<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


消えた羊
「泥棒を捕まえて欲しいのだ」
 ある夏日の昼下がり。
 白山羊亭に現れた恰幅の良い男は、依頼書を叩きつけるようにしながら言った。その脇には、泣き腫らした目の少年を従えている。
「泥棒ね…羊泥棒?」
 依頼書の内容を読んでいたルディアが軽く首を傾げる。
「そうだ。毛刈り前の大事な羊を3頭も盗んでいきおった」
 いらいらと白山羊亭の床で足踏みをしながら男が告げる。
「こいつが居眠りしていなければ、盗まれる事もなかったのにな」
「…ご、ごめんなさい…」
 ここに来るまでずっと責められどおしだったのだろう。再び目に涙を浮かべ、ルディアにも謝ってくる。謝らなくてもと思いはしたのだが、男がふんぞり返っている面前で言えばまた後で責められるだろうと思い今は何も言わず。
「分かりました。人数が揃ったらお知らせしますので、お名前を…」
「マックス敷物店のマックスだ。この小さいのがルーク。詳しい話はこいつから聞いてくれ。それからな」
 ずい、とルディアに近寄って渋い顔をし、
「おかしな作り話をすると思うが騙されるなよ。羊とその毛が取り返せればわしはそれ以上何も言わん。もちろん、今後また似たような事が起こった場合はその限りではないがな…」
 それだけ言うと、少年をしかりつけるようにしながら店を出て行った。
 マックス敷物店と言えば、聖都の中でもかなり有名な店だった。元は絨毯屋だったのだが、今は毛織物をだいたい取り揃えていて、中でも評判を誇るのが魔力を帯びた布。入荷数はごく少数で入ればすぐ売り切れてしまうため非常に高価で、金持ちくらいしか買うことが出来ないのだが。
 ――それにしても、と依頼書をいつもの場所に貼り付けながら、ルディアが渋い顔をする。
 マックスの最後の言葉が気になって仕方ない。
 あれではまるで。
 ――羊を盗んだのが、その少年であるかのようだったからだ。

*****

 いつものように白山羊亭を訪れると、きょろきょろと楽しげに辺りを見回す。情報屋を自認しているヴィネシュア・ソルラウルにとっては酒場や旅人が集う場での噂話は、例え聞いた時には意味を持たなくても、それが重大な事柄の一端を担っている事があると言う事が良く分かっていたからだった。
 今日もネタになりそうな情報集めにやって来たのだが、ありきたりの話の合い間に壁に張られている依頼の紙へと目を通した途端、ヴィネシュアの目が楽しげに輝いた。
「羊…へえ。そんなのを盗むようなのがいるんだ。しかもこんなトコまで依頼に来るなんてね」
 マックス敷物店の事はそれなりに耳に入っている。一応『まっとう』な部類に入ってはいるが、賃金が安いとか従業員が少ないとかいかにもけち臭い話題が時折上がることがあったのだ。
 確かに売り物の材料である羊は重要な品だろうが、それならばこう言った冒険者にではなく、自警団へ行くのが筋だろうと思う。
「面白そうじゃない。いいネタが掴めるかもね」
 そうひとりごちて、にっ、と笑うと依頼書とルディアへと近づいていった。

*****

 集まったのは、3人。それぞれ名乗りあってから、ルディアの心づくしのお茶を飲みつつ打ち合わせに入る。
「まず、どうする?」
 ヴィネシュアが2人へくりくりした目を楽しげに向ける。
「僕はその少年へ話を聞きに行こうと思っています。あまり収穫はないかもしれませんが…」
「そうね…私は街の中で情報収集してみるわ」
 アイラスと蓮花がそれぞれ言うのを聞いて、ヴィネシュアがうーん、とちょっと迷った声を出し。
「ボクもまずは話を聞きに行く。それから情報集めに回ろうかなぁ」
 とりあえずの行動は決まり、移動する事にする。何か動きがあれば白山羊亭に言付けることと、何も手がかりが無くても夜には一度顔を出すと言う事を取り決めて、2人と1人に分かれる。
「それでは行きましょうか」
「うんっ。その子からどれだけ情報が引き出せるか楽しみだね」
 にこにこ笑いながら言うヴィネシュアにそうですね、と相槌を返して、2人はマックスの自宅兼養羊場へと出かけて行く。

