<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【冥界の怪物】
「死神、ねぇ」
 エスメラルダはその少女が恭しく手渡した名刺に目を通して呆気に取られた。死神、とだけ書かれている。
 白いフードに白いマント、聖女のような敬虔的な美顔。死の匂いはカケラもない。どこをとっても一般に言う死神とはかけ離れたイメージだった。そう突っ込むと、少女は先入観ありすぎですなどと抗議をした。
「で、死神さん、何の御用?」
「助けてほしいのです」
「助けるって、誰を」
「私たちに決まってるじゃないですか」
「死神が誰の脅威にさらされるっていうの」
「とにかく話しますから聞いてくださいっ」
 死神は以下のように語った。現在、死神の世界――冥界は驚異的な怪物に苦しめられている。生前邪悪だった人間の魂が融合して生み出されたもので、その合わさった力に死神たちは歯が立たず、殺される者も頻出している……。
「でも死神って強そうなイメージがあるけど」
「私たちはあくまで魂の運び屋で、戦闘のプロじゃないんです」
「わかったわ」
 冥界旅行っていうのもなかなか面白いだろうか。エスメラルダは呑気にそんなことを考えた。

 冥界という単語に興味を示したのは、黒山羊亭常連のふたりだった。
「冥界には行ったことないんですよねぇ」
「アイラス、それはどういう意味だ。人間なら当然だろう」
「ええ、僕は記録上では二度も死んでいるんです。といっても本当に死んだわけじゃないです。ま、行っていておかしくない経歴というか」
「……以前から思っていたが、不可思議な男だな」
 アイラス・サーリアスとジュドー・リュヴァイン。彼らは冥界に対して少しも恐れというものを抱いていない様子である。死神は感心すると同時に驚嘆している。
「このふたりは一騎当千の強者よ。きっとその怪物、やっつけてくれるわ」
 エスメラルダが死神の肩に手を置く。華奢な体が震えた。
「引き受けてくれて、あ、ありがとうございます。でも本当に強い怪物ですよ。覚悟はおありですか?」
「今までに数え切れないほど、そういうことは聞かれたかな」
 ジュドーがハッキリと言う。
「ところで、怪物というのは物理的な攻撃は効くのですか?」
 アイラスが尋ねると、死神はそれは大丈夫ですと答えた。それは安心した、とジュドーが愛刀の柄を握りながら呟く。
 本当に何とかしてくれるかもしれない、と死神は思った。

 店の外に出ると、赤い円陣があった。死神はこの中に入ってくださいと告げた。彼女が何か小さく念じたかと思うと、アイラスとジュドーは浮かび上がる感覚を覚えていた。それは瞬く間で、3秒数えぬうちにまた地面に足を下ろしていた。
「着きましたよ」
 死神が疲れた様子で肩を下ろす。
 来訪者ふたりは空を見上げる。とても澄んでいて青い。綿菓子のような白い雲が浮かんでいて、つがいと思しき鳥たちが遠くを飛んでいる。地面は石造りで四角いタイルが丁寧に敷き詰められている。周りには樹木がふんだんに生えていて目に眩しい。明らかに整備された道路である。
「これが冥界なんですか。想像とずいぶん違いますね」
 清涼とした空間に驚き、アイラスは深呼吸をする。ジュドーもわずかながら戸惑っているようで、あちこちに視線が飛ぶ。
「ここは中央神殿の近くですから、それなりに整えられています。もちろん僻地に行けば荒野も砂漠も原生林だってありますよ。でも冥界って本当にマイナスイメージしかないんですねえ」
 死神は苦笑いしたが、すぐに顔を引き締めた。
「では、怪物のところにご案内します」

 一行は道路を進んだ。道はほどなくして舗装がなくなり赤茶けた土となった。さらに進むと周囲は殺伐荒涼の様相を見せ、おまけにどこからともなく暗雲が出現し、風景は人間たちのイメージ通りの冥界となってきている。暴虐の化身となった怪物はこの先の岩場をねぐらに決めているらしい。
「悪に染まりきった魂は互いを引き寄せるのでしょうね。今回はついに冥界の管理能力を超えるほどの穢れた魂が集まって……。下界の者はそこまですさんできているということでしょうか」
 死神の言葉に、アイラスとジュドーは表情を硬くする。
 ――固まった表情はさらに戦士のそれへと変化した。
 もう、その岩場まで来ている。
「お気づきになりましたか。私たちが近づいたから、奴が目覚めました」
 死神の顔に恐れが現れ、息を荒くなっている。
 ジュドーが刀を抜きながら問う。
「ところで、あれを倒したとして魂はこのあとどうなる?」
「一度死んだ者ですから、もう一度死ねば完全に『無』になります。消滅です」
「了解した。では下がっていてくれ」
 死神は一目散に元来た道を駆けていった。
 戦士たちは電撃のように振り向く。
 敵は音もなく背後にいた。
 尻尾らしき黒いものが横から飛んできる。アイラスとジュドーは全身のバネを使って後方へと回避した。標的を外した尻尾は勢いそのままに地面を砕いた。
 間合いを取って、見た。
 それは、怪物という表現すら生易しいほどだった。どんな動物にも似ていない。腕は6本、頭は4つ、目は10を超える。背は一般の人間の3倍ほど。角が体のそこかしこにあり、背には巨大な翼が見える。およそ生物の構造というものを無視していた。
 アイラスが釵を片手に走る。すでに全力だった。まずは右脚。充分に速度を乗せた鉄の先端が、深々と突き刺さ――らない。
 砂煙が起き、アイラスは咳き込んだ。翼がその機能を発揮した。怪物は巨体をまるで感じさせずに、軽々と空へ飛翔している。
 大気を唸らせ、怪物は急降下してくる。必死の体当たりを、アイラスとジュドーは余裕を持って後退し、凌いだ。幸いにも小回りの利く彼らの方がスピードは上らしい。
「まるでためらいがない。生前は無差別殺人犯か何かだったんでしょうかね」
「いずれにせよ、死んでまで悪行を重ねるとは……許すわけにはいかん。成敗させてもらうぞ」
 ジュドーが真正面から突っ込んでいく。怪物は6本の腕のひとつをアッパー気味に繰り出した。ジュドーは今度は紙一重でかわし、先刻アイラスが外した箇所を力任せに斬りつけた。
 緑色の鮮血が噴出した。怪物は短い呻きを上げた。
 アイラスはその隙に怪物の背後に回っている。釵で一気に背中を貫こうとした。
 ――だが、釵はまたしても外れた。
「これは……!」
 アイラスが思わず驚愕の声を発する。眼前は黒いモヤとなっていた。
 それは本来の姿、魂だと理解した。この怪物は、体の形状を変えられる。そもそもが魂だから、こんな芸当が可能なのだ。
 一瞬呆然としたアイラスは死角から尻尾で撃たれ、吹き飛んだ。ちょうどジュドーの足元に転がった。
「いつ……厄介な能力ですね」
「しかしさっきの私の攻撃は当たった。つまり」
「怪物は、自分の攻撃の時は実体化する――と」
 炎が迫ってきた。怪物が4つの頭すべてから吐き出している。避け切れず、アイラスもジュドーも髪と皮膚を焦がした。
「飛び道具まで持ち出してくるとは!」
「持久戦ではこちらが明らかに不利です。……ジュドーさん、気付きましたか、奴の左胸を」
 アイラスはその部分を凝視している。まるでポンプのように、表面がうごめいていた。心臓か、とジュドーは確認する。
「どうやら僕たちと同じ位置ですよ」
「……そうか、どんな化け物でも心臓は急所中の急所、だな。よく観察していたものだ」
「ええ、どうも左胸をかばっているような動きでしたので」
「ならば、一気に行くか」
 闘気が巡る。ジュドーがすべてを刀に込めている。アイラスも野猫じみたしなやかな体を屈ませ、襲撃の体勢を作る。
 怪物が咆哮を上げ、猛進してくる。
 ふたりは同時に、爆ぜるかのごとく走った。
 襲い来る怪物のダブルストレート。
 衝突間際、ふたりはギリギリの最短距離を動き、腕を潜り抜けた。懐に入った。
 心臓めがけてジャンプする。脈打つそこへ、突き入れる。
 ズブリ、と奇妙な感触があった。間もなく、ひどい匂いを放つ液体が顔にかかった。
「く、何だ?」
「ジュドーさん、大丈夫です。これは」
 血だった。怪物の4つの口から、滝のように緑色の血が流れている。
 2本の武器は寸分の狂いなく、怪物の心臓を確かに貫いていた――。

■エピローグ■

 怪物が倒されたとの報はすぐに広まり、冥界中は後の処理に追われた。一斉に慌しくなるのが肌で感じられた。
 アイラスとジュドーは、死神から報酬を渡された。冥界特産の紅茶で、寿命を延ばす効用があるそうだ。
「エスメラルダさんへのいいお土産になるでしょうね」
「任務は終わったな。貴女も忙しいだろうから、我々を早く帰して戻った方がいい」
 ふたりは来た時のまま残っていた円陣に入る。
「あの」
 死神が眉をひそめ、アイラスたちを見ていた。
「勝手なお願いで申し訳ありませんが……またこんなことがあったら、力をお貸しいただけますか?」
 答えは知れていた。
「もちろんだ。いつでも刀を振るおう」
「困っている人の依頼を受けるのが、冒険者の務めですから。たとえ冥界だろうと異次元だろうと行きますよ」

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【1149/ジュドー・リュヴァイン/女性/19歳/武士(もののふ)】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。発注ありがとうございました。
 今回の怪物も相当な強敵でしたが、おふたりの前には
 屈するしかなかったですね。
 
 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu