<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


◆◇心に刻め今宵この一時を◇◆

 黒山羊亭の名花、エスメラルダは少々しおれ気味。というのも、気に入りのブレスレットが壊れてしまったからだ。繊細な銀鎖が切れていて修理も難しい。

 テーブルにつき、心持ち顔を伏せているエスメラルダにシヴァ・サンサーラは歩み寄った。どことなく出自が偲ばれる優雅な仕草だ。
「どうなさいました? 何やら沈んだ表情をしておられるので気に掛かります」
 ごく当たり前の口調でシヴァは話しかけてきた。少しだけエスメラルダが顔をあげる。
「これなのよ」
 エスメラルダは細い指でテーブルの上を示す。そこには細い銀鎖で作られたブレスレッドがくたっと置かれていた。熟練の職人が作ったのだろう、とても繊細な逸品だ。けれど、一カ所鎖が切れてしまっている。
「なるほど‥‥ちょっとそれを私に見せていただけませんか?」
「構わないわ。どうせもう壊れてしまっているものですもの」
 即座にエスメラルダはうなづいた。笑顔をつくっているものの、それは作り笑顔めいて痛々しい。

「マスター、勘定ここに置くぞ」
 少し離れたテーブルにいた客が不意に立ち上がった。椅子が乾いた音を立てて床に転がる。注文したばかりだろう料理からはほんのり湯気が立っているが、手はまったくついていない。グラスの中身もほとんど減っていない様だ。椅子が転がった音で店の中にいた者達の多くがその男に注目した。ただ者ではなさそうな男だった。戦うこと、そして戦いの中にこそ価値を見いだす戦士‥‥そういう類の男に見えた。およそ軟弱とは縁のなさそうな、強い身体と強い意志を持っているの様だ。その男は立ち上がったまま、厳しい視線をエスメラルダに向けていた。男の名はシグルマと言った。
「何かしら? なにか私に用があるの?」
 けっして大人しい気性ではないエスメラルダも席を立つ。隣に座って銀鎖を見ていたシヴァは薄く笑ってすぐに視線を手元に戻した。危険はないと判断したからだ。ならば、自分が口を出す場面ではない。
「用? あんたの様な三流踊り子に用などないな」
 店内が一瞬だけざわめく。しかし、シグルマの威圧感に気圧されたのかすぐに静まりかえる。
「‥‥私が三流踊り子って‥‥よく面と向かって言えたものね」
 エスメラルダは瞳に炎を宿していた。
「俺は生憎美辞麗句など知りたくもない。思ったことは素直に直接言うのが信条だ。誤解もないし、面倒も起こらない」
 相対するシグルマは至って冷静そのものだ。
「冗談じゃないわ。私の踊りのどこが‥‥誰か、音楽を頂戴!」
 けれど、店の楽師はエスメラルダの踊りが終わった時点で休憩に入っていた。笛の音も弦の響きも聞こえては来ない。
「誰も‥‥誰もいないの?!」
「あ、その‥‥こんな場面で演(や)る予定じゃなかったけど、僕でよかったら何か伴奏しましょうか?」
 静まりかえる店内で勇気ある客が立ち上がった。アイラス・サーリアスだった。元々最近のエスメラルダの様子を聞き、ある計画を持って店を訪れたアイラスであったが、事はそんなアイラスの思惑に斟酌せずガンガン進んでいるようだった。なんとかこの場面を丸く収めることが出来ればと思うのだが、出方が決まらない。
「なんでもいいわ。即興でいいから激しい曲を頂戴」
 エスメラルダはアイラスに視線を向けもしなかった。じっとシグルマをキツイ視線でにらみ付けている。そして、衣装の裾を思いっきり翻して舞台へと向かう。
「無駄な事だ。俺は帰る」
 シグルマはテーブルを離れ店の出口へと向かう。
「ちょっと! 私の踊りも見ずに三流と言って帰るわけ?」
 鋭い口調がエスメラルダの口唇からこぼれる。もう背を向けていたシグルマは立ち止まり、そして振り返った。
「客の前で落ち込むようじゃあんたは三流だ‥‥だからあんたの踊りは見ない。見る価値はない」
「‥‥」
 言い返す言葉が見つからないのか、エスメラルダは開いた口を閉じた。誰も引き留める者とてなく、シグルマは店を出ていった。

 エスメラルダは1人、舞台の端で立ち尽くす。両手がギュッと握られている。
「座って下さい、エスメラルダさん‥‥ほら、ここで良いから」
 いつの間にかアイラスが側にいた。そして、動かないエスメラルダを押したりひっぱたりして一番近いテーブルに座らせる。
「飛び入りですけど、皆さん聞いてください」
 そう言うと、アイラスは店のリュートを手に取り弾き始めた。素朴で柔らかい旋律が店の中に響き渡る。

 幾星霜 時が流れようとも この想い絶えることなく
 たとえその身 砕けようとも その思いは永久に
 幾年月 時が過ぐるとも この想い絶えることなく
 たとえその身、朽ちようとも、その思いは永久に
 カタチあるもの イノチあるもの いずれは やがて 壊れ 失われる
 だが この想いは永久に
 だが この思いは絶えず
 壊れることなく、失われることなく この思いは絶えることなく
 この想い永久に

 演奏が終わっても店内は静かだった。リュートから顔をあげたアイラスは急に不安になる。もしかして、客達に受け入れて貰えなかったのだろうか。不快だと思ったのだろうか。しかしそうではなかった。1拍置いた後、拍手がわき起こった。立ち上がってくれた者もいる。ニッコリと笑って礼をした後、アイラスはエルメラルダの前に立った。
「僕はあまり弁が立つ方じゃないけど‥‥今の歌が僕の気持ちです」
「‥‥ありがとう。私のための曲‥‥よね。本当にありがとう」
 エスメラルダは笑顔でアイラスに礼を言った。その笑顔は普段この黒山羊亭で見る表情とは少し違っていた。少女の様な柔らかい笑顔‥‥それだけで、アイラスは報われた様な気がした。


 店が閉まる頃、まだ外には酔客がちらほらしていた。酔いつぶれて道ばたで酒瓶を抱えて寝てしまっている者もいる。けれど、一歩通りを出ればそこは美しい王都の街並みであった。少しだけかもしれないけど、エスメラルダは元気になってくれたのではないかと思う。

「この曲、私のために作ったのよね。なら、これを私にくれない?」
「曲を? あなたに?」
 曲の受け渡しということが今ひとつ良くわからない。アイラスは首をひねる。
「そう。他に誰かにはもう歌わないって事よ。どう?」
「あぁ、そう言うことですか。わかりました。もうこの曲はあなたの為にしか歌いません。これでいいですか?」
「‥‥初いのね。そんなに簡単に約束をしてしまうなんて。‥‥でも、ありがとう」
 エスメラルダは紅い唇をアイラスの頬に押し当てた。

「まぁいいでしょう。今夜は良い日だったということで‥‥ね」
 アイラスはゆっくりと伸びをして、それから我が家へと向かった。心なしかその足取りは軽い様だった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1649/アイラス・サーリアス/歌を捧げました】
【1758/シヴァ・サンサーラ/装飾品を捧げました】
【0812/シグルマ/心の試練を捧げました】
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■         ライター通信          ■
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 大変お待たせ致しました。聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記の結果ノベルです。エスメラルダさんの為にお集まり頂きありがとうございました。
 歌のプレゼント、ということにしてしまいました。歌も記憶や思い出の様に形あるものではありませんが、貴重でステキなプレゼントだと思います。ありがとうございました。また、機会がありましたら是非ご参加くださいませ。