<東京怪談ノベル(シングル)>


呪いの行方



 とぼとぼと歩いて黒山羊亭に入ってきた葉子・S・ミルノルソルンを見てエスメラルダが声を上げた。
「歩いてくるなんて珍しいわね。なんかあったの?」
 いつもなら影から影へと潜り突然現れコンニチハ、もしくはのほほんと宙を舞っての登場だったりするだけに普通に入ってくると逆にそれが目立ってしまう。
 カウンターの向こう側でも驚いた様にバーテンが葉子を見つめている。
「うーん、最近特に何もなかった気がしたケド? 風邪でも引いたカナ? うひゃひゃっ」
 その葉子の言葉に何か言おうとするエスメラルダの声を遮って、遠くから葉子を呼ぶ声。
 葉子独特の笑い声に気づいた男がカードをちらつかせて誘う。
「おーい、葉子。こっちきて遊ばねぇか?」
「おー、旦那久しぶり♪ 何々〜? 俺も混ざって良いの?」
 いつものように宙を飛んで男の元へと行こうとした葉子だったが、飛べないことを思い出し仕方なく歩いてそこまで向かう。
 普段から混み合っている店内だったが、いつも宙を移動していた葉子はこの混雑とは無縁だった。かといって、ここで宙を飛ぶために翼を広げるのはいくら何でも狭いし邪魔だと思ったのか人並みをかき分け奥の席へと進む。
「なんだ、葉子飛べなくなったか? ん?」
「俺様の魔力休みに入っただけじゃネェの? 休息って大事ダシ」
 最近お疲れ気味〜、と葉子はぺたりと机に突っ伏す。
「あぁん? 魔力の休暇だと? 聞いたことねぇな。まぁ俺には関係ねーからいいけどよ。さぁ、やるぞー。葉子、今日こそ身ぐるみ剥いでやるからな」
 男が不敵に笑う。
「うひゃひゃっ。俺様毎回勝ってるケド? 今日も俺様の一人勝ちだったりシテ♪」
 今日もタダ酒〜♪、と葉子が楽しげに言うが、男は真剣な表情で金をかける。
「いーや、今日の俺は自信があるっ! お前如きに負ける俺ではないっ!」
 いくぞ、と気合いを入れてカードを配る男。
 葉子も机から起き上がり配られたカードを見る。
 手持ち札は良くはないが、いつもカードの交換時になんとかなるのだ。
 あとはカードを交換し、いつもの様にめくるだけ。
 カードを交換した男の表情を、ちらっ、と眺めるとにやりと笑みが深くなった。きっと良いカードがいったのだろう。
 しかし葉子は余裕でいつものようにカードを交換しそれを眺める。
 しばし葉子の手が止まった。
 今まで手にしたことのない程のカス。
 こんな手は初めてだった。
「どうした〜? 腕が止まってんぞ?」
「そんなことナイ…ヨ。…旦那はどうよ」
「ふっふっふ……コレまでにないくらいの凄い手だ。くらえっ!俺の今までの屈辱を洗い流す様なロイヤルストレートフラッシュを!」
 葉子の目に映るいつもなら自分の手元にある札たち。
 しかし現実は哀しくもそれは相手の手札であり、葉子の手にはノーペアのカスばかり。
「ほら、葉子。お前さんも早く出せっ」
「あー。俺様ちょっと具合悪いから今日はそろそろ…」
「そりゃぁ大変だなぁ。でもな、葉子。カード出していく位出来るだろ。さっさと出しやがれっ!」
 そのまま逃げだそうと葉子は影に潜ろうとしたが、調子が悪くて闇渡りも出来ないことを忘れていた。
 あっという間に見物人達に捕まり、葉子のカードは奪われてしまう。
 そしてそれを見た男が勝ち誇った笑みを浮かべた。

「葉子、不敗神話破れたりっ!」

 回りから歓声と拍手が沸き起こる。葉子を破った男はまるで英雄の様な湛えられっぷりだった。
 今まで葉子は負け知らず。
 そしてそんな葉子に苦汁を飲まされた人物達が黒山羊亭には山ほど居た。
 その人物達が次々と運に見放されてしまった様に見える葉子へと詰め寄り勝負を挑む。
「えーっと、俺様もう帰ろうかナァ…」
 明後日の方向を見ながら葉子は小さく呟くがそれを男達が許すはずもない。
「なーに言ってんだよ、夜はこれからじゃねぇか。まだまだたーっぷり時間はあるからな」
 にこやかな笑みを浮かべて葉子を引きずり席に着かせる男達。
 いつの間にかそこには人だかりが出来ていた。
「俺様…見せ物? 珍獣?」
「おぅ。お前の負けっぷりを皆見てぇんだとよ」
 さぁてやるか、と逃げ出さない様に葉子をがっしりと掴む男達。
「怠ぃしオウチに帰りたいナァ…なんてネ」
「俺たち全員との勝負が終わったらな」
 葉子の希望は叶えられることなく、次々と勝負を挑まれては見事なまでの負けっぷりを披露する。
 今まで勝ち続けていたのが嘘の様な負け方だった。

