<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


ソーン避暑計画


------<オープニング>--------------------------------------

「暑い……」

 茹だるような暑さの中、エスメラルダがぐったりとカウンターに突っ伏す。
「エスメラルダ……あんまり……」
 ジークフリートが隣でエスメラルダに声をかけるが、エスメラルダは聞く耳を持たない。
「見てくれが良くなくても、暑いものは暑いの」
 こういう時はどっかに涼みに行くべきよね、とエスメラルダが溜息を吐くと、そのカウンターの下から冥夜がひょっこりと顔を出した。
「そうだよねー、やっぱ避暑だよね」
「って……あんたは!何処から出てくるのよ」
 んー?と宙を見上げた冥夜は、そこから、とカウンターの下を指さした。
「あたしの聞いてるのは………怒鳴ると暑くなるだけだわ、やめたやめた」
「そうそう。もうここ最近暑いよねー。そこで冥夜ちゃん考えました!皆で一緒に涼みに行こうツアー!」
「……はぁ?」
 エスメラルダが怠そうに冥夜に尋ねる。
「それがね、アタシ間違って湖にある生物落としちゃって……それを拾いに行かなきゃならないんだけど、ちょっと一人は淋しいかなぁって。そこで、皆さんお連れしようかと思ってるんだけどどうかな?」
「そこは涼しいの?」
「もっちろん!ね、行かない?」
「そうねぇ……」
 涼しいのならば、湖に落ちた生物回収だけだということだし行っても良いかもしれないとエスメラルダは思う。
 うーん、と暫く考えるそぶりを見せていたエスメラルダだったが頷いた。
「分かったわ。それじゃ人を集めましょ」
 エスメラルダは、暑い、と言いながらも黒山羊亭に集まっている人物達に声をかけた。


------<避暑計画>--------------------------------------

「湖ってお魚、いるかな…」
 エスメラルダの言葉にそう呟いたリラ・サファトを隣に座る藤野羽月はそっと見つめる。
 リラは海や湖など水とは縁遠い場所で暮らしていた事もあり、その手の話に敏感だった。
 湖はボートがあるという話を聞いていた。
 ゆったりとした時間を過ごしながら、羽月と一緒にそれに乗ってみるのも悪くないかもしれない、とリラは思う。
 いいなぁ、と思っていると羽月がリラに声をかけた。
「魚は…澄んだ綺麗な湖であればいるとは思うが行ってみない事にはな。避暑か…涼しいと言うことだし、家から少し離れて出かけるか」
「羽月さんと一緒に?」
 あぁ、と羽月が頷くとリラが瞳を輝かせる。
 それはリラにとって嬉しい申し出だった。
「一緒にお出かけですね。ボートもあるでしょうか。お花もたくさん咲いてると良いな」
 リラの心は既に湖へと飛んでしまっているようだ。
「楽しみだな」
 その言葉にリラは嬉しそうに頷いて、目の前のデザートを口に運んだ。


------<湖へ>--------------------------------------

 恋人である羽月と一緒に出かけられるという事と、湖を見る事が出来るという事が楽しみで仕方なく、リラは布団に入ってからもなかなか寝付けなかった。
 巡らせる想像は留まる事を知らず。
 水辺に咲く花々、光に輝く水面。そして澄んだ湖に浮かんだボート。
 羽月と一緒にいられるだけでいつも楽しかったが、そういった場所でのんびり過ごすことは普段よりもとても素敵な事に思えた。
 いつも仕事で忙しい羽月が、ゆったりとした心安らげるような時間を過ごす事が出来ればいいと思う。
 頭の中で思いめぐらす想像はゆっくりとリラを夢の世界へと引きずり込む。
 ふわりふわりと柔らかな夢の中へとリラは旅立った。


 皆が湖の畔に着いた時にはもうすぐ昼になろうかという時刻だった。
「先に昼食にしましょうか」
 そう言ったジークフリートの言葉に、皆が頷いた。
 広げられたシートの上には、色とりどりのおかずが詰められた重箱が並べられる。
「ネェ……ジークこれいつ作ったの?」
 冥夜が勢いよくとったおかずを平らげながら尋ねた。
「そうですねぇ、早朝からですかね」
「……マメなんですね」
 ほうっ、とリラが感嘆の溜息を漏らす。
「たまたま目が早く覚めてしまっただけで………」
「へぇ、たまたま早くねぇ。これって前日から仕込んでおかないと無理じゃないのかい?」
 エスメラルダの言葉にジークフリートはにっこりと微笑み無言で黙るように告げた。
 それに気づいたエスメラルダはそれ以上何も言わず、もくもくと食べ始める。
 その気まずい雰囲気を壊したのは、もぐもぐと口を動かしつつ告げる冥夜だ。
「そうそう。あのね、この湖に落としちゃった子はいたずらっ子だから気をつけてね。それと多分、水の中じゃ捕まえられないと思うから……出てきたところを捕まえちゃってね」
「分かりました。黒兎さんですね」
 ぐっ、と小さく拳を握ったリラの様子に羽月は小さな笑みを浮かべる。何事にも一生懸命なその姿が愛おしい。
「悪戯とは具体的にどのようなことをするのだろうか?」
「えっとねー、水の中に引きずり込んだり本当に色々。本当は海に住んでる子なんだけどね、本来のお仕事は悪戯する事でもなくて道案内人をしているんだー」
「……道案内?」
 きょとん、と首を傾げるリラ。
「そ。海の中にある宮殿へのねー。お茶会とか色々してるみたいだよ」
「海の中に宮殿?……それって……私も行けるでしょうか」
 期待に満ちた瞳で冥夜を見るリラに冥夜は微笑む。
「そだね。捕まえたらその子に頼んでみるといいよ。リラみたいに可愛い子だったらきっとオーケーしてくれるんじゃないかな。なんとかーってお偉いさんを通さないと駄目みたいなんだけど」
「でも……海の中って空気はあるのでしょうか」
 溺れてしまいます、とリラは複雑そうな表情を浮かべる。
 そんなリラの肩をポンポン、と叩く羽月。
「リラさん、まずは捕まえてから…」
「うん」
 羽月の言葉にニッコリと微笑んで、リラは黄色い卵焼きを口の中に運んだ。


 それからは各自それぞれに湖付近で涼む事になった。
 そしてその影にあるのは悪戯をしようと現れた黒兎捕獲大作戦である。
 出来るだけ楽しそうに、そしてまったりと過ごしていれば黒兎が寄ってくる確率も高いだろうとはエスメラルダの案。
 確かに楽しげな声に惹かれてやってくることはあるかもしれない、とリラは思う。
 リラは羽月と共に真っ先に湖へと向かう。
 水のある風景とはそれだけで何処か涼しげで気持ちの良いものだ。
「お魚、いるかな……」
 まるでリラの声に反応したかのように虹色の魚が水面から跳ね、光に輝く。
「わぁ……綺麗……」
 リラは小さく感嘆の声を上げその光景を見つめる。
 次の瞬間、その魚を追うように手を伸ばし飛び出てきたのは、本来ならば水の中に生息するはずのない黒い兎だった。
 それは冥夜が落としたという黒兎に間違いないだろう。
「あれは……」
 リラの隣に立つ羽月が呟くとその声が聞こえたのか、空中で魚をしっかりと手にした黒兎が羽月とリラを見て空中で固まる。
 そしてその、ぴたり、と止まった姿のまま湖の中へと落ちた。
 盛大に上がった水しぶきが二人を襲う。
 陽の光に輝く水滴がキラキラと二人の上に降り注いだ。
「大丈夫か?リラさん」
「はい。大丈夫です」
 そしてそのまま何が面白かったのかクスクスと笑い出したリラに羽月は首を傾げる。
「さっきの黒兎さん……目を大きくして固まってしまってました。そんなにビックリしたのかな」
「さぁ、どうだろうな……とりあえず居るのは分かった事だし」
 誘き寄せるためにも、と羽月はリラの手を引いて湖畔を歩き始める。
 羽月の掌の温もりはリラの冷たい掌を温める。しかしそれは夏の暑さの中でも心地よかった。
 吹き抜ける風がリラの髪を揺らし、宙に舞わす。
 軽く手で押さえながら、リラは羽月に尋ねた。
「羽月さん、あの白い花は?」
 リラの知らない花が日が差し込んだ場所に群生していた。
 しかし羽月には見知った花のようで、近寄っていきながらリラにその花の説明をする。
「あれは鷺草といって湿地帯に咲く花だな。花の形が鷺の飛ぶ姿に似ている事から名付けられた」
 近づき目の前にしてみると本当に鳥が飛んでいるように見えてリラは嬉しそうにそれを見る。
 花の先の部分が細い糸のように切れており、それが余計に本物の翼のように見える。
「綺麗……いいな……」
 ぐるりと当たりを見渡して、リラは微笑んだ。
 羽月はしゃがみ込み、鷺草を長い茎の下の方から摘み始める。
「……羽月さん?」
 突然何をし始めたのかと思ったリラが小首を傾げ尋ねると、羽月は言う。
「リラさんに花冠でも…と思ってな」
「鷺草の?」
 羽月が頷いてやるとリラは頬を綻ばせる。
「私も……」
 ニッコリと微笑んでリラも鷺草を摘み始めた。
 一本、二本、と数えながら楽しそうに。
 二人が鷺草の花冠作りに精を出していると、かさり、と背後で音がする。
 リラがその音に気づき、くるり、と振り返った。
 するとそこには黒兎の姿が。
「あら?黒兎さん……どうしたのかな?」
 きょとん、とした表情で見つめられ黒兎は逃げる事も忘れその場に固まる。
 リラが黒兎に近づくが黒兎は逃げない。
「お腹空いた?」
 がさごそと自分のポケットを探っていたリラはビスケットを見つけそれを黒兎に差し出す。
「どうぞ」
 黒兎はリラの手からビスケットを素早く奪うとかりかりと歯を立ててて食べ始めた。
「リラ?………!」
 不思議に思って近づいた羽月が見つけたのは一生懸命にビスケットを頬張っている黒兎だった。
 羽月はそのまま、ひょい、と兎の耳を掴み捕獲する。
「あっ!…駄目です、羽月さん」
 リラはそう言って羽月から兎をそっと受け取る。片方の手で背中から前足をまわすように持ち、もう片方の手でおしりを包むように持ちあげてから、自分の身体に密着させるように兎を抱く。
「兎さんの耳はデリケートなんですよ。こうやってもってあげると安心するそうです」
「それはすまないことをした」
 羽月は、ポロリ、とビスケットを落としたまま硬直している黒兎に謝罪する。
「これで捕獲の方は終了のようだが。冥夜さんに渡してから先ほどの続きをしようか」
 そう提案するとリラは頷き、ふわふわの兎の毛を撫でながら冥夜の元へと向かった。

「あっりがとーうっ!大変じゃなかった?」
 アタシのとこには全然顔見せないんだよね、と膨れる冥夜をエスメラルダが笑う。
「そりゃ、アンタに見つかったら絶対に掴まるって分かってるからだろう」
「そうなんだろうけどねー。でも悔しいじゃない?」
 ぷぅ、と膨れながらもゲージの中に暴れる黒兎をしっかりと閉じ込めた冥夜は、羽月達に湖を指さし告げる。
「お礼にね、ボートなんてものを用意してみました!まだ帰るまで時間あるしゆっくりしてってよ」
「……ボートあるんですか?」
「うん、さっきねー。黒兎も顔出さないから冥夜ちゃん頑張っちゃいました!」
 てへっ、と笑いながら冥夜はそう告げるとジークフリートの元へと駆けていった。
 羽月とリラは顔を見合わせる。
「ボート……花冠作り終わったら乗ってみる事にするか」
「乗りたかったんです……ボート」
 そうか、と羽月は柔らかく笑い再び鷺草の咲き乱れる場所へと歩き出した。


------<込められた想い>--------------------------------------

 頭に鷺草の花冠を載せたリラは幸せそうに微笑み、羽月と共にボートに乗っていた。
 ゆっくりと空が色を変え、柔らかな橙が地上を照らし出す。
 木々の間から零れる日差しは、夜の気配を漂わせながらも柔らかく降り注ぐ。
 オレンジ色の光が反射して湖は先ほどとは色を変え、橙に染まっていた。
 その中を羽月の漕ぐボートが進む。
 進むたびに水が波打ち、波紋を描いていく。

「昨日夢の中でも羽月さんと一緒にボートに乗っていたんです」
 ぽつり、とリラが呟く。
 鷺草の花冠を頭上に湛えたリラはまるで花の精の様に華やかだ。
「夢の中で?」
「夢の中で羽月さんも私もずっと笑顔で……今日みたいにとっても楽しかったんですよ」
 だから夢だけじゃなくて今日も楽しくて良かった、とリラは告げる。
「そうだな」
 羽月も頷き、自分の手首に巻かれた鷺草のブレスレットを見て微笑む。
 リラが花冠よりこっちの方が、と羽月にプレゼントしたものだった。
 そして羽月はふと鷺草の花言葉を思い出す。
「夢でもあなたを想う」
 羽月の呟きにリラは首を傾げる。
「鷺草の花言葉なんだが……」
「私と同じ…」
 ふわり、と微笑んだリラの表情を見て改めて羽月は思う。
 一株、鷺草を持って帰って庭に植えようと。
 鷺草に込められた想いが現実となるように。
 これからもずっと夢の中でも互いの事を想えるようにと。

 暮れゆく風景の中、二人を乗せたボートが緩やかに進んでいく。
 互いを愛おしいと思う気持ちが水面に静かに揺れているようだった。



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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

●1879/リラ・サファト/女性/15歳/不明
●1989/藤野・羽月/男性/15歳/傀儡師

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■□■ライター通信■□■
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こんにちは。夕凪沙久夜です。
またお会いする事が出来て嬉しいです。

今回は湖への避暑へ恋人の羽月さんと一緒にという事でしたが如何でしたでしょうか。
まったりとした時間を過ごして頂けてたらいいなぁと思いつつ。
楽しんで頂けてたら幸いです。

また機会がありましたらお会い致しましょう。
ありがとうございました。