<東京怪談ノベル(シングル)>


内に潜む悪魔


「こんにちは、オーマせんせー」
 力なく扉が開くと同時に、か細い声が室内に響く。
「おう、お嬢ちゃん。調子はどうだい?」
 オーマも元に訪れた、まだ年端も行かぬ少女に、彼はいやらしいほどの笑顔を向ける。
「うん、今日はだいぶ調子がいいの」
「そうか、そりゃーなによりだ」
 彼の言葉に、大きく頷くと、少女もまたオーマの笑顔に答えるように笑顔を返してくる。

 それがオーマにとって、とても心地よいものだった。

 少女がオーマの元に訪れるようになってからずいぶんと経つ。
 少女が罹っている病気は、本来ならば直ぐによくなるようなものだ。
 だが、オーマの元に訪れてからも、その病状は軽くはなっているが、治る兆候は未だ無い。
 特別な調合を施した薬を用いても尚、少女の病状に変化はなかった。

「ところでお嬢ちゃん、前から思ってたんだがその小汚ねー人形はなんだ」
 オーマはその少女が大事そうに抱えている人形を指差した。
 少女がここに訪れるときには、いつもその手に人形があった。
 損傷が激しく所々糸がほつれており、埃による汚れが目立つ。
 お世辞にもきれい、とは言い難い状態だ。
 が、修繕されたり綺麗にされたり…などという気配は一向にない。
「これ…ずっと前にパパが物置で見つけたって、もってきてくれたの」
「ほぉ〜、道理で小汚ねぇわけだ」
 オーマは妙に納得したように、少女の胸元に抱えられた人形を見てうんうんと頷く。
 しかし当の本人はそのことが気に食わないのか、大事そうにぎゅっと人形を抱きしめると、
「むぅ、あんまり汚いとか言わないでよ。これでも気に入ってるんだからっ」
 などと言われ、オーマは珍しくも、ばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。



「っしゃー、今日のお勤め終わりっ!」
 ぐぐっと背筋を伸ばし、思いっきり伸びをする。
 しかし思いっきり伸びをするには、オーマの大きすぎる身長にはいささか天井が低い。
 こんなときばかりは、自分の背の高さを無意味に恨んだりもする。
「デカすぎるってのも考えもんだ」

 天井でも改築しようか、などと考えながら帰り支度をするオーマの目に、見慣れないものが映った。
「んぁー? なんだこりゃ…」
 と、それを手に取ると、それはオーマの元へ診療に訪れた少女が持っていた人形だった。

「ったく…あんなに大事そうにしてたのに忘れてくかぁ、普通…」
 散々汚いとバカにしていた人形を目線まで摘み上げる。
 それを眺めてるうちに、人形がまるであの少女のような感覚に陥ってきた。

「しょーがねぇなぁ…あのお嬢ちゃんとこはどこだったか…」
 懐に人形をしまい、オーマは足早に部屋を出た。
 届けてやろう、などと改めて思うことは無い。
 その行動は、オーマにとって極自然の事であり、当たり前の事なのである。


 夜道を一人、屈強な親父が足音を立てて進む。
 既に陽は暮れて、その暗い夜道には人影ひとつ見当たらない。
「…っかしいな、道にでも迷ったかぁ?」
 頭をボリボリと掻き、路頭に迷い辺りをキョロキョロと見渡した。
「さっきも通ったはずなんだが…」
 妙な違和感に苛まれ、その場に立ち止まるオーマ。
 道がどこまで歩いても進まず、景色は同じ間合いを保っている。
「妙だな……」
 迷った、と思い足を止めてからというもの、明らかに普段は感じない異様な気配を身体全体に感じていた。
 この異様な気配は…間違いなく『ウォズ』の持つ気配だ。
 その異様な気配に、オーマは身構える。
「間違いなく近くにいやがる…」
 今までこんなに近くに『居た』のに気づかないとは。

「―――原因は……こいつかっ!」
 咄嗟に何か思いついたかのように、手にした人形を放り投げた。
「こいつぁ驚きだ。今までだんまり決め込んでやがったと思ったらそういうことかぃ」

 オーマの元に忘れられ、道端に横たわる人形が、ゆらりと力なく起き上がる。
 この世の者とは思えぬ、異形の姿にその身を変えながら。
『グヒャヒャ、もう十分だ。もう十分魂は食わせてもらった』
「まさか物に憑依していたとはな…物質の内側に隠れて中から少しずつ獲物を食らう、と」
「…まるでミノムシみてぇなヤロウだぜ、ったく」

『おかげでこの世界で動くには十分な魂を食わせてもらった。後はきっかけを待つだけだったってわけだ』
『あの小娘を次の媒体にするのもいいが…ちょいと魂を食いすぎた、長くはもたんだろうしな』
 グヒヒヒ、と卑しい薄ら笑いを浮かべ、そのウォズはオーマに言い放った。

「という事はあれだな。あのお嬢ちゃんの病気ってなぁ、そう言う経緯か。なんなら、俺の魂でも吸っとけや。ちょいと屈強な親父のだがな」
『貴様の汚れた魂などいらん』
「そら残念なこった……コレでも魂の器のデカさには自慢があるんだが」

『ググッ…貴様にはわからぬさ。
 アレほどまでに小奇麗な魂が、どれほどオレ達の腹を満たしてくれることか』

「そういうことかい。 じゃあこんな姿じゃあ申し訳ないんで…」

 少しばかり全身に力を込める。
 すると髪から光の粒が零れ落ち、その通り道を境に髪の色が銀色代わり、肉体は若々しい青年の姿へと変貌する。

「ちょいと若い姿ならどうだい?」

『キサマ…ヴァンサーか。だがキサマがその力を使ったところでこのオレにはどうすることも出来ない』

「そういうテメェは……」
 ただのバカじゃない、薄ら笑いを浮かべてそう言葉の飲み込む。

 普段なら具現化した銃器で一発…あえて力を解放せずとも、仕事は済むはずだ。
 だが直感的に、こいつは一筋縄ではいかないと、オーマは感じていた。
 ウォズ自体が思念を持ち、言葉を話す。それはこのウォズがそれほどの力を持っていることを証明していた。

「でもそれもコレまでだ。次でお前は消えるぜ」

「俺ぁあんまり殺生ってやつは好きじゃねーんだが…今回ばかりは穏やかな気分じゃねぇ」
 そういうと、オーマはゆっくりと手を伸ばし、具現化銃器を空間に浮かばせた。

「消えな、カスヤロウ!」
 その言葉を言い終えると同時に、銃器から光があふれ出す。
 光はウォズの身体を包み込み、小さく凝縮したかと思うと、四方八方に飛び散った。

 やがて明度は元の暗さを取り戻し、ウォズの姿はもうそこにはなかった。
「消す前に一言くらい言わせてやればよかったか…なんてな」

 やれやれ、と言わんばかりにその場に背を向け、来た道を引き返す。
 しかし…。

 ウォズの気配は未だ消えていなかった。
 それどころか、先ほどよりも強い力を感じる。
「テメェ…」
『いっただろう、キサマに俺を倒すことは出来ない、と』
 やはり。
 こいつはただのバカじゃない、相当キレるやつだ。
『オレは中にいるんだ。倒す事はおろか、触れることすら出来ぬ』

「ふん…憑依型の特徴ってやつか…まったく厄介な野郎だぜ、ったく」
『それだけじゃない、物だけでなく空間にすら憑依することができるのさ』

『よってキサマには、どう足掻いても勝ち目は無いってことだァッ!』
 目には見えないウォズの気配が、オーマの周りを素早く移動する。
 捕らえようが無い敵に、オーマが選択した手段は一つ。

