<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『久遠の枝垂れ桜』


< 1 >
 オーマ・シュヴァルツは、深夜の乗合馬車に乗り込んだ。依頼主の同行者、ハンナ・ロウという老婦人に、手を差し出してエスコートする。ハンナの手は干し柿のようにざらりとして小さかった。
 同行者はもう一人、友人というより弟のようなアイラス・サーリアスという青年だ。
 エルザードから半日ほど離れた、僻地の村へ向かう。神経質なアイラスは眠れないらしく、何度か目を覚まし、頭を振ったり体の向きを変えたりしていた。反対に、旅慣れているとも思えないハンナは、ショールを肘置きに巻いて枕にし、上手に熟睡している。座席には、小さな窓からレモン色の光が差し込む。

 なぜそんな田舎へ向かう事になったかと言うと。

 黒山羊亭の暗い照明の中で、店内を珍しそうに眺める老婦人がいた。洗いざらしの綿ワンピースと黄ばんだエプロン、泥の付いたブーツ。聖都ではなく、どこかの田舎から訪れたのは明らかだ。日焼けした額には深い皺が刻まれ、しなびた手は、長年土を耕して来たのだろう、男の手のように節くれだっていた。
 エスメラルダに声をかけられ、老婦人は依頼を打ち明けた。
「うちら老夫婦は、千年桜様の峠で、細々と畑を作って暮らしとります。ここ数年、桜様を見に来さる方が多くて、春には活気があって楽しい思いをさせてもらっとりますが、馬車や馬が混み合いますだよ。
 今年の桜様が満開になる前に、畑を一つ潰して、馬車の駐車場と厩を作りたいんじゃが、爺さんが急に体を壊しましてのう。
 力仕事を手伝って下さる方、おりませんかの?」
 千年桜の峠。巨大な枝垂れ桜のことは、エスメラルダも聞いたことがあった。最近は、観光客の為に土地が荒れている噂も聞く。
 エスメラルダは常連の数人に声をかけ、依頼を受けたオーマとアイラスが深夜に発車する馬車に乗り込んだ、というわけだ。

 夜明けが近い頃に、オーマもウトウトしたらしい。
「アイラスさん、オーマさん、麓の街に着いたですだ」
 ハンナに揺り起こされた。車中は朝の白い光に満ちていた。到着は早朝だったはずだが・・・。
「街の近くで、少し渋滞したようで、着くのが遅れただよ。桜様のお客さん達でしょう」
 馬車から降り、アイラスと二人でこれから行く峠を見上げた。大きな綿のカタマリのようなものが、うっすらとぼやけて見えていた。噂の桜は相当の巨樹のようだ。
「今はまだ五分咲きくらいですかのう」

 麓の街は、低い木造の家が並ぶ田舎の風情を残していた。だが、今は赤や青の派手な旗や幟が目立つ。『千年桜弁当』『しだれ饅頭』『桜温泉』。ただの民家も、商店や旅館に早変わりしていた。店先でカフェの呼び込みは手を叩き大声で叫び、トレイに飲み物を乗せて歩き回る売り子も「いかがですか〜」と声を張り上げる。
「賑わってるねぇ」と、オーマは苦笑まじりに顎を撫でた。
「一年のうちの、二週間ほどですがね。でも、この時期が一番活気がありますだ」と、ハンナも微笑んだ。
「働いとる若い者らは、普段は都会へ出とる息子さんや娘さんが殆どでな。この時だけ、実家に手伝いに帰って来てくれるようです」
 活気がある原因は、観光客の多さや、稼ぎ時だというテンションだけでは無さそうだ。普段は年寄りばかりのモノトーンの街に、ウェイトレスの赤い制服の裾が華やかに踊る。

「婆さんの家は、もっと上・・・桜の近くなんだよな?」
「麓からも乗合馬車があるんですね?・・・春季限定運転。これも今だけですか」
 オーマとアイラスは、観光者気分であたりの家や看板を物珍しげに眺める。
「そんなもん乗っておったら、夕方になっちまいますだ」
 ハンナは、ふふっと笑って、山道を歩き出した。確かに、オーマ達が乗り場の近くを通ると、長蛇の列が出来ていた。
「それだけじゃない。見なされ」
 峠へ向かう道は、観光客の自家用馬車や馬で埋めつくされていた。普段は、道が白いリボンを巻き付けたように見えると思われるゆるいスロープ。馬車がすれ違うのがやっとの、そう広くもない道に、進んでいるのか停まっているのか曖昧な乗物達が、ジリジリしながらひしめき合っている。

 老婦人は馬車の横をひたひたと上へ登って行き、オーマとアイラスも後を続いた。オーマ達が馬を追い抜いていくと、御者の中には恨めしそうにじろりと見る者もいた。渋滞に飽きた男児の「ママー、桜、まだー」の不機嫌そうな声が響く。
「坊ちゃん、峠はまだ遠いが、もうすぐ窓から桜様が見えよる。もうちょっと我慢、我慢」
 ハンナは、馬車の窓越しに、麓で買ったオレンジを一つ差し出した。子供は「わあい」と齧りつく。
「こら、だめよ!こういうところのは高いのよ!」
 母親の叱る声がした。オーマは横を向いて笑いを噛み殺す。この家庭の普段からの賑やかで雑然とした雰囲気が伝わって来る。こんな普通の家族連れやカップルが、幾つかの桜の名所からここを選んで、「よいしょ」とばかりに訪れているのだろう。
「すみません、お幾らかしら?」
 母親は慌てて鞄から財布を取り出した。
「ええよ、坊ちゃんに差し上げたのよ。渋滞して、すみませんなあ」
 ハンナは、まるで自分のせいのように頭を下げた。

< 2 >
 峠付近には、家が八軒点在する。みな似た木造平屋の小さな家だ。
 ハンナはたいして息も乱さずに村に着くと、「寄るとこがある」と言った。
「みんな夫婦もんだが、一軒だけ寡婦がいての。一人暮らしなんで、皆時々覗くことにしとる」
 ハンナが声をかけると、姉妹のように似た老婦人が扉を開けた。小さな村だ、みんな親戚なのかもしれない。いや、皺を伸ばして広げると、全然違う顔なのかもしれないが。
「おや、ハンナ。お客人か?」
 背後のアイラスとオーマに目をやる。
「おお、息子さん夫婦が、桜様を見に来たかね」
 寡婦は細い目を更に細めた。
『息子“夫婦”?』
 長い髪を後ろで一つに縛り、体もオーマに比べれば華奢なアイラスだ。この老人には、アイラスがオーマの妻に見えたらしい。アイラスはたぶんこめかみをヒクつかせていることだろう。アイラスの肩を抱いて『妻です。よろしく』と言ってやろうかと思ったが、彼が『友達をやめます!』と本気で怒りそうなので、よしておいた。
 ハンナは「いや、手伝いの人達だ」と訂正していたが、寡婦は耳が遠いのか、それとも別の想いに囚われたせいか、聞こえていないようだ。
 別の想い。
「うちも、そろそろ来るはずじゃ。楽しみじゃ、楽しみじゃ」
 頬を紅潮させ、少女のように寡婦は笑った。

 ロウ家の食卓で、質素だが旨い昼食をいただいた。山菜と、卵、それからロウ家の畑でできたポテトと人参のサラダだ。
 夫のテッドは寝込んでいるので、三人で食べた。
「おいしいです!特にこの人参、甘みがあって」
「もったいないな、ラブリーマッスルな畑を潰しちまうのは」
「畑なら、もう一つある。うちら夫婦が食べる分だけ取れればいい。今も、余った物は麓へ売りに行っとる。歳を取ると、どんどん食が細くなっての。欲張っても仕方ないんじゃよ」
 
「では、作業に入りましょう。畑はどちらですか?」
 食事を終え、アイラスはハンナに案内されて、畑へと出て行った。
「俺は、爺さんを診察してから行くよ」
 オーマは、台所の隣、木の実の暖簾で仕切られただけの寝室へ向かった。

 古い艶を持つ木の床。ベッドに掛けられた手製のキルト。梁が出た天井。セピアに色づいた老人達の住処には暖かみがあった。老人は、オーマの気配を感じ、ベッドを軋ませて起き上がった。
「手伝いの方だね。すまんな」
 テッドは、白髪の知的な老人だった。農夫というより教授か研究者といったところだ。白い口髭も綺麗に整えてある。
「俺は一応医者です。具合はどうですか?効き目グレイト健康ハッピーライフな薬草も、たくさん持って来ましたよ」
 老人は、「まいったな」と、笑った。
「・・・もしかして、アレでしたか?」
 オーマはにやりと笑ってみせる。
「ああ、アレだ」
 テッドも苦笑して、照れくさそうに頬を掻いた。仮病なのだ。
「下の街も活性化しておるし、村のみんなも人が訪れて喜んでいる。反対はできんよ。反対はできんが・・・まあ、諸手を上げて賛成するのにも抵抗があったんでな」
「人が来ると、やはり村が荒れますか」
 老人は答えず、苦笑しただけだった。

「千年桜様を見に、いろんな輩がやって来る。
 暮らしやすい都会へ出て行った息子や嫁いだ娘、孫、そんな奴らも来る。来ないこともある。だが、村の誰かの家が賑やかになっていれば、みんな自分の事のように喜ぶ。
 いや、騒いでゴミを捨てて行くだけの、見ず知らずの観光客達さえ、自分の息子や娘の家族のように歓迎しているのだ。賑やかになって嬉しいと言ってな」
 オーマが入れた茶をすすりながら、テッドはゆっくりと、だが言葉多く語った。この村では、テッドの不満は口に出すことは許されないのだ。
「聖都から来たあんたが驚くほど、普段は静かな村じゃよ。桜様が散ると、もう、風の音と、ヒバリの声しか聞こえない。葉擦れの音と、ヒバリだけだ。秋は葉の落ちる音が、冬は雪の降る音が聞こえるほどでな。・・・寂しい村じゃ」
 一年に二週間だけ。ゼンマイを一杯に巻いた玩具の、手を離した時のような騒がしさ。そしてその跡の静寂。手足を派手に振り回した人形は、死んだようにパタリと動きを止める。
「遊んで貰えない子供が、苛めっ子に媚びて遊んで貰っているような、妙な気分になった。で、作業を進める気になれなくてな。結果的には、サボりたくて、拗ねて布団を被った爺いになってしまったな」
 明日からは作業に戻ると、テッドは笑顔になった。

「おお、遅れてすまない」
 畑にオーマが到着すると、アイラスが石の敷き詰めを半分以上終えていた。オーマはハンナの指示を仰ぎ、馬を繋ぐスペースを作りにかかった。テッドの話によると、厩のような大袈裟なものでなく、乗って来た馬を気軽に繋げる場所にしようということだった。
 杭を打ったり、馬同士を仕切る板を立てたり、大工仕事という感じだ。まず、丸太の先を削って杭を作る。
「爺さんと、何か話されたかね?」
「俺の煎じた薬草茶を飲んで、全快したぜ」
 オーマの返事を聞いて、ハンナは声をたてて笑った。
「息子夫婦ってのは、満開の頃に来るのか?」
 近所の人が間違えるくらいだ、ロウ家の息子はオーマと同じ40歳位なのだろう。孫も居るに違いない。
 ハンナは頬の皺も伸びるほどの笑顔になった。
「馬車で片道5日もかかる街に住んでおる。今頃、どの辺を走っているんじゃろうか」

