<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【逃亡者】
「失礼します!」
 場違いすぎる発言である。エスメラルダはたまらず笑ってしまった。それは見慣れた鎧姿のエルザード兵だった。
「あはは、兵士さんここは初めてなの? お客さんなんだからそんな大仰な挨拶はいらないわよ。第一お酒を飲むのにその格好は――」
「私は客としてではなく、城の兵士として来ております」
 エスメラルダは目を細めた。
「……で、何よ」
「恥を忍んで申しましょう。我が城の牢獄から、凶悪犯が脱走しました」
 一斉に黒山羊亭は騒然となる。
「今回はその脱走犯を見かけたら城までご一報願いたいということで」
「わかった。それはその犯人の似顔絵ね?」
 エスメラルダは兵士が右手に持っていた紙を受け取ってカウンターに貼った。兵はそれで帰っていった。
「城の警備は間抜けではないし、その犯人が相当やり手だったのね」
 エスメラルダがため息をついた瞬間。
 外から一陣の黒い風が侵入した。それは瞬く間にエスメラルダに流れ込んでいった。
 風は人の形を成した。エスメラルダを後ろから掴むと邪悪に笑った。
「……あなた、脱走犯の」
「そう、クーダ様だ。そこの適当な客、城に伝えな。この女を殺されたくなければ金をたっぷりと用意しろと」
 客のひとりが外へすっ飛ぶ。
 だが、クーダは知らなかった。ここが腕利きの冒険者の溜まり場であることを。

 厄介なことに巻き込まれたな、と隅に座っていたアイラス・サーリアスは辺りに聞こえないように舌打ちをした。
(人質なんて邪魔にしかならないだろうに)
 愚かなこと、とすら思う。そんなことをしなくとも強盗でもすれば金くらい手に入れられるはずである。あまつさえ城の兵に居場所を告げるなど上手くない。脱獄したばかりで焦っていたのだろうか。それとも危険な状況に身を置き、それを潜り抜けることに快感を覚えるタイプなのか。
 とにかく助けなくてはならない。相手が人質を傷つけることのないよう、追い詰めないように。
 音を立てて席を立った。クーダとエスメラルダがアイラスを向く。
「何だお前、正気か」
 クーダがそう言ったのは、アイラスが自分に向けて銃を構えているからだった。エスメラルダは唾を飲んだ。彼が銃器の類を使いこなせるとは本人から聞いてはいたが、実際目にするのはこれが初めてかもしれない。
「人質を避けて撃つ自信でもあるのか。そう上手くいくかね。彼女が死ぬようなことになったらどうする?」
 クーダはせせら笑った。しかしアイラスの態度は崩れない。
「――構わないと言ったらどうしますか?」
 客たちがどよめく。クーダもわずかに顔色を変える。
「バカな、口先だけだろう」
「僕は本気ですよ?」
 アイラスは一糸も乱れぬ顔で、撃った。
 エスメラルダの右腕をかするスレスレの弾道。凄まじい破壊音とともに、後ろの棚の瓶が割れた。後ろから悲鳴が上がる。
 呆然とするクーダ。アイラスは再びエスメラルダに照準を合わせる。
「……は、ははは! やるなお前」
「どうも」
 他の客は固まったままだ。無駄に動くことが懸念の種だったが、幸いにしてその様子は見られない。
「相当腕が立つな。面白い気に入った。どうだ、俺と一緒にやらないか」
「ご冗談を。それよりクーダさん、ここに入ってきた時には風のような状態でしたが、あれはあなたの能力ですか」
 クーダは会話に乗り始めた。金が到着するまでの暇つぶしとでも思っているようだ。
「ああ、牢屋もこれで抜けた。体力が満タンでないと発動できないんだがな」
「素晴らしい力ですが……じゃあいくら正攻法で捕まえても無駄ですね」
 アイラスがため息をついたその時。
「あたしが代わりに人質になるわっ」
 入口から聞き覚えのある女性の声がして、アイラスは振り返る。
 沈痛な表情を浮かべ、踊り子のレピア・浮桜が佇んでいた。
「別に人質なんて誰でもいいんでしょう。あたしがなるからエスメラルダを」
 クーダは怪訝そうにレピアを見る。
「何でまた」
「恋人だからよ」
 大勢の人目を気にせずハッキリと告げた。クーダは一瞬目を丸くし、高笑いを始めた。
「くっ……ははは! いいだろう。お前がこっちに来て俺の腕に抱かれろ。そうしたら店主は解放してやる」
 レピアはクーダに歩み寄る。アイラスとすれ違い、少しだけ顔を向ける。
「ありがと、混乱させないでくれて」
「……ええ」
 アイラスは銃を下ろした。こちらに注意をひきつけて場を乱さないという自分の役割はこれで終わり。あとはレピアに任せればいい。
 彼女の狙いはわかっている。この神秘の踊り子がクーダに負けるはずはないだろう。
 人質交換の時。レピアはクーダに手を掴まれた。
「朝」
 レピアがポツリと言った。それがメッセージだと気がついたが、エスメラルダは何も反応しなかった。そしてゆっくりとクーダから離れていった。

