<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


薄想

 少女が、夜の森の中を進む。
 明るい月がかかっているとはいえ、暗い闇の中を、彼女は危なげなく進んで行く。

 やがて彼女は、少し洞窟の前で足を止めた。
 洞窟の入り口に取り付けられた扉の小窓や、壁に掘られた窓から、柔らかいオレンジ色の光が漏れだしている。
 少女…千獣は包帯に包まれた腕を伸ばして、その扉を軽く押し開けた。


「…いらっしゃい。良い晩だね」

 闇の暗さに慣れた目には少し眩しいとさえ感じられる洞窟の中には、一匹の黒猫がいた。
 ロッキングチェアに深く腰をかけ、足を組んで笑っている。
 この猫が、店主だろうか、千獣はそんな事を考えながら口を開いた。

「ここ……装飾品、とか……作ってくれるって、聞いた…」

 とぎれとぎれに発せられた彼女の言葉に、店主の黒猫…───ケットシーのイヴォシルは笑みを深くして頷く。
「ええ、その通りですよ。何かご入り用ですか」
 彼にしては珍しく、丁寧に問いかけるイヴォシルに千獣はしかし、漆黒の髪と、無造作に目にかかる位置にまで巻かれた包帯を小さく揺らして首を横に振ってみせた。

「……何かを、作ってほしいわけじゃ、ないんだけど……これ」
 千獣が握りしめた拳を開く。

 そこには、端切れの小さな包み。
 彼女は逆の手でそれをゆっくり、丁寧にほどいていく。…それに従って現れた紅い色に、金色の目を細めてイヴォシルが小さく息を付いた。
「紅玉…ルビーかな。シンプルだけど、随分と手のかかった作りだね」
 千獣はイヴォシルの言葉に少し首を傾げて、それから頷く。
 彼女は細く折れそうな細工の耳飾りを慎重に手のひらの上に広げた。
 手のひらの上に乗る小さな耳飾りは、シンプルだが目を引く美しい物だったのだが。
 ただ、その留め金の部分の金具が折れ、耳飾りとしての役割を果たしそうにはなかった。

「……留め具……壊れた……ここで、直して、もらえる、かな……?」
 一言一言を拾い上げるようだ。
 千獣はゆっくりと声を出す。己の思考をなぞるように、次の言葉を探すように。
 イヴォシルはいつもかけている単眼鏡を胸ポケットへとしまい込み、作業用の無骨なそれへをかけ替える。
 それからそっと耳飾りを受け取り、作業台の上に丁寧に乗せた。

「…ふむ、これくらいならなんとかなるかな。私で良ければやってみようか」
 注意深く耳飾りを観察してから、イヴォシルが深く頷いて千獣の顔を見る。
 とくに表情を動かす事も無く、こくりと頷いたのを見て彼は愉しそうに微笑みを浮かべた。
「ふふ、ご期待に添えるよう、全力を尽くすとしようかな」
 くつくつと、何やら一人楽しげな黒猫をじっと眺めて立ちつくす千獣に、まだ笑いながらイヴォシルは椅子を勧める。
「お茶か何かいかがかな。多分少し時間がかかると思うから」
 大人しく腰掛けた千獣に問いかけながら、だがしかし彼女の返事を待つことなくポットにお湯を注いだイヴォシルは、立ち上る湯気に顔をしかめた。単眼鏡が曇ったらしい。
 立ち並ぶ戸棚から千獣の分のカップを取りだし、紅茶を注いで彼女の前に静かにおいた。

「さて、では始めるとしようかな。…ふむ、だが壊れたなら、新しい、似た物を探すという手もある」
 真剣な仕草で、爪を使って細工を整えながら、だが口調だけは酷く楽しそうにイヴォシルは千獣に声をかける。
 突然そんな事を言われた彼女はといえば、両手でカップを包み込むように持ち、中の液体を一口含んだ。
 ゆっくりと、静かに嚥下してから、彼女はイヴォシルの手元に向けていた視線を持ち上げ、彼の顔を見る。
「だが、そうしないのには何か理由でもあるのかな?それとも、単にとても気に入っているだけなのかい?」
「……」
 イヴォシルの視線は手元の耳飾りに注がれたままだ。
 その彼の顔を千獣は無言で、じっと眺めていた。
「ふむ、まあ無理に聞く事でもないかな」
 その沈黙を遮って、イヴォシルが呟く。彼の長い尾がぱたりと、まるで苦笑するかのように揺れた。
「…昔……」
「うん?」
 ぽつり、とこぼれた言葉に、イヴォシルは手を止める。頷いて、続きを促す。
「……すごく、昔……大事な、人から……もらった、大事な、物なんだ……」
 千獣の顔は変わらず無表情のままだ。
 だが、彼女の精一杯の言葉から、何か暖かい物を読みとり、イヴォシルは表情を柔らかい物にする。
「そうかい」
「………ああ…」
「ならば、何がなんでも、私はこれを直さないといけないね」
 言いながらイヴォシルは小さな箱を作業台の引き出しから取りだし、蓋を開けた。
 中には様々なサイズの、小さな金具がつまっているようだ。
 彼はその中の物を一つ一つ、耳飾りに合わし、ぴったりと来る物を選んでいる。
 千獣は無言で、飽きることなくその作業を眺めていた。

「…こんな作業を眺めていて、楽しいかい?」
 無言のまま、じっと手元を凝視してくる視線を感じてイヴォシルは苦笑する。
 急に問われた千獣は、少し考えてから頷いた。
「…作業……あまり、見た事が、ない、から……」
「ああ、成る程ね。だが、退屈じゃないかな?」
 否定の仕草が帰って来たのを見て、イヴォシルはそうかい、と笑った。
 普通の人間と比較して、到底器用そうには見えない指が、耳飾りに小さな金具を止めていく。
「……」
「…私はね」
 不意にイヴォシルが低く囁く。相変わらず視線は手元だ。
「……?」
「どうにも人から薄情だ、とか言われるクチなのだけれどね」
 どうやら千獣の答えを期待しているわけでは無いらしい。黙ってイヴォシルの手元を眺める彼女を気にした風もなく彼は続ける。
「だが、こんな私でも、なんとなく分かるよ。この耳飾りを君にくれた人も、君の事が大事だったんだろうねえ」
「……」
 千獣は無言のままだ。感情の読みとれない表情のまま、視線をあげた。
 イヴォシルは作業にかかってから初めて、その顔を上げて彼女と視線を合わせる。
 立ち上がって、千獣の手を取り、その上にそっと耳飾りを乗せた。
「これからも大事にすると良い」
 紅石の耳飾り。
 千獣は一つ頷いた。そして、受け取ったそれを右の耳に付ける。
「流石に留め具は駄目になっていたから、新しい物と取り替えたよ。それから、飾りも少し弱くなっている所があったから、補強しておいた」
 
 イヴォシルは言って、再び千獣の空になったカップに茶を注ぐ。
 今度は自分の分も注ぎ、二人して無言のまま、だがのんびりとした時間を過ごしていた。
 お互いに無言を苦とは思っていない様子だ。


 千獣が帰る際になって、彼女の右の耳で、「ここが定位置だ」とばかりに揺れる耳飾りに目を細めて、イヴォシルは笑う。
「ああ、流石に良く似合うね。私も修理した甲斐が有ったよ」
「……直して、くれて…ありがとう……」
「いや、私は金具を変えただけだよ。随分古い物みたいだが、これがこうして、状態良く形をとどめているのは、ひとえに君が大事に使っているからだろう」
 ゆっくりと、息を継ぎながら言った千獣の礼に、イヴォシルは微笑んだ。
「また暇な時にでも遊びに来てくれると嬉しいね。こんな風にゆっくりと落ち着いた時間を過ごしたのは何十年かぶりだったよ」
「……」
 会話と言うより、イヴォシルが一人で話しているようなものだったが、千獣の独特のテンポが気に入ったらしく、そんな風に彼は笑う。
 それに彼女が一つ、小さく頷いたのを見て、黒猫は嬉しそうに表情を柔らかく変えた。

「では、また」
「……また…」






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女性/17歳(999歳)/異界職】

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■         ライター通信          ■
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千獣様

はじめまして。新米ライターの日生 寒河と申します。
この度は猫の石屋へと足をお運び頂き、大変有り難うございました。
不思議な間合いのキャラクターさんで、こちらこそお近づきになりたいなあ、と思いました。
そんなライターの気持ちを反映した内容になっておりますが…。
少しでも気に入って頂けると幸いです。

ではでは、口調等、不備が無い事をお祈りしております。

日生 寒河