<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【黒い悪魔と婚約者】
「女、酒を出せ」
 低い。カウンターに座るなり横柄な口を利くのは、エスメラルダの身長の半分にも満たない少年だった。それでいて逆立てた漆黒の髪とマントで身を覆っている。ただ大人ぶっている、というのが女店主の感想だったのだが。
「……ここはあなたにはまだ早いんじゃなくて? 坊や」
「俺はルイカ。こう見えても齢数百を超える悪魔だ。いいから酒を寄越せ」
「へえ」
 容姿が幼いまま成長する種族というものは珍しい。エスメラルダはグラスにワインを注いでやった。
「……ここは、どんな依頼をも受けてくれる冒険者が集まると聞いた」
 ワインを一気にあおると、黒い悪魔はポツリと呟いた。
「ええ、そうよ。どんなご用件?」
「俺の婚約者が、人間の神父にさらわれた。何もしていないというのにだ!」
 ルイカは重々しく概要を語った。夜道をふたりで歩いている最中、神父は目の前に現れた。呪文を唱えてふたりを動けなくしたかと思うと、ルイカのフィアンセは彼に連れ去られたという。
「やつはここから東北の教会にいることがわかっている。だが結界が敷いてあって俺は近づけん」
 だから頼むと言ったきり、彼はうつむいた。敵である人間の店に助けを求めるのは苦渋の決断だったのだろう。

 ルイカは最初、不安に駆られていた。悪魔の頼みごとなど受けてくれる人間がいるものか。
 表情から何を考えているかを察したエスメラルダはカウンターでワインを飲んでいたアイラス・サーリアスに解決を依頼した。彼はふたつ返事で了承した。そしてまた偶然居合わせたサラミスも協力すると名乗り出た。あまりにも簡単に事が運び、ルイカは呆気に取られた。
「また聖職者っていうのは厄介な相手ですよね。自分の考えに凝り固まっていて」
 アイラスは淡々と語る。善悪など簡単に分けられるものではない、全てを神が創ったというのならば悪魔も神の創造物なのだ――云々。
「説得は難しいだろうか。最悪の場合は銃殺になるか」
 アイラス以上に無表情でサラミスは言う。
「お前ら、聖職者の類に個人的な恨みでもあるのか?」
 ルイカはたまらず尋ねる。
「別にないですよ」
「同じく。堅苦しく考えることはない。困っている者がいるから助けるのだ」
 アイラスとサラミスは互いに頷きあう。それ以外に何がある、と。
(こんな人間がいるのか)
 かつてなかった、まったくの差別なく接してくる者たち。ルイカの胸は、せり上がるような戸惑いでいっぱいになった。

 ルイカの話によれば、さらわれた婚約者――カシスはルイカと同じく非成長型の悪魔。数年前に知り合ったふたりは互いに天涯孤独の身ということもあって、急速に惹かれあった。そして婚約を交わした矢先の誘拐事件――。
 話を整理しながらアイラスとサラミスはエルザードから少し離れた東北の教会に着く。小さな村の中の、これといった特徴のない白い建物。ごく普通に敬虔な雰囲気を漂わせている。
 結界が敷いてあるらしい入口は扉が開け放ってある。善良な一般人のふたりは難なくやり過ごす。
「おお、お客様か。ようこそ」
 聖堂の奥、箒で床を掃除していた神父が振り返った。ろくに音を立てず、声もかけていないのに。
「お祈りですか。それとも懺悔かな」
 神父が近づいてくる。ずいぶんと体格のいい初老の男だ。アイラスもサラミスも、彼の持つただならぬ気配と腕を瞬時に感じ取った。
「僕たちは趣味で世界中の教会を見て回っている者です。少し見学させていただきたいなと」
 アイラスは口からでまかせを言った。笑う神父。
「聖堂の他には台所と洗面所と私個人の部屋程度です。見るものなどありません」
「質問いいでしょうか」
 サラミスが前触れなく突拍子のない質問をする。
「たとえば悪魔が人間と同じように幸せに慎ましく暮らしていたとして、あなたがた聖職者はいかがしますか」
「悪魔? 無条件で死すべしです」
 間髪入れずの回答。尋常でない反応である。
「そうだ、先日その唾棄すべき悪魔を捕らえましてね。ジワジワと痛めつけているところです。見物していってはどうですか。ふふふ」
 ――吐き気を覚える光景だった。神父の私室に通された冒険者たちが見たものは、壁に括り付けられている少女、カシスだった。彼女は裸にされ、十字架と聖水による火傷を負い、涙と涎を流しながら気を失っているのだ。見るも無残な姿で、当然話などできない。
 ただ悪魔が憎いだけでなく幼児虐待の気もあるのではないか。サディスティックに笑う神父の顔には、充分にそう思わせる狂気が満ちていた。可哀相過ぎやしないか、離してあげてはとアイラスが頼んだが、神父は聞く耳を持たない。
 ふたりは教会の外に出た。アイラスは身震いし、サラミスは頭の調子がおかしくなりそうだった。安否の確認はできたが、これ以上の猶予はならない。
「どうしますサラミスさん。彼、なかなかやるようですし真正面からはちょっと」
「ふむ、私の考えを聞いてほしい」
 サラミスは作戦を語り始めた。

