<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


□■□■ 猟犬の森<<active>> ■□■□


「組織だって動いている、か――ただの魔物というわけではなさそうね」

 酒も飲まずに、客達とエスメラルダは顔を突き合わせている。その誰もが真剣そうな面持ちを崩さない。ある者は唾を飲み、ある者は黙って腕を組んでいる。考え込むような仕種を見せながら、しかし、エスメラルダは決断出来ずにいた。

「人質だけを助けるか、全体を駆逐するか――よね。相手の実態が掴めない以上、敵に回してどの程度のリスクを背負うことになるのか分からない……ああもう、頭を使うのは苦手なのよねぇ……」

 漏らされた溜息。
 彼女がカウンターに腰掛けると同時に、

「きゃあぁああああッ!!」

 ――その声は、響いた。

「レア? ッまさか」

 エスメラルダが駆け出す、客達も続く。レアに貸していた部屋へ、黒山羊亭の奥へ。
 ドアを開ければ、割られた窓が目に付いた。そして、引き裂かれたカーテン。割れた花瓶、調度品、羽の飛び出た毛布や枕――抵抗したのだろう、短時間でも。
 エスメラルダは、決断した。

「思いっきりやっちゃって。あの子を取り戻して。――報酬も弾むわ、ただし、危険はあると思う。お願いできるわよね、あんた達なら?」

■□■□■

 エヴァーリーンは荒らされた部屋の中で膝を付いていた。
 まだそう間が開いていない。破壊された窓から入り込む夜風は、散らばった羽毛をひらひらと雪のように舞い上げていた。それが彼女の黒い装束、肩の上に落ちる。束ねられた長い髪にもそれは付着したが、彼女はまったく気にする素振りを見せなかった。
 僅かに残された足跡。土の成分は粘土質。アーケードに包まれたエルザードでは決して有り得ないそれは、森からの侵入者。そして――靴跡で、人間のものと知れる。どれだけ抵抗したのだろう、あの子供は、混乱の中、短時間でも、部屋をここまで荒らすほどに。どれだけ、恐怖していただろう。どれだけ――渾身の力で。
 軽く、口唇を噛む。強くではない。ただ不機嫌で、不愉快だった。自分がいたというのにこの体たらく――気に入らない。

「エヴァ。……殺気が判るぞ」

 背後に立つジュドー・リュヴァインの言葉に、しかし彼女は何も返さない。肩を竦めて軽く溜息を吐き、余裕を見せてはいるが――ジュドーの心中も、もちろん穏やかなものではなかった。いわば自分の庭をあらされた気分である。エスメラルダの英断に心底から賛同できる程度には。
 荒らされた部屋、引き裂かれたシーツ、飛び散ったガラス片。血痕はないのだから、流血沙汰にはなっていないだろうが――やはりその身を案じる心地は、変わらない。

「ジュドー」
「ん? っと」

 ひゅ、と投げ渡された紙片を受け取り、ジュドーはそれを開く。森の見取り図の縮小版だった。ブルーのインクで丸い印が付けられ、細かい情報が記してある――兵の数、装備。ワーウルフ達のおおよその頭数。そして、囚われている人々の様子。
 再びエヴァーリーンに眼を移せば、彼女は割られた窓から出て行こうと脚を掛けているところだった。

「ま、待てエヴァ? 奴らのねぐらを探り当てただけで不十分と思う気持ちは判るが、無茶は――」
「誤解は、しないで……見当が付いた、だけ」
「――『卿』とやらのか?」
「そう――呼び名からも貴族と、知れる。そういう輩の私兵には、普通軍と同じ装備が……許される、わ。だけど所有を示すために、武具にレリーフなんかの印を付けることが……多い。しかも目立たない所……ガントレットの内側や、足の裏」

 言われ、ジュドーは先ほどエヴァーリーンが見ていた足跡を見た。よく見れば、そこには複雑な模様が見て取れる。おそらくは家紋――だが。

「だが、分家などがあろう。まさか皆殺しにするつもりではあるまいな」
「まさか……私はそこまでの狂戦士<バーサーカ>じゃない……知ってるのよ、その家系で……一人、飛び切りに悪趣味な人間が居るの……結構有名だから、それだけ……」
「し、しかし」
「時が惜しい、わ――私は行く。貴方は他の皆と彼らの救出に……と言うか」
「え?」
「早く行け」

 気ィ立ってるよ、適度に。
 ジュドーは少々の冷や汗を掻きながらも、地図を握り締める。黒山羊亭に集まっていた面々を見渡し、声を掛けた。エヴァーリーンは既に夜陰に紛れている。こちらも、ぐずぐずしてはいられない。

「では――参ろう!」

■□■□■

 闇の中を足早に駆けながら、エヴァーリーンは回想していた。
 いつだったか、まだこのソーンに召喚されて間もなかった頃だろうか。馴染んだ仕事、それらを紹介されるクラブめいた場所で、酔っ払った男が言っていた。

