<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


絆、満ちたりて

 火の車って言葉は、そもそも何で火の車と言うんだろうか。
「――なんてことを、考えたこたぁねえか、シェラ」
 オーマ・シュヴァルツは爽やかな笑顔で隣に立つ妻を見る。
 返ってきたのは、こちらも爽やかな笑みだった。爽やかすぎて世のものすべて凍りつきそうな爽やかさ。
「ふふふ。……よっくもまあ、そんな悠長なことを言ってられるねえ……あんた」
 そして構えるは、彼女愛用の大鎌……
「待てシェラ。世の中、忍耐って言葉はものすごーく大切だと思うわけだ、俺は」
「待ちなオーマ。世の中、堪忍袋の緒が切れるって言葉もものすごーくたしかに存在してるんだよ」
 二人の間にあるのは家計簿。
 火の車、という言葉をしみじみと痛感させてくれる家計簿……。
(つーか俺にとっちゃだな)
 オーマはあとずさりしながら、冷や汗をたらして思う。
(――一番強い『火』は、目の前の麗しの奥様だっつのーーーー!)
 鎌が優雅に振りかざされた。
 そして――今夜も、シュヴァルツ家が紅く染まる。
 下僕主夫、合掌。

 そんなわけで。
 今日も今日とてオーマはアルバイトに出かけるのであった。
 本日はクリスマス。ケーキ売りのバイトだ。サンタの衣装を着て、他の数人とともにテーブルに並べたケーキをさばく。
「おらおら、クリスマスにケーキがなきゃ楽しみ半減だぜー!」
 そんなことを大胸筋を張りながら叫ぶオーマの肩に――
 ふと、ちらちらと雪が降りかかり始めた。
「んお? ホワイトクリスマスってか」
 手袋をした手を空中に差し出して、降ってくるそれを受け止めながら、オーマは優しい笑みを浮かべる。
 見上げると、雪がしんしんと降り始めた空は――すでに暗くなり始めていた。
「もう夜か……」
 これからがクリスマス本番と言ってもいい。そう思い、アルバイトにさらに精を出そうとしたオーマだったが。
「―――」
 ふと、何かが脳裏をよぎった。
 放っておいてはいけない何かが。
「……あっちが優先か」
 オーマはつぶやいた。そして、共同アルバイターに誠心誠意詫びてサンタ衣装を脱ぎ、ばびゅんとある場所へと向かうことにした。

     **********

 人里からは少し離れた、隠された小高い丘。
 ある花で埋め尽くされたその場所で、シェラ・シュヴァルツはぼんやりと降り始めた雪を見上げていた。
 白い雪は、彼女の燃えるように赤い髪を飾ってよく映える。まるで神々しい女神のようにそこに立っていた彼女に、
「シェラ」
 声をかけた者がいた。
 シェラはゆっくりと振り向いた。
 そこに、夫の姿があった。
「あんた……バイトはどうしたんだい」
「お前こそ、こんなとこで何やってんだ?」
「あたしはサボってるわけじゃないんだよ。薬としてルベリアを採集にきただけさ」
 ――ルベリアの花。それがこの丘を埋め尽くす不思議な花の名前。
 オーマとシェラは、元々ソーンの住人ではない。故郷ゼノビアにだけ咲くはずだったこのルベリアの花は、彼ら夫婦がこのソーンに移住したときに、いつの間にか持ちこまれていたのだ。
 シェラはそっとかがんで、ルベリアの花を一輪摘んだ。
 偏光に輝く花……他では決して見られないだろう、不思議な力を秘めた花だ。
 ソーンで独自に進化を遂げて、故郷ゼノビアではありえない姿へと変わった種もあった。また、ゼノビアの頃のまま育っている種もあった。
 その葉や花弁を乾燥させ、粉末状にして薬草として使うこともできる。オーマは医者でもあるから、ルベリアの花は大変重宝していた。
「たくさん摘んでおかないとね。商売あがったりになっちまうよ」
 シェラは用意していたかごにそっと摘んだ花を入れていく。
 その手に、白い雪が降りかかる。
 オーマは妻の傍らにかがみこんで、優しく彼女の手を握った。
「……寒いだろ」
「ふん。こんなもの平気さ」
 そんなことを言う彼女の手が、冷え切って冷たい。
 オーマは守護聖獣がイフリートだ。そのため冬でもあるていどは暖かいのだが、妻の守護聖獣ケルベロスにその能力はない。
 シェラが、夫の手を振りほどこうとする。
 オーマは離さなかった。妻の手を両手で包み込んで、あっためようと軽くさすってみたりする。
 妻は、やがて振りほどくのを諦めたらしい、
「あんた、バイト放り出して来たぐらいなんだから、当然お仕置きを覚悟してんだろうねえ?」
 軽くにらんでくる。
 オーマは苦笑いをした。
「いや……お前がここにいるような気がしたからな。ついバイトよりこっちを優先しちまった」
 シェラが驚いたように目を見開き――やがて苦笑した。
「そんなこと言っても、許しゃしないよ」
「分かってる」
 オーマは真顔でうなずく。シェラが、虚をつかれたような顔をした。
 オーマはシェラの手をとったまま、あたりを見渡した。
「相変わらず綺麗だな……この丘は……」
 ――ここは二人だけの秘密の丘。
 ルベリアの群生する、秘密の場所。
 ここを「二人だけの秘密の場所にしよう」と言ったのは、いったいどちらからだったか――
「お前も俺も、ルベリアを愛しているしな」
 そんなことをつぶやく彼の前で、一輪のルベリアがふと色を変えた。
 赤からふんわりとした、白へ。
 ははっとオーマは笑う。
「俺の想いを映し見やがったかな?」
 それもルベリアの特性だった。想いを映し見ることで、輝きを変える花……
 笑顔でルベリアを眺めるオーマ。
 そんなオーマを見つめていたシェラの周囲の花も、一斉に色を変えた。青かったもの、赤かったもの、紫だったもの、すべてが……ふんわりとした白に。
「優しい色じゃねえか」
 オーマは片手で一輪のルベリアをつついた。
 ルベリアが、反応するようにきらりと光った。
「………」
 シェラが黙って、色を変えた花を眺めている。
 オーマは――
 ふと、シェラの手を放し、ルベリアに向き直った。
「……オーマ?」
 不思議そうに名を呼んでくる妻の前で、彼は一輪のルベリアをみつくろい、そして。
 摘んだ。
 手にとったルベリアを、そっと胸の前に掲げる。
「お前にプロポーズされたときも、俺はこれをもらったっけな」
 オーマは笑って妻を見る。
 ゼノビアでは、女性からプロポーズするのが慣例だった。彼ら夫婦も例外ではない。
 ルベリアの花には最大の言い伝えがある。
 ――この花を贈った者と、贈られた者、二人は永遠の絆で結ばれるという――
「俺らはまだ絆で結ばれてるかな?」
 いたずらっぽく尋ねた夫に、妻はすまし顔で「愚問だね」と答えた。
 その答えに満足し、オーマは……手に取った一輪に想いをこめる。
 ルベリアの花が、
 オーマの想いに応えて、
 その色を変えた。
 ふんわりとした白から――ゆらめくように美しい虹色へ。
 そして。
「シェラ」
 彼は、その虹色にきらめく花を、妻へと差し出した。
 優しい笑顔とともに。
「……俺と結婚してくれ。シェラ」
 シェラの輝く金色の瞳が、大きく見開かれる。
「あんた――何を、」
「ここはゼノビアじゃねえんだ。女から、っていうのはもう関係ねえだろ」
 オーマは笑った。
「一度やってみたかったんだよ――この花を、お前に贈って」
 二人の間で、虹色のルベリアの花がきらきらときらめく。
 シェラの瞳が揺れた。
 虹色の花に、しんしんと降る白い雪が降り落ちては溶けていく。
「受け取ってくれ」
 オーマは真顔で言った。
「俺と結婚してくれ、シェラ」
 くりかえす言葉に、嘘も冗談もない。
 すでに結婚している二人には滑稽かもしれない言葉であっても――
 初めてのことには、違いがなかったから。
 シェラの金色の瞳が、かつてなく優しい光をおびる。
 やがて彼女は、そっと手を伸ばした。……夫の持つ、虹色のルベリアの花へと。
「受け取るよ。あんたの想いごと……全部」
 虹色の輝きが、男の手から女の手へと移った。
 ふわりふわりと雪を受け止めながら、虹色は不思議に色を変化させ、美しく咲き誇る。
 シェラはそれを、そっと胸に抱いた。
 オーマはシェラの肩を抱いた。
「クリスマスってのぁ、不思議だなあ、シェラ」
 夫は雪の降る空を見上げて、妻に語りかける。「本当は格別特別な日ってわけでもねえのにな。……何でか、心が熱くなるよ。寒い日だってのになあ。そんでもって……優しくなるよ」
「あたし以外の女に優しくしたら血祭りだよ」
 肩を抱かれた妻が、くすくすと笑った。
「おいおい。たった今プロポーズした男にそりゃないだろうよ――クリスマスにそんな物騒なこと言うな」
 肩を抱いた夫が、優しく笑った。
「クリスマスにゃ……お前も、いっそう美人に、優しく見えるぜ、シェラ」
「何言ってんのさ」
 シェラは夫の体を押し戻し、片眉をあげる。「あたしはいつでも美人で優しいに決まってる」
「ははっ。それが二倍三倍になって見えるってんだぜ」
「あたしは普段から限界まで綺麗でいい女さ」
 どこまでも胸を張る妻を、
「お前にゃ限界もねえよ」
 オーマはまぶしそうに目を細めて見つめる。
 風が吹いた。
 丘のルベリアが、さわりと揺れた。
 シェラの手の中で、虹色のルベリアも優しく揺れる。
「これは……どうしようかねえ」
 シェラは目の高さまで虹色のルベリアを持ち上げて、優しい目でそれを見つめた。
「大切にしてやってくれよ」
「ああ、大切にするさ。壊さないように」
 言うなり――
 シェラの手で、ルベリアの花が弾けた。

 ぱあっ――

 虹色の粒子が舞い散り、女の輪郭を飾っていく。
 シェラが虹色に包まれる。
 心地良さそうに、彼女は輝く己の身を見下ろした。
「……おいおい」
 オーマは苦笑する。「大切にしてくれって言ったそばからそれか」
「だから、大切にするさ」
 シェラは胸に手を当てて、そっと言葉を紡いだ。
「私の、私だけの心の中で……枯れもせず壊れもせずに、永遠に輝いてるよ」
「―――」
 しんしんと降る雪が、夫婦を包み込んでいく。
 シェラは夫に身を寄せた。そして夫の肩に額を当てて、小さくつぶやいた。
「……本当は、今あんたにここに来てほしかった。本当に来てくれるとは思わなかった……。ありがとう」
「当たり前だ」
 オーマは妻の体を抱きしめる。暖かい自分の体で、冷え切った妻の体を包むように――

 そこには誰もいない。二人以外の誰も。
 ただ、風に吹かれるルベリアの花たちだけが、二人をそっと見つめていた。

     **********

「……で、結局クリスマスのアルバイトはパアになったわけだね」
 暖かいシュヴァルツ家の中。
 片眉をあげるシェラに危険信号を感じ取り、オーマは「だから、ほら」とあの後二人で摘んだルベリアの花でいっぱいになったかごを差し出しながら、必死に身を守ろうとした。
「いいじゃねえか。このルベリアでできる薬は相当売れるから、充分穴埋められるって。な、落ち着け」
「あたしはいつでも落ち着いてるよ、オーマ」
 しょうがないね、とつぶやいたシェラの口調に、いつもの危険なトーンがない。
「今回だけは、勘弁してやるさ」
 絶対に噴火すると思っていたオーマは、不思議に思って妻を見つめた。
 シェラは、すました顔で――
 いや、ほんの少しだけ照れたような顔で――
「新婚早々、血で血を洗うような修羅場を作んなくてもいいだろうよ」
「シェラ……!」
 オーマは感激して妻を抱きしめる。
 腕の中で一瞬幸せそうに微笑んだシェラは、しかし瞬時に声音を切り変えた。
「今回だけだよ。オーマ」
「…………はい…………」
 妻を抱きしめたまま、情けない声を出すオーマ。
 にやりと美しい唇の端を吊り上げるシェラ。
 それはいつもの光景で、そして今までどおりの幸福を二人に約束するものだった。


  ―Fin―