<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


エルザード仁義無視の戦い<嵐の大食い大会>
●オープニング【0/9】
「風よ! 雨よ! エルザードよ! 私は帰って来た!!」
 真っ暗な空に走る稲光が、叩き付けられる雨の中、城の上に立つ影を浮かび上がらせる。
「これから始まる世紀の戦いを、その目でしかと見るが‥‥にゃにゃにゃーーーッッッ!!??」
 吹き荒ぶ風に押されて、ひらひらと飛んで行った影は糸が切れた凧の如く、エルザードの空に舞い上がり、そして‥‥。


「大食い大会?」
 日当たりのよい窓際で微睡む猫の背を撫でながら、シェリルが頷いた。
 ここ白山羊亭には、いろんな情報が集まって来る。
 今日、彼女が顔見知りに告げたのは、延期されて久しい大食い大会がようやく開催されるとの噂であった。
「あー‥‥予選で死人が出たとか言うアレ?」
「死人は出てないわよ。でも、司会者が異世界に飛ばされていたとか、幽霊に捕まっていたとかで延期されていたみたい」
 肩を竦めて、舌を見せるとシェリルは1枚のチラシを彼らに見せた。
「興味があるなら、参加してみたら? 今回は作る人と食べる人の無制限勝負みたいよ」
 どうやら今回は、料理を作る者とそれを食べる者を募集しているようだ。ルールは至って簡単。味であれ、量であれ、作る側は食べる側に、食べる側は作る側に「参った」と言わせればよいだけだ。
−但し、
 チラシの最後に書かれた文字を、肝に銘じておくべきだろう。

−但し、命の保障なし−−−−−

●尽きぬ想いを【3/9】
 料理というものは、材料を揃えて呪文を唱えれば完成する‥‥なんて類のものではない。
 洗い、皮を剥くといった下準備から始まって、時間と手間をかけて作るものだ。
 会場近くに準備された作業場で、リーズレッタ・ガインは黙々と作業を続けていた。
 料理の準備と言っても侮る事なかれ。
 子供の背丈ほどもある樹海海老を捌き、一抱えもあるミノウの卵を割り溶くのはかなりの重労働だ。
「‥‥いっそ、剣を使った方が早いかもしれないな」
 2個目の卵を割って、リタは額に浮かんだ汗を拭った。
 少々邪道だが、割るよりも斬った方が早そうだ。海老を捌くのも普通の包丁では大変だし。
 止めていた銀の髪が一房さらりと流れて落ちる。
 何気なく掻き上げて、リタはふと動きを止めた。
 髪をまとめるようになったのは、いつからだったか。
 料理を作ったり、幼い娘を抱き上げる時に邪魔だからとか、最初はそんな理由だったはずだ。いつの間にか、普段もそうしているようになって。
 何やら夫は気に入らぬらしく、すぐに解こうとするけれど、それを躱す術も覚えて。
 窓のガラスに映り込んだ自分の姿に、リタは見入った。
 歪み、ぼやけて映る自分に重なる影。その女性は‥‥。
「‥‥‥‥ま‥‥」
 漏れた声が紡ぐ言葉は、忘れられない人への呼びかけだった。昔、そう呼んでいたように。
 いつの間にか、幼い日に見上げた彼女と同じように髪を纏めている自分は、あの頃の彼女に少しでも近づけているのだろうか。
 今の自分の中に、確かに彼女の面影を見出して、リタは笑みながら顔を歪めた。
 懐かしさと痛みと嬉しさがない混ぜになり、言い様のない感情がリタの心を揺らす。