*****

 聖都の郊外にある牧場は、こぢんまりとしたものだった。代々羊飼いで、紡績糸を納めていたのだがいつ頃からか布製品を作るまでになり、現在は絨毯をメインに扱う聖都でもそれなりの位置にある店へ発展していた。尤もマックスが直経営しているこの牧場の羊毛だけではとても足りるものではないので、他の羊飼いから刈り取った毛を買い上げて作らせているようだったが。
 この牧場も、毛織物を扱っているポーズとして残しているだけではないか、という噂もあるくらいで、事実羊の数そのものはそう多くは無い。
 今日はまだ放牧に行っていないのか、山肌へ続く場所へ設えた柵の中から、すっかり毛を刈られてつるつるになっている羊たちが鳴いているのが見えた。
「あの羊は毛刈りを終えたんだね」
「そのようですね…ああ、あの子でしょうか」
 身体に合わない大きな木の杖を抱えている小さな人影を見つけ、2人が近寄って行く。…誰かが来る事にも気付いていない様子の少年は、柵の中の羊たちへぼんやりとした視線を注いでいた。
「ルークさん、ですね?」
「…っ」
 めぇめぇ鳴き声を上げている羊たちを、柵の上に座って眺めている少年へとアイラスが声をかけた。途端、びくっと怯えた表情でそこに現れた2人を窺う少年が、小さく小さく頷いた。
「怖がらなくてもいいんだよ。ボクたち、羊探しを頼まれたんだ」
 ヴィネシュアがにっこりと楽しげに笑いかけ、ルークは自分といくらも変わらないように見えるヴィネシュアに曖昧な笑みを浮かべて見せた。
「居眠りしていたって聞きましたけど、他にも何か見たり聞いたりしたんですか?」
「……ぼ、僕…」
「んっ、どうしたの?何かあるなら言っちゃった方が楽になるよ?」
 ヴィネシュアが、柵の上にいる少年の目を覗き込むように見上げた。銀色の目が楽しげにくりくり輝いている。
 少年は2人の顔を交互に見比べ、それから躊躇うよう何度も俯いては顔を上げて、
「――僕…あの日、何だかスゴク眠くて」
 ぼそぼそと語りだした。
 昼間は山へ餌を与えに羊を追い、夜は柵の中に入れて見張る…それが少年の役割。全く眠らずに出来る事ではないからと、主人が敷物店から戻り、見張りに付く夕食後から寝るまでの間は少年が仮眠を取っても良いことになっていた。
 当然のように少年自身は柵の中におり、羊追いの時にも連れ歩いている牧羊犬や羊と共に眠り、何か異変があれば即座に起きて対処するよう命令されていた。
「マックスさんが家に入ってから、見張りに入ったんだけど…何だかとても眠くて」
「…当然でしょうに。それしか眠っていないのなら」
 アイラスが少し呆れた顔をして、母屋を見やる。最近建て増ししたらしく、レンガの色も鮮やかな建物と対照的な少年の姿に眉を寄せて。
「羊の鳴き声で目が覚めたんだ。そしたら…」
 ごくり、と少年の喉が鳴った。何か言い出しかねている事があるらしく、唇が少し震えて。
「――羊が、空を飛んで柵を越えたんだ」

