<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


慟哭の獣


------<オープニング>--------------------------------------

 これから酒場が賑わい始めるという夕刻。
 薄暗がりの中に酒場に酷く不釣り合いな姿があった。
 エスメラルダは首を傾げつつ入口付近に立つ人物の元へと歩き出す。

「どうしたんだい?お嬢ちゃん」
「ぁっ………アタシ……」
「ん?何か困りごとかい?」
 エスメラルダの言葉にピンクの髪を揺らし少女は頷いた。

「アタシ……フィーリアと言います。大切な……ものをなくしてしまって。それがないと友達の側にも行けなくて……」
「無くしたものは?」
「……笛なんです。透明な笛。いつもその笛を吹いて友達に語りかけていたのに、それが今日起きてみたら無くなっていて。それがないと……あの子は暴れ出してしまって手に負えなくなるんです。だからその前に……」
 どうも要領を得ない。
「ちょっと待って。無くしたものは笛。それであんたの友達はその笛がないと暴れ出してしまうって一体どういうこと?」
 言いにくそうにしていたが、フィーリアは話し始める。
「アタシの友達のギミアは魔獣なんです。そしてその笛の音が本来気性の荒いギミアを鎮める働きをしていて。だからそれがないとギミアは暴れ出し、繋がれた鎖も引きちぎってエルザードの街を破壊してしまいます。そしてすでに鎖は切れてしまいました。ギミアがやってくるのも時間の問題……だから…お願いします。笛が見つからなかったら……荒れ狂うギミアを助けてやって下さい。あの子は苦しさに泣いているんです。だから……」
 助けてやる=死を…ということだろうか。
「おいおい、それってかなりの緊急事態じゃないか」
 エスメラルダはまだ人の集まっていない黒山羊亭にいる人々全員に声をかけた。


------<少女の依頼>--------------------------------------

 夕闇の中、ジュドー・リュヴァインは一人歩いていた。
 金色の髪が吹いてきた風に舞う。
 そしてまるで顔についた傷を隠すかのように髪は流れ、ジュドーの頬をくすぐった。
 振り仰いだ空は真っ赤に燃え、今日の終わりを告げている。
 また今日が終わり、明日へと世界を繋ぐ夜が訪れる。
 ゆっくりと訪れる夜の気配。
 ジュドーはいつものように黒山羊亭へと足を向けた。

 まだ早い時間だった為、黒山羊亭は閑散としている。この店が混むのは日がどっぷりと暮れてからだ。
「あら、今日は早いのね。……いつものもう一人は?」
 そんな風にエスメラルダに問いかけられジュドーは苦笑する。
「この時間だ。まだ来ないだろう。しかしセットにされるのはどうも変な感じがするんだが」
「そう?結構あんたたち二人の掛け合い面白いのよね」
 まだお店暇だしあたしも付き合おうかしら、とエスメラルダはジュドーの隣に座りグラスを手にした。
 その時、ギィ、と黒山羊亭の扉が開く。
 二人は振り返り首を傾げた。
 そこに立っていたのはどう見てもまだ13歳位の少女だったからだ。
 エスメラルダは近づいていきながら声をかける。
 迷い込んできたのかと思われたその少女、フィーリアが告げた事柄はとんでもない内容だった。
 街を襲ってくる獣がいると。
 これはかなりの緊急事態といえるだろう。
 思わずジュドーも横から口を挟む。

