<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『チャーミングなミント』

<オープニング>
「アイスココアをちょうだい。ガムシロ、ダブルでね」
 黒いローブが、黒山羊亭のカウンター席の一つを陣取った。
「アーシュラ。ここに来てはダメと、何度も言ったでしょ?」
 エスメラルダは眉を顰める。
 彼女が、魔法使いの祖母の元で修行中の、まだ11歳の少女であるからというだけでは無い。アーシュラは、祖母の所から色々なアイテムを持ち出してはこの店に持ち込んで、散々叱られているのだ。
「ううん、今度は、きちんとした冒険の依頼だよ」
 そう言って、傷んだ古い絵本をテーブルに置いた。店に白い埃が舞う。
『どう見ても、これも持ち出したみたいだけど?』

 なんでも、この絵本には、『チャーム・ミント』という、惚れ薬に似た効果のハーブが登場するそうだ。物語では、ノースルック・ヴァレーのミント畑に稀に棲息するとか。
「聖都の北には、『コールドルック・ヴァレー』って似た感じの地名があって、そこにも天然のハーブ草原があるでしょ?伝説って、結構史実を表してることが多いんだ」
 だが、香りのいい草には、虫もたくさんまとわりつく。あのあたりは、危険な昆虫も多くて、子供は近づけない。
「ふーん。で、惚れ薬が欲しいなんて、好きな男の子でもできたの?」
「べ、別に。もうすぐヴァレンタインだし、ゲットすれば高く売れると思って」
 アーシュラは、口を尖らして鼻の頭を掻いた。頬が赤くなっている。

< 1 >
「高く売れる?」
 銀色の瞳がクリクリと動いた。
「アーちゃん。ボクが手伝ってあげるよ!アーシュラだから、アーちゃんでいいよね?」
 まだあどけない笑みをみせる15歳。ヴィネシュア・ソルラウルは、小さな少年のような清々しい容姿の少女だ。ただし、仕事は、闇の世界にも通じる情報屋で、金になりそうなことなら何でも飛びついた。肩にはオコジョに似た雪精霊・ジエルを乗せる。
 店で酒を飲んでいたアイラス・サーリアスも「僕でよければお手伝いしますよ」と参加表明した。大きな眼鏡をかけ、体も細身の文学青年だが、武闘家として相当の腕を持っている。
「まずは、ミントについて調べないと。その絵本を見せていただけますか?」
――『魔法使いのおばあさまの秘蔵の本らしいし、きっと珍しい絵本なのでしょうね』
「そうそう。情報収集が大事だからね」
――『うわ、年代モノだな。高く売れそうだ』
 どうも二人とも、興味の対象が違う気がするが。
 
 パリパリと糊が剥がれそうなページを丁寧に捲りながら、二人は件のミントについての表記を見つけた。その童話の妖精は、ヒロイン達に『ピンク色でハートの形の葉が向かい合わせで細い茎に付いている』『その対の葉をそれぞれの酒に入れて口にすると、永遠の恋人同士になれる』というヒントを与えていた。挿絵では、ひょろりとした茎が、ハート型の葉といっしょに風になびいている。
「この草は、エルザードでは見たことは無いですね。図書館で調べてみましょうか」
「じゃあボクは、『コールドルック・ヴァレー』について、情報を集めるね」
「わあい、二人ともありがとう。そうだ、私は何をすればいいかな?」
 アーシュラの言葉に、エスメラルダが間髪を入れずに答えた。
「おばあさまに見つからないように、そっと絵本を返していらっしゃい」

 明日は一日情報収集をし、明後日の早朝に天使の広場で落ち合う約束をして、三人は散会した。
 カウンターで、珍しく一人静かに飲んでいたオーマ・シュヴァルツが、店を出る三人の背中を目で追いにやっと笑う。
「オーマ。また何か企んでるでしょう?」
 エスメラルダに指摘され、オーマが反論しようと肺に息を吸い込む。それを見て、「あ、長くなるから遠慮しておくわ」と、踊り子は逃げて行った。

 アイラス達と別れたヴィネシュアは、ベルファ通りをさらに奥へ潜った。街角には、客引きや娼婦、ヤバイ薬の売人達が、隙を窺い佇んでいる。そんな中を、15歳の少女が、慣れた足取りで、躊躇もせずに横切って行った。肩のジエルの尻尾も揺れる。
 看板もろくに出ていない店が並ぶレンガの壁。背を付けて蹲まる一人の浮浪者の前で、ジエルが「キュイ」と鳴いた。ヴィネシュアは立ち止まる。
「やあ、オヤジさん。羽振りはどう?」
 ぼろ毛布を被っていたその男が、のろのろと片手を上げる。
「おう、あんたか」
「ヤバイ葉っぱが生える草原らしいんだけど、『コールドルック・ヴァレー』について教えてよ」
 少女は、ウイスキーが五分の一程残ったボトルを、男の前で振って見せた。

< 2 >
 コールドルック・ヴァレーは、朝早く出れば、少女の足でも昼頃に着く。断崖はロープをかけて攀じ登り、板の落ちそうな吊り橋を渡り、折れた大木達を跨ぎ。少女達はキャーキャー騒ぎつつも、アイラスの冷静な指示で、特に怪我などの危険も無く進んだ。ヴィネシュアの相棒は、彼女のリュックのポケットに収まり、時々キュウと鳴いてはアーシュラに「可愛い!」と身震いさせていた。

 歩きながら、お互いが得て来た情報を交換した。
 アイラスが調べたところによると、確かに『チャーム・ミント』という名の植物は存在する。だが、形状は絵本のものとは違い、葉は楕円形で先端が尖り気味。対生なのは同じ。色は緑であり、ピンクに変化することは無い。アイラスは、図鑑をスケッチして来た絵を見せた。
「ピンクのハートじゃないんだ?なんか、夢が破れた気がする」
 アーシュラが唇を尖らせた。絵本の出来事を『実は、現実では』と調べるのは、夢を壊していく作業だ。アイラスは苦笑して続ける。
「消化不良や眼の疲れ、喉の痛みなどにも効く薬草で、虫さされにもいいそうです」
「で、で、アイちゃん、肝心の惚れ薬としての効果は?」
 ヴィネシュアが揉み手をしながら顔を覗き込む。
「ミント酒を作る時にですね。チャーム・ミントは、漬け込む酒の種類によって、効能が変わるんですよ。ある種の酒と化学変化を起こし、『惚れ薬』に近い効果・・・幻覚作用を引き起こすそうです」
 酒の種類まではわからなかったそうだ。だが、とにかく色々な酒で試せば、正解が見つかりそう。大儲けの可能性は高い。
「次はボクの調べたコトだよ。コールドルック・ヴァレーのハーブ草原は、見晴らしのいい広い草原で、モンスターは出ない。時々蜂や蝶の群れとか甲虫の集団とかが通り過ぎる。まあ、冬だから、居るとしても甲虫ぐらい?あ、あと葉や花に付く害虫。アブラムシとかカメムシとか。ナメクジに毛虫にヨトウムシ」
 アーシュラが「いや〜っ」と耳を塞いだ。虫は苦手らしい。
「虫よけなら、何種類か準備して来ましたよ」
「え〜、アイちゃん、用意がいい!」
「煙草を浸した水を肌に塗布するといいそうです。食酢を塗る方法もあります」
「アイちゃんは、それを乙女の肌に塗れと言うのかい?」
「え。厭なんですか?」
 ニコチン水溶液でお肌が荒れたり、肌が酢臭くなったりするじゃないかと、むっとするヴィネシュアだった。これだから、男ってヤツは。
「わかった、アーちゃんには、ボクがついている。虫は火を嫌うから、たいまつを持って来た」
 ヴィネシュアはたいまつに火を灯し、「さあ、あの谷へ向かって走ろう!ゴーゴー!」と、走り出した。アーシュラも「おー!」と続く。アイラスが「待ってくださいよ〜」と後を追った。

< 3 >
 穏やかな坂道を昇りきった丘から、その草原は見渡せた。冬でも青々と草の露を含んだ、美しい緑の波が風に揺れている。
「いい香りだね!」と、ヴィネシュアが深呼吸すると、アーシュラも真似して深く息を吸い込む。ヴィネシュアになついて、素直に言うことを聞くアーシュラは可愛い。
「・・・モンスターはいないはずですよね?」
 気持ちよく深呼吸を繰り返すヴィネシュア達の横で、アイラスが眼鏡のレンズを布で擦ってかけ直した。
「あの、大きな虫・・・虫、ですよね?あれはモンスターの類では無いですか?」
 草原の中央に、光沢のある甲虫が鎮座していた。全長はゆうに2メートルを越えているように見える。
「ボクの情報網に引っかからないモノがあったなんて。でもあれも虫なら火に弱いよね?」
 ヴィネシュアはたいまつを掲げる。
「簡単な火魔法ぐらいなら、私も使えるよ」
「待ってください、まだ敵かどうかもわからないのに。それに、火魔法など使ったら、周りのハーブも焼け焦げてしまいますよ。
 とにかく、防御体制を取りつつ、もっと近づいて様子を見てみましょう」
 アイラスは両腰の釵を引き抜いて握った。

 背を覆う堅い青緑の甲冑は、光沢があり陽に虹色に輝いていた。不規則な白い斑点模様がおどろおどろした雰囲気を醸し出す。三人が近づいて来たのに気づいたのか、前翅を上げて腹を見せた。『立ち上がる』という動作らしい。大鎌のような前脚がこちらを向いた。
『俺はこの谷を守る虫だ。ハーブ畑を荒らす者は許さない』
「きゃあ〜〜ん!虫が喋ったよぅ!」
 アーシュラは泣きべそで反転、引き換えそうとするので、ヴィネシュアがフードを掴んで止めた。
「ここで諦めてどうするんだいっ、女がすたるよ?」
 アイラスの方は、虫と話し合いを始める。
「荒らすつもりはありませんよ。チャーム・ミントを数本、抜いて持ちかえりたいだけです」
「えー、ダメだよ、アイちゃん!数本じゃ商売にならないよ!」と、アイラスの腕を取ってヴィネシュアが抗議した。
「あのでかいフンコロガシに、少しは交渉してみてよ」
「ヴィネシュアさん、あれはフンコロガシじゃなくて、ハナムグリですよ・・・」
『そうだぞ、俺はフンコロガシじゃねぇぞ!』
 花潜りと糞転がしでは名前の印象はだいぶ違うが、まあ形は似ていないことも無い。同じコガネムシ科の昆虫だ。
『だいたい、惚れ薬で相手のハートをゲットなんて、ロマンスパワーがマッスルじゃない証拠。自分の魅力でうっふんチャームしなきゃ意味ナッシング』
 アイラスは頭を抱えていた。もしかしたら、知り合いの虫なのかもしれない。ヴィネシュアもアーシュアと顔を見合わせる。
「な、なんか、変な口調の虫じゃない?」
「気味悪いよぅ。まだ、火魔法攻撃しちゃダメなの?」
 アイラスは、「ちょっとここに居てください」と二人に言うと、虫に近づいて行った。

 アイラスは虫と何やら話し合うと戻って来て、交渉内容を少女達に伝えた。一人一本ずつ抜いて帰るくらいなら許すと。
『えーっ。一本ずつなんて。ここまで来て、それは無いでしょ』
ヴィネシュアはこっそりもう数本抜いて帰るつもりだったが、ここは了解した振りをした。虫嫌いのアーシュラの方は、とにかく早く帰りたがっていた。
「アイちゃん、すごいね。虫と仲良しだなんて」
 ヴィネシュアは褒めたつもりだが、アイラスはあまり嬉しそうでは無かった。
「・・・ねえ、アイラスさん。あ、あっちの・・・あれとも仲良し?」
 アーシュラの怯えた声に、ヴィネシュアも振り向いた。巨大虫が立つのよりだいぶ西の方角から、黒い竜巻に似たモノがこちらに向かって来た。機械の唸りにも似た羽音を幾万と響かせ。
 蜂の大群だった。それも、まるで洪水の黒い水が、陸地に押し寄せるような虫の数だ。巨大虫が『危ない!』とアイラス達に駆け寄る。
「二人とも、伏せて!」
 アイラスの声に、ヴィネシュアは咄嗟にリュックのジエルを抱きかかえた。アイラスは、少女達を草の上に腹這いにさせ、食酢の瓶を釵で叩き割り、二人の上にばらまく。
「効果があるといいのですが」
 巨大甲虫が三人の前に立ちふさがり、迫る蜂の大群に背を向けた。何故か自分達を守ってくれようとしている。巨大虫の背に、次々と蜂がぶつかる。だが、遮蔽物に気づいて直前に方向転換する蜂も多かった。アイラスが、少女達に覆いかぶさるように立ち、迷い込んで来た蜂達を釵で払った。軽く払っても、胴体が千切れて息絶えてしまう蜂も少なくはない。
『殺すな!蜂に罪は無い!』
 蜂の群れを背でとどめながら、巨大虫が叫んでいる。
「そんな綺麗事は言っていられません!」
 アイラスは、釵で払い続ける。

