<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【戦いはディープブルー】
「人魚の涙。エルザードから延々と離れた南の大海の底にそれはある……か」
 エスメラルダはこの冒険をメニューに貼り付けるかを迷っていた。先刻情報屋が垂れ込んだのは、人魚の涙なる虹色を放つ魅惑の宝玉。しかしそれは海の底にあり、水中で呼吸の出来ない並の人間に手を出せるはずはない。しかも宝は屈強な水竜が守っているというのだから困難を極めている。やはり止めようとエスメラルダは思った。
「エスメラルダさん、またここで商売させてくだせえ」
 入口の扉が開いて、威勢のいい声が上がった。最近よく来る行商人だった。
「ああ、いらっしゃい。今日のお勧めは?」
「へえ、これを食えばあら不思議、水中でも呼吸が出来る『空気の実』です。しかもどんな水圧にも負けない魔法の品で」
「何ですって?」
 エスメラルダは背中に稲妻が走る感触を覚えた。
「どうしましたぁ? いい品でがしょ」
「……ふふ、人魚の涙、何とかなりそうね」

 翌日。
 名乗り出た冒険者たちに、エスメラルダは空気の実をひとつづつ手渡した。
「あなたたち3人で決定ね」
「足りないですよ。ジークにもひとつください」
「ああ、ゴメンね」
 小さな白ドラゴンのジークを肩に乗せるのは魔導剣士フィーリ・メンフィス。
「それにしても水竜、いいね。なかなか暇がつぶせそうだ。この前手に入れたドラゴンバスターも試せるし。……人魚の涙には興味ないから他の人に譲るけれど」
「私もその宝には興味ないが、実にいい戦いが期待できそうだ」
 と、ジュドー・リュヴァインは言った。彼女は以前、同じ黒山羊亭でドラゴン退治の依頼を受けている。その時は報酬は受け取らず、戦えただけで満足していた。
「……私は仕方がないから付き合ってあげるんだからね」
「そう言うな、エヴァ」
「どうせ、ひとりじゃ勝手に突っ込んでいくだけだろうし……」
 毎度のことだけど、とエヴァーリーンが微妙なため息を吐く。ジュドーとは憎まれ口を叩きあう仲であるが戦闘となると妙に息が合う。ジュドーと決定的に違うのは、無報酬で戦うのは不本意だという点である。
「じゃあ、出発しましょうか。港に行けばいいんですね?」
 フィーリが確認する。
「私の知り合いの船乗りがいるわ。昨日のうちに連絡はしてあるから、すぐにでも海に出られるわ」
 3人は意気揚々と黒山羊亭を出た。これから立ち向かうのはかの最強生物だというのに。
 ドラゴンはあらゆる種族の中で最強であるがゆえに、冒険者にとっては恐怖とともに一種の憧れを抱かせる存在。ドラゴン討伐経験がある者は例外なく誰からも賞賛されるし、今回のように魅惑的な宝物を隠し持っているケースも多い。だがやはり熟練した冒険者でもそう手の出せる相手ではないのである。だから黒山羊亭の客たちは、出発した3人をほとんど尊敬の眼差しで見送った。

 船は南へとゆく。途中で魔物が襲ってきたが、フィーリは魔法と剣術を見事に繰り出して、ジュドーは肩慣らしとばかりに刀を振るう。必要のない戦いをあまりしたくないエヴァーリーンはジュドーに任せていたが、体が鈍れば適当に、しかし軽々と相手をした。いずれにせよ3人の敵ではなかった。
 そして順風満帆の航海、4日目の朝――。
「着きました」
 船長が操舵室から甲板に出てきた。
「船には魔物の気配を察知する魔法の羅針盤が取り付けてあるんですがね、壊れちまいましたよ」
「よほどの強力な魔物ということか。なるほど、奴の棲みかに近づいたと」
 ジュドーが唇の端を上げる。
「……いよいよですね」
 フィーリがドラゴンバスターを握る手に力を込める。
「ええ、せいぜい頑張りましょうか」
 エヴァーリーンが青い眼下を見据える。
「皆さん、相当にお強いですから、必ず戻ってくると信じていますよ」
 船長がご武運を、と言った。戦士たちは空気の実を口に含み、海へとダイブした。