 夜になって村が寝静まる。月はない。ほとんど暗闇だ。
 アイラスたちは、ほのかに明るい教会の中をうかがっている。迷える誰かがいつでも来られるように、いつも施錠も消灯もしないらしく、潜入自体は容易である。
「これより任務開始する!」
 サラミスがゴーサインを出した相手は彼女の誇る尖兵突撃部隊。一騎当千のマシンドールたちはよく聞こえすぎるほどの音を立てて、聖堂内へと入り込む。 
 出てきた。神父が慌てた顔をして部屋から飛び出してくる。
 サラミスは狙撃ポイント・窓ガラスの外側に移動している。ここからは聖堂内がよく見渡せる。
「ええい、何者だお前たち! ここを神の御前だと知っての蛮行か!」
 カケラほどの躊躇もない。アサルトライフルを構える。喚き散らす神父に照準を合わせて――
 ターン!
 神父がよろけ、右肩を覆った。急所を狙ったつもりだったが、一瞬早くサラミスに気付いたのか。いずれダメージは大きい。
 この隙にアイラスはカシスが囚われている神父の部屋に窓から侵入している。魔力を込めた手刀で鎖を断ち切り、グッタリとする裸のカシスに毛布をかぶせ、元来た経路から脱出する。ものの10秒もかからぬ早業である。襲撃と奪還のコンビネーションがここにあった。
「おのれ不意打ちとは卑怯な。貴様ら、さては人間に化けた悪魔だな」
 神父は右腕をダラリとさせながら、目を細めサラミスを睨む。
「……あいにく人間でも悪魔でもない。さて、今頃は相棒があの悪魔の少女を救い出している。もはや我々の目的は遂げられたが、いかがする」
「しれたこと、今一度捕縛して貴様らもろとも滅してくれ……る」
 声に破棄がない。無駄だとわかっているのだ。傷を負っている上、数が違いすぎる。勝てるはずもない。1対1ならばどんな戦士にも引けを取らないのだろうが、冷徹な兵器的作戦の前には無力だった。
 それでも神父はサラミスへと襲いかかった。歪んでいるとはいえ、彼なりの信念に従って。
 サラミスは事も無げにその突進をかわし、首筋に蹴りを叩き込んだ。
 それで終わった。今度こそ神父は地に伏せった。
「あ、終わりましたか。カシスさんは外で待機してもらってますよ」
 アイラスがやってきて、念のためあらかじめ用意していた縄で神父を縛る。
「今に……神の天罰が下るぞ!」
 神父は失神寸前に叫んだが、アイラスもサラミスも一切気にしない。

■エピローグ■

 黒山羊亭に入った途端、カシスは泣き出した。生きて再び恋人の元に戻れようとは思っていなかったのだ。
「カシス、ひどい目に遭ったな。でも」
 ルイカは泣きじゃくるカシスを抱きしめた。
「人間を嫌いになるのは……待ってくれ。お前を助けたのも人間なんだからな」
「うん、うん」
 ルイカは深呼吸する。そして彼らがいないことに気付く。
「あいつらはどうしたんだ? 礼をしなきゃあ」
「入口で別れたわ。あの人たち、別に礼はいらないって。私も引き止めたんだけど」
「……欲もないのに悪魔の手助けか。はは、とことん妙な奴らだな」

 アイラスはすでに宿に帰って休み、サラミスもまたひとり自分の部屋で戦闘のデータを経験に記録している。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【2393/サラミス/女性/26歳/高速機動武装隊】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。発注ありがとうございました。
 常日頃、悪魔だからって無条件で悪いわけじゃないと
 思っていますが、今回はそんな内容でした。

 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu