＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
■かあちゃんゴメンな帰り道■
――ちょっとした出来心だったんだよ。この店に何日か前に流しの踊り子来ただろう？その踊り子とまあアレだいい感じになっちまって、一回だけだったんだ。一回だけ。なのにその一回が母ちゃんにバレちまって怒ってよぉ。そりゃ怒るったって俺だってフラフラ行く事はあるさ。いやホント出来心だって。母ちゃんの事すっげぇ好きなのにそれでもあんまり色っぽいからフラフラ……別に最後までいっちゃいねぇ！ちょっと、抱きつかれて抱き返した程度だよ。けど、その日雨でよ……母ちゃんがこんな危ない通りに迎えに来て……俺、俺、申し訳無くて、けどあんまり怒ってて詫びも言えなくて、訊いたんだ。
「どうしたら許してくれるんだ」って。
……訊くんじゃなかったってちょっと思うよ。母ちゃんなんて言ったと思う？そう、これさ。俺が酒弱いの知ってて言ったんだ。
「黒山羊亭で一番強いお酒を三杯飲んで、ちゃんと帰って来たら許すわ」って。
流石に俺もヤバイと思ったけどさぁ、涙目で言うんだよ。もうホント俺母ちゃんに悪くて悪くて。だからもう一杯飲んだら帰るんだ。店の前の通りならまだマシだしな。無事を祈ってほら、最後の一杯くれよ。
多少なりとも馴染みのある客を無理な飲酒の挙句、深夜のベルファ通りにただ見送って素知らぬ顔が出来る程エスメラルダは薄情では無く、三杯目の酒を男のグラスに注ぐ店員と視線を交わしておもむろに店内を見る。
何人かの馴染みの顔。
誰に頼もうかと思案するその目がぴたりと止まったその先には端正な顔立ちの男性が一人。その向こうにもまた異なる端正さの男性が居り、そのどちらも知るエスメラルダはどうしたものかと一時考えて、結局両方に話を持ちかける事にした。
確か別々に来店していたが、今は何やら話もしている事であるし、どちらも頼めば聞いてくれるだろうとちゃっかり計算したのである。
** *** *
倒れてそのまま眠り込んでもおかしくない男の姿が店の扉から通りへと消える。
それを確認して倉梯葵は席を立った。同じように天護疾風がそれに続いて通りへ出たところで瞬間視線を交わす。
共通の知人を持つ事から多少の面識はある。今日にしてもぽつぽつと話した程度の間柄だが、それだけで役割を割り振るには充分だった。男から距離を置いて後に続いた葵が通りからそれた疾風の方を見れば、穏やかな物腰の彼は眼鏡を取る仕草を見せてそれから。
ひゅ、と口笛を吹きたくなった。
感心して見る葵の視線の先で淡い色彩をまとっていた疾風の姿が人から崩れて優美な獣の姿に変わる。
「なるほどな」
その一瞬の間の変化。
白狼の姿となった疾風がちらと視線を投げて物陰へ走る、その僅かな時間の出来事を確認して、葵も視線を戻すと泥酔男の背中を追った。
なにやら友人にこういう歩き方ばかりしていた輩が居た気がする。
記憶のどこかを刺激する前方の酔っ払いは、あっちへふらふら、こっちへふらふら、時にくるりと一回転しかけて壁に縋って転びそうになり、一歩分がやたらと大回りだ。歩いている事だけでもまだ大したものである。
「おかげで警戒するには余裕を持てるな」
声になるかならないかの微かな言葉を落として葵が彼の後を追う。
時折、疾風から合図のように脳裏に何事かが伝わっては位置を代わるのは不埒者の始末の為だ。
夜のベルファ通り。
物陰からは物盗りが腕を伸ばし、通りには懐を狙う輩が何人も歩いている。泥酔して一人歩くなど、狙ってくれと言わんばかりの行為だった。再び届いた合図に夜闇に浮かぶ白い獣と歩く位置を代わる。とは言え狼の姿と取っている疾風は葵ほどには堂々と通りを闊歩したりはしない。ただ葵の方が面倒な相手――ようは危険物の排除がしやすいという訳で。
がつんと一際強い反動が葵の手に返る。
相手が仕掛けたと同時に拳を鳩尾に、そのまま細い路地の壁にぶつけるように力を入れたお陰で自分にも結構な反動だった。昏倒する男が腰を落とすのを確認する前に残る一人がナイフをかざして迫るのを軽い動作で避けるとこれも首を打ち気絶させる。腕の差は明らかで、なかなか微妙に溜まる鬱憤を晴らすのにもいいなとふと思った。
「……あっちもか」
切れ長の瞳を一度通りへ投げて背を向ける。
疾風も気付いているだろう。もうひとつ、物騒な気配をさせる一団が近い。
黒髪を揺らして夜闇に溶かしてそちらへ。
そうして、一連の危険物排除を終え、なにやら自分の鬱憤も排除してどこかすっきりとした気持ちで再び男の後ろにつく。
相変わらず男は「ごめんよ母ちゃん」だの「うぃ……泣くなよぅ」だの判りやすい独り言を結構な声で零しながら蛇行時々回転な風情で道を進んでいる。あー、とジャケットの襟元を少し開いて風を入れてみたのは見ていてなんとも言えない気持ちになったのを誤魔化したようなものだ。
そんな少しばかり緩慢な場面に湧いて出る複数の男達。
先程までは葵の一睨みで進行方向を変えていた輩と同じ――スリだ。だが先程までは単独だったがどうも団体となると実際に奪って持ち去る人間が一人では収まらない。周囲を素早く確認し、酔っ払いの数人が大声で歌いながら歩く傍へと一度寄って押されたように見せかけて。
「……あ、っと悪いな二人とも」
「おい！」
いささかわざとらしい行動に相手が声を上げるが聞くわけもない。
護衛対象の酔っ払い旦那に「目の前失礼」と軽く言って、横切りながら更に一人を巻き込むように移動する。
残りはこれで一人だ。位置的にあるいは既に掏り取られた後かもしれないが、白狼が泥酔男の後方からその最後の一人に近付くのを見て取り葵はさり気なく突きつけたナイフ――無論威嚇に過ぎない――でスリの団体様を路地裏へと誘導し素早く片付けた。そろそろ表情にもすっきりした様子が現れていてもおかしくない気が自身でもする葵である。
「結構な発散になったな」
言いながら何度目かの物陰から通りへの移動。
酔っ払いに疾風が人の姿で話しかけているのを見た。その手に小さく見えるのは財布だろう。
やれやれと見遣る通りの先。あと少しでベルファ通りから出る事になる。まだ危険も少なくなる筈だ。
そう考えて視線を向けた男は川へと一直線に向かっていて。
どうしてそういう時だけ蛇行しないんだ、とか。どうして道の真ん中からそんな端に酔っているんだ、とか。
瞬間考える事は多いけれど、おそらくその全てが「酔っ払いだし」で済んでしまう。それは葵の記憶にある酒好きの友人を思えば間違いない。とにかく間に合わずとも、偶然のお人好しを装いでもして助けなければならない。あの酔っ払いが泳げるとは思えないのだから。
だがその踏み出した足がすぐに勢いを緩めたのは、白狼が駆けて行ったからだ。
素早く姿を再び変えた疾風が男の足元を、川の側からぶつかるようにして通り過ぎる。すかさず着崩れたシャツの裾を咥えて更に川から引き離す形で男を動かしながら転倒を避けさせるその技術には感心しきりだ。
だが、そこでまた面倒な感覚と疾風の合図が重なって鬱陶しいとばかりに葵は視線を投げた。
男には関係無い気配だったからと放っておいた物騒なそれが、今その男へと駆けて行く女性に向かっている。
よもやベルファ通りから出る辺りで仕掛けるような集団があるとは……いや、通りから出る辺りだからこそ仕掛けるのかもしれない。
ともあれ、我関せずでは済むまい。
直接助けに入る事になるかどうかはまだ判じる訳にはいかないが、適当な大きさの小石を二つ三つ拾い上げると気配を殺していまや明らかに夫の前で妻を連れ去ろうとする一団に近付いた。
「て、てをはなせ」
震える声。酔いの為に回らない舌を懸命に動かして男が向かう姿が見える。
殴りかかっても多勢に無勢。軽くあしらわれるのも確かな状況で、物騒な顔付きの男を睨みつけている夫。
（――どうするかな）
小石を手の中で玩びながら状況を見る。
相変わらず酔っている男は足元も覚束ない様子だが少し走ればベルファ通りより余程治安のいい道に出られる筈。
妻の腕を掴んでいる手をなんとかする事と、男達の気を引く事。
気を引くのは遊ばせている小石でいいとしても妻を自由にさせるのはどうするか。
出るしかないか、と最後の最後に起きた面倒に舌打ちしたい気分になった葵に伝わる疾風の合図。
よし。
整った口元で微かに笑って小石を綺麗に影から投げた。連続してそれぞれにぶつけて男達が瞬間目を閉じたところで妻を捕らえる男の足元に白狼が駆け込んで。
「母ちゃん！」
離された男の手。
代わりに酔った男が必死の形相で女の手を取ると多少もつれながらも足を動かして走り出した。
チクショウとかなんとか言いながら追おうとした男の足元を更に白狼が掬い、その間に妻が支える形で夫婦が明るい通りへと小さくなって行く。それを見て、葵が代わりに通りへと出る。白狼も、その輪郭を揺らしたかと思えば見る間に秀麗な淡い色の青年に。
「ま、あっちは奥さん居れば大丈夫だろ」
「雨降って地固まる、となれば良いですね」
疾風と顔を一時見合わせて、気色ばむ男達へと向き直る。
仲良く整った顔に笑みをそれはもう麗しく乗せて。
「じゃあ最後の発散させて貰うか」
「私も御一緒させて頂きます」
この依頼最後の危険物排除へと勤しんだ。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【１８８２／倉梯葵／男性／２２歳（実年齢２２歳）／元・軍人、化学者 】
【２１８１／天護疾風／男性／２７歳（実年齢９９９歳）／封護】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、ペアで護衛ありがとうございます。ライター珠洲です。
相関の無い間柄でしたので、特別親しい形にはせずこのようなスタンスとなりました。
今回は視点違いという形でお送りしております。同じ文章があったり、違う文章だったり、句読点が違ったり、間違い探しかという差異から純粋に視点の違いまでありますが、如何でしょうか……ちょっとおっかなびっくり気分です。
・倉梯葵様
第一印象が、なんとなく苦労性な世話焼きお兄さん、でした。とは言えその辺り文章には出ていないとは思います。直接介抱する方が早いし確実かつ安全なのに、面倒な影からの護衛でお疲れ様です。
締めは旦那、という事で最後の展開になりました。奥さんはきっと旦那さんがベロンベロンでも頑張って助けてくれた事にちゃんと感動しているかと。最後の始末までして下さったのはお二人なんですけどね。
葵様はがっちり鬱憤晴らしに励んで頂けたならいいな、と思うライターでした。
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