<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『オウガストのスモーキークォーツ』


<オープニング>

 黒山羊亭に酒を飲みに来た詩人のオウガストは、エスメラルダに突発的に仕事を頼まれた。依頼者がいるからよろしくと言う。
 青年は、時々店のテーブルを借りて、客にカードを引かせ言葉を選び、その言葉を織り込んだ夢を見せるという商売をしていた。
「今日は純粋な客で来たんだがなあ」
 今夜はカードもないし、大きな水晶もない。今、身につけているのは左手中指のスモーキークォーツぐらいだ。だが、自分を覚えていてくれて、リクエストを貰えるのは嬉しかった。
「わかった。
 観客無しで、二人一組、好きな言葉を二つ選んでもらう。但し、この『黒山羊亭』の店内に有るもの。“テーブル”とか、“酔っぱらい”とか。自分の持ち物でもいい」
「ありがとう、オウガスト。さっそくお客様を呼んでくるわ」

* * * * *
「変わったことをやっていらっしゃると、小耳に挟みましてね。まずは体験してみようと、参上いたしました」
 ターバンを巻いた青年は、にやりと唇を上げる。オウガストと同じ程じゃらじゃらと大振りのアクセサリーをつけているが、貧乏詩人と違うのは、きちんと石が嵌め込まれていることだ。彼は情報屋のストラウスと名乗った。
 椅子に座りながら、指にからめていたグラスをテーブルに置いた。腰の三日月刀も椅子とぶつかって不都合なのか、膝上へ置き換えた。
「言葉は、『杯』と『短剣』で」

 オウガストは頭を掻いた。
「いやあ、そろそろ店じまいと思ってたんで、二人目のお客はもう来ないかもです」
 カウンター席で何か書き物をしていたオーマ・シュヴァルツが顔を上げた。
「おう、それなら、俺がまた入るぜ」
 男気のある巨躯の医師が気軽に参加表明し、ストラウスの隣の椅子にどさりと腰を降ろす。
「言葉は・・・コレと」と、今まで何か記していたノートを顔の前で振ってみせた。淡いピンクのレース地柄に胸きゅん蛍光紫の丸文字で“若奥様の家計簿”というタイトルが見えた。
「黒山羊亭で『家計簿』をつけてたんですか?」
 呆れるオウガストに、「家族に中を見られると、色々まずいことが多いんでなあ」と肩をすくめる。
「もう一つは・・・」と店内を眺めて考えを巡らした赤い瞳が、隣のテーブルの占い師の手元で停まった。
「『黄金のダイス』で」
 占い師ジュウハチのダイスはただのメッキか塗料だと思われたが。ダイスは仕事に使うわけでなく、賭け事の為に持ち歩いているのだ。

 ストラウスとオーマは、紐の先で振れるスモーキークォーツの揺らぎに身を任せた。

< * >

「うわっ、赤字だらけ!」
 この声は占い師のものだ。せっかく眠りに落ちそうだったのにと、ストラウスは苦い思いで片目を開けた。詩人と占い師が、オーマの<家計簿>を広げて笑い合っていた。
「私達を寝かしつけて、二人だけでそんな楽しいことをしているなんて、ずるいですよ?」
 ストラウスはテーブルの向こう側に回り、自分も覗き込む。
「黒山羊亭のツケの支払いは大金ですねえ。これでは、ご家族に見られたら困るわけです」
「おいおい〜!」
 ついにオーマも目を醒ました。
「人様の家の家計簿を覗き見るなんぞ、うっふん桃色出歯亀趣味が過ぎるんじゃねーか?」
 ストラウスは「これも情報収集ですので」と笑ってみせた。

「コレ見たら、さすがに俺も気の毒になった」
 ジュウハチが、ころころとテーブルにサイコロを投げた。1が天井を仰いだ。
「奇数が出たから、小金稼ぎの情報をやるぜ」
「小金!」と、オーマは身を乗り出す。ストラウスも当然、「情報?」と瞳を見開いた。

 ジュウハチによると、『エルザードの泉』の水面の月に物を落とすと、泉の妖精が現れると言うのだ。聞いた二人は、一斉に指に唾をつけて眉を擦った。
「くそー、俺の言う事は全部でたらめだと思ってるなっ!
 この<黄金のダイス>は、その泉の精にもらったんだよ!象牙のダイスを落としたら、妖精が出てきて、『ジュウハチさんが落としたのは、この黄金のダイスですか、それともこちらの象牙のダイスですか?』って。
 もちろん『黄金の!』って答えて、コレをゲットしたんだ」
「貰ったっちゅーより、それ、騙し取ったんじゃねえか?」
「でも、面白そうな情報です。私は確認しに行ってみます」とストラウスは三日月刀を握った。
「おう、俺ももちろん行くぜ」
 オーマも立ち上がる。

 エルザードの泉は、郊外の森の入口付近にある。街に比べるとひやりと涼しい水辺に、近寄るのは水を飲む子鹿や兎たちだけだ。月は十六夜ほどだろうか、ほぼ円に近い銀の盆が暗い水の上で揺れている。
 オーマは足元の石を拾い、投げ入れた。石はみごとに水面の月に命中し、像を乱した。だが、波紋の中から妖精は登場しない。
「今度は私がやってみます」
 ストラウスが少し大きめの石を投げてみた。結果は同じだった。
「“大切な物”を落としたと思ったからこそ、妖精は拾ってくれるんじゃないか?石じゃダメかもな。
 おまえさん、その<短剣>、大事そうに腰に下げてるな」
 ストラウスが「え?」と思った時には、オーマは彼の三日月剣を奪い、泉へ投げ込んでいた。
「うわぁぁぁぁーっ!」
 ストラウスの長い悲鳴と一緒に、剣も長い滞空時間でくるくると複雑に舞った後にぱしゃりと水しぶきを上げた。
「オーマ様!ひどいです!」
「・・・ほら、予感ずっきゅん的中だぜ」
 泉の水面を亀裂が走る。まるで氷が二つに割れるように泉が分かれ、一人の乙女がふわりと宙に浮いた。金とも赤ともつかぬ髪を二つに結わえ、妖精はウェイトレスのエプロンに似た衣を身に付けていた。
「あれ〜、今、誰か、この剣を落としちゃいませんでしたぁ?」
 白山羊亭のルディアに似ているのは、気のせいだ、たぶん。
「あ、落とした?やっぱ?ダイヤの剣と、鉄の剣、どっち?」
 黄金でなく、ダイヤと来たか。
 ストラウスはそう物欲は強く無い。体が不老不死に変化してからは、金銭が必要無くなったせいもある。
 崇高ぶるわけではないが、ジュウハチのように嘘をついて高価な方をせしめるのは、あまりみっともいいものじゃないと思う。
 ストラウスの唇は最初は『て・・・』と形を作った。・・・が。ダイヤの三日月刀はどんなに美しいだろうかという想いがふとよぎった。月に輝く閃光が浮かぶ。血のつたったその跡の艶も格別だろうか。口からは勝手に言葉が洩れた。
「ダイヤでございます」
「もう落としちゃダメよっ!気をつけてね!」
 妖精から渡された短剣は・・・鞘に菱形つまり“ダイヤ”の模様が描かれていた。
「ダイヤって、これ・・・?」
 誰の物かわからない剣を握り、がっくりと膝を付くストラウスであった。

「“大事そうな物”であれば、拾ってくれるのはわかったぜ」
「もう、私の物は投げないでくださいよ!」
「心配ナッシング、黒山羊亭から拝借してきた」
 オーマは派手な着流しの着物の懐から、ガラス製の『杯』を取り出した。
『それがあるなら、私の刀を投げなくてもいいものを』と、恨めしく思った。
「黄金のグラスをいただきだぜ」
 オーマのコントロールはピンポイントで、投げたグラスは水面の銀の月へ命中しそうだ。
 と。銀の月がトレイのように持ち上がった。水面から飛び出したルディアもどき妖精は、トレイの上にグラスをぴたりと着地させた。膝を曲げて、衝撃を吸収するタイミングも絶妙だった。
「ああ、よかった。グラスは落とすと減給よっ!」
 みごとな技に、オーマもぽかんと口を開けている。
「はい、これ。割れなくてよかったです!」
 妖精がオーマにトレイを差し出す。投げたのと同じ杯がまたオーマの手元に返って来た。食器は死んでも落とさない。あっぱれなウェイトレス魂であった。

 今度はオーマは抱えていた家計簿を泉へと投げた。ノートの背を泉の方に向けて、とうりゃと掛け声も勇ましい。家計簿はうまく風を切って、ページが捲れることも無く水面へ飛び込んだ。
「よっしゃ!」
 だが、波がおさまった頃。ぷかりと水面に浮いた。淡いレース地が茶っけて汚れ、紙はよれて襞を作っていた。
「あまり“よっしゃ”では無かったようでございますね」
 沈まなくては、妖精も『拾って』はくれないだろう。
「なんだか、何を投げ込んでも、失う物の方が大きい気がして参りましたよ」
「俺もだ」
「ええと、私の情報網によりますと、オーマさんは“具現”といって、生き物以外を掌の上で創造できるそうですが」
「ああ、まあな」
 オーマはまだ黄金の家計簿に未練があるようで、しゃがんで膝を抱え、水面を眺めていた。中のインクは溶けて流れ出し、赤インクも青インクも混ざり合って、収支も残高も消えてなくなる。
「金貨だと偽金貨作りの罪になりますが、金の延べ棒でも金の杯でも金の剣でも自在でしょうに。なんで黄金を具現化なさらないのです?」
「見てな」
 オーマは掌を上に向けた。大きな手、長い指の間に、月光を浴びてきらめく金色の角柱が姿を現す。そしてオーマは、ぽいとストラウスに投げてよこした。
「これは・・・木の棒?」
 延べ棒の形をした、金色に塗られた木製の柱に過ぎない。
「よく知らないモンは具現できねぇんだよ。とっくに試したさ、100カラットのダイヤモンド、100カラットのルビー、100カラットのサファイヤ。全部ガラス玉だった」
「情報って大切ですねえ」
 からかう口調になってしまったストラウスを咎めもせず、オーマは苦笑を返した。
「店に戻って飲みなおすか?」
「そう致しましょう」
 二人、月の中を黒山羊亭に向かって歩き出す。

* * * * *
「なるほどね。これなら夢で泉に捨てたくなるよなあ」
「ジュウハチさん、別にオーマさんは捨てたわけじゃ無くて・・・」
 目の前に声にオーマがはっと瞳を開く。詩人と占い師が、シュヴァルツ家の家計簿を開いてあれこれ言っていた。
「こらっ!うちの家計簿を勝手に覗くな!」
「エンゲル係数が高いですね」とオウガストに指摘され、「余計なお世話だ」とノートをひったくった。赤字だらけでも楽しい我が家。黄金と引き替えられないものはたくさんある。

 まだ瞼を閉じる青年の顔にターバンが影を落としている。
 情報だけを欲するストラウス。彼もまた、指の間から金が溢れ落ちても見向きもしないかもしれない。砂に似たそれの流れに目を細め、風に舞うに任せるのだろうか。

* * * * *
 オーマとストラウスが自分のテーブルに戻る背を見送りながら、オウガストは店じまいを始める。
 と、一杯のビールがテーブルに置かれた。視線を上げるとエスメラルダだ。
「おごりよ」
「おお、ありがとう」
 早速オウガストは一気に半分も飲み干す。
「で、ねえ、手も空いたことだし。あたしにも夢を織ってくれないかしらね?言葉は、ええと・・・」
 店の外はそろそろ空も白む時刻だ。体がベッドに横たわりたがっていた。
「んー、また今度ね」
 オウガストは残りをさっさと飲んで空のグラスを置くと、素早く立ち上がった。背後からエスメラルダの罵声が襲う。
「感謝してるよ。長い時間、ありがとう」
 照れるので顔を見ずに前を向いたまま告げ、慌てて扉を開けて外へ出た。
 
 街の空気は澄んで、肌寒いほどだった。西の空、背の高い邸宅の屋根の先に、蜉蝣のような薄い月が引っかかっていた。


< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 外見年齢(実年齢) / 職業】
2359/ストラウス/男性/22/情報屋
1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り

NPC
オウガスト
ジュウハチ
エスメラルダ
ルディア

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
ダイヤモンドで剣を作ることができたら、すごい切れ味かもしれませんね。
ダイヤの三日月刀、さぞ綺麗なことでしょう。