 男達は満足したのか、ようやく葉子を解放する。
 しかしその間に飲めや歌えやの大騒ぎで、もちろん負け続けた葉子はその代金を全て支払わされることになった。
「ご愁傷様。今までのが嘘みたいな見事な負けップリだったじゃない」
 でも負けは負けだし全額支払って貰うわよ、と笑顔でエスメラルダが葉子に告げる。
 引きつった笑顔で葉子は、えへっ、と笑ってみせた。
「エスメラルダ、俺たちお友達だよネ?」
「えぇ、そうね。でもね、それとこれとは話が別よ」
 あくまでも払え、とエスメラルダは笑顔で葉子に無言の圧力をかける。
 うひゃひゃ、とごまかす様に笑った葉子だったが、結局はエスメラルダに借金をすることになったのだった。
 しかし、葉子にまとまった貯金があるはずもなく笑顔でエスメラルダに問いかけられる。
「で…どうするのかしら?」
「…カラダで返すカラ」
 優しくしてネ、と葉子は目の前のエスメラルダとカウンターでその様子を見守っていたバーテンに、パチリ、とウインクをする。
 そんなふざけた様子を見せる葉子にエスメラルダは、はいはい、と頷いてバーテンと同じ制服を葉子に与えたのだった。


「おニィさん、どぉ? 似合うカナ?」
 バーテンとお揃いの制服を着た葉子がくるりと回ってみせる。
「オレより似合ってるんじゃないですか?」
 その言葉に、うひゃひゃ、と笑いながら葉子はバーテンの隣をちゃっかりと陣取った。
 狭いカウンターに男二人。
 見た目にもきつそうに見えるが葉子はお構いなしだった。
「えーと、葉子さん? ここはオレがやるんで葉子さんは別の所を…」
「んー、俺様、おニィさんと一緒にシャカシャカするから無問題」
「いや、そうではなくですね…」
 しかしこうなると何を言っても無駄だといつもの経験上分かっているのか、バーテンは溜息を吐きつついつもの仕事に専念する。
 ちらっ、と隣を見てみると葉子が慣れた手つきでシェイカーを振り客に愛想と酒を振る舞っているのが目に入った。
 基本的に葉子はとても客商売に向いているのではないかと思う。
 そしてオリジナルカクテルを作るセンスも。シェイカーを振る姿も映える。

 そんな事を思っていると目の前にグラスが差し出される。
 中に入っているのは可愛らしいピンクの色をしたカクテル。
「葉子さん?」
 不思議に思ったバーテンが首を傾げて葉子に尋ねた。
「俺様特製カクテル第666666弾。おニィさん用に作ってみたんだケド。可愛らしい初々しい感じでネ」
 何やら最後の方に凄い言葉とそして凄い数字が並んでいるがそこはあえてツッコミを入れず、バーテンは言う。
「アリガトウございます。でも今は仕事中ですし…」
「いつもおニィさんに美味しいの作ってもらってるからお返しだったり。要らナイっていうなら俺が口移しで飲ませてあげよーか?」
 バーテンの顎を軽く人差し指で持ち上げてみせる葉子。
 綺麗な造形の葉子の顔が迫り、バーテンは顔を赤くしてたじろぐ。葉子の好意は純粋に嬉しかったが、この展開はどうだろう。バーテンはなんだかんだいいつつも葉子のことが気になっていたため悪い気はしないのだが、公衆の面前でのこれは如何なものか。
 端から見ると凄い図だった。狭いカウンターで迫られるバーテン。背後に逃げるスペースはなく追い込まれた兎ちゃん状態。
 好奇の視線があちこちから突き刺さる。
 バーテンは高鳴る胸を押さえつつ上擦る声で葉子に告げた。
「あ…あのカクテル頂きます…だからその…手を離して頂けますか?」
「おニィさんの顔見てんの結構スキなんだケド。もうちょっとじっくり」
 ニヤリ、と笑みを浮かべた葉子はバーテンの反応が面白かったのか更に顔を近づける。必死に逃げようとするバーテンの紫紺の髪が揺れた。
 バーテンは、苦し紛れに葉子に提案をする。
「オレも葉子さんにカクテル作りますからっ」
 すると、オレも飲んで良いノ?、と葉子はすんなりバーテンから手を離した。
 ドキドキと心臓が早鐘を打つのを聞きながら、バーテンは言葉通り葉子用にカクテルを作る。
 それはいつもと同じ葉子専用のカクテルだった。