「テメェは一つだけ、過ちを犯した」
『何だと…?』
「ようするに、テメェはもう負けてるって事よぉ」

「あんまりやりたかなかったが、認めてやる。
 さすがの俺様でも空間を根こそぎぶった切るってぇのはちと無理な話ってもんだ」

 銃を捨て大きく両手を広げ、ゆっくりと目を閉じ、全神経を集中させる。

『何をするつもりだ…?』
「そんなこと聞く暇があるなら、テメェの心配でもするこった」
 ガッと目を見開き、その場に言い表せぬ威圧感が押し寄せる。
 風を巻き起こし、辺りは砂埃に見舞われる。
『コケ脅しか…? 気を開放するだけで、何を…っ!』

 次の瞬間ウォズが見たものは…天に届くかの如く伸びた翼をもつ、銀の獅子の姿だった。
『グ、ググゥ…まさか…マ、マンティコア…!?
 それがキサマの本当の力だと言うのかぁっ…!!』

 うろたえるウォズの思念に、オーマの言葉が直接響いてくる。

「あんだとぉ? この超カッコイイ俺様が…あんな化けモンと一緒にされんのは心外だ」
「…まぁいい。言ったとおり、ぶった切らせてもうらぜっ」

 と、ウォズの言葉も聴かず、オーマは巨大なその前足を一振りする。
 まるで嵐でも訪れたかのような風が、その場を駆け抜けていった。
 その一閃の通り道が小さな空間のゆがみを作り出す。
 間違いなく、空間に憑依したウォズを一刀の元に、空間ごと切り裂いたのである。

「お前は空間に憑依するってな…手の内明かした時点で負けてんだよ」
『ウグググッ…オレを狩ったところで…もう遅い。
 あの娘の魂の大半はオレと共に消えることになる…』

 もういい、それ以上喋るな。
 あとは消えて無くなれ。
 オーマはそう念じ、その姿を元に戻す。
 銀の獅子はその姿を歪ませ、まるで羽ばたかんが如く、光となり空に消えた。

 その場に既にウォズの気配もなく、何事も無かったかのように元の静けさを取り戻す。

「俺は聖職者じゃぁないが…救える者は救いたい。だがお前は…」
「お前は、その力に溺れ、やっちゃなんねぇ事をしたのよ…それだけだ」

 吐き捨てるように言い放ち、踵を返す。
 だがこれで、少女は苛まされていた病から開放されることだろう。
 それだけでも、オーマの心は晴れた気持ちで満ちていた。

 ウォズを無事退けたオーマは、少女が大事にしていた人形のことを思い出す。
 あれほどまでに大事に抱えていたのに、どんな顔をして事情を説明したものか。
「こりゃまいった…あんなに大事にしてたのによぉ、今更なんて言やーいいんだ」
 と、しばらく頭を抱え、暗い夜道で一人怪しげに唸っていたが、一ついい考えが浮かぶ。

「…作るか」



 ―――翌日。
 少女が再びオーマの元を訪れた。
 おろおろとさびしげに、何かを探しているその様子に、オーマは既に察しがついていた。
「オーマせんせー、私昨日人形置いてっちゃった…」
「おお、アレか。アレならな…」

 オーマはひょいっ、と懐から人形を取り出した。
 それを見た少女の目が輝きだし、オーマの元に駆け寄ると半ば強引に奪い取るように人形を手に取った。
「あれ、なんか昨日よりも感じが違う気がする…」
 と呟く少女に、にんまりとまたあの怪しい笑いで、
「ぶっ壊れてたところがあったから、俺の超素晴らしい手術テクで治してやったのさ」
 などと自慢げに語りだした。
「どうだいお嬢ちゃん、新しくなった気分だろ?」

「その人形みてーに、お嬢ちゃんも病気治さねーとな」
「うん、ありがとーせんせー!」
 よしよし、と少女の頭を撫でる。
 ゴツゴツとしたオーマの手には、余りにも小さい少女の頭。
 少女の嬉しそうな顔に、オーマもニヤニヤと気持ち悪いくらいの笑顔を向けた。

「大事にしろよなぁ? なんてったって俺様の魂が数ミリくらい入ってんだからなっ」




 ―――後日、巨大な獅子を見たという男性が、頭がおかしくなったんじゃないかとオーマの元を訪れる。
 しかしオーマはそのことに対し、苦笑いをするしかなかったのは言うまでも無い。