「貴女に‥‥言いたい言葉と見せたいものがある‥‥」
 せめて一言でも。
 ‥‥一目でも。
 けれど、それは叶わぬ事。
 潤みかけた赫い瞳を隠すように、リタはぎゅっと瞼を閉じた。
「折角の綺麗な髪なのに」
 不意に髪へと触れて来た指先を弾いたのは、体に染み込んだ戦士としての習性だ。どれほど感情に流されていても、無意識に体が動く。
 だが、乱暴に払われた事を意に介さぬように、その手の主は再び銀糸を捕らえて指に絡めた。
「人の目に触れぬように隠しているの? 勿体ないよ?」
「わ‥‥私が私の髪をどうしようと私の自由だ」
 彼女が知っているよりも幾分細い、少年の輪郭を残した手。
 目線がいつもよりも低い。
 声が‥‥。
「そう? でも、私はおろしている方が好きだよ?」
 なのに、どうして言う事は「奴」と同じなのだろう。
「料理をするのに邪魔だろう」
 胸の内の動揺を悟られぬよう、素っ気なく言い返して、リタは包丁を手に取る。
「では、その料理は誰の為に作っているの?」
「そ‥‥れは‥‥」
 本来ならば、彼女の料理は家族の為のもの。
 だが、ここに家族はいない。
 そして、彼女が家族ではない者達に料理の腕を奮っている事は、エルザードの人々が知る事実。現実世界の誰かを彷彿とさせる緑色の髪をした男は、悪戯っぽく目を細めた。
「止めておおき。貴女の料理は、その真価を知る者だけが味わえばいい‥‥」
<彼>には、現実世界の記憶があるのだろうか。探るように瞳の奥を覗き込むと、逆に吸い込まれてしまいそうになる。いけない、と彼女は気を引き締めた。これは<奴>の手だ。
「邪魔をしないでくれないか。これは、私がどれだけお‥‥」
 口ごもったリタに、目の前の男は軽く眉を上げた。やはり、嫌になるほど誰かにそっくりだ。
「お‥‥夫や娘を愛しているかを世に知らしめる機会なんだ」
 肩を竦めて、男は小さく首を振る。その顔に浮かぶのは、どこか楽しげな苦笑。
「その夫とやらは、大層な果報者だね」
「分かったら邪魔をするな」
 冷たく言い放ち、切り落とした樹海海老の足に包丁を当てる。ぶ厚い殻も、間接の部分は薄い。そこに切り目を入れて、身を解し‥‥と、そこまで考えたリタの思考が止まった。
 いつの間に移動したのか、男がリタの背後から彼女の体に腕を回したのだ。
「お、おい?」
「でも、やっぱり悔しいよ」
 子供のように駄々を捏ねる男に‥‥確かに、見た目は少年なのだが‥‥、リタは大きく息をついた。このままでは大食い大会の開始時間に間に合わない。
「‥‥邪魔をするなら、それなりの覚悟はあるんだろうな?」
 手にした包丁の背を男の頬に当て、低く尋ねる。
「さて、どうかな?」
 動じるはずがないと分かってはいたが、こうもあっさり受け流されては何だか癪に触る。ほんの数瞬、リタは考え込んだ。思案を巡らせる彼女の口元に薄く笑みが浮かんだのは、そのすぐ後の事。
「‥‥仕方がないな」
 笑顔魔神の本領発揮とばかりに、リタはにこやかに、華やかな笑みを浮かべて背後の男を振り返る。
 相手が僅かにたじろいだように見えたのは、彼女の見間違いなどではなかろう。
「食べたいなら、食べたいと言えばいいんだ」
 冷やし固める時間を考慮して、先に作っておいたプリンを一匙掬って、リタは男に向かって差し出した。
「はい、あ〜んして」