「それは本当に今すぐにでも此処にくるのか?」
「多分……」
 フィーリアが俯き告げる。
 フィーリアが無くした笛を捜し出さなければ街は全滅になる可能性もあるということだ。
 しかしジュドーにはその『笛』がどうしても引っかかって仕方がなかった。
 何故笛は無くなってしまったのか。盗まれたにしてはどうにも可笑しい気がする。
 ジュドーはたまらずフィーリアに尋ねた。
「笛か……憶測だが……本当に物理的なものなのかな……違うように思う」
 ぴくり、とフィーリアの身体が反応した。
 ジュドーは更に続ける。
「……その笛は、フィーリアの気持ちや心といった類が笛という形になったもの、とかじゃないのか……?」
 俯いていた顔を上げたフィーリアは再び瞳を伏せ告げた。
「そう……です。アタシだけが作り出せる笛。アタシの血と共鳴して音を鳴らす笛…」
「では、ギミアと何があった……もし気持ちが具現化したものというのなら、ギミアとフィーリアの間に何かがあったとしか思えない」
 それは…、とフィーリアが口籠もった時、黒山羊亭の扉が開いた。
 そこには数人の男達とそしてその後ろにエヴァーリーンが立っていた。
 男達はさっさと奥の席へと歩いていったが、エヴァーリーンはジュドーの姿を見つけるとそちらに向かい歩っていく。
「難しい顔をしてるのは今更だけど…どうしたの?」
 ジュドーにそう尋ね、エヴァーリーンは足下に立つフィーリアに視線を向けた。
「やっと来たか。今から私と一緒に一仕事しないか?」
「仕事?…報酬は…」
 そう呟く口を素早くジュドーに押さえられエヴァーリーンは、んっ、と苦しさに声を漏らす。
「無しだ。今から私が街を破壊しようとする魔獣を止める笛をフィーリアと共に探しに行く。その間、エヴァには魔獣を引き留めておいて貰いたいんだ」
 ようやく手を離されて、ぷはっ、と大きく息を吸うエヴァーリーン。
「…魔獣?」
 そこでフィーリアが詳細をエヴァーリーンに話す。
 それを聞いてエヴァーリーンは、また厄介事に首を突っ込んだな、と言わんばかりにジュドーを眺めたが当の本人は既に頭の中は魔獣攻略で忙しいのかエヴァーリーンの方を見ようともしない。
 はぁ、と溜息を吐いたエヴァーリーンはフィーリアに向かい合う。
「鎖をちぎるほどの魔獣をとめろって無茶な気がするけど……とめないわけにもいかないし。…私は笛を探す時間稼ぎ……鋼糸だけでとめられないことぐらいはわかってるけど、魔獣の進行を少しでも妨げるため相手を…」
「ありがとうございます。本当にすみません。私……」
 俯いてしまうフィーリアにエヴァーリーンは言う。
「泣くのなんて何時でも出来るんだから……今は自分の出来ることをしないと……」
「はいっ」
 頷いたのを見てエヴァーリーンはジュドーに声をかける。
「それで……足止めするのは分かったけど。街外れで止めておけばいいのね?」
「あぁ、宜しく頼む。それと…絶対に殺すな」
「分かったわ。……それじゃ、ジュドーは私が魔獣に殺されないうちに笛を持って来ること」
「あぁ。善処する」
 善処じゃなくて絶対よ、とエヴァーリーンは言って元来た道を歩き出した。


------<胸の中に…>--------------------------------------

 さてと、とジュドーはフィーリアと向かい合う。
「何があったのか話して貰おうか。そこから糸口が見つかるかもしれない」
 ジュドーはフィーリアと視線を合わせ、静かに尋ねた。
 フィーリアはジュドーの視線に耐えられず俯いてしまう。
「フィーリアはギミアの事が嫌いになったのか?」
 ぶんぶん、とフィーリアは首を左右に振る。
 別に嫌いになったというわけではないらしい。
 もっと複雑な問題のようだった。

 暫く俯いたままだったが、やっと決心が付いたのかフィーリアは顔を上げる。
 そして話し出した。
「アタシ、毎日ギミアと一緒にいるのが楽しかった。アタシが大好きって気持ちを込めて笛を吹いてあげると、嬉しそうにギミアはアタシにすり寄ってきて。本当に毎日が楽しかった」
 ジュドーはその語り口が過去形なのが気になったが何も言わずフィーリアの呟きを聞き続ける。
「アタシの一族はギミアをずっと鎮める役目を負っていて……私たちの吹く笛の音がギミアを癒してあげられる唯一のもの。ギミアは深い業を追っていて笛の音が無いと永遠に苦しみの中で過ごさなくちゃならなくて……アタシはそれが苦しかった。ギミアを本当の意味で救ってあげられないことが。ただ、アタシがやっていることは痛み止めと同じ。ギミアの苦しみを少しだけ和らげてあげるだけの……全然力も無くて、大切な友達の苦しみすら取り除いてあげられなくて……そう思ったら笛が消えてしまった……」
 今のアタシは痛み止めにすらなれない、とフィーリアは涙をぽろぽろと流した。
 黒山羊亭の床にフィーリアの涙が染みこんでいく。
「今でも…フィーリアはギミアが大事なんだろう?そして今だってギミアと楽しい日々を過ごしたいと思ってる。過去ではなく未来で。それを実現させるのはフィーリアの強い思いなんじゃないかな。ギミアが大人しかったのは、笛ではなく笛の音に込められたフィーリアの気持ちなんじゃないかな。ギミアにとってフィーリアはただの『痛み止め』ではなかったはずだ。フィーリアにとってギミアが『鎮めるべき者』ではなかったのと同じで、きっと友達だと思っていたのではないかな」
 ジュドーの言葉にフィーリアは少しだけ救われたような表情を浮かべた。
「今暴れているギミアは痛みだけじゃなくて、フィーリアに捨てられたという痛みを味わっているんじゃないか?笛の音を吹いて貰えないのは見捨てられたから、と思っても不思議じゃない。ずっと一緒にいたのに突然消えてしまったらとても哀しいだろう」
「アタシ……そんなつもりじゃ……」
「ギミアは死んで苦しさから解放されても永遠に癒される事はないと思う。癒しの手は此処にあるんだから」
 そう言ってジュドーはフィーリアの手を優しく取る。
「まだずっとギミアと一緒にいたいと願うなら、ギミアにフィーリアの思いを伝えればいい。その想いがギミアに届いたら笛など無くてもきっと苦しみは和らぐ。…ギミアは友達だろう?」
 ジュドーに尋ねられてフィーリアははっとした表情を浮かべたが、しっかりと頷く。
「だったら一緒に行こう。私はエヴァと一緒にギミアを押さえる。その間にギミアを思う気持ちを伝えてみてくれないかな?大丈夫、絶対に殺しはしない。ギミアは友達だもんな」
 そう言ってジュドーは優しい笑みを浮かべる。
 その時だけは武士としての張りつめた気が緩み、ジュドーはとても女性的な暖かさに満ちた雰囲気を纏っていた。
「はいっ。アタシ…ギミアと友達ですから」
 涙を拭いながらフィーリアはにっこりと微笑んだ。


