ただウォズを屠る事を奇跡的に成し遂げかけた、ユーリにそう実体無き『声』を送った。
 ―ああ、僕も無理しすぎたみたいだ。
 ユーリの声がオーマの元へと、瞬時に撥ねかえってきた。
 ―まったくお前さん、無理しすぎだぜ。本当に言葉通りだよな。残りは全部引き受けるからよ……この俺がな。
 銀の獅子がウォズに放った強力に押し込めるような念が、次第に凶獣の輪郭を曖昧にしてゆく。
「これが……『封印』……」
 ユーリは目の前の光景を目を細めて、眺めていた。
 完全に空気の中に溶けたように、凶獣ウォズの姿が喪失するのを見届けてから、ユーリが再び口を開いた。
「やっぱりオーマじゃなきゃ、無理だったんだね〜。その具現能力、しかと見届けさせてもらったよ〜。や〜僕の勝手な目的は果たされたわけだねぇ。これで僕のヴァンサー冒険記にも近づいたわけだな。それにしても、こうもスリーピング・ドラゴンが巨大化するとはね〜。船倉だけでもこれだけ広ければ、航海する時にでも、何人でも乗れそうだねぇ」
 その言葉に、獅子と化したままのオーマがゆっくりと顔を傾けて、ユーリを見下ろした。
「何〜? オーマ、なんか言いたそうな顔だねぇ」
 ―何でもねぇさ。つーか、こんなでかい図体の船のままじゃ、航海に出た瞬間に、間違い無く沈むぜ?ま、ろくなコトにならねぇのは、確かだろうぜ。
 オーマのその『声』がユーリの元へ届けられた直後、一頭の銀の艶のある毛並みを有した獅子は、みるみるその姿を元のオーマのそれへと変えていった。
 それと同時に、具現能力で生み出された、強大な船倉の空間も、全てが跡形も無く消えてゆく。
「終わったねぇ〜」
 のんびりとしたユーリの言葉に、完全に人の姿に戻ったオーマは、頷いて見せた。
 だが、その直後、まるで力を失ったように床に両膝をついたオーマは、そのまま口元を押さえ、前のめりに倒れていった。
 その唇からは鮮血が溢れ出していた。
「オーマ!! 」
「……気にすんな。珍しいコトじゃねぇからよ。……ま、今回はちっとばかり、無理矢理しちまった部分があったからよ……言っただろ? ヤツらを屠るにゃ、代償が付き纏うのさ……じき治る……死んでねぇし。……それから、すまねぇ。多分抑えたから全体には被害はそれほどじゃない筈なんだが、この部屋の壁くらいは使いモンにならねぇと思う……ヤツを外へ出すつもりだったが、その余裕も無かったからよ」
 そこまで途切れがちな言葉を吐いて、オーマはそのままがっくりと崩れ落ちていった。
 そうして、船倉の壁が腐ったように次々に崩れていった。
 ユーリはその光景に驚き、絶句した。



 かくして、ユーリとオーマの二人どころか、下手すればこのソーンの世界すらも揺るがしかねない、危険性を秘めていたウォズは完全に封じられた。
 ヴァンサーにとって、封印を繰り返せば繰り返すだけ、その宿命に近いものを負う。
 それは、具現能力者としての絶対の宿命だった。
 オーマ自身が口にした通り、今回の一件では、過剰なまでに全てを自らの内に閉じ込めた事で、一人のヴァンサーの男の身体には、それから暫く到底元通りとは言い難い状況が続いた。
 あの無茶な状況を考えれば、それもある意味当然と言えた訳だが……。
 しかもあの倒れた後、オーマは意識不明にまで陥っていたのだ。
 その上、数日後にようやく意識を取り戻したもの、一時的に視力を失ってしまっていた。
 元々重度の傷を負っていたところへ、更に無理をしてしまった事もあったのかもしれない。
 それ程に、オーマは何もかもを削り取られるような代償を負っていた。
 そんな失明したオーマに、責任を感じたユーリが、あの戦闘の一件以来、オーマをスリーピング・ドラゴンの一室で回復するまで静養させる事に決めた。
 誰かの犠牲に……庇う事で、全てを受け止めて生きる、一人の男の内面に触れ、ユーリが自分からそうしたいと願っていた部分も大きかったのだろう。
 そういう事情があって、今もオーマはこの海賊船で留まり続けている。
 そうして、あれから既に二週間近くの日々が流れていた。
 もう体調は充分に回復しているので、これ以上自分が世話になる訳にはいかぬという、オーマの申し出を蹴って、ユーリはまだオーマにもう少しこの船で養生するようにと、あくまで強気な姿勢を貫いていた。
 そうして、日に何度か、ユーリがオーマの顔を見に、船室にやってくる。
 そんな日々だった。
「……お前さんは、海を護ったんだよな。すげぇと思ったぜ。普通はあそこまで出来ねぇと思うからよ」
 オーマの言葉に、ユーリが笑った。
「まぁ、僕は海賊だからねぇ〜。早い話、海が無かったら困るんだよね〜」
 ユーリの言葉に、オーマも笑って見せた。
「そういや、あの壁、やっぱ使いモンにならなかったって聞いたけどよ。悪かったな」
 急に思い出したようにそう言ったオーマに、ユーリが軽い調子で答えてきた。
「ああ、あれのことか〜い? いいって、いいって気にしないでよ。今直させてるからね〜。ここって、元々修理中の船だから〜多少今更、その工程が増えたところで、そんなに変わらないもんだよ〜」
 そうして、海賊船スリーピング・ドラゴンの時間は、明るい船員達の声と、温かな日差しに包まれながら、今日もただ穏やかに流れていった……。


 おわり




【ライター通信】
こんにちは、桔京双葉です。
何時もお世話になっております。
今回は特にお任せして書かせて頂けるとの事で、
素敵な機会をお与え下さり、本当にありがとうございました。
何時も書かせて頂いる時と同様、とても楽しくて途中で止まらなくなって
しまいました。
本当に本当にありがとうございました。