「はい、どうぞ」
「俺様のカクテルー!」
 やっと酒にありつけた、と葉子はグラスを取りバーテンに掲げる。
「おニィさんも掲げて」
 頭にハテナを飛ばしながらバーテンも葉子と同じようにグラスを掲げた。すると葉子は軽くそのグラスを合わせてみせる。
 チンっ、と軽い音がその場に響いた。
 そして二人揃ってカクテルに口を付けているとそこへエスメラルダが現れる。
「あんたたち……さっきから黙って見てれば妖しいオーラを放って何してるんだいっ。ったく……」
「何って愛を確かめ合ってたんじゃナイ?」
 うひゃひゃ、とグラス片手に笑う葉子。
 本気か嘘か分からない微妙なところだ。
 エスメラルダも取り合わないことに決めたのか、はぁ、ともう一度溜息を吐きつつ呟く。
「あのね、さっきから見てると飛べないし影にも潜れないみたいだし、物凄い負けっぷりをみせてるし…。葉子、もしかしなくても魔力ほっとんど無くなってるんじゃない?」
 エスメラルダの呟きを聞いて、葉子は頷く。
「俺様の魔力休暇に入ったらしいヨ」
「えっと、それなんか違うと思うんだけど……。魔力の休暇って何よ、それ」
「…葉子さん、何か最近ありませんでした?」
 バーテンが心配そうに尋ねると、何か…、と考え込んだ葉子は思い出した様に言う。
「そういやこの間皆と一緒に木陰で金色の額縁見つけたんだヨネ。すっごいキレーな金で出来ててなかなかの値打ちもんに見えたケド。で、ソレ覗き込んだらあっという間にその場にいた4人がその額縁の中に描き出されてすげーって。描き終わったらそのままその額縁自体消えちまってサヨウナラ。…それ位カナ?」
 バーテンとエスメラルダは顔を見合わせる。
「葉子…それってちょっと前に噂になってた『呪いの絵画』じゃないの?」
「呪いの絵画?」
 聞いたことが無かったのか、まさかそんなの俺様見るわけないジャン、と葉子が言うがバーテンが首を振る。
「でも今葉子さんが仰ったのとほぼ同じ噂がありましたよ。その呪いの絵画というものは、見た者の魔力や生気を奪い続けると。その証拠として葉子さんの今の状態があるのではないかと。その呪いが解けるのは、新たな生け贄というか人物がそのキャンパスに描かれた時だということですけど」
 げっ、と葉子はようやくその話を自分のこととして受け止めた様だ。
「それじゃ、俺様このまま新たな人物が描かれるまで、翼無しにソラ飛べなくて負け続け?」
「えぇ。それかその呪いの絵画を見つけ出し然るべき役職の方にお願いして呪いを解いて貰うかしかないと思います」
「俺様悪魔だから然るべき役職の方にはお会いしたくなかったり〜…。俺様まで昇天させられちゃうヨ」
 ヤダねヤダね、と葉子は駄々っ子の様に言う。
「それじゃ気長に待つしかないね。…ま、その間うちでたーっぷり働いて貰うから」
 覚悟しなさい、とエスメラルダは爽やかに笑う。
「そんなに俺様借金してた?」
 恐る恐る葉子がエスメラルダに尋ねると、エスメラルダが艶やかな笑みを浮かべる。
「当たり前じゃない。今日何人に負けたと思う?その人たちの飲み代全部あんた持ちになってるんだから」
「……おニィさん…これからもヨロシク」
 優しいおニィさんだけが俺の心の拠り所、エスメラルダは鬼ー、と言う葉子。
 その言葉に手を振り上げ怒るエスメラルダから隠れる様にバーテンの後ろに潜り込んだ葉子はうひゃひゃと笑う。
 陽気に振る舞ってはいるものの、やはり今まであった能力が封じられてしまったとなると本人としては辛いところだろう。
「えーと…とりあえずこちらこそよろしくお願いします…ですかね?」
「そうそう、ヨロシクー! 早く俺様元通りにならネェと。勝ちまくって借金返済ーっ!」
 バーテンは複雑そうな表情を浮かべ、自分の後ろに隠れる葉子を眺める。

 いつまで葉子は黒山羊亭で働き続けるのか。
 いつまで葉子は呪われ続けるのか。
 その行方は誰にも分からない。
 それは行方をくらました『呪いの絵画』のみが知っている。