*****

 柵を調べてみると、確かに非常な頑丈さは無いものの、破損している訳でもなく…また、柵へは夜毎マックスが鍵を掛けるとの事で、見れば少年が言うように小さいながらもそれなりに頑丈な鍵が掛けられているのが見えた。
 外へ向かう扉が少年の言うように閉められたままだったとすれば、羊が『空を飛ぶ』と言う非常識な事もあり得たかもしれない。
 扉の鍵を主人のマックスしか持っていないのであれば尚更。
「羊を盗もうとしている人に、心当たりはありませんか?」
 一通り柵を調べたアイラスたちが戻ってきて少年へ再び質問する。
「…羊たちを買いたいって言ってくる人はいたみたいだけど、盗まれた子以外は時々売られていたよ」
「――盗まれた羊以外?」
「あ」
 はっ、と少年が口を押える。
「どう言う事かな?」
 ヴィネシュアがにこりと笑いながら、小さく声を上げたルークへ顔を近づける。ふるふる、と大きく首を振ったルークは、「知らない、知らないよ」と小声ながら早口に告げるときゅっと口を結んだ。言ってはまずい事を言ってしまったと思ったか、顔色が真っ青になっている。
「ねえ、ルーちゃん。ちゃぁんと言うこと言ってくれないとわかんないよ?…ボクたち、信用出来ないかな」
「そ、そう言うんじゃない、けど…でも」
 きゅっと身体まで縮こまって、俯いたままになってしまうルーク。
 アイラスとヴィネシュアが顔を見合わせ、そしてヴィネシュアが首を傾げると、
「それが盗まれた理由かもしれないよ?――ねえ。羊たち、連れ戻したくないの?」
「……」
 ふるふる…黙ったまま首を振った少年の肩がひくりと動いた。ヴィネシュアが下から顔を覗き込むと、大きな目にいっぱい涙を溜めて、ぎゅうっと唇を真っ白になるまで噛み締めている。
「――言ってはいけない、って…言われたんですか」
「っ」
 ばっ、と顔を上げたルークが柵の上でバランスを崩しそうになるのをすぐ近くにいたヴィネシュアが慌てて止める。
「何か、特別な理由でもあるんですね。秘密にしなければいけない理由が」
「な…なんで、わかるの…」
 驚いた顔でおどおどと言葉を返す少年に、抱き起こしたまま背中を支えていたヴィネシュアがにこりと笑いかける。
「ボクたち、そういうのがお仕事だもん。驚いた?」
 今度は、素直にこっくりと頷く。
 それからやや躊躇いながらも、しっかりした言葉で話し始めた。
「あの3頭だけは、放牧に出してないんだ」
「え…どうして?」
「餌が違うんだって。夜は皆と一緒に寝かせてるんだけど、昼間は柵から外に出しちゃいけないって…だから、その羊は昼間は僕の羊じゃないんだ」
「誰か、他に面倒を見ている人がいるんですね」
「うん。マックスさんの息子が見てるんだ」
 聞けば、羊小屋と柵の中を行き来するだけの3頭の羊は、マックスとその息子のウェイクのみが手入れをしているのだと言う。当然毛刈り後の毛もひとかけも余さず回収され、他の羊毛と混ぜる事無くそれだけ単体で加工されて行くらしい。
「紡ぐのは誰がやってるの?」
「そこまでは知らないけど。でも、あの羊はとっても大事みたい。ちょっとでも具合が悪そうだとすぐお医者さんを呼んで診て貰ってるから。…他の子にはあんなに優しくないよ」
「ふぅぅん。やな奴だね」
 その言葉に、ほんの少しだけルークが笑う。
「ねえ、その羊小屋見せてもらえない?」
「あ…うん。今は羊もいないから大丈夫だと思う。――羊がいる時には僕も小屋に近寄っちゃいけないんだけどね」
 そうやって案内された小屋の中は、きちんと手入れされていた。ヴィネシュアが何か見つけたか、面白そうに小屋の中を眺めて、餌箱らしき木で囲われた箱の中を覗き込み、そしてちょっと眉を寄せた。
 ほのかに、魔力が感じ取れる。それは細かな砂のようなものから発せられていて…。
「何かありましたか?」
「うん。結構面白いものがあったよ…なる程ね。こんな餌を食べられるんだったら、特別かもしれないなぁ」
「特殊な餌なんですか」
「まあねー」
 見るものは見たとばかりに出口へ向かいながら、ヴィネシュアがにっと笑う。
「それじゃあ、ボクは街に行くね」
「何か、手がかりがありましたか」
「多分ね〜。それに…ふふっ。面白そうなネタがありそうだし、行かなきゃ損でしょ?」
 ここまで見れば後は任せた、とばかりに2人へ手を振り、そして街へと急いだ。

*****

 白山羊亭にまず寄り、そして何か目新しい情報が無いかを聞く。
 蓮花も訊ねて来たようだったが、今の所は街の中を動き回っているようで、一度来てルディアに話を聞いた以外ではまだ来ていないらしい。
 その事を確かめると、今度は裏路地へと急ぐ。同業者とも言え――ライバルでもある情報屋がいる場所へと。
「景気どう?」
「――なんだ、お前か」
「不景気そうだね。はい」
「お。悪いな」
 好物の銘柄の煙草を差し出され、嬉しそうに箱を手に取った男が、ちらと皮肉な目をヴィネシュアに向ける。
「何が聞きたい」
「話が早くて助かるなぁ。――マックス敷物店の話。何でもいいから教えてくれない?」
 しゅっ、と壁にマッチを擦りつけて火を付けると、そうだな、と呟いて、ぼそりと1つ呟いた。
「魔力が付与された布の作り方、ねえ?そんな噂があるんだ?」
「まあなぁ。つまらん噂さ」
「売れないかな?」
「実際の完成までの作り方を手に入れてだな。それがある程度の知識があれば作れるっつーんなら売れるだろうが…そういう話があるって言う噂だけじゃなぁ。まあ…出所が盗賊ギルド上位っつうんだから、信憑性は無いわけじゃないが」
 ぷはー、と差し入れの煙草の煙を吐き出しながら男が言い。
「他は?」
「煙草1つで2つも3つも情報引張ってく気か。高すぎるぞ」
「もちつもたれつ、だよね?」
「――ちっ。商売上手な事で。まあいい。どうせ売れもしないネタだ」
 そう言って男が語りだしたのは、ごく最近起こったとある貴族と敷物店のいざこざだった。
 簡単に言えば、入荷予定数よりも多く予約を取りすぎた事が発覚しただけなのだが、その時は上手く丸め込んだものの、実は先に予約を取っていた貴族よりも、後からごり押しして予約を入れた方が多く金を積んだために順番を無理やり入れ替えてしまったのだと言う。それが知られればその貴族は当然怒るだろうし、店の評判にも響く…とは言え、暴露した所で旨味の少ない情報には違いなかった。強請り屋や、店に恨みを持っている者ならば使いようもあるのだろうが。
「まあ、そんなところだね。ありがと」
「今度お前の方からも情報寄越せよ」
「いいけど、高いよ?」
 にっこりと笑いながらじゃあねっ、と手を振ってその場を立ち去る。
 他に何か、と思いながらぱたぱたと街を動き回る――と、何か考えている様子の蓮花の後姿が見え。
「見ーつけた」
「え?…あ」
 突然の声に驚いて振り向いた蓮花が、ヴィネシュアと気付いてほっとしたような顔を見せた。
「ボクも牧場からこっちに来たんだよ。何か面白い情報見つかった?」
「羊が盗まれたっていう話はほとんど耳にしなかったわ。その代わり…」
 息子がカジノで借金を負ったと言う話をすると、ヴィネシュアがふぅん、と目を輝かせ。
「ボクの方は…盗まれた羊に通じるかもしれない噂を聞いたよ」
 蓮花が驚いて目を丸くする。
「そんな凄い情報を?――私、下手なのかしら」
「ちちち、甘い甘い。ボクはこれでも情報集めのプロだもん」
 それでも実に嬉しそうににっこりと笑ってみせる。
「と言ってもたいした話じゃないよ。マックス敷物店の、例の目玉商品。あれの作り方のノウハウが流出した、ってね」
「目玉商品、って…魔力を帯びた布?普通に魔術師に付与されたんじゃないの?」
「それがちょっと違うんだよ。アレはね、布になる『前』に既に魔力が含まれているんだ」
 言うなれば、糸そのものに魔力が染みこんでいる状態。そうなると魔力を消し去る事も生半可には出来ず、そしてそこまでの魔力を付与させるとなると相当技術が必要になる。――当たり前だが、マックス敷物店専属の魔術師などおらず、時折入荷するその布の作り方は今まで中々分からなかった。
 それにね、とヴィネシュアが続ける。
「盗まれた3頭の羊なんだけど…餌が随分特殊だったよ」
「餌?」
「魔石が混じってたんだ。ぱっと見普通の人間には気づかないけど、ボクが見ればね、すーぐに分かるんだよ」
 あ、と蓮花が声を上げる。魔石を餌に混ぜて与えると言うことは…と、その先に気付いたものらしい。
「そのノウハウなんて、身内でしか分からないよね?――借金かぁ。面白いと思わない?」
 タイミングが合いすぎる、情報の流出と盗まれた羊。
「直接聞いてみた方が良いみたいね」
 ――その、息子に。
 意見が合致したところで、急ぎ足に牧場へと急ぐ。すると、
「あれ?ルーちゃんがいない」
「羊飼いの男の子?」
 柵にいたはずの少年も、そしてアイラスの姿も無く。その代わり、所在なげに柵にもたれかかっている青年がいた。
「あの2人は?」
「なんだよ。…お前らもあの男の仲間か。羊探しに山に行ったよ」
「そうなの…。それじゃ、キミがマックスさんの息子さんね」
「あ、ああ」
 居心地悪そうにしている様子の青年。
「――ボク、聞いちゃったんだけどさ」
「な、何を?」
「魔力付与の布の作り方――教えてもらった人がいたんだって?」
 さあっ、と青年の顔色が青くなる。
「すり潰した魔石を餌に混ぜてるんだよね」
「なっ、何でそこまで…お、俺そこまで言ってない―――じゃ、じゃなくてっっっ」
 わたわた、と手をあちこち振り回しながらぱくぱくと声の出ない口を動かして説明しようとする青年――その目が、大きく見開かれた。
 何かと思って振り返った2人の目に、3頭の羊を連れて戻ってきた2人の姿が見えた。
 あまりにあからさまな姿に、苦笑を浮かべつつ――見つかった『犯人』へと2人が睨みをきかせた。
「お帰り。見つかったのね」
 嬉しそうな蓮花と、
「あーあ、かわいそうに乱暴に刈られちゃって」
 呆れた顔でちらちらとウェイクを見ているヴィネシュア。
「今、特別な羊の作り方を聞いていた所だったの」
 蓮花がにこやかに言い、アイラスが興味深そうにウェイクの顔を見つめた。

