<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


□■□■ 猟犬の森<<seek>> ■□■□



 ノックの音にドアを開けたエスメラルダが突然体勢を崩したことに、深夜の黒山羊亭にたむろしていた客達は一斉に彼女を見た。

「あい、ったたた……ん?」

 彼女の上には、子供が倒れていた。どうやら姿勢を崩したのはその子供が倒れ掛かってきた為らしい。汚れたフードを被って頭をすっぽりと隠した子供は僅かの間気を失っていたが、すぐに顔を上げた。そして自分を覗き込む客達の姿に、ひゃ、と怯える。

「ちょっとあんた達、その顔もう少し退けてあげなさい……ほら、どうしたの? ここはこんな夜中に子供が来る場所じゃないわよ?」

 そっと子供の白い肌を撫でながらエスメラルダが優しく訊ねると、子供はぽろぽろと涙を零し始めた。

「た……す、けてっ」
「どうしたの? 落ち着いて、話して御覧なさい?」
「ボク、たち……旅を、していたのッ。でもいきなり、森の中で魔物が襲ってきて――お母さんも、みんなも連れてかれて! 助けて、助けて、お願いします、お願いしますッ!」

 甲高い声で子供が叫び、客達を見上げる。拍子に汚れたフードがパサリと落ちる。
 子供の眼は赤く、その髪は白い。そしてその額には、ユニコーンを連想させる角が生えていた。
 それはどこかに隠れ住むという古代民族、サンカの特徴だった。

「ボクたち……外の事が知りたくて、旅をしてた、のッ……みんなでキャラバンを組んで、ずっとユニコーン地方を周ってて……サンカの男はみんな強かったから、魔物が襲って来ても大丈夫だったの。でも今回は違ったの、みんな連れてかれちゃったの! ボクだけ、お母さんが逃がしてくれて――お、ねがいッ……助けて、助けて下さい、たすけてくださいッおねがいだから――」

 子供の背中を撫でながらあやすエスメラルダが、客達を睨んだ。

「……まさか放っておく気なんて、無いわよね……?」

■□■□■

「まず、お名前教えてもらえませんか? 僕はアイラス――アイラス・サーリアスです。あなたは?」

 柔らかな微笑を浮かべて子供を覗き込み、アイラスは訊ねた。エスメラルダに出されたホットミルクのカップを両手に持って高い椅子の上に腰掛ける子供は、まだ怯えるように震えているが――小さな声で「レア」と答える。アイラスは微笑のままに、ありがとうと告げる。

「レアか、良い名だ。母上か父上が付けてくれたのか?」
「あ……うん、お母さん、が」
「そうかそうか。私はジュドーだ、そっちで黙ってるのがエヴァ」
「僕はロイドです、宜しくお願い致しますね、レア様」

 続くようにジュドー・リュヴァインとロイド・ハウンドが自己紹介を重ねる。壁に寄り掛かっていたエヴァーリーンは混じることをせず、だか常よりも優しい眼差しを子供に向けていた。アイラスさん、ジュドーさん、エヴァさん、ロイドさん、と口の中で繰り返し、子供――レアは一口ミルクを飲み込む。砂糖をしこたまに入れたのだろう、甘い匂いが漂う。
 一息吐いた所を見計らって、再びアイラスは声を掛けた。

「辛いとは思いますが、色々聞きたいこともあるので、聞かせてもらえますか?」
「は、はいっ」
「そう気張らずとも良いぞ? 取って食いはせんからな」
「……あまり良い言葉じゃないわよ……ジュドー」
「あ。いや、悪気は」
「うん、大丈夫……です」

 魔物に仲間を攫われた子供に対するにはあまり良くないジュドーの表現を、エヴァーリーンは短い言葉で咎める。バツの悪い顔で頭を掻く彼女に、しかしレアは健気に微笑を向けて見せた。まだ目許が涙で腫れているのが少し痛々しい。空気を変えようとロイドがアイラスの言葉を引き継ぎ、再びレアに対する。

「まず、襲われた場所が何処だったのか、覚えておられますでしょうか」
「え、っとね……」

 きょろ、とレアが店内を見渡す。そのまま椅子から下りてぱたぱたと走り寄った壁には、地図が掲げてあった。冒険者の店であるため、黒山羊亭にはユニコーン地方の地図がある。尺度は大きめで詳細も判るようになっている、その地図の一角にレアは手を伸ばす。届かないのか僅かに背伸びをするのを見て、ジュドーがその身体を抱き上げた。指が一つの森に届く。
 エルザートの東に位置する森の、比較的出口に近い所である。入り組んではいるが迷うほどでもなく、道も引かれているはずのそこ。

「ボクが走ってきたの、この辺りからだから……多分、もうちょっと奥だったと思う、の」
「お母様が逃がして下さったとの事でしたが、レア様も一度は捕まってしまったので?」
「う、ん……つかま、った」

 小さく身体を震わせる様子に、壁際から移動していたエヴァーリーンがその頭を撫でる。慣れないのか少しぎこちない、だが優しい微笑が浮かべられているのに、レアも小さく笑って見せた。その様子を眺めながら眼鏡の奥の眼を細め、アイラスが訊ねる。

「捕まった時にどんな様子だったか、教えてくれますか?」
「えっとね……馬車、走らせてたの。うとうとしてたら、いきなり止まって。どうしたのかと思ったら、幌が開けられて、いきなり入ってきた。おっきい狼みたいなので、立って歩くの」
「ワーウルフ……ですか?」
「暗くて、判んなかったけど……大きな棍棒持ってて、男の人たちみんなで掛かったんだけど、勝てなくて。いっぱい出てきて、ボク達のこと囲んで、歩けって。馬車から降ろされて、森の中、歩かされた」

 群れで囲んで歩かせる――獲物は棍棒と原始的。あまり小手先が器用ではないということは、どちらかと言うと野生の強いワーウルフだろうか。考えながらアイラスはレアに続きを促す。ジュドーも神妙な面持ちでそれを聞いていた。ロイドは腕の中のキメラ、ガルムを眺める。エヴァーリーンは、地図に視線をやったままだった。レアは続ける。

「お母さんはボクのこと抱いてて、ばれないように、耳打ちしたの。逃げなさい、って。内側の方歩いててね、お母さんがわざと転んでみんな止めさせたの。魔物がどうしたのか寄ってきて、その隙に、ボクは森に――」
「ん、もう良いぞ」
「……うん」

 思い出したのか小さく震えるレアの背中を、ジュドーはぽんぽんと規則的に叩いてやる。必死に涙を堪えている姿からして、案内をさせるのは酷かもしれない――だが、時間と共に失われる証拠もあるだろう。話が本当ならば、キャラバンが移動のために使っていた馬車などは残っている可能性も高い。どうするか――。
 証拠が残っているということは、即ちそれらを始末するために魔物達が戻る可能性も高いということである。もしも戦闘になれば、子供を守らなければならない。強靭な肉体を持つサンカの男達が敵わなかった相手なのだから、何かを守りながら戦いきれるか、問われれば自信はない。かも知れない。何かを守りながら戦うのに慣れていない所為かもしれないが、苦手だった。

「襲って、喰うでも殺すでもなく攫っていった――のよね」

 不意にエヴァーリーンが言葉を漏らし、レアを見た。こく、と子供が頷くのを確認して、再び彼女は地図に視線を戻す。そして、手甲の嵌まった手で森の一角を指差した。そのままに、くるりと円を描く。

「ワーウルフ型のモンスターなら……縄張りや行動範囲は、限られている。この辺りで襲われて……こう、移動した。つまり連中のねぐらは……大体、この近辺に在るというわけ。……探せば、簡単に見付かると思うわ。群れと人質がいるのだからね……」
「人質――そう。どうして、人質なんかに取る必要があったのでしょうか。魔物が人間を襲うなんて――レア様の前で言うのも気が引けますが、食料にする以外にはそうそう思い付きません。鮮度を保つために生かすなんて知能も、彼らには無いはずです」
「何かが指示を出している」

 ぽつりと呟いたアイラスの言葉に、ロイドが首を傾げた。ジュドーはなるほど、と頷いてみせる。

「人間が使役している可能性がある、と言うわけだな」
「ええ。サンカの民は古代民族ですから、希少性が高いんですよ。もしかしたら集落の場所を聞き出そうとしているのかもしれないし、闇オークションで競売に掛けるか、それとも自分でコレクションしたいのか。判りませんが、背後に人間の影は見えますね」
「しかも飛び切り悪趣味な、だな」
「魔物を操るレベルの術者を保持すると言うことは、それなりの資産を持っている可能性もありますからね――敵に回すのに少々気の引ける所はありますが、そうも言ってはいられませんか」

 ロイドはジュドーに抱きかかえられているレアに寄って、失礼致します、とその匂いを嗅いだ。すん、と鳴らされる鼻にレアは慌ててみせる。魔獣の嗅覚でその感覚を憶えているのだろう――身体を離して、彼はレアを覗き込む。

「ところで、何かお母様のものを持ってはいらっしゃいませんか? お母様以外でも、どなたか一緒に連れ去られてしまわれた方の持ち物があれば、そのニオイを追って行くことが出来るのですが」
「あ……え、っとね、これっ」

 レアはローブの内側に手を突っ込み、小さな編細工を取り出した。細長い形のそれは、複雑な模様で織られている。何かの民芸品のようだった。ロイドはそれを受け取り、眺める。本の栞のようにも見えるが、上部には丸い珠と、それをぶら下げる輪が付けられていた。

「ローブの内側に入れたりする、お守りなの。お母さんが作ってくれたものだから、お母さんのニオイがすると思う」
「そうですか――それでは、お借り致します。レア様はこちらでお待ち下さい、今はゆっくりと休んでいることが大切ですから」
「そうですね。ここからは、僕達に任せて下さいな」
「……思い詰めないように、ね」

 ジュドーはカウンターの上にレアを下ろす。

「絶対に仲間は助けてやるからな、泣かずに待っていろ? 男の子は強くなくてはな」

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 森の中、散らばった馬車の残骸の真ん中でアイラスとジュドーは残された足跡を眺めていた。
 ロイドの嗅覚を頼って辿り着いたそこに残されていたのは、原型が何だったか判らないほどに破壊しつくされた木片ばかりだった。事前知識と微かな鉄具から、それを馬車と推測する。確かに馬を使役して移動させるよりも、こうして破壊してしまった方が手軽ではあるだろうが――これは少々やりすぎではないのか。ふぅ、とアイラスは溜息を吐いた。

「まったく――単細胞と言いますか、ね」
「だが良い手段ではあるな。移動させれば人目につくこともあるだろう。その場で粉砕し、その場のみにすべてを留める――しかし、金具までひん曲げられているとはな」
「単純な魔物は往々にして馬鹿力ですからね。本当に……ああ、ここにも足跡が残ってますよ」
「ん、私も見付けた。連中、詰めが甘いな」

 残された足跡にはくっきりと肉球の形が残っていた。特徴的なそれは、容易にワーウルフのものであると知れる。馬車の粉砕と言う力仕事をやってのければ踏ん張った跡ぐらい残っているだろうと思ったが、案の定だった。
 そして、残された大量の血痕。

 まだ乾ききっていないそれを指に付けて、ジュドーはすんっと鼻を鳴らした。生臭い鉄のニオイが指先に付着するが、そんなものに潔癖になるほど繊細でもない。

「人間のものではない、な。おそらく連中、馬を殺したのだろう」
「判るんですか? ロイド君みたいに」
「あそこまで特化された嗅覚ではないが、人間かそうでないかぐらいは判るさ。となれば、エヴァ達は見付けやすいだろうな」
「宴の真っ最中でしょうからね――と?」

 アイラスは残骸の中から一枚の紙切れを見付ける。
 掌サイズ、正方形の紙。薄紅色のインクか何かで、複雑な文様が描かれていた。魔法陣か何かだろうか、だとしたら何の――?

「アイラス?」
「ああ――いえ、なんでもありません。それじゃ、そろそろ黒山羊亭に戻りましょうか」

 紙切れを懐にしまい、アイラスはジュドーにそう告げた。

■□■□■

 ニオイを追っているエヴァーリーンとロイドは、森の木々の中を縫うように進んでいた。枝を蹴る乾いた音が響く。空気を打つように翼をはためかすキメラ、ガルムの背の上で――ロイドは意識を集中させていた。

 風に誤魔化されないように、ニオイを追う。その先に魔物のねぐらと、人質達がいるはずなのだ。元々犬と言うのは夜行性の質が強いのだから、うまくすれば宴でも開いているかもしれない。耳を澄まし、二つの感覚で探す。手の中には、レアから預かり受けたお守りが握られていた。

「ねぇ。その嗅覚……信じられるの?」
「一応自信はあります……これでも魔影狼ですから。嗅覚と聴覚は、並以上なんです」
「……犬じゃなかったのね」

 お約束な言葉にがくりと肩を落としながらも、意識の集中は乱さない。そんな自分をちょっと褒めたいロイド・ハウンド、666歳のある日。
 彼の意思を汲んで進んでいたはずのガルムが、不意に足を止めた。どうしたことかと訝れば、木々を移っていたエヴァーリーンも枝の上に止まっている。目を眇めて凝らしてみれば、赤々とした灯が見えた。森の奥に集落があるという話は聞いていないし、山火事にしては小規模で延焼の様子も無い。肉の焼けるニオイが強く鼻につく、これは――

「大当たり、かしらね」

 ぽつりと呟いて、エヴァーリーンの身体が舞う。枝を蹴る音は無かったはずだが、と辺りを見回せば、いつの間にか極細の鋼糸が辺りの木々に張り巡らせてあった。それを蹴っているらしい、音が無いはずだ、だが――何時の間に?

「少し偵察……貴方は待ってて。危なくなっても……動かないほうが良いわ……糸に掛かったら――切れるから」

 そんな、どーしろと。
 小さく身体を屈めるロイドを尻目に、エヴァーリーンは身体を進めた。

 ワーウルフ達は火を囲んでいた。中央で焼かれている肉塊の大きさに彼女は眉を顰めるが、どうやらそれは人間ではなく馬か鹿のようなものらしい。眼を凝らせば、奥の洞穴には人間が多数押し込められていた――おそらくは、レアのキャラバンの一行なのだろう。そしてその前では、剣に手を掛けた人間が立っている。
 人間。
 やはり、背後には、そういうことなのだろう。

 魔物は放っておき、彼女は人間達の方に向かう。背後に木々に潜み、耳を澄ませば会話が聞き取れた。

「おい、『卿』に連絡は付いたのか?」
「ああ、大喜びだぜ。なんてったって稀少民族がこんなに手に入ったんだからな、このまま集落を聞きだせってさ」
「ったく、良いご趣味だねぇ、生物採集なんてさぁ――」
「明日の朝一番で様子見に来るってさ、まったく暇なモンだよ、ご政務はどーしたっての」
「趣味が一番なんだろ、幸い今のところは切羽詰った事情もねぇしな」

 卿。ご趣味。採集。政務。
 明朝。
 ふぅ、と、彼女は息を吐いた。

「あ、お帰りなさいませっ」
「……ねぇ、ちゃんと……道、覚えてる?」
「え? は、はい」
「それじゃ……二人、ここまで案内……出来る、わよね」
「出来ます、が――どうなさるおつもりですか? エヴァ様」
「……戻りましょうか」


>>>to be continued ?



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

1649 / アイラス・サーリアス  / 男性 /  十九歳 / フィズィクル・アディプト
1149 / ジュドー・リュヴァイン / 女性 /  十九歳 / 武士
2087 / エヴァーリーン     / 女性 /  十九歳 / ジェノサイド
1505 / ロイド・ハウンド    / 男性 / 六六六歳 / 契約魔獣

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 こんにちは、ライターの哉色です。この度はご依頼頂きありがとうございました、早速納品させていただきます。前半はこんな感じで探索行為が主体になりました。後半は今回見付けたねぐらに強襲を掛けたり掛けなかったりする予定です。少し個別行動・単体行動が多めになるかな? と。後半でもお会いできれば幸いです。それでは失礼致しますっ。