------<安らぎの声>--------------------------------------

 ジュドーとフィーリアはエヴァーリーンの居る街外れへと急いで向かう。
 ギミアを一人きりで食い止めるのはいくらエヴァーリーンといえども至難の業だろう。
 ジュドーはエヴァーリーンが無事であることを祈りながら街を駆ける。
 遠くから獣の咆哮と争う音が聞こえてくる。
 ジュドーはフィーリアに先に行くことを伝え、エヴァーリーンの元へと急いだ。

 ちっ、とエヴァーリーンは鋼糸が切れるのを感じ舌打ちしつつ後方へと飛ぶ。
 幾重にも張り巡らせた鋼糸の網がギミアによって段々と引きちぎられていく。
 こうして鋼糸を空中に走らせるのは何度目になるだろう。
 ギミアの足が振り下ろされると同時に、エヴァーリーンはそれに耐えられるだけの鋼糸でバリケードを作り後方へと飛ぶ。
 その衝撃で弾かれたようにギミアは後退し、再び体制を整えエヴァーリーンへと向かってくる。
 そこへジュドーも到着し、ギミアを見上げる。
「大きいな」
「それで笛は…?」
 エヴァーリーンへの返答はギミアの攻撃によって阻まれる。
 二人は振り下ろされた足を左右に分かれて飛び交わすと素早くギミアの後方へと回る。
 そしてエヴァーリーンは一瞬のうちにギミアを捕らえる鋼糸を張り巡らせた。
「あまり持たない…」
 先ほどから戦っているエヴァーリーンは鋼糸とギミアの力を考えそう告げるが、肝心のフィーリアがまだ来ていない。
「フィーリアが…」
「あと少し……」
 エヴァーリーンの鋼糸を持つ手に衝撃が加えられる。
 もう糸の強度が限界だった。
 二人はすぐに動けるよう間合いを取りつつフィーリアの到着を待つ。

 その時、二人の耳にとても柔らかな音が届いた。
 それは透き通った歌声。
 エヴァーリーンの持つ鋼糸に加わる力が消える。
 そして目の前のギミアが歌の聞こえてくる方を眺め、そのままその場に蹲った。
「間に合った…のか?」
 ジュドーの呟きはフィーリアの登場で確信へと変わる。
 フィーリアは笛の音色の変わりに、自身の声でギミアへの想いを伝えていた。
 柔らかく、そして慈愛に満ちた歌声。
 友を思う優しい気持ちが、ギミアに音となって伝わっていく。
 大人しくなったギミアに近づいたフィーリアは、ぎゅうっ、とギミアの首を抱きしめた。
 くぅん、と子犬のような声を鳴らしたギミアは頬をする寄せるようにフィーリアへと懐く。
 もう大丈夫だろうとエヴァーリーンは張り巡らせていた鋼糸を外した。

「ごめんね……永遠の苦しみは取り除いてあげられないけど……でも一緒になら居れるから」
 フィーリアはそっと呟いて、再び歌を紡いでいく。
 その歌声は明けていく空に響き渡る。
 そして大人しくなったギミアが嬉しそうに、くぅん、と小さな子犬のような声をあげ一晩中暴れ回った疲れを癒すかのようにそのまま静かに眠りについたのだった。

「友達とはいいものだな」
 ジュドーの呟きにエヴァーリーンはちらりと視線を移し呟く。
「友達は良いものだけど……今回のはジュドーへの貸し1ってことにしとくわ……ところで貸したまんまの貸しがいくつになったかしら……?」
 その言葉にジュドーは苦笑する。
「そう言うな。たまには……いいだろう」
「たまには……ね」
 次第に蒼さを増していく空を二人で見上げながらエヴァーリーンはそう呟いた。




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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】


●1149/ジュドー・リュヴァイン/女性/19歳/武士(もののふ)
●2087/エヴァーリーン/女性/19歳/ジェノサイド


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■□■ライター通信■□■
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初めまして。こんにちは。夕凪沙久夜です。
慟哭の獣をお届けします。
大変お待たせ致しました。

ジュドーさんにはフィーリアとの会話で活躍して頂きました。
エヴァーリーンさんとの戦闘での連係プレイを見せられなかったのが心残りです。
まぁ、今回の戦闘は足止め程度なので連係プレイもあったものではないのですが。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

またお会い出来ますことを祈りつつ。
ありがとうございました〜!