 貴族ってのは悪趣味だ、度が過ぎると無理な注文ばかりしやがる。希少生物ならまだしも、伝説上の生き物まで集めたいだとか――御伽噺を信じる子供かっつーの、まったく。無理だ無理だ言い続けてやっと諦めたと思ったら、今度は人間採集だとさ。まあソーンには異世界からの召喚者も山ほどいるしな、珍しい種族もあるだろうが、それを全部だなんて酔狂どころか完全に狂人の域だろうよ。挙句古代民族なんて注文だ! かと言って無碍にも断れねぇよなぁ、なんてったってお得意様だ、お客は神様、いなきゃ商売上がったり。ったく、卿も無茶言ってくれるよ――

「『ハレッド家リンドン卿は』」

 最後の言葉を口に出す。
 貴族の中で王の覚えもめでたいその名は、よく知られていた。裏でも表でも違う意味で。現場に残されていた足跡から見て取れた円形の紋章は、ハレッド家のものだった。一つの一族に複数もそんな悪趣味な人間など居ないだろう。記憶力と直感の混合だが、彼女はそれを確信していた。
 間違いないだろう。だから、向かう。

 高級住宅街は貴族用の特別区だった。出入り口は一つしかなく、そこには夜っぴて兵士が見張りに立っている。それが見えたところで、彼女は通りのベンチの背に脚を掛けた。トン、と軽い音を立ててそれを蹴り、跳躍する。しなやかな身体は街灯の上にまで届き、さらにそれを蹴って、近くの民家の屋根にまで届く。勢いは殺さないままに屋根を駆け抜ける――兵士達は、気付く様子が無い。
 道に差し掛かる。屋根が途切れる。向こう側には、どこかの貴族の家。その屋根が繋がっている。兵や柵も、そんな高いところは守備範囲外だと言いたげに下界を守っていた。

 跳躍。

 夜陰に、さらに黒い影が飛ぶ。
 ひらりと、彼女の肩に付いたままだった羽根布団の羽毛が一片落ちた。それを目の前に受けた見張りの兵士が、きょろきょろと辺りを見回す。だが、影も形も鳥などいない。第一、夜に飛ぶ鳥など森の梟ぐらいだ。

「……天使でも来たか?」

 エヴァーリーンは貴族達の屋敷の上を器用に飛び回っていた。普通の住宅と違い、屋敷はどれも高層である。だがまったく臆する様子なく、彼女は跳躍を続けていた。呼吸にも乱れる様子は無い――やがて、足が止まる。勿論疲労ゆえではなく、目的地到達のために。
 丸い紋章が玄関と門に掲げられた、その屋敷。覗いた暗い窓が屋根裏の物置であることを確認し、彼女は鍵の部分に鋼糸を掛けた。くるりと回し、鍵を切断する。窓を外し、するりと忍び込む――闇に眼を慣らす必要はなかった。夜は、明けかけている。

 下界の音に耳を傾ければ、玄関の開閉音が聞こえた。馬車の用意を指示する声――よほどはしゃいでいるのか、暢気なことだ。チッと小さな舌打ちを漏らす。だが、好都合でもあった。これで――調べるのは、容易い。

 天井裏を伝い、書斎に忍び込む。まだ早い時間帯だからか、メイドが起きている様子も無い。警邏も主が居ないうちにサボッているのだろう、好都合は続く。机の上の書類は公務のものばかりだったが、彼女は床に這い蹲るようにして身体を沈めた。
 机の脚の下に手を入れる。
 予想通りに隠しポケットがあり、そこには、鉄の鍵が入っていた。

「ヘウェルドの仕込み机――知っていれば、なんの事も無いわね」

 そして、視線をドアに向ける。
 伝っていた天井裏が唐突に切れていた。だから下りた、それがたまたま書斎だった。つまり、この書斎の奥に何かがあるのだろう。そして隠された鍵――ドア。想像は何一つも、難くない。難いことなどなかった。
 鍵穴に鍵を納め、回す。かちゃん、と鉄の落ちる音が開錠を知らせた。

 ゆっくりと開いたドアの向こう側には。
 常軌を逸した光景が、あった。

 人間の剥製。記録のポートレート。檻の中の人型。起きているのか判らない、生きているのか判らない。檻。重なる檻、檻、檻、見慣れたフード。彼女は駆け寄る。

「レアね――起きている?」
「ッぇ、ぐ……ふぇ?」
「私よ。判るかしら……黒山羊亭の、」
「エヴァ、さんッ」

 檻の中で身体を伏せていた子供は、身体を起こした。だが狭い中では、その頭を天井にぶつけてしまう。零れた白銀の髪の間から泣き顔がのぞいた、格子に指を掛けて見上げてくる姿は――まるで、動物のように。
 ギリ、っと、今度こそエヴァーリーンは強く自らの口唇を噛んだ。

「少し離れて――格子を切るわ」
「ま、待って、あの人みんなの所に行くって」
「それは、ジュドー達が向かっているから――大丈夫よ。心配、ない」
「待ってくれ、あんた」

 他の檻から声がする。見れば、眼を覚ましたらしい人々が格子の奥から手を伸ばしていた。伸びる無数の手、そして、懇願の表情と声。

「俺達も出してくれ」
「助けてくれるの?」
「たすけて、お姉ちゃん」
「お願い、もういや」
「助けてくれ」
「タスケテ」
「お、おねがい――」

 まるで動物のような姿。
 エヴァーリーンは、一気に鋼糸を閃かせた。
 すべての檻の格子が切れる。
 解放された人々が、歓喜の声を上げた。

 彼女は部屋の片隅に置かれていた簡素な机の上にあったいくつかの書類を、些か乱暴に引っ掴む。ポートレートの何枚かも同様に、そして、小さな子供の剥製も一体。それは、比較的優しく。

「レア、この人達と一緒に逃げなさい――玄関までは、私も一緒に行く。黒山羊亭にみんなを案内して……少し、野暮用が出来たわ」
「え、エヴァさんっ」
「お願いできる、わね?」
「――うん、ボク、頑張るっ!」

 健気な言葉に。
 エヴァーリーンは、ふっと笑顔を向けた。
 そしてその頭を撫でる。

「良い子。それじゃ――いくわよ」

 踵を返す彼女の髪から、引っ掛かっていたのだろう羽がまたひらりと落ち、悪趣味の部屋に残された。

■□■□■

 後日のエルザードを覆っていたのは、貴族であるリンドン卿の逮捕の噂だった。爵位を奪われたと同時に逮捕された卿の部屋から大量の人間の剥製が発見されたこと、地下には稀少動物から稀少民族までが収集されていたこと。
 そして精霊王が直々に、リンドン卿の逮捕を王に直訴したこと。一部には天使の仕業だと言われるほど唐突なその情勢に、国民は大いに驚いていた。
 だが、黒山羊亭でそのことに触れるものはなかった。
 と言うか、黒山羊亭には人影がなかった。
 客も、エスメラルダも、そこには居ない。

 都の外れに、彼らは居た。

「本当に――ありがとうございました。どうも危機感が足りなかったようですが、これからも私達は旅を続けようと思います」

 深々と頭を下げたのは、レアの母親だった。他の人々も、同様に頭を下げる。ジュドーはその改まった様子にどうも馴染めず、いやぁ、と照れ混じりに頭を掻いたりしていた。その様子をエスメラルダが笑う。エヴァーリーンはきょろ、と辺りを見回した――
 レアの姿が、無い。

「あの……レア、は――」
「あ、います、ここっ!」

 エスメラルダが調達した新しい馬車の中から、レアが飛び出してきた。

「――ぇ」

 ジュドーが、声を上げる。
 ローブですっぽりと身体を包んでいたレア、ボクという一人称を使用していた子供は、スカートを穿いていた。髪飾りを銀色の髪に付けている。着替えをしていたのだろう、腰の後ろのリボンを止めながらぱたぱたと走ってくる――そして、一同を見上げ、にこりと笑う。見れば、それはサンカの伝統的な正装だった。

「えっと、今回は本当に、ありがとうございましたっ!」
「ちょ、ちょっと待て坊主、お前ッ」
「え? ジュドー、気付いてなかったの?」

 慌てたジュドーの言葉にエスメラルダが呆気に取られて返す。エヴァーリーンは、さらに呆れの篭った溜息を吐いて見せた。

「サンカの女性はアルビノ――つまり、色素がなくて銀髪赤眼なの……男性にはちゃんと、色素があるわ。やっぱり気付いてなかったのね、あなた……」
「お――女の子だったのかぁッ!? わ、私はてっきり男と、す、すまんレア! こ、この無礼は腹を切って!」
「迷惑だから止めなさい……」

 少し疲れた顔を浮かべていた人々が一斉に笑い出した。

「ところでエヴァ……お前、どうやってあの男の爵位を消させた?」
「精霊王のところに忍び込んで、証拠品多数突き付けたの……所謂直訴……私も少し、気が立っていたみたいね」
「……それは、少しどころじゃないだろう」



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

1149 / ジュドー・リュヴァイン / 女性 /  十九歳 / 武士
2087 / エヴァーリーン     / 女性 /  十九歳 / ジェノサイド

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 こんにちは、ライターの哉色です。この度は発注頂きありがとうございました、さっそく納品させていただきます。今回はお二人別個の描写で行って見ましたが、如何でしたでしょうか。物語の都合上少々残酷な描写なども多くなってしまっておりますが; 嫌だ、ということがあれば、訂正いたしますので、お気軽にご注文下さいませ。
 それでは少しでもお楽しみ頂けている事を願いつつ、失礼致しますっ。