「ヴィネシュア・・・。すぐ上で蜂の音がするよぅ」
 一緒に大地に伏せながら、アーシュラは泣きべそをかいていた。
「大丈夫、大丈夫!アイちゃんが、防いでくれるから」
 本当はヴィネシュアの腕も震えていたが、アーシュラにそれを悟られないように、ぽんと背中を叩いて、励ましの言葉を吐いた。
『だって、ボクの方が4歳もお姉さんなのだもの!』

 蜂が通り過ぎたのは、ほんの一分位だった。音がやみ、遠く離れて行く竜巻を見ながら、少女達は恐る恐る立ち上がった。ジエルもリュックから飛び出し、ひょいと、ヴィネシュアの肩に乗る。
 蜂に手出しせず立っていただけの巨大虫の足元にも、甲虫の背にぶつかり息絶えた蜂の死骸が何十も散らばっていた。アイラスも、釵にこびりついた昆虫の羽や翅を怒ったような顔をして布で拭き取り、腰に納めた。そして苦い表情で目を閉じた。
「あの・・・アイちゃんもハナマグリさんも・・・守ってくれてありがとう」
「ごめんなさい!ごめんなさい!私が、遊び気分でミントを採りに来たいなんて言ったから・・・」
 アイラスはにっこりと笑顔を作ると、「二人とも無事で何よりでした」と言って、少女達の頭を撫でた。肩のジエルのことも、「君もね」と、撫でてくれた。
 ヴィネシュアは、本当はこっそり数本抜いて帰るつもりだったと告白し、「でも、ハナちゃんとの約束、ちゃんと守るよ!」と誓った。
 そして、三人で一本ずつチャーム・ミントを抜いて、エルザードへと戻った。

< 4 >
 その夜、黒山羊亭では、危険な実験が始まった。経過調査はヴィネシュア、結果のデータ記入はアーシュラ。そして、被験者がオーマとアイラスだった。
 まず、1杯目。ビールにミントの葉を浸してみる。最初の1杯は美味い。
「特に変化は無いようです」と飲み干してアイラスが答えた。
「おう。俺も別にアイラスを見てドキドキしねぇぜ」
「では、次は白ワイン行くよ」と、ヴィネシュアが男達のグラスにアルコールを満たす。そして2組目のミントの葉をそれぞれのグラスに一葉ずつ落とした。
「あ、さっぱりしていい感じです。ミントと合います」
 いや、そういうことじゃないだろう。
「別に胸きゅんしないぞ」
 アーシュラの手元のシートは、次々と×マークで埋まって行った。
「なかなか当たらないなあ」とヴィネシュアもため息をつく。
 だが、よく考えてみると、ビンゴになった時・・・アイラスとオーマが愛を感じ合った時の方が怖い。
 8杯目、バーボングラスを空けた頃には、二人ともかなり酔っぱらって来た。
「おう、アーシュラ。俺から愛の御贈答品だ。ミントを使ったチョコレシピと、腹黒恋愛指南本だぜ」
 オーマはポケットを探る。
「おんや?何故無い?落としたか?」
「オーマさん、それ、私さっき貰ったよ」
 5杯目を飲んだあたりで、同じ言葉を言ってアーシュラに手渡したのだった。酔っぱらいは、何度も同じことを繰り返す。
「何が惚れ薬だ、馬鹿野郎」
「いいじゃありませんか、可愛らしくて」
「薬で惚れて貰っても、後で虚しくなるぞ〜」
「たとえ一日でも楽しい想いができたら、いいと思いますけど?どうせ普通の恋愛だって、時間がたてば醒めてしまうのだし」
「決めつけるなよ〜、俺と奥様の心なんぞ、何千年たっても変わりゃしねぇぞ〜〜」
 10杯を越えると、二人とも絡み酒になって来る。ヴィネシュアは大きな欠伸を掌で隠した。ジエルもうつって小さな欠伸をした。
 この先、大喧嘩が始まるのか、それても薬が効いて愛の抱擁が始まるのか。
 客たちの期待と不安を包み込み、黒山羊亭の夜は更けて行く。

< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番
1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り
2154/ヴィネシュア・ソルラウル/女性/15/情報屋

NPC 
アーシュラ
エスメラルダ

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。ライターの福娘紅子です。
ヴィネシュアさんには、アーシュラの『おねえさん』的な役割をやってもらいました。
今回はジエルちゃんに活躍してもらう機会が無くて、少し残念です。