<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


危険な結婚式

 変わった色の髪、上背のある細身のからだ。日頃の所作はゆっくりとしてはいるが、見るものが見ればそこには意外と隙がないことがわかるはずだ。口数はそう多くなく、普段あまり無駄な会話を交わさないその様子は寡黙といっても構わないだろう。かたちのいい眉の下で、まっすぐな睫毛にいろどられた双眸はいつもどこを見ているものか、ここにはない何かを探しているのではないか……普段彼と交流を持たない者は皆、かの者の顔を見るとそんなことを考える。
 ――葵(あおい)は黙っていればちょっと謎めいた感じのする青年である。
 しかし葵と多少なりとも親しい者は、彼について尋ねられれば口をそろえてこう答える。
「葵さんの目が何を探しているかって……!? あの人がぺんぎん以外のものをわざわざ探すと思いますか?」
 思いますか、といわれても。



「僕ねえ、そろそろ」
 思えばそもそものはじまりは、夕飯の席で、めずらしく葵が自分から話題を振ったことがきっかけだった。
「塵さんと結婚式をやりたいと思うんだ」
 がたんっ。刀伯・塵の着物の袖が醤油さしを倒し、住人たちの間から非難まじりの悲鳴があがった。あわてておかずの皿を脇へよけ、塵はちゃぶ台の上にこぼれて広がった醤油を拭く。その面は常には見られないほど真っ青である。
「な、なんてことを……っ」
 醤油で茶色く染まったふきんを持つ手が動揺のあまりぶるぶると震えている。そんな塵の様子を不思議そうに首をかしげて眺め、葵はごちそうさまでした、とていねいに手を合わせた。あまり口を開かず黙々と食べる葵は、そのぶん食べ終わるのも早い。
「そんなにびっくりしなくてもいいじゃないか」
「これが驚かずにいられるか! なんだその悪夢のような冗談は」
「冗談? 違うよ、僕真剣だよ。むしろ今すぐ挙式でも遅すぎるくらいだと思うよ僕は」
 葵の落とした二発目の爆弾発言を受けて食卓がどよどよっとざわめく。聞き捨てならない科白を耳にした住人たちの心は、今まさにひとつになっていた。つまり、
「……ふたりはいつの間にそんな関係に!?」
「どんな関係もない!」
 手の中の箸をばきりと握りつぶし、塵はひとつになった住人らの魂の叫びを一刀のもとに切り捨てた。
 「むきになる所が怪しい」とひそひそ話をはじめた店子たちは放っておくことにして、塵は折れ曲がった箸で残りのおかずをかっこむ。だん! と茶碗を勢いよく卓の上に叩きつけ葵をにらみつけても、緑色の髪の青年は、家主がなぜそんなに怖い顔をしているかわからないといった風情だ。
「……そんなに嫌? 結婚式」
「あのなあ……そもそもなんで俺がお前と一緒に結婚式なんかやらなくちゃならないんだよ」
「だって塵さんはこの家の家主だし」
「お前は軒先を借りるたびにそこの家主と式を挙げるのか!?」
「それに式もしないままなんて、ぺんぎんさん達がかわいそうだよ」
「だからって……ぺんぎん?」
 眉を寄せて振り返るとそこには、温泉ぺんぎんの夫婦がごはんの真っ最中であった。小皿に分けた新鮮な小魚をくちばしでつまみ上げ、伴侶の口の中へ、口うつしでそれを放り込む。『はい、あーん』『ぱくっ』の構図である。
 見ていてはずかしいほどの熱々夫婦であった。
「……なぜそこにぺんぎんが出てくるんだ」
「だって主役はぺんぎんさん達だもの。奥さんいたんだったら、ちゃんと結婚式しないと」
 新郎と新婦、と、葵は二羽のぺんぎんをそれぞれ指さしてこたえる。どういうわけか葵には、すでに彼等夫婦の区別がきちんとついているものらしい。どう見分けているのか、塵は聞きたいような聞きたくないような。
「つまり」
 頭の中で、塵はそもそもの発端となった葵のひとことを思い出してみた。

『僕ねえ・そろそろ・塵さんと・結婚式を・やりたいと思うんだ』
 はい、リピートアフタミー。
『僕ねえ・そろそろ・塵さんと・(僕で)・(ぺんぎんさんたちの)・結婚式を・やりたいと思うんだ』

「……まぎらわしい言い方をするな! 他の奴らが恐ろしい誤解をするだろうが!」
 どういう言い方をしようが、僕と塵さんが結婚するわけないじゃない、とは、のちになっての葵の弁である。



 まさか自分が、紋付袴など着るはめになるとは思わなかった。いや、娘や息子を持つ身である以上、いずれは着ることになるのだろうと漠然と予感はしていたのだが、塵にとって子供たちはあくまでちいさな子供。まだまだ先の話だろうと思っていたのである。
「う……うう……」
 隣から聞こえてきた唸り声を塵はあえて無視する。
 是非花嫁にはブーケとウェディングドレスをという葵の主張は、家にあまりに不似合いだからという理由と、ドレスを縫える人がいないというごく現実的な要因で却下となった。
 ……家の住人全員たちであやふやな知識を持ち寄っての、少々いいかげんな神前結婚式である。
 庭のどまんなかに設置されている、みんなで適当な木を切り出してつくった即席の神棚は、知識のあるものから見れば相当めちゃくちゃなものだろう。正式な結婚式を仕切れるような知識の持ち主が見当たらなかったのだから仕方ない。
「ほら、葵。ちゃんと見てろ」
「うっ、ひっ。ひっく」
 塵たちの目の前、神前から下げたお神酒を、巫女に扮した住人のひとりが提子に注ぐ。三献の儀、いわゆる三々九度だ。
 あやうい手つきで三回に分けて注がれた酒盃を、新郎がそのフリッパーで器用に持ち上げた。
 教わったとおりに丁寧に、三口ですべてくいーっと飲み干す。
「意外とちゃんとできるもんだな」
「ふ……ふええ」
「……少し静かにできないのかお前は」
 そもそもお前が式を挙げたいと言い出したんだと、塵は非難の目つきで傍らの青年を見た。
 えぐえぐと嗚咽をもらしつつ、それでも式の進行は妨げまいと号泣することだけはこらえていた葵は、涙で光る顔を家主のほうに向けた。普段はあまり感情の動かない白皙が、こんなときに限って無駄にきらきらしい。
「塵さんは……なんとも思わないッ……? 結婚式なのに」
「式挙げて何か変わるわけでもないだろうが。別の家に住むわけでもなし」
「でも普通こういう場面じゃ、新郎の父は涙したりするもんじゃないか……っ」
「誰が新郎の父だ。大体だな……」
 現状を思い出してか、おさえた声にはあきれとあきらめがわずかに混じる。
「……俺はこの状況で泣けるお前を尊敬するよ」
 先ほどから塵のくるぶしを、式に退屈しているらしい白い鰐の尾がびたんびたんとしきりに叩いている。
 背中にはぬるぬるした天使がおんぶお化けよろしくひっついており、こんなときでなければ無理やりにでも引きはがしてどこかにポイ捨てしているほどの鬱陶しさだ。
 新郎新婦のうしろでは、大きな亀がのろのろと参列者の席のほうへ歩いていた。式がはじまってから、まだわずか数歩しか動いていない。遅刻してきたにしても、なんというのろさだろうか。
 その参列者席では、新郎側の席、新婦側の席、両方の最前列にずらりと並ぶ四十九名の透けてる精鋭部隊。
 快晴のはずの空を飛びまわるのは例のイン……の幽霊。
 家の庭での挙式ということで、ぶら下がれるところのない女幽霊は欠席であるが、それ以外の怪生物はほぼ皆この場に集まっていた。
 あやしい。
 はっきり言って、ご近所の誰かが見たらすぐさま引っ越したくなるほどの怪しさである。
「こんな落ち着きがなくてしかも怪しい結婚式ははじめてだ……せめてどこかの式場を借りるべきだった」
「うえっ、な、何言ってんの塵さん……ぺんぎんさんの結婚式に、式場貸してくれるとこがあるわけないじゃない……ッ」
「お前ってなんでそういうとこだけ変に現実的なんだよ」
 小声でのやりとりに構わず、続いて新婦が杯を飲み干すと、隣からの嗚咽がさらに高くなった。参列者は知り合いばかりとはいえ、隣席の愁嘆ぶりはさすがに友人として恥じ入るしかない。
「とりあえず」
 このいたたまれない気持ちから逃れられるならなんでもしようという気持ちで、塵は袂から紅白饅頭を取り出した。
「これでも食え」
「……これ僕が作った奴だと思うんだけど」
「いいから食え。めでたい席でいつまでも辛気臭い顔してるんじゃない」
「塵さんって実は僕より結婚式に乗り気だよね。さすが花婿の父」
「…………ッ」
 何故こう一言多いのか。一瞬よほど怒鳴りつけてやろうかと思ったが、まぐまぐと饅頭を食み出した葵を見てなんとか抑えた。食べながら泣くのは難しいので、とりあえず涙は引っ込んでいるようだ。いかんいかん。年長者が熱くなってどうするのだ。余裕だ余裕。大人の余裕。
 己に言い聞かせている時点で勝ち負けでいえば「負け」であることに塵は気づいていない。
「そういえば」
「ん?」
「このお饅頭、みんなに配った?」
「ああ、配ったと思うぞ。大体お前、わざわざ参列者の数を数えて作ってただろう」
「でも、さっき台所見たら余ってたよ。誰のぶんだろう」
「誰だっていいだろう別に」
「でも、こういうのは縁起ものだから」
 妙なところでこだわる男である。口をもごもごと動かしながら、葵はうーんと考えこんだ。喉を鳴らして飲み下し、不意に思い当たることでもあったのかぽんと両の手を叩く。
「わかった」
「あ?」
「あれだ」
 天を指したその先を目で追うと、そこには、エイのような形をした例の。
 イン……の幽霊、が、こちらにゆらりと向きを変えた。
「え」
 複眼めいた目に映るのは葵の手にした紅白饅頭。獲物の狙いをさだめる猫のように、エイもどきの幽霊はくいくいと尾を振った。まさか、と塵は嫌な予感を感じる。あれに似た仕草をずいぶん前に見た気がする。あれは、あれは、確か。
 まだ塵が中つ国にいたころで。
 イン……がふいに高度を落とした。遠近法に従って米粒のようだったその姿が、近づいてくるに従ってぐんぐんと大きくなる。上空から獲物をさらおうとするもずさながらの急降下だった。いかん。昔のならいで腰に手が伸び、はっとする。刀はそこにはない。
 徐々に近づいてくる参列者の間から悲鳴があがる。
 重力そのままに突っ込んでくる。狙いは塵と、葵のいる席。とっさに身を伏せようとして、葵がまだぼけーっと座っているのに気がついた。急いで引き倒すと、頭上すれすれを幽霊の姿が通り過ぎていった。あとすこし遅れていたらどんなことになったかと、塵は半ば本気で友人をどなりつける。
「なんでお前はよけないんだよ!?」
「え、だって」
 葵は相変わらず紅白饅頭をもぐもぐと食べながら、平然と塵に対していらえる。
「あれ幽霊さんなんだから、別にぶつかっても平気じゃない」
「…………」
 賛成ー、とばかりに、やっぱり逃げなかったぺんぎんたちが、ぺちぺちと両の羽を叩いている。
「ぺんぎんさんたちもそう思うだろ? ねーっ」
「「クエ」」
「………………」
 頭痛をなだめるように、塵はこめかみの凝りを指先でもみほぐす。
 地上の者たちの頭すれすれを行き過ぎた例のアレの幽霊が向かったのがどこであるか、塵だけはなんとなくわかるような気がしていた。なんというか、食い意地の張った幽霊もあったものだ。

 台所にあったあまりものの紅白饅頭は、葵が見に行くと、いつのまにかなくなっていたという。