<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜ふたりの精霊〜

 『精霊の森』と呼ばれる不思議な森がある――
 そんな話を聞いたのは、いつもどおりこの国の王女の別荘で、踊りを踊っていたときだった。
 自分の雇い主である王女。その王女の公務をねぎらって舞う踊り。
 三度の食事より踊りが好きなレピア・浮桜 (―・ふおう)にとって、それは仕事というよりも趣味だった。
 そして、メイドたちも含めた別荘の住人の前で楽しく舞っていたそのとき――
 図書室から戻ってきた王女が、一冊の本を差し出したのだ。

 『精霊の森』。
 ――そこにいるという、色々な精霊たち。
 王女が手にしていた本によれば、精霊たちの中には水の精霊もいる。その文面を読んで、レピアは決めた。
 その森に行こう――と。

     ■□■□■

 レピアは神罰<ギアス>により、昼間は石像と化してしまう呪われた体だ。
 そのため、動くことは夜しかできない。
 陽が落ち、生身に戻るなり急いで『精霊の森』へと走っても、着くころにはもう月がほとんど傾いていた。
(間に合う……かしら……)
 森があった。夜闇の中、静かにそこにあった。月明かりに照らされ、ふつうの森よりもずっと神秘的に見えた。
 暗い森。しかしレピアは構わず飛び込む。
 長い間月光の下でしか生きられずにきたのだ。これくらいのことは、怖くなどなくなった。
 森は穏やかに――彼女を迎え入れた。
 細いけれど、道がある。しばしば人が通っているのかもしれない。
 その道にそって駆けていくと、やがて小屋が見えた。
「人がいる……?」
 そう言えば『守護者と呼ばれる人間が住む』と本にも書いてあったような。そんなことを思い出しながら、レピアは小屋に近づいていく。
 と、
 小屋は、内側から開かれた。
「――こんな夜中に、いらっしゃい」
 現れた眼鏡をかけた青年が、ふわりと微笑んだ。

「あたしの気配が分かったんだ……」
 人の姿を見たことに何となくほっとして、レピアはふうと息をつく。
「この森の中の気配ならね。キミが急いで走ってきたことも分かっていたよ」
 クルスと名乗った青年はそう言った。「それで、キミはこの森のことを分かっていて来てくれたのかな?」
「もちろん」
 水の精霊に会いたいの――
 レピアはつぶやいた。クルスが片眉をあげた。
「何か水に思い入れでもあるのかな。分かった、会いに行こうか――今すぐがいいんだね?」
「今すぐでないと困るわ。私は、」
 言いかけて、レピアは口ごもる。
 私は、陽が昇ると同時に石像になってしまう――
「……キミは何か重いものを背負っているね」
 クルスは囁いた。「でもまあ、無理に言うこともないよ。さあ、行こう」
 レピアはほっとして、歩き出したクルスの後に続いた。

 森の木々はとても静かだ。夜にしか生きられないだけに、夜の静けさが苦手なレピアだったが、それなのにこの森はとても落ち着く。とても不思議な気分だ。
 やがて、耳にかすかなせせらぎの音が聞こえてきた。
 なんて穏やかな音だろう……
「さあ、ここだ」
 クルスの声とともに、視界が開けた。
 静かな泉。そして、そこに水をそそぐ川……
「水の精霊は、泉と川にひとりずついるよ。どっちがいいのかな」
「あたし、男はダメなのよ」
 レピアは肩をすくめる。彼女は本来男嫌いだ。目の前の眼鏡の青年は、何となく「性別」というものをとっくに捨てているような雰囲気がするから、平気なのだけれど。
「そうか。なら泉のマームだな」
 泉の精霊は、人間で言えば女性だよ――そう言って、クルスは微笑んだ。
 女の精霊もいる。そのことが嬉しくなってレピアは笑んだ。そして――ふと、空を見上げた。
 森の木々は多すぎて、空はよく見えない。けれど差し込む光は見える。
 月光の位置がとても低い――
「お願い……! 陽が昇る前に、その子に会わせて!」
 レピアはクルスにすがった。
 クルスは少し驚いたようだったが、軽くうなずいた。そして、静かに水をたたえる泉に向かって――指をつきつけた。
 指先に、光の粒子が発生する。きらきらと、たくさんの。
 ――いけ。
 囁きとともに、光の粒は泉へと向かった。
 何かの輪郭を包み込むかのように輝き、そして最後に強く輝いて霧散する。
 ――擬人化《インパスネイト》。
 光の消えたその場所に、ひとりの女性が微笑んで立っていた。
『こんばんは、と言うのでしたかしら……? こんなときは』
 泉の水面にふわふわ浮かぶように、その人はいた。透き通るような体をしている。人間で言えば髪なのだろう部分が、水のさざなみのように揺れていた。
 きれい……
 レピアは、しばしの間見とれた。
「彼女が、泉の精霊のマームだ」
 クルスに言われ、はっと我に返る。
『初めまして』
 マームはとても穏やかに微笑んだ。
「あ――は、初めまして。あたしは、レピア。レピア・浮桜」
 がらにもなく照れながら、レピアは自己紹介をした。
 マームがふわふわとこちらへ近づいてくる。レピアはどきどきと鼓動が高鳴るのを抑えられなかった。
 やがて泉の端まで来て、マームは片手を差し出してきた。
『あの……たしか、人間には“あくしゅ”というものが、ありましたよね……?』
 自信なさげに小首をかしげる。
 レピアはくすっと笑った。そして、差し出された手をそっと握った。
 水、そのままに冷たく、形はあるのに固形ではないその手。水をつかんだような感触。
 けれど、マームは嬉しそうに『わたくし、“あくしゅ”していただいたのは初めてです』と言った。
 レピアは精霊の手に、何だか体温を感じたような気がした。
 あったかい……そう思い、マームに向かって言葉を紡ごうとした、その瞬間。
 ぴし……
「ああ、陽が昇ってきたかな……」
 クルスが木々のすきまの空をあおぎ、目を細めた。
 レピアは体の芯から凍りつくような気持ちを味わった。こんなときに、こんなときに……!
 ぴし、ぴし、ぴし
 足元から徐々に石化が始まる。
 木漏れ日を、これほど憎む人間がこの世にどれだけいるだろう。
「ごめん……なさい、あたし、昼の間は……動けない……」
 すでに上半身まで。ああ、自分の心まで固くなっていくような気がする。
 マームが不思議そうにこちらを見つめているのが分かる。
 ――そんな目で見ないで!
 叫びたくて、叫べなくて、唇をかんだ。けれど、
『よく……分かりませんけれど……手は、握っていていいのでしょうか?』
 精霊は言った。
 その水のような手で、石となったレピアの手を握りながら。
「………」
 レピアは心が溶けたような心地がした。顔が、少しだけほころんだ。
「夜になればまた生身に戻るのかな。分かった、じゃあ次の夜にね」
 クルスが軽い口調で言う。マームが嬉しそうに続けた。
『まあ。よかった、また会えるのですね』
 二人の言葉に癒されて――
 レピアは微笑んだまま、石となった。

     ■□■□■

 意識が溶けていくような感覚――
 気がつくと、また夜だった。いつものように。
「………」
 レピアは自由になった体を見下ろす。何だか、冷えているような気がする。
「ああ、おはよう」
 クルスの声がした。「ん? どうかした?」
「何だか……体が冷たい」
「ああ」
 マームがね――と、クルスは笑った。
「『洗ってあげなくては、かわいそうです』と言ったからね。泉の水で洗わせてもらったんだ」
「マームの水で……?」
 レピアは自分の冷えた体を抱きしめる。
 しかし、泉を見ても、そこには誰もいなかった。
 自分の手を握っていてくれた、あの優しい水の手がない。マームの姿がそこにない。
「ねえ、マームはどこへ?」
「ああ、ごめん僕の力も制限が一日だから。それも連続すると時間が短くなっていってしまうから――昨夜は早めに擬人化を解いたんだ」
 クルスは少しだけ苦笑した。
「何しろ、今夜は一晩中話し込むわけだろう? そのために、と思ってね」
 さて、と彼は仕切りなおすようにパンと手を打ち合わせる。
「呼ぼうか? もう一度」
 いたずらっぽい声音。レピアは笑いながら、
「当然よ。早くね!」
 とせかしてやった。
 再び始まる光の粒子の魔法。
 そして現れた、美しい泉の精霊。
『こんばんは、レピアさん』
 精霊はにっこりと微笑む。『よかった、もう一度お会いできて……嬉しいです』
「こんばんは、マーム。……ありがとう」
 レピアは精霊に笑いかけた。
 精霊が首をかしげる。何に礼を言われたのか、分からなかったらしい。
「石像のあたしを洗ってくれたり、今も会えて嬉しいって言ってくれたり。あたしもすごく嬉しいわ」
『まあ。……そんな風に言ってもらえたのは、初めてです』
 精霊が、まるで頬を染めるかのような仕種をする。
「さ。後は二人で楽しんでおいで」
 夜明け前に迎えに来るよ――そう言って、クルスは姿を消した。
 木々と月光だけが二人を見下ろしている。
 マームが、泉の端まで近づいてきてくれた。そんな彼女に、
「ねえマーム」
 レピアは笑顔で言った。
「あたしね、踊り子なのよ」
「おどりこ……」
「踊りを踊る人。そのまんまだけどね。あたしマームに、あたしの踊りを見てほしくてここに来たのよ」
 『まあ』とマームは嬉しそうに両手を合わせた。
『ぜひ、見てみたいです。わたくし、踊りを見るなんて初めて……』
「ふふっ。最初にして最高の踊りを見られるなんて、マームは幸せよ」
 そううそぶいてみたりして、
 そして――