●甘い幸せ【8/9】
「おかしいにゃ」
 司会の指人形の呟きに、サフィーのカレーを美味そうにぱくついていた勇太が目を瞬かせた。
「なに? 何かおかしな事でもあった?」
 ソレを平然と食うお前からしておかしいわッ!
 ‥‥などと言うツッコミはこの際横に置いといて。
「なんか‥‥足りないよーな気がするのはサクリャちゃんの気のせいか?」
「ふえ?」
 スプーンを咥えて、勇太は首を傾げた。お行儀が悪いと拳骨を食らいかねないが、今日は師匠がいない。今更、それくらいの事で目くじらを立てる者もいない。
「そういえば‥‥何か食べ足りない気が‥‥」
 まだ食う気か!?
 会場の誰もが、喉まで出かかった言葉を必死に押し留める中、ぽん、と勇太が手を叩く。
「ことりさんのオムレツとプリン、まだ食べてないや」
「オマエの認識は食べ物基準にゃか‥‥」
 普通は1人足りない事を指摘するだろうと呆れを滲ませた指人形。だが、司会者の分際で参加者を今の今まで忘れていた人形に勇太を責める資格などない。
 もっとも、純真な勇太は非難された事にさえ気づきもしないのだが。
「あ〜あ、楽しみにしていたのになぁ‥‥ことりさんのプリン‥‥」
「‥‥‥‥‥すまない」
 突然に掛けられた声に、勇太と指人形は飛び上がった。
「び‥‥びっくりしたぁ」
 ドキドキと飛び跳ねた心臓を押さえて振り返った勇太は、流れる銀の髪に顔を輝かせる。
 銀の髪=ことりさんのプリンを作ってくれる人。
 現在の勇太の認識はその程度である。
「その‥‥料理は間に合わなかった」
 よもや、そんな図式が少年の頭の中にあるとは思いもしないのだろう。
 リタは申し訳無さそうに俯いた。
「にゃ? なんでにゃ? 時間はいっぱいあったハズ‥‥」
 作業場は数日前から参加者に開放されていたし、今日も早朝から作業場へ向かうリタの姿が目撃されている。はて? と頭を捻った指人形に、リタは居心地悪そうに視線をそらし、癖のない銀の髪を背中へ流す。
「そんなぁ〜‥‥楽しみにしてたのにぃ〜」
 あからさまに落ち込んだ勇太に慌てたのはリタだ。これほどまでに自分の料理を待っていたのかと申し訳無さに加えて罪悪感まで抱いてしまう。
−それもこれも、アイツのせいだ!
 邪魔をしてくれた男に心中毒づいて、リタは勇太を慰めるように言葉を紡ぐ。
「あ、ああ、そうだ! プリンだけなら完成しているんだ」
「ええ!? ホント!?」
 現金なまでにころりと表情を変えた勇太に、リタはああと頷いて後ろを示した。
「ほら、あそこに」
 リタの視線を追った勇太の目に映る、ふるふると揺れるクリーム色の山。カラメルの掛かったそれは、勇太の故郷、日本を象徴する山の形をしていた。
 ふらふらプリンに近づいて、勇太はぺたりと床に座り込んだ。
「どうした?」
 尋ねるリタを、勇太は瞳を潤ませて見上げる。
「し‥‥幸せってこんな形してるんだねッ」
「‥‥そ‥‥そうか?」
 リタが戸惑ってしまうぐらい、体中で喜びを表現した勇太は、床に倒れる結花の体を揺さぶった。
「ねえねえ、ことりさんのプリン、食べる?」
「のーさんきゅー」
 うぷ、と口元を押さえて呻く結花の様子など目に入っていないらしい。嬉々として、勇太は次の参加者に尋ねる。
「ねえねえ、ことりさんのプリン、食べる?」
「綺麗なお花畑ね‥‥おじーちゃん‥‥」
 マリーの意識はアチラ側に行ったまま、戻って来てはいないようだ。
 滲み出る嬉しさを隠す事なく、勇太は倒れている最後の人物、宿敵たるスフィンクス伯爵を突っついた。
「ねえねえ、ことりさんのプリン、食べる?」
「‥‥‥‥」
 答えはない。
 ただの屍のようだ。
 勢いよく、勇太はカレー鍋を掻き回しているサフィーを振り返った。
「サフィーちゃんは? 食べる?」
「え? あ、うん。でも、いいの?」
 いいよ、と勇太は上機嫌でサフィーにスプーンを差し出す。
「こんなに大きいんだもん。少しぐらい分けてあげるよ!」
「ありがとう☆」
 独り占めする気満々だったな。
 その場にいた者達の心の声に気づきもしないで、勇太とサフィーは美味しそうに程良い甘さのプリンを堪能したのであった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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0520 / スフィンクス伯爵/男/34/ネコネコ団総帥
0914 / 藤木結花/女/17/オルテリアの守護士
0930 / リーズレッタ・ガイン/女/21/シャルパンティエ夫人
1182 / マリアンヌ・ジルヴェール/女/14/天界の大魔法使い(自称)
1795 / サフィーア・ヌーベルリュンヌ/女/18/貴族の娘
2396 / 広瀬勇太/男/12/探偵見習い

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■         ライター通信          ■
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 この度はご参加ありがとうございました。
 長らくお待たせして申し訳ありません。大食い大会本戦がようやく開催される事になりました。
 優勝者は‥‥本編にてご確認下さいませ。
 例によって例の如く、今回もいくつかのパートに分かれておりますので、繋ぎ合わせて読んで頂ければ幸いです。
 皆様、いずれも劣らぬ強者ばかりで、桜はにんまりと悪人笑いをしつつ戦いを見守らせて頂きました♪

☆リタさんへ
 お久しぶりです。
 独身時代を存じ上げている身と致しましては、穏やかさと落ち着きと若奥様の雰囲気を増しているリタさんに‥‥‥‥‥(小声)‥‥‥な気分です。
 でも、ガラスに映った影がリャだと、まずリタさんの剣でお空の彼方に飛ばされるでしょう。
 ああ、でも‥‥。
 今回「も」何故か密室ですねぇ。
 どうしてでしょうねぇ(笑)