 半ば疑わしいところがあったが、一行は水に飛び込んだ瞬間、高揚感を覚えずに入られなかった。
 確かに息ができる。水圧も感じない。宙を飛ぶが如しである。
 周りを見渡す。
 南の海は宝石のような色合いの魚たちが、珊瑚礁が豊かに生息していた。こんな冒険がなければさぞかし遊泳を楽しめるだろうに、とジュドーですら一瞬思うほどの美麗空間であった。
 フィーリにくっついて泳ぐジークが一声鳴いた。
「ジークわかるのかい、水竜の居場所」
 問いに頷くジーク。同じドラゴンの気配には敏感なのだ。
「ふたりとも、こっちですよ」
 ジュドーとエヴァーリーンは了解と言ってフィーリについていく。驚くべきことに、空気の実を食べた者同士は水中で会話ができるようだ。
 3人は下へ下へと潜っていった。
 次第に明かりが薄れてきた。魚の姿もまばらになる。
 もうちょっと行けば、夜より暗い闇の世界である。太陽の光が頭上にかすかに感じられる程度。今この場所が生と死の境界線のようだった。
 ――海の底というものはこんなにも、こんなにも恐ろしげなものなのか。
 そう思った時、水が震えた。
「グオオオオオオオオオオォ!」
 地の底から響くとはこのことである。3人は反射的にそのほうへ振り向き、それぞれの武器を構えていた。
「!」
 ジークがフィーリの背中に隠れる。同じドラゴンとしての強大さが瞬時に判断できたのだ。
「……強い」
 その姿を視界に入れた途端、ジュドーが呟いた。
 巨大なヘビのような長く太い胴体、薄闇の中で眩しいほどに輝く鱗、2本の腕にはゴツゴツとした突起がある。顔面は牙と角の生えた岩山で、赤く巨大な瞳が冒険者たちを射抜いた。全身から闘気が立ち上るようだった。
「何用だ貴様ら」
 水竜は凄味溢れる声で言った。
「いや……何用だ、はないな。どうせあの宝が目的なのだろう。俺はもっと静かに時を過ごしたいのだが。まあいい、来るならさっさと来い」
「すまんな。守るためだけに戦うそなたに挑むのは心苦しいが……それでも戦わせてもらうぞ!」
 ジュドーが咆哮し、水竜に肉薄する。
「水中じゃあ炎の剣もウィンドスラッシュも使えなさそうから、結構厄介そうだね」
 その分楽しめそうだけどと笑いながら、フィーリもドラゴンバスターで打ってかかる。
 水の抵抗をものともしないふたりの突進。斬撃が唸り、水竜の鱗を切り落とした。紫色の血が流れ、拡散していく。
「むぅ?」
 水竜は低く呻いた。ドラゴンの肌を傷つけるなど、並の人間には叶わない。ましてここは水中。事実、これまで水竜はほとんど無傷で挑戦者をことごとく返り討ちにしてきたのである。
 ふたりの剣士は立て続けに己が獲物を振るう。そのたびに水竜は傷ついた。
 水竜は不敵そうに笑った。目の前の戦士たちの力量を推し量ることが出来た。
「今までのどの人間より強いな。ならば加減は無用か!」
 水竜が口を開いた。真っ暗な口内の奥に――光と底知れぬエネルギーを感じた。
「ふたりとも、避けて!」
 エヴァーリーンが叫んだ。
 だが遅かった。あまりにも広範囲に渡るエネルギー波は、フィーリとジュドーに直撃した。
 光が消え、薄闇に戻る。
「――ほう、こらえたか」
 身を縮めたフィーリとジュドーが現れた。黒焦げ2歩手前といった様相だ。
「いつう……とんでもないな」
 フィーリはよろけながら、ドラゴンバスターを構えなおす。
「……誤れば……即死だった、な」
 ジュドーも一気に体力を奪われながら、刀を両手持ちする。
 避けられないと判断したふたりは直撃の直前、全霊を込めて意識を防御に徹したのだ。
「もう1度食らえば今度こそ命はない。……あれを防げるのは彼女の他にないだろう」
 ジュドーが小さく言った。
 その時、水竜がもがいた。
 巨大な顎が、糸に包まれて閉じられていた。
「ムガ、ムガ!」
 水竜は激しく暴れ回る。
「くっ……! お願い、今のうちに!」
 振り回されているのは絡めた鋼糸を懸命に放すまいとするエヴァーリーンだ。
「よし、あれならさっきのは出せない!」
 勝機と見て、フィーリが斬りかかる。
「ムウ!」
 ビュオン! と凄まじい音がした。水竜の尾が鞭のようにしなり、フィーリを打ち据える!
「ガフッ――」
 苦悶の声は水竜のもの。
 尾はドラゴンバスターに食い込んでいた。今回もまた避けられぬと悟ったフィーリは刃を盾にしたのだ。尾の威力の大きさがそのまま水竜のダメージになった。
 だがそこまでされて黙っているはずがない。
「うわ!」
 フィーリは水竜の右腕に打ち落とされた。
「だめ、もう……あぅ……!」
 とうとうエヴァーリーンも振りほどかれる。口を解放された水竜はひときわ大きく叫んだ。
「ぐはあ! まったくてこずらせおってからに……ん?」
 キョロキョロと視線を泳がす。もうひとり、ジュドーの姿が見えない。
「ふたりともありがとう」
 頭上から声がした。水竜が見上げた。
 光る魚、と水竜は錯覚した。
 闘気を充分に纏った剣士が、一直線に急降下してくる。
 水竜は腕を振り上げ、流星を掴もうとする。
「そんなもの――うっ?」
 言いかけた言葉は悲鳴に変わった。
「残念……やられたと思ったかい?」
 下からフィーリがドラゴンバスターを腹に刺していた。
「このガキどもがぁああ!」
 それが決着。
 ジュドーの刀が、水竜の胴に突き刺さった。