*****

「魔石を…餌に混ぜる?」
「そうだよ。そうすると魔力を含んだ毛が出来るんだ」
 アイラスの言葉に、もう一度説明を繰り返すウェイク。
「魔石を細かく細かく砕くのが面倒でね、数多く作る事が出来ないのと、体調に合わないものもいるみたいで、食わなくなったり、病気になったりするんだよ。そういうヤツははじいて丈夫なヤツだけを育てるんだ。今年は3頭まで増えたし」
「そうね。3頭にまでなったものね。――高いんでしょう?そんな毛で作られた品は」
「そりゃな。目玉商品だし、稀少品を欲しがる貴族も結構…」
 そこまで言ってから、4人の目に見つめられてウェイクが慌てて手を振る。
「……お、おおおお俺じゃないよ」
 見るからに焦った仕草は、落ち着かなげに何度も何度もぱたぱた繰り返され。
「毛刈りなんてしてないし、刈った毛を売り飛ばしたりなんかしてないさ。ほ、ほら、どう見たって素人の手じゃないか。そりゃ親父はケチだよ?もうどうしようもない守銭奴で、ルークだってこき使うだけこき使ってる割りにしょぼい賃金だよ。おまけに奴が大人になるまで貯めとくって言って未だに一銭も払ってないってのも知ってる。けど、だからって俺が何で」
「借金があるんですってね」
 蓮花の突っ込みにぎくうっ、と竦み上がる男。
「それも、性質の良くない…ギャンブルだっけ?そこで相当巻き上げられてたって聞いたわよ?」
 それを聞いてくすくす笑うヴィネシュア。
「ボクもそれは聞いたよ。すぐ熱くなって賭けるもんだから、いいカモだってね」
「――羊の行く先も知っていたみたいですしね?さっきウェイクさんが見ていた方向にあの羊がいましたよ」
 3人に次々と言われ、青くなったり赤くなったり忙しい青年が、きつい視線で睨みつけている蓮花に気付きひっ、と小さな悲鳴を上げる。
「その上、あの少年が疑われているのを知って黙っているなんて…」
 じりっ。
「あ…あわわ…」
「悪・即・斬!」
 間合いを取るまでも無かった。何しろ、ばれたと気付いた途端慌てふためいているだけで、逃げる事すら考えられない状態だったからだ。
 バシッ!
 刃ではない…と言った所で武器の一撃には違いない。峰打ちで腹部へと打撃を受けた男は、ものも言えず悶絶した。

*****

「し、仕方なかったんだよ!親父が出してくれる訳無いし、払えなければ俺の首が飛んじまうんだ!」
 ようよう気が付いた男が、蓮花からなるべく離れるようにして比較的穏やかに見えるアイラスへと嘆き訴える。
「それにしても犯罪ですよね。例え父親から盗んだとしても。親の仕事の邪魔をした訳ですから」
 さらっとにこやかに告げると、何も言えず黙ったウェイクに軽く首を傾げ。
「どうやって、3頭もの羊を連れ出したんですか?柵を越えさせるのも大変でしょうに」
「…協力者がいたんだよ。その…借金取りが使ってるっていう魔法使いがさ。魔力を含んだ毛を見つけ出したのも奴だし、ルークを眠らせたのもそうだ。半端だったらしくてすぐ目覚めちまったようだけどな」
「羊を飛ばせたのも?」
「そうだよ」
 不貞腐れながら、発覚した以上は隠し立てしても意味がないと悟ったか問われるままに話していくウェイク。
「ただ、最初は鍵を開けてそこから羊を魔法で呼び寄せる筈だったんだ。柵を越えさせるなんて思わなかった」
 柵の中でぼーっと顔を上げて周囲を見ている羊は、何も考えているようには見えなかったが…。
「…たぶん、あの羊外に出たかったんじゃないかな?ずっと柵の中と小屋にしかいなかったんだよね」
「あ、ああ」
「それじゃそうだよきっと。溜まってた魔力を付与させて、一時的に空を飛んだんだ」
 ヴィネシュアが毛を刈られた羊の背をぽんぽんと叩く。
「まるで小型の金羊毛だね。羊にとっては楽しい冒険だったんじゃないかな」
 狙いはこの特別な羊の毛のみ。次に毛が生えるまで、マックスが拵えた特殊な餌を与えられる訳も無く、そのまま山に連れて行って放置したのだろう。
 紡いで織り上げた品はただでさえ品薄で、非常な価値を持つものなのだから。
 その後ウェイクが、山に放置された羊を盗まれたと気付かれないうちに引き連れて戻ってくる手筈になっていたのだが…ルークがすぐ目覚めてしまい、マックスを呼びに来てしまったので、アリバイ作りのために寝たフリをしていたウェイクは探す事も出来ず放置する事に決めたのだった。幸いな事に、『空を飛んだ』と言うルークの訴えを寝込んでいた言い訳か、もしくはルーク自身が盗んだのではないかと言う疑いをかけて白山羊亭に行くまでさんざん責めていたから、山へ探索の手が入らずほっとしたのだったが。
 後で街の人間を誘って誘導しながら捜索し、羊を連れ帰ろう…そう言う風に計画変更したらしい。それもまた、あっさりと見つけ出されてしまったのだったが。
「どうします?全部言っちゃいますか」
「そ、それは…親父に追い出されちまうよ」
 ぶるぶると首を振るウェイクに、冷たい目を注ぐ3人。
「いい年なんだから、外に出て働けば?お父さんのことケチって言ってるのにそのお父さんに甘えっ放しじゃないの」
「そうだよねぇ…3頭の羊に餌をあげるだけの生活してちゃあねぇ」
 じろぉり、と見る視線に縮こまっていく姿を見れば、威勢の良いのは形だけと分かる。
「と言うわけで、言っちゃいましょう。――どのみちいつかはばれますよ?だって、あの毛で作った布って独特なものなんでしょう?それが噂にせよ裏で出回ったと知れれば…分かりますよね。マックスさんがどういう態度を取るか」
 穏やかに微笑んでいるアイラスの言葉は顔と裏腹に容赦ない。
「あああ、もう、分かったよ!やりゃいいんだろやりゃ!」
 自棄になったか、ウェイクが顔色が青いながらもそう怒鳴りつけた。

