<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『オウガストの絵本*−黄泉の川渡し−』


< 1 >

「今、お茶を入れます。あ、灰皿も出します。・・・いくら部屋が散らかっているからって、床に灰を落とさないでくださいね」
 詩人・オウガストの部屋に通されたキング=オセロットは、勧められるままにソファに腰を降ろした。指に挟んだ紙巻き煙草は、火を点けられるのを待っているが、オウガストのテーブルには灰皿が無かったのだ。
 ソーンとは別の世界から訪れた高機動型サイボーグのキングは、ここのことをよく知る為に、家主のダヌにソーンの歴史書を借りに来た。老女が不在だったので扉の前で待つつもりで煙草を取り出したところを、アパートメントの住人のオウガストが気付き、「中で一服どうぞ」と招き入れてくれたのだった。

 居間のテーブルには、包装を解かれたばかりの数冊の絵本が乱雑に置かれる。手描き手作りの一冊ものの絵本だ。
「ああ、それ?さる富豪が、お嬢様の贈り物用に私に依頼したものです。同居人の画家と一緒に作りました。きれいな絵本でしょう?
 絵本の中に入れるようにというご所望で、その条件は満たしているのですが。不良品だと言うんで返品されて来たんです」
 不良品?
「ダヌから貰ったインクで書いたのですが。どうもマジック・アイテムだったようで」
 読む人によって、ストーリーが変わってしまうのだと言う。

 異世界から持ち込またお伽噺たち。それらをオウガストなりに書き直したと言うテーブルの上の絵本は、不良品と言われても、表紙絵を見ているだけでも楽しかった。
 キングがパラパラと絵本を捲って眺めていると、オウガストが提案した。
「読んでみますか?煙草一本吸う間に読み終わりますよ」

 キングは「そうだな」と頷いて、数冊の中から『ギリシア神話』を取り出して表紙をめくった。


< 2 >
 
 命を落とした者を葬る時、口に銅貨を含ませる。瞼に一枚ずつ置く地方もある。黄泉の川の渡し守・カロンへの舟賃だ。カロンが待つアケロン川を渡り、人はハデスの居る冥府へと到着するのだ。
 皆いつかは渡る川。死は、決して恐ろしいものではない。ひっそりと背中合わせにいつもそこに在る。

 不治の病を言い渡された初老の男にとって、痛みの終わる『死』という良薬は救いでもあった。もう若くない妻は看病でやつれ、年頃である娘の顔色も冴えない。自分は重荷であり、黄泉へ呼ばれた時には正直ほっとした。

 時刻の無いうす暗い河原を、石を踏みしめて歩いていく。足は裸足で、石の形まで感じるが、痛みは無い。そう、もう痛みは無いのだ。背中にも腰にも。
 どこへ行けとも言われていないのに、向かう方向は体が知っていた。まだ川は見えないが、水音だけが微かに聞こえる。
 やがて船の穂先が視界に入った。待合の長椅子で足を組んだ渡し守は、ウェーブの金の髪を耳の下で結わえた若い女性だった。軍服かと思えるコートを羽織り、右の目に片眼鏡を嵌める。
 男が現世で聞いていた渡し守とはえらい違いだ。彼が噂で知っていた姿は、老いて痩せ細った男で、頭も剥げているとか髪が蛇だとかであったが。それとも、その金の髪が突然鎌首をもたげるのか?・・・男がじっと髪を見つめても、その輝きに変化は無かった。
「なんだ?おやじ、乗るのか?」
 確かになめらかな女性の声だが、毅然としてりりしい口調だった。
 男は頷く。
「あんたが渡し守のカロンか?」
「名はカロンで無く、キングと言うがな。渡るなら、例のモノをくれ」
 軍服の美女は革手袋の指を二本合わせて、煙草を吸うしぐさを見せた。「ああ」と男は懐中から一本の紙巻き煙草を取り出す。柩には銅貨でなく煙草が入れられていたようで、知らないうちに男はそれを身につけていた。
 キングは煙草を受け取ると、その薄い唇に即座にくわえた。コートの内ポケットからマッチを取り出し火を点け、うまそうに煙を吐く。
「行くが。いいか?」
 今さら、もうこの河原でやることも無い。男は舟に乗り込んだ。木肌が出たままのゴンドラに似たそれは、足を踏み入れるとゆらりと揺れた。
 キングはモクを唇の端に乗せたままで、渡し場に立て掛けてあった棹を握る。そして杭に結んだロープを解いた。

 そう速くもない流れに逆らって、舟は向こう岸へと向かう。キングは時々両手で握った棹から片手だけを離して、紙巻きの灰をアケロン川に落とした。
 彼女に無愛想な雰囲気は無いが、余計なことは喋らなかった。
「爺さんに送られるより、こんな美人の方がずっといい」
 男が本音を吐くと、ちろりとこちらを一瞥し、頬をゆるめた。

 煙草はそろそろ唇の近くで煙を上げていた。キングは火が点いたままで吐き出し、川へ捨てた。煙草は最期の断末魔を挙げて消える。きっちり巻かれていたそれは水に濡れてほどけ、黄土色の葉が水面にバラける。白い薄い膜が踊る。
「ここから先、川底を覗かん方がいい」
 キングの方から話しかけて来たのは初めてだ。
「川底に、現世に残した親しい者達の顔が映るそうだ。私には見えんのだがな。
 心が決まっている者の中には別れを告げようと覗く奴もいるが、それでも、殆どの者は心を乱す」
「・・・。」
 もう未練は無いつもりだったが、そう言われると自信が消える。男は舟縁をきつく握り、水面から目をそらした。指に木肌のささくれが当たる。だが当然痛みは無い。
 狭い舟に二人きり。自然、キングに目が行く。
「話しかけてもいいか?」
「ああ。別に構わんよ。喋って滞る仕事でもないしな」
「・・・黄泉とはどんなところか?」
「知らん。私は川を往復するだけだ。行ったことは無い」
「すまない。愚問だったな」と男が笑うと、「いや。不安はわかるさ」と柔らかく応えてくれた。
「ある意味、黄泉へ行けるあなたが羨ましい。私は厳密な意味で『死』は無い。サイボーグなのでね。
 永遠にここで舟を漕ぎ続けるのだ」
 キングは男を見ず、進む方向だけを見据え、背筋を伸ばしてゆっくり棹を突く。舟の速度でゆるい風が起こって、キングの髪を揺らしていた。


< 3 >

『また派手にやられたものだな』
 そう思ってもキングは表情に出さない。煙草を受け取ると、黙って棹を握り舟を出した。
 その日の乗客は、左肩を凶暴な妖獣にでも齧られたのか、上半身の半分を失っていた。柩に入れられる時に血は綺麗に拭き取って貰ったのだろう、バランスが悪い以外に凄惨さは感じられない。切れたローブから覗く、割れて突出する肩の骨が造り物のように見えた。
 ここでは痛みも無いので、穏やかな表情で舟底に座っている。キングと年齢もそう違わぬ青年だ。片目もえぐり取られていた。ストレートの銀の前髪がさらりと揺れると、その無残な穴をあらわにする。魔法使いだろうか、細い剣で闘う戦士だろうか。モンスター退治で破れたのか、突然襲われたのか。だが、キングは詮索はしない。
 途中、川に煙草の灰を落とし、例の忠告をする。
「川底に、現世に残した人の顔が映るのだそうだ。心が乱れるので覗かない方がいい。・・・まあ、見たければ見るもよし」
 青年は諦観の表情でのろのろと首を水面へと向ける。川底に恋人の顔でも見たのか。それとも家族か。親しい友人か。永遠の宿敵か。残った片目を閉じて、静かに涙を流した。キングは気付かぬ振りをして、舟を操る。

「乗るのかい、坊や?」
 今日の乗客は随分と若い。いや、幼い。キングは、自分の腰の高さの少年を見下ろして尋ねた。膝上のズボンに擦り切れた綿シャツ。外でたくさん遊んでいたのか、日焼けして浅黒い肌で髪も茶っけていた。
 少年は黙って煙草を差し出した。唇をへの字に曲げているのは、泣くのを我慢しているからだろう。犬のように素直な黒い瞳が水分で潤んでいる。細い首にロープの跡が残り、紫色に鬱血していた。殺されたのか、事故でロープが絡んだのか、それとも自分で首を吊ったのか。
 だが、キングは死因も理由も何も尋ねない。そして、煙草をくわえて今日も棹を握る。
 少年は道中ずっと唇を噛んでいたが、一回だけ、「ママも金髪なんだ」とぽつりと呟いた。
 未練の川底。キングはそこで忠告はしなかった。言えば少年は必ず覗き込み、金髪女の姿に号泣するだろうから。
「あの黒い雲が見えるか。あれ、ケルベロスに似ていないか?」
 キングは棹を握ったまま、暗い空を顎で差す。
「え?どこ?どこ?」
「先の・・・右の方だ」
「あ、ほんとだー!あ、でも、どっちかと言うとヒドラ?」
「ヒドラって何だ?」
「えー、知らないのぉ」
 少年は得意気に、モンスターの姿を身振り手振りで説明した。少年はその川底に気付かず、舟はゆっくりと通り過ぎた。川底では、金の髪がなびいていたのかもしれない。プレゼントに結ばれた細いリボンのように?それとも、手や足に絡みつく忌まわしい藻のように?・・・それもキングは知らない。

 修道女は黒衣の姿で問う、「わたくしは天国へ行けるでしょうか?」
 老人は鼻唄混じりに舟に乗り込み、「あっちには友達がたくさん待ってるんだ」と微笑む。
 手首に傷のある男は、舟の縁に肘を付いて、憎悪と侮蔑の瞳で川底を睨み続けた。
 キングは寂しく思う。再び彼らに会う事が無いのを。
 たった一度だけ。キングは彼らを黄泉へと送る。

 空は今日も曇天で、夜のように、雨の前のように暗い。渡し場のベンチで足を組んで空を見上げながら、そろそろ一本欲しいと唇が思い始めている。
 河原の小石を踏む足音が聞こえてきた。
 今日もまた、誰かがやって来る。

< END >


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2872/キング=オセロット/女性/23/コマンドー

NPC 
オウガスト

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
ノベルに名前が登場するハデスは冥府の王です。
渡し守・カロンが居るのは、アケロン川説とステュクス川説があります。
川底に現世の人が見えるエピソードは神話には無く、オリジナルです。
死者を黄泉に送るのは、キングさんに似合った仕事かと思いました。いかがでしたでしょうか。