 しゃらん

 腕にはめた数本の金の腕輪が、鳴った。

 しゃららん

 腰にいくつもとりつけた鈴が、鳴った。

 しゃん しゃん しゃん

 体のあちこちにある金属が奏でる、美しい音色。
 それに乗せて、レピアは舞った。
 木漏れ日の月光。
 ――いつもは、ソーンの冒険者たちのため。
 また、自分の大切な王女とその召使たちのため。
 けれど。

 今日は、見つめていてくれる水の精霊のためだけに――

 水の流れを。
 せせらぎを。
 水面に映る月を。
 さざなみを。

 ときには大波を。
 しずくが落ちて広がる水面の水の輪を。
 マームの泉の穏やかさを。
 静けさを。
 美しさを。
 そして――マームの優しさを。

 すべての想いを乗せて、レピアは舞った。
 自身美しい青い髪と瞳を持つ踊り子は、まるで水の精霊になったかのように。
 舞って舞って――やがて月が真上へ昇るまで――

 しゃらん……

 静かに腕を下ろす。
 腕輪が月光を受けて、きらりと光った。
『……美しい踊り……』
 マームがほうとため息をつく。
『まるでわたくしたちと遊んでくれているようでした。……あ、おかしいでしょうか?』
 おっとりとした中に、少しだけおそるおそる尋ねるような気配。
 レピアは笑って、大きくうなずいた。
「ばっちりよ、マーム。あたしがこめた想い……全部受け取ってくれたのね」
『レピアさん……』
 マームはその目を優しげにそっと細めて、ありがとうございます、と言った。
「………」
 レピアはくすりと微笑んだ。
「――あたしね……昔、水のシャーマンを目指してたんだ」
『水のしゃーまん……ですか?』
「だけど、落ちこぼれだったのよ。だからなれなかったの」
 でも、水は大好きよ――レピアは囁くように言う。
 泉のほとりにしゃがみこみ、マームの水をひとすくい手にとって、さらさらと流した。
「水は素敵ね……」
 ――冷たい、けれどなんて優しい水だろう。
「あたしもこんな水を、大切にできる職につきたかった……」
 羨ましいわ、と言葉がこぼれる。
「水の精霊。とっても素敵、ね……」
 妬みではない。純粋に、マームの穏やかさと優しさが心にしみるのを感じたのだ。彼女の言葉のひとつひとつが、水のように体中にしみわたっていく。
『でも、レピアさんも』
 ふと、マームが口を開いた。
『今わたくしに見せてくれたように……踊り――で、水を大切にすることができているのではないでしょうか?』
「―――」
 レピアは顔をあげた。
 いつの間にか、マームはレピアを真似てしゃがみこみ、目の前にいた。
 二人の視線が同じ高さで合った。
 マームは微笑んだ。
『だって、わたくしあの踊りを見て……レピアさんが水を愛していらっしゃること、とてもよく分かりました。一番、強く……感じました』
「――……」
 頬を何かがつたっていく。
 ――どうして? 分からない。
『それは“なみだ”というものなのですね』
 マームがレピアの顔にそっと指を触れた。『わたくしたち水の精霊は“なみだ”は流せません。でも……レピアさんはちゃんと流せるのだから』
 マームの指先に触れられて、頬がさらに水で濡れた。
 レピアはマームの手をつかみ、自分の頬に押し当てて目を閉じた。冷たくても構わない。水でびしょぬれになろうとも構わない。
 この優しさを……一秒でも長く感じていたい。
「あたし……もっと、水を愛したい」
 マームの手をつかみ、目を閉じたまま、レピアはつぶやいた。
「水を愛していることを、もっともっと……表現したい」
『あの……』
 マームが、そっと囁くように言った。『もう一度……踊ってくれますか?』
 レピアは瞼をあげ、にこりと微笑む。
「もちろんよ」
 マームの手を放し、立ち上がる。マームも立ち上がった。

 しゃん

 再び、水の舞が始まる――

 と、
 ふと、マームが不思議な動作をした。
 両手で何かをすくい、それを散らすように――

 そしてその動きに導かれて、彼女の泉が騒ぎ出した。
 細い水柱が立つ。高く立ちのぼり、そして……細かい水滴となって降る。雨のように。
 それが、レピアにも降り注いだ。

「―――」
 思わず踊りをとめたレピアは、マームの微笑む顔を見て……
 そっと微笑み返した。
 優しく降ってくる水滴。その中で、彼女は踊る。水の舞を。
 腕で水滴をからみとるように
 水を含んで少し重くなった髪を揺らし
 濡れた服の布地をひらりとはためかせ

 踊る 踊る 踊る――

『踊りで、水を大切にすることができるのではないでしょうか……?』
 ――ああ、そうか――
 踊ればいい。心をこめて踊れば、それであたしの想いは水が分かってくれるから――

     ■□■□■

「素敵な踊りだったね」
 ぱちぱちと拍手をしながら、木陰からクルスが姿を現した。
 レピアはぎょっとして、「いつから見てたのよ?」と青年をにらみつけた。
「いやあ、何だか素敵な気配がしたものだからね。ひっそり見てるぐらいなら許されるかと」
「許すわけないでしょう? あれはマームのためだけに舞った踊りなのよ」
「ああ、それは失礼」
 でも、と申し訳なさそうにクルスは告げる。
「もうすぐ、夜明けなんだ」
「―――!」
 レピアはさっと上空をあおいだ。月の位置をたしかめて……恐怖の時間が近いことを悟る。
「そんな……」
 唇をかむレピアに、ところで、とクルスはのんきな口調で言った。
「そうしていると、キミも水の精霊のようだね。さながらマームの姉妹かな」
「姉妹……」
 レピアの青い髪、青い瞳。
 マームの透き通るような長い髪。
「あたしも……水の精霊に見えるの……?」
 何だか、泣きたいくらい嬉しい言葉だった。「マームと姉妹? そうだったらいいわね。本当に……」
『レピアさん。それなら、わたくしたちはきっと“しまい”なのですよ』
 マームがにっこりと言った。おそらく本気で言っている。
 ぷっとレピアはふきだした。マームの本気がおかしくて……嬉しくて。
 また目からにじみでそうになった水のしずくをぬぐいとり、「ねえ」とクルスに尋ねる。
「この森のことを書いてあった本には、『精霊を体に宿らせることができる』って書いてあったのよ。それ、本当?」
「ああ、本当だよ。マームをキミに宿らせることも可能だ」
 クルスの言葉に、レピアはおどりあがりそうなほど満面の笑みになって、
「なら、次に来るときはマームをあたしに宿らせて! ねえ、絶対また来るからね? マーム、いいわよね」
『もちろんです……そのときはレピアさんと一緒に踊れるのでしょうか?』
 おっとりと、マームは微笑んだ。
 レピアはマームに向かって、手を差し出した。小指を立てて。
『……? あの、あくしゅでは……』
「違うのよ。小指どうしをからませて、“指きりげんまん”よ」
 マームは何とかレピアのマネをして小指を立てる。その水のような指に、レピアは自分の小指をからませた。
「これが、約束」
『これで……約束』
 二人は顔を見合わせて笑い合った。
 クルスは穏やかな顔で、そんな二人を眺める。
 もう少しで消えてしまう月光が、優しく……二人の『水の精霊』を、照らし出していた。


【END】


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】

【NPC/マーム/女性/?歳(外見年齢27歳)/泉の精霊】
【NPC/クルス・クロスエア/男性/25歳?/『精霊の森』守護者】

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■         ライター通信          ■
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レピア・浮桜様
初めまして、笠城夢斗と申します。
このたびはゲームノベルご参加本当にありがとうございました!
レピアお姉さま(とつい呼びたくなる)の踊りを綺麗に表現したいと全力を尽くしたつもりだったのですが……ど、どんなもんでござましょうか;力足らず申し訳ございません!
書かせて頂けてとても嬉しかったです。
またお会いできる日を願って……