<東京怪談ノベル(シングル)>
ふたつの輝き
ルベリアの輝きは、込められた想いにより輝くもの。
それがどれほど綺麗な輝きを持とうとも、今の私には、持つだけの資格が無い。
何故なら、そこに込められるのは未練。
――捨てた石を、それを持つ者を想う気持ちしか、見つからないだろうから。
*****
「………」
―――……落ち着かない。
「あーもうっ」
この胸のもやもやしたものは一体何なのだろう?
声に出して鬱憤を晴らそうとしても、原因が分からないのだからどうしようも無い。
「この私とした事が…」
今晩はその美声を活かした類稀なる歌い手として、とある場所に招かれている。有閑貴族のパーティらしいが、夕方からはじまるそれは深夜に至る事が十分予想される。
だから、こうして昼過ぎまで惰眠を貪ろうかと思っていたのだが。
外から差し込む光や、春めいた空気を感じるだけで何故だか落ち着かない。
「仕方ないわ」
こうしてぐだぐだと時間を過ごすよりはマシかと、ユンナがむっくり身体を起こしてふぅっと息を吐き、大きく伸びをしてベッドから降りる。
気晴らしに外に出よう、そう思ったのだ。
身支度を整えて一歩外に出ると、次第に強くなっていく日差しが彼女の顔を打つ。もう少し気温が上がれば帽子が必要ね、そんな事を思いながら目を細め、のんびりと歩き出した。
「ふう…」
さらさらと流れる川は、きらきらと水面を輝かせている。水で有名なアクアーネ村に比べれば、この水も汚れているのだろうが、ユンナの知る世界から見ればどこも綺麗なものだった。
ぱしゃんっ、と魚が跳ねて水面に消える。
対岸では子供たちがはしゃぎながら草船や摘んで来た花を水に浮かべて流しているのが見えた。
――平和そのものの光景。
自分が望んだ理想は、こんなだったような気がする。
無我夢中で働いていた時には忘れていたけれど。
「…私らしくないわ。ほーんと、どうしちゃったのかしらね」
目の前に見える光景につい感慨深くなってしまう自分に苦笑しつつ、水遊びに戯れる子供たちを眺めていると、
「――!?」
急に、目の前が真っ白になった。白に、塗り込められた――いや。
川面を流れる花…その花弁の白さに、目が奪われていた事に気付くまでには少し時間がかかった。
「ねえ、君たち?」
そして数瞬後には、ユンナは橋を渡った対岸で、子供たちに声をかけていた…。
*****
「そう…こんな場所にも咲いていたの」
他の野草に混じってぽつぽつと見えるルベリアを見下ろしながら、ユンナがそっと呟く。
ユンナが以前住んでいたところでは希少種とされていた花、ルベリア。それがこの世界でどういう巡り合わせか根を張り、土地と相性が良かったらしく花を咲かせている。
子供たちが流していた花がルベリアと知って、案内してもらったのがここだった。群生地と言うほどではないが、エルザードの門を越えたすぐ近くの丘で、子供たちにとっては良い遊び場所になっているらしい。
今も、ユンナを案内し終えた子供たちがきゃあきゃあと歓声を上げながら追いかけっこをしている。
その場にしゃがんで、元気良く育っているルベリアをそっと突くと、しなやかな茎がゆらりと揺れた。
「…お姉ちゃん、このお花、好き?」
そんな言葉に首だけ振り向くと、健康そうな赤い頬をした少女がにっこりと笑いかけてくる。
「そうね。私の以前住んでいた場所にも、このお花が生えていたから…」
「もっといっぱいこのお花がある場所、知ってるのよ。でも大人と一緒じゃないと行っちゃいけないの。街から離れちゃうから。…あっちの方にあるの」
「そうなの。…私は大人だから、1人でも行けるわね」
「いーいなぁ。ここのお花だけだと、花輪には足らないんだもの」
そう言う少女の手には、辺りの野草とルベリアを混ぜ込んでいる輪が握られている。ユンナはくすっと笑い、
「そう言う花輪も、色んな種類のお花が混じっていてとても綺麗よ?」
ぽんと少女の頭に置いて、ほーら、と笑いかけた。
「ホントにそう思う?」
ちょっぴり照れたような少女の顔が、ぱあっと大きく笑みを浮かべ、
「それじゃあお姉ちゃんにも、ひとつ作ってあげる!」
そう言って駆け出して行った。
「花輪ねー」
そんな乙女チックな事をした記憶が無いユンナが微苦笑を浮かべながら、でも決して悪い気分では無い事に気付く。
手の届く位置に咲いているルベリアをひとつ摘み、そっと手の中に包み。
「こう言うのも、悪くないわね」
ベッドの中で煩悶していた時に比べ、随分と気分が軽くなったのを感じながら、明るい日差しを受けて微笑んでいた。
*****
――ざわめいていた空間が、その一音だけでしん、と静まり返る。
そこから…水が流れ出すように朗々と歌い始めた『歌姫』の声に、皆が息を呑んで聞き惚れていた。
ユンナの衣装は絹のような光沢を持った白で統一され、ふわりと一歩動くたびに裾が広がる様はまるで花のよう。
そして、桜色の艶々した髪には、細い花冠が載せられていた。…昼間、少女に貰ったものとは別に、緑色の蔦とルベリアだけで作った、しなやかで儚いイメージを持たせるもの。
その、蔦に絡ませている花が、ユンナの歌声に合わせるように淡い輝きを浮かべている。それが、ユンナの『想い』を吸収し、色を発しているのだと気付く者は無い。ただ、その声の艶やかさにうっとりと聞き惚れ、ユンナの頭にある花飾りの輝きを演出と見るだけだ。
音を声にし、想いを歌に乗せながら、ユンナはそっと嘗て溺れていた自分の恋を思い返し、指先まで染み渡っていた男への想いに浸る。
――それと同時くらいに、自分でも思いもよらなかったある男の顔をふっと思い浮かべて…ほんの僅か、彼女の歌声が揺れた。
その事に気付いた者は皆無だったが、途中から会場内を染めていた切ない雰囲気は消え去り、何かわくわくするような気分になって行った事に気付いた者は何人もいた。
そして、余興も終わり、歌姫が屋敷を辞した後も、その雰囲気はずっと――パーティが終わるまで残っていた。
*****
「はーーーーーーっ。もう、なんであんな」
自分の寝室へ戻ってから衣装をかなぐり捨て、いつもの服に着替えてから盛大に溜息を付く。
途中から自分の歌声が変わった事には気付かれなかったようだったが、それでも歌を生業とする彼女にとっては自己嫌悪せざるを得ない出来事だった。
まさか、自分があの男の事を考えただけで動揺するなんて。
ラスト付近はほとんど必死だった。声が上ずらないよう、音程を外さないように。…それでも、心が踊る事は止めようが無くて。
人いきれで上気したのだろうと好意的に解釈された頬は、今もほんのりとばら色に染まっている。…と言うか、上気したまま止まってくれないのだ。胸もまだ早い鼓動を打ちっぱなしで。
そんなユンナの気分が分かるのか、取り忘れているルベリアは帰り道も今も様々な色を見せながら淡い輝きをずっと浮かべている。
「寝ないとお肌に悪いのに、これじゃ眠れそうにないわ…もう」
もう一度溜息を付いたユンナが、ごろんとベッドに横になった。身体を伸ばすと、まだ瑞々しさを残した花冠が指先に触れる。
「…あら」
ベッドにうつ伏せになり、花冠に付けたルベリアの花をそっと突くと、その衝撃でか、ぱぁっ、と淡い輝きが天井に昇って消える。
それを、付いている花の数だけ繰り返して行くうち、とくとくと身体を打っていた鼓動は収まり、唇には柔らかな笑みが浮かんでいた。
そのまま、花冠に指を当てた姿でいつの間にか寝入るユンナ。
その身体に、淡い輝きがそっと降りて来てゆるりと彼女を包み込んだ。
――良い夢を見ているのか。
ほのかに開いた唇は、笑みの形を模っていた。
-END-
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