 アイラスを含め、黒山羊亭の客は全員が外に出た。クーダがお前らは邪魔だと喚き散らしたのだ。美貌のレピアをひとりで眺めたいと思ったからである。あとは身代金の到着を待つばかりだった。
 だが日付が変わろうという時刻になっても、金は一向に来はしなかった。
「この俺に渡す金などないということか。それとも俺が眠りこけるその時を待って突入しようってのかね。あいにく昼間にたっぷり寝ておいたから無理だがな」
 クーダは店の酒を飲みながら豪勢に笑う。視線の先はレピアの舞。
「いいね姉ちゃん。俺の女にならないか」
「男には興味ないわ」
「そういう強気なところがまたいい」
 見目麗しい体とこの世のものとは思えぬ美しいダンスは、凶悪犯の心を和ませるほどだった。
 彼女が踊っているのが、ただ気を引かせるためだとは気づいてはいない。

 そしてついに夜が明けようとする頃。
 
「犯すか。そうすりゃ城の連中も目の色を変えるだろう」
 いいかげん苛立ってきたクーダがそう言って近づくと、
「ちょっとタイミングが悪かったわね。あたしの勝ち」
 レピアは笑って見せた。
 クーダは目を剥いた。レピアの青い髪が、白い肌が、灰色に変わっていく。
 瞬く間に人質は――何物にもビクともしない石像に変わった。
 わけがわからなかった。何だ、これは!
「そこまでだ、クーダ!」
 静寂を破り一斉に突入してきたのは、もちろんエルザード城兵士たちである。少しも休まず一夜を明かし憔悴しきっていたクーダは為す術なく再び捕縛の目に遭った。
「観念するんだな。アイラス殿に聞いて魔法封じの術者を用意してある。今度は風になって脱出など決して叶わんぞ」
 はめられた。
 クーダはここに至って初めて、黒山羊亭に入ったことを後悔した。
 
■エピローグ■

 また夜になりレピアが石像から目覚めると、エスメラルダはカウンターで隣り合って座った。
「私たちが店を出た時、すでに兵士たちは着いていてね。人質最優先ってことですぐにでもお金を届けるつもりだったの。私はレピアの作戦に気付いてるから朝まで待ってって言ったけど、当然何を馬鹿なことをって怒られて」
「それで?」
「アイラスが一緒になって、兵を説得したの。そしたらピタリと黙ったわ。彼、お城にはだいぶ信頼があるみたい」
 エスメラルダは大きく伸びをし、深呼吸した。
「怖かった。助けてくれてありがとうね。お礼をたっぷりしなきゃいけないけど――何がいい?」
「うん、今夜は一緒に眠ろう」
 迷わずレピアは言った。互いの無事を肌で感じ合いたい、心底そう思った。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。発注ありがとうございました。
 エスメラルダ大ピンチ? な話を書こうと思ったわけですが
 アイラスさんレピアさんという歴戦の冒険者の前にあっては
 難なく解決、というところでしょうか。
 
 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu