<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『オウガストのスモーキークォーツ』


<オープニング>

 黒山羊亭に久々に訪れた詩人の青年は、奥の席に座るとバーボンを注文した。
「あら、オウガスト。今夜は仕事じゃないの?」
 エスメラルダにからかわれ、苦笑してグラスを振ってみせる。この青年は、こっそりと店のテーブルを借り、客にカードを引かせ言葉を選び、その言葉を織り込んだ夢を見せるという商売をしていたからだ。
「今夜は純粋な客。俺にだって、1、2杯飲む金くらいあるさ」
「そうじゃなくて、今夜ちょうど、夢を織って欲しいってお客様がいるのよ。さっき、あなたは来てないのかって聞かれて」
「うーん。今夜はカードも持ってないし、大きな水晶もないし」
 今、身につけたアクセサリーで完全な球に近いのは、左手中指のスモーキークォーツぐらいだ。だが、自分を覚えていてくれて、リクエストしてもらえるのは嬉しかった。
「わかった。
 ギャラリー無しで、言葉は2つ、カード無しで好きなのを選んでもらう。但し、この『黒山羊亭』の店の中に有るものに限る。“テーブル”とか、“酔っぱらい”とか、“剣”とか。自分の持ち物でもいい」
「ありがとう、オウガスト。さっそくお客様を呼んでくるわ」

* * * * *
 神や幽霊は、果たして『夢』を見るのか?
 オウガストは、目の前に座った二人の少年を前にして、砂が混じったような濁ったクォーツの指輪を握りしめた。いや、その前に睡眠を取るのか?そしてペンダントの揺れで眠りに落ちてくれるのだろうか。
 少年。
 一つ目の椅子、10歳を少し越えた黒髪の子供は、実は783歳だそうだ。
「大丈夫。俺は、意識を解放して、自分で『眠ろう』と思えば眠ることはできます」
 詩人の心を読んで、礼儀正しく答える。ゾロ・アーは神である。人以外の命あるものを作り出せるのだという。小心者で俗人のオウガストは、『神』に対峙すると多々後ろ暗いところがあるらしく、清澄な少年から少しでも離れようと、自分の椅子を後ろへずらす。
「言葉は、『豚の肉』と『照明』にしてください」
「は、はい、了解させてくださいました」
 神様に丁寧語を使われ、慌てて返事して変な敬語になった。

 二つ目の椅子に座った金髪のマーオは、14、5歳のようだが、本当は30歳だと言う。体の向こう、椅子の背もたれが透けて見える。彼は幽霊である。
「ええとねえ、『スプーン』と『やり甲斐がある仕事』でお願い♪」
 幽霊だが、陰湿さは見受けられず、屈託無く笑う。肩からは、まるで長剣でも背負うように巨大な計量スプーンが見え隠れしていた。マーオはパティシエ見習いで、このスプーンは武器にもなるのだそうだ。
 眠りは、純真な者ほど搦め捕り易い。マーオなら、うまくかかってくれるかもしれない。

 オウガストは紐と指輪で作ったペンダントの先を長く持ち、祈る気持ちでゆっくりと揺らした。二人は静かに眠りへと落ちて行った。


< 1 >

 城門警備騎士のレーヴェが黒山羊亭に一人の男を連れて来た。目の落ち窪んだ鼻髭の小柄な男は、開襟シャツの首に大振りな赤い花で出来たレイをぶら下げていた。客達も何事かと耳を澄ましていると、バーテンの「異世界からの来訪者、一万人目だと?」という叫びが飛び込んで来た。
「それでエルザード王が、特別に、ソーンで生活をスタートする為の援助をするそうだ」
 リーヴェは、じゃらりと音を立ててテーブルにコインの袋を置いた。
「仕事を見つける迄の当面の生活費だ。それから、彼にここの世界の詳細を教示・助言する者を見つけて、その者にも謝礼をやってくれ。
 では、俺は仕事に戻る。頼むぞ」
 レーヴェは、言うことだけ言い、とっとと店を出て行く。
『急にそんなことを言われても』と、バーテンは、残された色黒の小男に視線を移動し、次に、だらしない酔っぱらい達が蠢く暗い店内に目を走らせた。そして、ジュースを啜って食事をしている二人の少年に気づいた。
「マーオ君、ゾロ君。ちょっとお願いがあるんだが」
 素直なマーオは信頼できるし、ゾロは何と言っても神様だ。泥酔した大人達より、頼りになりそうだ。

「サラーム(こんにちは)、マーオさん、ゾロさん。私はバフマンと言います、よろしく」
 小男は、軽く敬礼をして、マーオとゾロに向かって片手を伸ばして来た。二人が躊躇していると、まずゾロの右手を握って強く圧迫した。ゾロもされるに任せる。次にマーオの手を握ろうとして、腕が空を切った。
「ごめんね、僕、幽霊だからさあ。意識を集中すれば物を掴んだりはできるんだけど、人は僕に触れないんだ。でも、よろしくね♪」
「幽霊?・・・死んだのですか?」
 バフマンは面食らい、自分の黒髪をくしゃりと握った。彼の瞳が同情の涙で潤む。
「バフマンさん、お腹空いてない?よかったらどうぞ」
 マーオが話題を変え、テーブルに乗ったフライドチキンとポークジンジャーの皿を勧めた。マーオは、以前の記憶があまり残っていない。もし家族や友人のことを覚えていたら、それなりに自分の死は悲しいのかもしれないが、今の状態ではピンと来ない。だから普通に明るく暮らしている。同情されると、かえって戸惑ってしまう。
 ゾロも、相手が大人なので、「何か飲みますか?ビール?」と、メニューのアルコールの欄を開いてバフマンの方へ滑らせた。
「これは、何の肉ですか?」と彼は皿に鼻を近づけ香りを確かめる。息で、豊かな鼻髭が揺れた。
「これは鶏。こっちは<豚の肉>だよ」
 マーオが教えると、彼は大袈裟に肩をすくめた。
「おお、私が居たところでは、豚肉は食べては駄目でした。飲み物はコーラをください。お酒もイケマセン」
 豚以外の肉も、屠殺の前に祈りを捧げた物しか食べてはいけないそうで、結局バフマンはカボチャのポタージュと豆のサラダ頼んだ。
「おいしいです」
 よほど空腹だったのだろう、彼は続けざまに<スプーン>を口に運ぶ。髭に黄色いスープが付くのも構わず啜り続けた。

 この店で使っているカボチャは、純粋な野菜のと、南瓜獣の頭と、どちらだろう?南瓜獣は、かつてゾロが作った生き物である。頭がカボチャで体が豚。一頭で、野菜と肉の両方が収穫できる。バフマンの国のルールが、植物と動物の混合体には適用されないことを祈りたい。とりあえず、『今は内緒にしておいた方がいいだろう』とゾロは思った。

 バフマンがコーラのお替りを頼んだ頃、今夜最初のエスメラルダのステージが始まった。黒いドレスのスリットから覗く、みごとな脚がステップを踏む。剥き出しの白い肩が、<照明>の赤に照らされ、火照ったように艶やかに動いた。ステージの床下には、色ガラスで覆われたカンテラが幾台も置いてある。係の者が、ステージ進行に合わせ、色ガラスを赤や青に取り替える。すると、ステージ上の踊り子は、真紅の薔薇園の妖精にも、荒れる海を泳ぐ人魚にも変わるのだった。
「バフマンさん?」
 ゾロが気づいた時には、男はステージに駆け上がっていた。
「女性が、そんなに肌を出してはいけない!これを頭から被りなさい!」
 バフマンは、丸めたテーブルクロスをエスメラルダに差し出した。面食らった踊り子は、フロアで立ち尽くす。ステージの横でギタリストが掻き鳴らすスパニッシュギターの音だけが、虚しく店内に響いていた。
「踊りの邪魔するんじゃねえ!」「引っ込め!」
 食べ物やゴミが、バフマンに向けて投げつけられた。パフマンは、自分が親切に布を持って来てあげたのに、何故非難されるかわからず、おろおろと足踏みする。トマトスライスが彼の頬にペチャリと当り、だらりと床へ落ちた。
「バフマンさん、ダメだよぅ!」
 マーオが慌ててステージから彼を引きずり降ろす。
「席を移りましょう。奥の静かなテーブルへ行きましょうか」
 ゾロも苦笑し、伝票と飲み物を持って立ち上がった。


< 2 >

「この世界は、女性は肌を出して良いのですね。すみません、ご迷惑かけて」
 バフマンはしゅんとして、新しい席の椅子に小さくなって座る。
「知らなかったんだもん、仕方ないよ!」
 マーオは明るい調子で男の背を叩いた。
「ところで、今夜は宿屋に泊まるとして、これから寝泊まりする所と仕事を探さないといけないと思うのですが」
 ゾロが本題に入る。
「料理を出してくれる下宿、寝に帰るだけの長屋。共同住宅から一軒家。どんなものがいいのですか?自分の城となる場所ですから、ご希望も多いことでしょう?」
「ちょっと待って、先に仕事だよ、仕事!」
 マーオが両手を挙げて、体中でゾロの話を停止させた。
「仕事場から家が遠いと大変だし、下宿だと門限があるから夜は働けない。仕事が、人の生活の基本になるでしょう?先に職を決めないと」
 マーオはパティシエになる為に修行している。夢がそのまま職に直結するマーオは、仕事が優先だと考えた。
「私、どちらも希望は一つずつです。一番家賃の安い宿と、一番賃金の高い仕事。望みはこれだけです」
「えーっ!賃金だけっ?だって、バフマンさんのやりたい仕事は何なの?<やり甲斐がある仕事>とか、世の中の為になる仕事とか、そういう選択肢で職を選ぶこともできるよ?」
 マーオは、不服そうに声を張り上げる。マーオは、世の中はお金だけでは無いと考えていた。例えば、利潤を無視してもおいしいケーキが焼けたら、それがマーオの幸福だと思っていた。
「俺も、家賃の安さだけで住処を決めるのは勧められません。家は、生活の礎となるもの。大切に考えるべきです」
 ゾロも反論したが、男は悲しげに首を振る。
「でも、私、たくさんお金を稼いで、家族へ送金しないといけない。両親は死にました。私の下に、5人弟妹がいる。一番下はまだ5歳です」
「え?バフマンさんって、いくつ?」
 マーオが指を折って、首を傾げた。6人兄弟で、末っ子が5歳?
「私、18歳です。父が死んだから家長です」
 二人はのけぞって驚く。口髭と眼窩の深い顔だちが彼を老けて見せていた。まさかそんなに若かったとは。
「私の国は、男は全員髭を生やします。生やさないと男でないように言われますので」
 彼の場合、PC登録するとしたら、『外見年齢33(実年齢18)』とでも記入されるのだろうか。

 家族の生活を支える為。金貨の為だけに働く事を、マーオは想像できない。マーオにとって、仕事は菓子作りであり、喜びであり、生き甲斐だった。
 自分の人生を選び取る事さえ許されなかった、バフマンの日々を思う。それでも彼は何の疑問も無く、弟妹達の為に働く事を厭わない。口で簡単に『賃金が一番高い仕事』と言う。エルザードでも、それは命の危険も伴う冒険であることが多い。彼は十分承知しているはずだ。たぶんバフマンの国でも、腰も立たなくなる重労働であり、汚く酷い作業であり、命を落とす者もある危険な仕事だったろう。
 マーオは、自分の掌を開いて見つめた。半透明で、ゆらゆらとテーブルの木目が透けて見える頼り無さだった。
 菓子作りは体力がいる、大変な仕事だ。
 ネタを捏ねると息が切れる。汗だくになるので、額にタオルを巻く。
 卵白の泡立てで筋肉痛?手のマメが痛む?
 マーオは、苦い想いできつく掌を握った。

 ゾロが言いにくそうに、男に告げる。
「だが、バフマンさん。この世界からは家族に送金できませんよ。元の世界への帰り方だってわからないのに」
 バフマンは「え?」と眉を上げた。その眉も太く濃い。
「お金、送れない?」
 その眉が、次第に悲しみで下がって行く。
「帰れない?家族に会えない?」
 バフマンは、18歳の少年であったことを思い出したように、瞳に涙を滲ませると、わっとテーブルに突っ伏して号泣した。
「妹さんたちは・・・バフマンさんを、死んだものとして暮らしていると思うよ?」
 言ってから、マーオの胸にずきりと痛みが走った。成人だった自分には妻はいたのだろうか。子供は?それとも恋人は?家族は?
 僕が死んで、みんなを悲しませてしまっただろうか。日々を経ても、僕を思い出して、みんなを悲しませてしまうのだろうか。

「ゾロさんは神様だろ?何とかできないの?」
 マーオは、切なさが余ってついゾロに詰め寄る。
「そう言われても・・・。俺は生き物を作る神で、万能ではないです」
「テレポテーションができるよね?バフマンさんを元の世界に飛ばせない?」
 バフマンも、何か手だてがあるらしいと知り、泣き止んでテーブルから顔を離す。黒い瞳は期待に満ちていた。
「飛ばす先がわからないと、ダメなのです。俺がどんな場所かわかっていないところへは、飛ばせない」
 力になれないことがもどかしく、ゾロは二人の視線を避けてうつむいた。が、すぐに瞳を輝かし顔を上げた。
「待ってください、今夜はオウガストさんが来ていましたね。
 バフマンさん、あなたの故郷の夢を見せてもらえませんか?」

 そして、小柄な男は、詩人の前の椅子で舟を漕ぎ始めた。
 テーブルの上、ベルベットの玉座に乗ったクリスタルに、ぼんやりと景色が映し出される。
 斜め後ろの椅子で、二人は身を乗り出してその風景を凝視する。ゾロは早く鮮明な画像になれと心を急かせ、マーオは転移の成功を祈って指を組む。

* * * * *
 ぱちりとグリーンの瞳を開けたマーオは、きょろきょろ周りを見まわした。浅黒い肌の男の不在を確かめ、オウガストへと顔を向けた。
「バフマンさんは、うまくテレポートしたの!?」
 オウガストは笑った。隣の席のゾロまでも笑顔になった気配がした。
「あ、そうか、夢か・・・」
 マーオは遠い目をして黒山羊亭の壁を見つめた。長い夢だった気がするのは、バフマンの気持ちと自分の元の世界への想いが重なったからかもしれない。
「だいたい、俺は、人間を異世界へテレポートさせるなんて出来ないですから」
 ゾロは苦笑のまま、テーブルのジュースのグラスを、手を使わずに念動でこちらへ引き寄せてから握り、喉の渇きを癒した。
 カボチャの頭の豚が居たら、可愛いかもしれない。トマト頭の鶏に、オレンジ頭の兎。
冗談ともつかぬ考えを巡らせ、神はオレンジジュースを飲み干した。


< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 外見年齢(実年齢) / 職業】

2598/ゾロ・アー/男性/11(783)/生き物つくりの神
2679/マーオ/男性/14(30)/見習いパティシエ

NPC 
オウガスト・・・詩人。パワーストーンを使って自由に夢を見せる。
バフマン・・・外見年齢33歳(実年齢18歳)。
レーヴェ・・・公式NPC。城門警備の騎士。
エスメラルダ・・・公式NPC。黒山羊亭の踊り子。

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
幽霊さんと神様という、不思議なペアになりました。
『見習い』の冠が取れて、早く一人前のパティシエになられることをお祈りしています。