■エピローグ■

「……死んだのかしら?」
 エヴァーリーンは瞳を閉じ横たわる水竜を眺めた。長い胴のあちこちが紫色に染まっている。
「いや、まだ息があるみたいです。ジークが言うんだから間違いはない」
 岩陰に隠れていたジークは戦いが終わるとフィーリにくっついて、何もしてない彼を殺すのは可哀想だ、とアピールしていた。
「いずれにしても、素晴らしい戦いを味わえた。感謝する」
 ジュドーは目を閉じ、黙ってしばらく頭を下げた。
「さて、この人魚の涙なんだけど」
 エヴァーリーンが宝玉を手の平で回した。虹を放ち太陽を閉じ込めたようにきらめいているそれは、神秘という形容こそもっともふさわしい宝物だった。
「ふたりはいらないんでしょ。私がもらってもいいのよね」
「……持っていけ」
 3人は仰天した。水竜が目を薄くだが開けていた。
「それを持っているからいちいち俺は狙われるのだ。以前気まぐれで魔物から人魚を助けた時にもらったものだが……もうそんなものはいらん」
 それだけ言って、水竜は再び目を閉じた。
「……そういうことらしいですね。では帰りましょうか」
「ああ、こたびの戦い、忘れはしない」
「この玉は敵を引き寄せるのかしら。……私も用心しないと」
 3人は海面へと上昇していった。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1112/フィーリ・メンフィス/男性/18歳/魔導剣士】
【1149/ジュドー・リュヴァイン/女性/19歳/武士(もののふ)】
【2087/エヴァーリーン/女性/19歳/ジェノサイド】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。ご依頼ありがとうございました。
 空の上でのバトルを前に書いたので、今回は水の中……と
 単純な思いつきから始まったお話でした。あと特殊な
 舞台として何があるでしょうかね。考えたらまた
 オープニングとして書きますのでよろしくお願いします。
 
 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu