<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
【幽霊、そして悲しき同士討ち】
その日黒山羊亭に舞い込んだ依頼は、取り立てて特殊なものではなかった。
幽霊に体を乗っ取られた子供を助けてほしい。エルザード城下に住む、凡庸で善良な一市民の願いだった。
冒険者たちがエスメラルダからの斡旋を受けて出発したのは開店間もない頃のことである。抜群の腕を持つ人材だ。すぐに解決して帰ってくる。エスメラルダはそう信じてやまなかった。
冒険者たちを待ち受けていた難事を、彼女は知る由もなかった。
依頼人の子供の体から幽霊を追い出すこと自体は、すぐ成功した。衝撃を与えると、子供の小さな口から、恨めしそうな顔の白い不定形体が抜け出て、窓から外へと逃げていった。冒険者たちはすかさず追うために、同じように窓から外に出た。
その直後のことだった。幽霊は音もなく背後から忍び寄り、ひとりの冒険者の口に侵入した。その者は瞬く間に悪鬼のような顔になり、仲間に襲いかかった。
「……まったく面倒なことになった」
そうして彼らは、再び幽霊を追い出す戦いを始めたのである。
心のどこかでは期待していたことを、彼女たちは認識している。彼と一戦交えることができたら、どんな冒険よりも心が躍るかもしれない。
これが望んでいた形でないのは口にするまでもない。幽霊と、窮地に陥らせた自分たちの情けなさに腹が立った。
「私が糸で動きを止める。叩くのは任せるわ。あ、傷つけちゃいけないから鞘のまんまでね」
「了解した。――当てられるかどうかわからないが」
エヴァーリーンとジュドー・リュヴァインはそれだけ言うと無言になり、目の前の相手に意識を集中した。そして、色彩の失せてしまった目のアイラス・サーリアスの襲撃を受けて立つ。
彼が多彩な武具を使いこなし、人の規格を外れた速さを備えた戦士であることは、エルザード中の冒険者の知るところである。正直に言えば彼を制することができる確率は五分五分であるというのが、ジュドー、エヴァーリーン両人の偽りない考えだ。
アイラスが突進した先はジュドーだった。左手に握られているのは彼が最も愛用している釵と呼ばれる武器。鋭い鉄の先端が寸分の狂いなく、ただ心臓を狙ってくる。
後ろでも横でも危険な予感がする。ジュドーは大きく跳躍した。アイラスを飛び越える形でかわし、大きく間合いを取った。アイラスは血走った目を剥いて振り返る。
その一瞬の停止を突いて、エヴァーリーンが鋼糸を放った。しかし糸が届く頃にはアイラスの姿はそこにはない。残像が生じるほどの速度で、またもジュドーに向かっている。すぐに肉薄する。
まずはアレを叩き落さなければ。ジュドーは釵を狙い、真正面から刀を振り下ろす。
アイラスはわずかに左手首を返した。
キイン、と耳障りな金属音が流れて反響する。ジュドーは見た。刀が、柄から突き出た鉤に阻まれている。
釵が刀剣を受け止めて絡め取るのに優れた、攻防一体の武器だということを失念していた。――獲物を奪われる。それだけは許してはならない!
ジュドーは一気に闘気を開放した。鞘から衝撃波が巻き起こる。アイラスは吹っ飛んで背中から落ち、苦もなく起き上がる。
「――」
アイラスは息を深く吐き、吸いながら、こちらを凝視する。青いたてがみの獅子。そんな印象があった。
ジュドーとエヴァーリーンは、アイラスの戦闘を幾度か間近で見たことがる。体術と技に優れ、惚れ惚れする速さは稀有のものだ。どちらかといえばスマートと分類される動きだった。
だが今の彼はどうだ。荒々しく、力強い。しかも速すぎる。反則の速さ。
――もう目の前に彼の姿があった。
ジュドーが頬に右フックを食らい、よろけた。唇が切れて口内に血の味がジワリと滲んだ。追撃を受けないよう、すぐさま飛んでエヴァーリーンの元まで後退する。彼女はなかなか糸を振るえず、様子見ばかりである。動きを止めるといったのは自分だ。余計に口惜しかった。
「おそらくリミッターが外れているのよ。幽霊が限界に近い力を引き出している」
「限界、か」
ジュドーは赤い唾を吐き出すと、上段の構えを取った。初めて自分から向かっていく。
「エヴァ、引き続き隙を狙ってくれ!」
ダアアン!
夜を引き裂く轟音。腰が萎縮し、足が止まった。
アイラスはヘビーピストルを抜いていた。ジュドーの足元に黒い弾痕が空いている。意外な攻撃に、思考が停止する。
「ジュドー!」
エヴァーリーンの声にジュドーは我を取り戻した。再び銃声が轟く。勘だけで右に回避する。左腕にわずかな痛みが走った。かすった銃弾は建物の壁にめり込んでいる。
「つ……。遠距離は困るな」
捨て身でやらなければならないか。ジュドーは両腕をぶらりと下げた。
「釵で来い。銃は私には通じない。弾にも限りがあるだろうしな」
ハッタリである。今のアイラスの腕であの銃を連射されたら、かわし続ける自信はなかった。弾切れの前に被弾する可能性のほうが高い。だから挑発した。
「――」
幽霊にも自尊心はあるのだろうか、アイラスの右手は釵を握っていた。
体のバネは最大限。アイラスが砲弾のように跳んでくる。
最高速で突き出される右腕。ジュドーは瞬きひとつせず、迫り来る死の鉄を睨む。
ビシイッ――!
額を貫かれる寸前。棒の部分を、両腕で掴んだ。摩擦に手の平の皮が剥けた。
アイラスが左手で銃を使おうとしたその瞬間。
今度こそ見逃さなかった。死角から解き放ったエヴァーリーンの鋼糸は一瞬で、必要以上にアイラスの体に絡む。
完全に自由を奪われ身動きの取れないアイラスに、ジュドーは、
「少し我慢を!」
延髄を鞘で殴打した。
アイラスは低く唸って倒れこむ――。
誤算だ。この戦士に取り憑けば仲間を倒して悠々と逃げられると踏んでいた。
仲間ふたりは予想以上の手錬だった。殺すことなく必要な箇所だけにダメージを与えてきた。
急所に一撃を受けた青年は為すすべなく昏倒する。もはや、この体に留まることはできない。
――どうせあの人間たちは飛べまい。宙高く逃げれば事なきを得るはずだ。
アイラスの体から、半透明の固体のような液体のようなものが生じた。幽霊だ。
完全に離脱するや、幽霊は一目散に夜空へと飛んだ。――気を高めている武士に気付かず。
「手間をかけさせてくれたな。何の未練があるのかまでは知らないが……大人しく眠れ」
ジュドーの剛刀が一閃し、闘気が奔る。後ろから迫る白光を振り返った幽霊は、悲鳴をあげる間もなくこの世から消え失せた。
アイラスが目を覚まし、すべての状況を理解したのはそのすぐ後だった。
■エピローグ■
黒山羊亭に戻ってきたジュドーたちを見て、エスメラルダはほっと一息ついた。ただ彼女たちは帰りが遅くなった理由を話はしなかった。そのうちにエスメラルダが客に請われてステージで踊り始めると、3人は卓を囲んでようやく肩の力を抜くことができた。
「あー……史上最大の失敗ですよ。面目ない」
アイラスが腕組みして眉をひそめる。まるで世界の終わりを見てきたというような顔である。
「憑かれている間は全然意識がなかったですから、気がつけば終わっていましたけど。でもおふたりが実力者でよかったですよ。下手したら……殺していたかもしれませんから」
「そうだな。しかし……なるべく傷つけないように戦ったとはいえ、ふたりがかりでやっとだった。ひとりだったらどうなっていたやら」
「まったくね。もうたくさん、こんなことは」
ジュドーとエヴァーリーンも腕を組んで顔をしかめた。アイラスは苦笑する。
こんなにも涼やかな青年の、あまりにすさまじい戦闘ぶりを思い返して――
この男とはもう戦いたくないな、と彼女たちは考えた。
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【2087/エヴァーリーン/女性/19歳/ジェノサイド】
【1149/ジュドー・リュヴァイン/女性/19歳/武士(もののふ)】
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■ ライター通信 ■
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担当ライターのsilfluです。発注ありがとうございました。
というわけで、アイラスさんに犠牲(?)になっていただきました。
PC同士で戦うというのはずっと前からやりたかった話です。
どういうオープニングなら不自然さがないかに悩み
結局は今日までお披露目できなかったわけですが。
さすがに同じような話は今後できないと思いますので、
今回の御三方はとてもラッキー?
それではまたお会いしましょう。
from silflu
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