*****

「羊は戻ってきたようだな。ルークから聞いたぞ。だが毛が…刈られていたそうだな」
「ええ」
「毛はどうした?アレを取り戻さねば依頼の意味が無いではないか」
「刈られてしまった毛ですからね…きちんと調べてみなければ分からないと思いますよ」
「なんだと…」
 かぁっ、と一気に顔を怒りで赤くしたマックスが立ち上がろうとするのをまあまあと押し留める。
「場所は分かりませんが、泥棒の正体は分かりました」
「本当か。――だ、誰だっ」
「それがねー。盗賊ギルドのトップなんだよ」
 困ったような顔と態度で――その癖、口調にはほんの少し笑みを含ませてヴィネシュアが言う。
「…盗賊、ギルド…?こそ泥じゃないのかっ!?」
「残念ながら。あの『品』の秘密を知った人がいたらしいんですよね」
「品?――まさか、気付いたのか!?あの羊の秘密に」
 アイラスがウェイクの背中をとん、と押す。
「あ…あの、父さん」
「何だ。わしは今忙しいんだぞ」
「だから…その。俺、――俺なんだ。カジノで借金拵えちまって、金の代わりに喋らされたんだよ!あの羊の事!」
 ――しん、となる。
 怒鳴りかけた口をぽかんと開け、振り上げた手の行き所に困った様子のマックスが、次第にじわじわと顔色を変えるとがば!と立ち上がり、拳を固めて息子を殴りつけた。
「こ――この、馬鹿息子がっっっっっ!!!!」

*****

「全く。泥棒が身内でした、では笑い話にもならんわ。――ほれ。持ってけ」
 無造作に金が入った袋をぽんと投げる。中を調べてみると、依頼書にあった金額に色を付けることもなく、きっちりとした金額が入っていた。ヴィネシュアがちょっとだけ唇を尖らせる。
「それとだ。今回のことは出来るだけ忘れてくれ。――店の信用にも関わるしな、警備隊に突き出す事も出来ん」
「いいよ。…これからはちゃぁんと羊や従業員の面倒を見るんだったらね。――他にも公にしたく無さそうな話、ボク聞いて来ちゃったんだよねぇ。とある貴族の予約をキャンセルさせちゃった『都合』とかさ」
 うぐ。
 言葉に詰まったマックスが、「わ、分かった」とようよう言葉を搾り出すのを、にこにこ笑いながらヴィネシュアが頷く。それを渋い顔で見ていたマックスが、悔しさを紛らすためか息子へ視線を向けた。
 全く、とか馬鹿もんが、と呟きながらも目まぐるしく頭の中身を回転させている様子のマックスと、未だ伸びているウェイクの2人へそれぞれ視線を注ぐと、とりあえずウェイクの目を覚まさせてから、用は済んだと息子へ小言を浴びせ掛けるマックスを尻目に外へ出た。
 外は夕刻に近づいている。そんな中を、最初に会った時と同じ場所に腰掛けている小さな姿を見付け。
「済んだよ、全部」
 ヴィネシュアがにこりと笑いながら近寄って行った。
「毎日大変よね。…辛くないの?この仕事」
「…ううん。慣れたから」
 ぼろ服を身に纏い、柵に腰掛けて羊たちを見ているルークが声をかけた蓮花へ視線を落す。
「それにね。僕、羊が好きなんだ。いつか、自分の羊を連れて山々を歩き回りたいな」
 そんな話をしていた直後、追い出される事は無かったようだが、怒鳴り声と共に外へ飛び出して来たウェイクが3人の姿を見てこそこそと小屋へ向かい――かけてルークの傍へと近寄っていった。顔を顰めながらぼそぼそと話すウェイクに、ルークがこくこくと頷いて…遠慮するように手をぱたぱたと振る。
「いいから。言ったからな!?」
 びし、とルークへ指を突き出してからずんずんと小屋へ向かうウェイクの後姿を見、
「何て言ったの?」
 ヴィネシュアがかくん、と首を傾げる。
「寝ずの番と放牧を、時々交代してくれるって」
「それは良かったじゃないですか。これで少しは身体も休められますよ」
 うん、と軽く頷いたルークがにこりと笑いかけ、
「ありがとう。僕も追い出されずに済んだみたい」
 疑いが晴れて安堵したか、穏やかな表情をしているルークがいつまでも見送る中、街へと戻って行った。

*****

 その後、ヴィネシュアが聞いたところによると、盗賊ギルドと散々交渉した後何の役に立つのか分からない動物の毛を高額で買って行った男がいたと言うことだった。尤もヴィネシュアが聞いたのは下っ端の男にだったから、その男には、毛を買う理由など分からなかっただろうが。
 他にも、マックス敷物店の目玉商品は今年高いらしいという噂や、従業員たちの不満が少し薄れて来たとか、マックスの息子が人が変わったように勤勉になったとか。…実際には勤勉と言うより無我夢中で働いているようで。
 どうやら、毛の買取代金が息子が負った借金よりも上回り、その代金分きっちり働いて返せとのことらしい。
「自業自得ですね」
「そうよねー」
 白山羊亭でその話を聞いたアイラスと蓮花が小さく苦笑いしながら言い、大きく頷いたヴィネシュアが、
「当然だよ。ボクだったら倍返ししてもらうね!」
 身の程知らずの金を借りてまでギャンブルに打ち込むと言うのが、どうしても気に食わなかったらしかった。アイラスたちが取り成して、白山羊亭のデザートをおごることでようやく機嫌を直してもらう。ほんの少しばかり釈然としないものを感じながら。
 ルディアがそんな様子をくすくす笑いながら見つめ、注文を取って楽しげに厨房へと下がって行った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス  /男性/19/フィズィクル・アディプト】
【2154/ヴィネシュア・ソルラウル/女性/15/情報屋         】
【2256/群雲 蓮花       /女性/16/祓い屋         】

NPC
ルディア
マックス
ルーク
ウェイク

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「消えた羊」をお送りします。
親も親なら…と言う言い方は宜しく無いのですが、強欲も道楽も度を超すと碌な事が無いようで。
ニュースソースに付いては語られていませんが、キャンセルさせた『都合』に付いて見聞き出来たのは誰か、と言う事を考えれば、これもまた身内、現場にいた従業員以外にはいない訳ですし。

今後改善が見られれば、少なくともルーク少年の仕事は楽になっていくでしょう。

今回、参加していただきありがとうございました。
また別の機会にお会い出来ることを楽しみにしています。
間垣久実