<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


鐘の音が聴こえる


 漆黒が空を支配する、静寂の夜。草も木も黙し、眠りの時間を迎えている。
しかしその静寂の中にあっても、否、夜を迎えたからこそ、その場所は艶やかな喧騒に包まれるのだ。
 
 黒山羊亭

 そう書かれた看板の奥で、踊り子エスメラルダは艶然とした笑みをたたえ、酔いのまわった客達の相手をしている。
「――あら、いらっしゃい。あなたも遊びに来てくれたの?」
 店の扉を揺らして立ち入った客の顔を確かめると、エスメラルダはそれまで応対していた客の手をすらりと抜けて、細い腰に片手を据えた。
そしてそのまま首を傾げ、口の片側を持ち上げて笑ってみせながら、客の様子を確かめるように言葉を告げる。
「なんてね。あたしと遊びに来てくれたわけじゃないっていうのは、分かってるわ。……こっちに来て」

 店の奥にある簡素な部屋に、一人の少女が横たわっていた。
「……名前もない、小さな村からここまで来たっていうのよ、この子」
 エスメラルダは眉根を寄せて、軽く前髪をかきあげる。
 少女は見たところ十を数えてもいない年頃だろうか。豊かな金色の髪に、すけるような真白な肌。
眠っているその少女は、しかし、穏やかとは言い難い寝顔を浮かべている。
「今日入ったばかりの依頼だけど、受けてくれるかしら? ……この子の村を滅ぼしたっていう魔物を、滅してほしいのよ」


 エスメラルダはそれからゆっくりと口を開き、少女と依頼の内容を語り始めた。

 少女は名前もない小さな村に生まれ、育ったらしい。
いつからか、少女の耳は小さく響く鐘の音をとらえ始めたのだという。
それは日に日に大きな音へと変わっていくのだが、それを話しても、周りの大人達は当然のように信じてはくれなかった。
それはそうだ。鐘など村にも、村を囲むどこにもありはしないのだから。
 その音が一層大きく聞えるようになった頃、村に魔物が現れるようになった。
それは闇にまぎれて姿を現し、昼夜を選ばず村人を襲い始めた。
一人、またひとりと屠られていく中で、村人達はやがて少女の言葉にようやく耳を傾けるようになる。
――鐘が鳴る時、それは姿を見せる。

「……それで、ある時、村の人達は一斉に魔物を狩ろうとしたらしいのだけど、」
 続きの言葉を飲みこんで、エスメラルダは少女へと目を向けた。
 少女の寝息は徐々に荒くなり、うわ言を口にし始めた。
「……鐘がなってるの、おかあさん」

「しかし、その村の皆さんも無謀な事を……。相応の腕を持った者がいたのであれば別ですが、察するに、そういった方を抱えた村であったわけでもなさそうですし。……もっと早くに相談してくださっていれば……」
 酒場を後にしてから数日。クレモナーラ村の外れで暖をとっていた四人の内、アイラス・サーリアスが、眠っている少女の顔を眺めて小さなため息を洩らした。
クレモナーラの宿場はあいにく空きがない状態であったため、彼等は村の外で夜をやり過ごす事にしたのだ。
 薄い刃のような月が空に架かり、溢れるほどの星がちかちかと瞬いている。草花の隙間で歌を奏でる虫達の声音と、遠くで梟がか細い声を響かせている以外には、音を立てるもののいない静かな夜。
枯れ木を集めて焚いた小さな炎は、夜のしじまを乱す魔物や獣との余計な接触を避けるためのものでもある。その炎に焚き木を放り投げながら、ウルスラ・フラウロスがアイラスの言葉に目を細ませる。
「黒山羊亭よりの道中、いつ何時でも魔物との接触の機会はあったはずだ。しかし実際には、ここまで目立った魔物の出現は一度たりともなかった。……村に現れたという魔物は、果たして眼に見える存在であったのだろうか」
 ウルスラの手を離れた枝は、闇を照らす炎の中へと吸いこまれるように消えていく。
その炎を挟み、ウルスラの真向かいに腰をおろしているのは、シェアラウィーセ・オーキッド。彼女は自身をシェアラと名乗り、旅を始める際に一羽の鳥を使いとして放っていた。
「この子のみが聴くという鐘の音。魔物の出現を前もって知るための利点になるだろうと思い、連れてきたのだが。……まぁ、道中の足枷にもなっていない点を考慮すれば、良しも悪しもなくといったところか」
 シェアラはそう述べ、肩にとまっている鳥に向けて指を伸ばす。鳥は彼女の指を軽くついばみながら、数度羽を羽ばたかせた。
「シェアラ様のその小鳥、村の調査に行ってくださったのですよね?」
「あぁ、そうだが」
 シェアラの隣で首を傾げるのは、やわらかな微笑みをたたえている少女、メイ。メイはシェアラから返された答えを聞いて、フゥムと小さく思案した。
「それで、村のほうはどうだったのです? 誰か生き残っていらっしゃる方などは」
 メイの言葉に、アイラスが視線を持ち上げた。
「一人でも生き残ってらっしゃる方がいれば、村に何が起こったのかを知る術を得られるのですが」
 しかしシェアラはわずかに眉根をしかめてみせて、鳥がついばんでいた指をパチリと鳴らす。鳥は色鮮やかな一枚の織物へと変容し、シェアラの手の中へとはらりと落ちた。
「クレモナーラの向こうに、確かに小さな村が在る。しかしそこにはおよそ人の気配というものは見当たらないようだ。……潜んでいるはずの魔物の姿も、見当たらないようだがな」
 答え、眠る少女に目を向ける。
「……情報が少なすぎますね」
 アイラスが嘆息を一つ。それに頷きながらも、ウルスラが口を開けた。
「村に行けば手掛かりの一つくらいはあるかもしれない。……明日の朝も早い。火の番が巡ってくるまで、私は少し横にならせてもらう」
 言うが早いか、ウルスラは座ったままの姿勢で腕を組み、黒い双眸を閉じて寝息をたてた。
それを見守るように眺め、メイが少女に近付き、眠る少女の手に自分の手を重ねる。。
「村ひとつ滅ぼしてしまうような魔物は退治するべきですっ。……こんなにも小さな子供をたった一人にしてしまうなんて」
 メイが毅然とそう述べると、アイラスが緩やかに笑みながら首を傾げた。
「――――火の番は僕が務めますから、皆さんもどうぞお休みになられてください」
「……そうだな」
 アイラスの目に浮かぶ光を確かめつつ、シェアラがゆっくりと立ちあがる。そして鳥から変容した織物を少女の体の上にかけると、ウルスラと同様に、座ったままの姿勢で目を閉じた。


「みえてきました」
 翌朝早く発った四人を案内するように、少女は小さな村を指差した。
 クレモナーラの奥、何の前触れもなく広がった森を抜けた場所に、その村はあった。
「あれがわたしが住んでいた村……です」
 村に近付くにつれ足の進みが重くなっている少女の動きに気付き、ウルスラが訝しげに目を細ませる。
「……あなたが住んでいた家はどの辺り?」
 訊ねると、少女は一瞬肩を震わせて全身を強張らせ、ゆっくりと、村の外れを指差した。
「黒山羊亭を出立する時にもお聞きしましたけれど、その、鐘の音というものは、どのように聞こえたのですか? 例えば音、とか……鐘と申しましても、多様にありますでしょう?」
 少女の指が示す方向に視線を向けながらメイが訊ねると、それに乗じるようにアイラスが小さく頷いた。
「そうですね。鐘の音がどの方角から聞こえてくるのかとか、それに合わせて魔物が出現していたのであれば、その魔物の出現時の様子……いきなり現れたとか、音が聞こえ出してからある程度の時間をおいてから、とか、分かれば教えていただきたいですね」
 少女はその場で足を止め、両手で体を抱えるような姿勢で震えている。
「……魔物が発する何かしらを察する事の出来る体質なのかもしれない。あるいは誰かの術にかかっているという可能性も否めまい」
 シェアラが少女の肩に片手を置き、緩く笑う。その笑みに慰められたのか、少女はようやく震えを解いて足を進めた。
「初めは小さくゆっくり聞こえるんです。それが段々大きくはやくなってきて、一番大きくはっきり聞こえて、その後はまたゆっくり消えていくんです……」
「方角は? 特に決まった方角から聞こえてくるといったようなことは?」
 アイラスが問う。少女は静かに首を横に振り、睫毛を伏せた。

 村は簡易的ともいえる囲いで囲まれており、出入り口として開かれているのは一ヶ所のみだった。
「こんな囲い、魔物にはさほど効力を成さなかったでしょうに」
 乱雑な処理のなされた囲いの木目を指でなぞりつつ、アイラスが小さなため息をこぼす。
「見たところ、規模は決して大きくはない。総人口で百人に満たっていなかったのではないか」
「一人一人屠られたとしても、三月ほどで足りてしまう人数です」
 ウルスラの呟きにメイが受け答える。ウルスラはメイの銀色に光る目を見据え、それから少女へと視線を向けた。
 そこでは、少女が再び足を止め、全身を汗で濡らし、震えていた。
「――――どうした?」
 少女の隣に立っていたシェアラも少女の異変に気付き、小さな肩に両手を置く。それと同時に、少女はがくりと膝をついて崩れ、少女のものとは思えない咆哮をとどろかせる。
「アアアアァァァ――――――――! お、母さぁん! 鐘が、鐘が!」
 少女の絶叫が、人気のない村の空気を震わせた。
シェアラとメイが少女に近寄り、その様相を確かめる。アイラスとウルスラは少女の異変と共に流れ出した異変に目を細ませて身構える。
「気になっていたことが一つあるのですが」
 拳を構え、アイラスが呟く。ウルスラは腰にさげている鞘に手を伸ばし、アイラスの言葉に耳を傾けた。
「この子が子供の足一つで黒山羊亭に着くまで、どれだけの時間を要したのかは分かりませんが……それにしては、この村は奇妙すぎる」
「――――あぁ。死にまとわりつく死臭、それを嗅ぎつけてくるであろう野鳥や獣。そういったものの気配さえもないというのは奇妙だ」
「……鐘を聴く事が出来ていたのはこの子だけ。魔物は一対一での対峙でのみ現れ、その姿を見た者は誰もいないという……。もしやと思いますが」
 アイラスとウルスラはほぼ同時に振り向いた。 
 少女の咆哮はいつのまにか止み、メイとシェアラが少女からわずかに離れて立ち、険しい顔で少女を見つめている。
 四人の視線を集めた少女は肩を小さく震わせながら立ちあがり、ゆっくりと髪をかきあげた。
「アァ――、こうして表に出るのは久しぶりだァ」
 告げるその声は、少女のものではなかった。ひどくしわがれた、老人のそれのような声色だ。
 ざり。四人はそれぞれに少女との間を置き、それぞれに身構える。
少女はその動きを低く笑い飛ばすように喉を鳴らし、髪をかき撫でていた手で後ろ頭をグワと乱した。
そこには少女のものではない顔があり、その顔は口を細く広げて笑んでいた。
「なるほど、こういう事か」
 シェアラが舌打ちを小さく一つ。
「魔物の影が確認出来なかった訳だな」
 ウルスラが鞘から剣を抜き出した。その剣の閃に、少女の体を借りた魔物が大きく跳躍した。
「この童は自分の母を殺めておるのよ」
 魔物は笑いながらそう述べて、ドゥンと大きな音と共にウルスラの目の前に着地する。ウルスラは跳ねあがってきた少女の腕をひらりと交わし、目を細ませた。
「母親を?」
 振り向きざまに繰り出された腕を受け流しながらアイラスが訊ねる。
魔物はゲッゲッと笑いながら四つん這いになり、口を大きく開き、続ける。
「ああ、ああ、そうさ。こいつらは連れ立って菜を摘みに来て、運悪くアタシに出会っちまったのさァ」

 お母さん、お母さん、お母さん

 魔物の頭の片側で、少女の口が母を呼ぶ。そのたびに魔物は声高に笑い、血走った眼でメイを見とめる。
「こいつは母親を見捨てて自分一人だけで逃げ延びた。アタシは残った母親を美味しくいただき、戯れにこの童にとり憑いてやったってわけさァ!」
「お母さんお母さんお母さんおかあさん」
 二つの口が同時に開き、言葉を成す。魔物と目を合わせ、メイが唇を噛んだ。
「アタシを滅するかィ? あぁ、あぁ、そうするがいいさ、出来るならねェ」
 大きく跳躍し、メイの顔を目掛けて牙を剥く魔物に、メイは毅然と視線を放ち、戦鎧の小手をつけた腕でそれに応じた。
魔物はその戦鎧の気に一瞬怯み、目を覆って小さく短い叫びを響かせる。
その隙をぬい、ウルスラの剣が鋭利な曲線を描いて振り下ろされる。刃は魔物の――少女の――髪を一房撫でて落とし、魔物は空気を震わせる声をあげた。
「おまえを斬れば少女も滅する、か?」
 ウルスラの目は黒から金へと変容し、魔物を真っ直ぐに見捉えて、揺るがない光を宿している。
 ウルスラの剣を逃れて退いた魔物の足元を、シェアラの放った真空が射抜く。起こされた土が土煙をあげて宙を舞う。
「あぁ、愉しかったねェ! この童が母親を思うたび、アタシはこいつの頭にアタシの声を届けてやったのさ。こいつが母親を呼ぶたびに、アタシはこの村の人間を屠り続けてきたのさ。アァ、愉快だったねェ!」
 魔物が楽しげに目を細ませている。嬌声が空気を震わせた。――――刹那。

「お願い、わたしを死なせてエエエ!」
 少女の口が、初めて母の名以外を口にした。
 その顔は絶望に支配され、見開いた目にはただ虚空ばかりが浮かんでいる。
 魔物の言葉を聞き、少女は改めてその恐ろしさに心を亡くしたのだ。
「わたしを、わたしをこのひとごと……お願い……!」

 シェアラは少女の言葉に睫毛を伏せ、メイは辛そうに目を歪めて口を噛み締めている。
「……それがあなたの望みなら」
 ウルスラが束の間目を閉じて、次の時には剣の持ち手に力をこめた。
「――――叶えてさしあげます」
 アイラスは眼鏡のフレームに指をあてて、その奥の青を燃やした。次いで拳に気をこめて、魔物の足元の地を大きく割る。割れた地を蹴り上げて宙高く跳ねあがった魔物を、飛行魔法によって宙で待ちうけていたメイの神具が受け止め、少女の内から魔物のみを引き出して地へと叩きつける。少女の体から引き剥がされた魔物はそのまま地へと転げ落ち、待ち構えていたシェアラとウルスラの手によって、土の中へと突き立てられた。

 黒い霧のようになって消えていった魔物を眺めた後、シェアラはメイの腕の中の少女へと目を向けた。
「――――……」
 メイはシェアラの視線を受けて口を閉ざし、そっと睫毛を伏せる。
 少女であったはずの体は痩せ細った老女のそれへと変貌していたのだ。

「……村に着いた時に感じた違和感は、こういったわけだったのですか」
 アイラスが少女へと近寄り、拳を収める。
「村が全滅したというのは、おそらくは大分昔の事だったのだろうな」
 剣を鞘へと戻しつつウルスラが呟く。

 メイの腕の中で、少女は事切れていた。その顔はどこか安堵したかのような、やわらかな表情を浮かべている。

 シェアラはふと上空を見上げ、のどかに広がる青い天を仰ぎ、嘆息した。
「村の住人達を弔おうと思い、持ってきたのだが」
 嘆息と共に、懐から小さな麻袋を取り出す。
「花の種。……少女への手向けとしてもちょうどいいだろう」

 村を囲む森の中から、数羽の鳥が空に向かい飛び立っていった。
  







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1063 / メイ / 女性 / 13歳(実年齢3歳) / 戦天使見習い】
【1514 / シェアラウィーセ・オーキッド / 女性 / 26歳(実年齢184歳) / 織物師】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男性 / 19歳(実年齢19歳) / フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番】
【2491 / ウルスラ・フラウロス / 女性 / 16歳(実年齢100歳) / 剣士】


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■         ライター通信          ■
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 ソーンでの依頼はこれが初となります。不慣れな点などもあったかと思いますが、いかがでしたでしょうか。
少しでもお楽しみいただけていればと思います。

 PCさま方の設定も、うまく書けたかどうか心配であります。
もしも、ここは違うなどといったようなお声がありましたら、どうぞお気軽にお申しつけください。

それでは、また機会がありましたら、依頼やシチュノベ等でお会い出来れば光栄に思います。
今回はありがとうございました。