 夕方までに、杭打ちは全て終了。仕切りは、板を切り揃えるところまでいった。
 オーマ達は今夜はロウ家に一泊し、明日の午前中に作業を終わらせて山を降りることになっている。明日早めに仕事が終われば、少しは花見ができるだろうか。

< 3 >
 夕飯の支度はオーマも手伝い、食卓にはテッドも加わった。『病気は治ったので、明日から作業をする』と告げた。
「三人なら、早く終わりそうですね。桜を見る時間、ありますよね」
 干し肉と野菜の炒めものを頬張りながらアイラスが嬉しそうに言うと、「なんじゃ、まだ桜様を見ていないのか」と言う答えが返って来た。
「妻(さい)が気が利かなくて、すまんな。着いてすぐに仕事に連れ出し、ずっと仕事させていたのか。
 この後、夜桜を見に峠まで出かけんかね?疲れて早く休みたいなら、無理にとは言わんが」
「そりゃ行くぜ!」
 アイラスが「行きます!」と返事するのと同時に、オーマも子供のように声を上げていた。

 ハンナは、三人に小さなワインを一本持たせてくれた。テッドがカンテラを下げて先頭を登る。体が少し暖まるほどに登っただろうか。坂がゆるやかになり、崖沿いに数歩行くと開けた場所に出た。桜様とご対面だ。
 長身のオーマが見上げても天辺がぼやけるほど、大きな枝垂れ桜だった。五分咲きということで、控え目に付けた花を淑女のように風に揺らせている。
 辺りは、シートを敷いて酒に興じる観光客で、足の踏み場も無い感じだ。桜に見とれて歩くと、人の手を踏んでしまいそうだった。テッドは、きっと静かに飲むのだろう。こんな下品さも許せないことの一つなのかもしれない。だが、酔客達の顔は桜の明りに照らされ、活き活きと輝いている。美しさに感動して、歌が口から溢れる気持ちもわからなくは無い。
 オーマとテッドは、巨樹の根を椅子にして座る。アイラスはまだ遠い場所で、桜に憑かれたように佇んでいた。
「おおい、アイラス、早く来い!」
 オーマが声をかけると我に返り、走って合流した。三人は、ワインボトルを回し飲みしながら、枝垂れ桜を下から見上げた。
 花で満ちた籠の中にでも閉じ込められているような、不思議な気分だった。桜の魔は、心をどこかへ持って行ってしまう。
「これで五分咲きですか。満開の時に見たら、僕まで天使になってしまいそうです」
「なに桃色ファンシーなセリフこいてんだ」
 オーマはアイラスのキザな言葉に頭を小突いたが、テッドは「そうですな。なるでしょうな」と言って笑っていた。

 翌日も晴天で、テッドも交え、作業は早く終わった。だが、山道の渋滞は昨日よりも酷く、峠での宴会も芋洗いの状態と思われた。オーマ達は昨夜の美しい夜桜だけを記憶に残し、そのまま山を降りることにした。ロウ夫婦から心のこもった見送りを受け、下を目指した。

 坂を下る二人の横では、相変わらず馬車が渋滞している。家族連れらしい馬車の窓から、小さな兄弟が、髪を引っ張り合って喧嘩しているのが見えた。母親も特に止めに入る様子も無い。みんな、疲れて不機嫌になっているのだ。
『ま、この“うんざり”も、家族の楽しい思い出の一つになるさ』
 これから見る桜の素晴らしさと共に、『あの渋滞は参ったよなあ』と。少年達が大人になっても、家族の間で語られるかもしれない。
 風が、一枚の花びらをふわりと踊らせ、アイラスの長い髪に着地させた。オーマは知らせず、そのままにしておいた。
 アイラスが花びらに気付いて笑顔を見せるのは、エルザードに着いてからだ。

< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番
1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り

NPC 
テッド&ハンナ(ロウ夫妻)

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
アイラスさん編とオーマさん編では、言いたいことが違う話になりました。
同じ出来事を別の想いで書くことができるのは、冒険記の楽しいところかと思います。