<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


■瓦礫の中の歌人形■



『雨がやんだら』

 泣きそうになって私の痩せた指を握り締めるお婆さん。
 無理を言ったの。無理を言って、お願いしたの。

『雨がやんだら、お前をきちんと送るからね』

 降り続ける雨が植物の根を腐らせて川の水を溢れさせて。
 昨日おとなりの子が川に呑まれて、助けた貴方は代わりに居なくなってしまった。
 はじまりはもう解らない災いのような雨は降り続けてけしてやまない。

『ばかな子だ――ばかな』

 歌うのよ。
 雨を呼ぶ歌はもういらない。
 必要なのは、雨を拒む歌。

『雨が、やめば』

 ――誰も居なくなった涸れた街。
 お婆さんは雨が止んで土が力を取り戻し始めた頃に迎えに来てくれたけれど。
 病気で細くなった腕は私に届かなくて、誰かが言うのが聞こえた。
『また雨が降り続ける』
『このまま歌わせる方がいい』
『もう死んだ人間だろう』
 お婆さんの腕は届かなくて、病気のお婆さんは二度と。
 ――誰も居なくなったのは私が歌を歌うから。
『雨が降らない』
 私が歌うから。
『雨が』
 私を想いを送ってくれるお婆さんはもう居ない。

 ばかね。
 ばかね皆。
 今度は涸れてしまうと解らないのかしら。

『花どころか緑も無いのは哀しいね』
 ええ、哀しい。
『君の見舞いに持ってくる花の一輪もあればいいのに』
 ええ、だから歌う事にしたの。
『せめて雨が止めば』
 子供を助けて居なくなった貴方。
 とても誇らしくてとても哀しい。
 せめて貴方に添える花があれば、と。

 雨はいらないの。
 いらなかったの。

 ずっとずっと雨を拒んで歌っている。
 ああ、けれど。
 涸れてひび割れた地面の下に貴方達が居ると思うとあまりに辛い。

 微かな音を聞きながら、ようやく私は雨を欲しているのです。

 横たわるばかりだった弱い身体を思い出し。
 声も移した人形の中で、今やっと。


** *** *


「――てぇワケだがどうするよ」
 翼を揺らして見上げる、小さな銀色の獅子。
 精神感応での意思疎通を試みるべく変じた姿のままオーマ・シュヴァルツが問うのに、藤野羽月とキング=オセロットは互いに視線を走らせた。片や短く切り詰めた黒髪、片や束ねても尚踊る程の金髪、対照的な色を閃かせて動いた二人の顔。
「雨を止めたいというのなら、話は簡単だ」
「確かに……人形自身が、そう、崩れてしまえばいい」
 言葉にしてから図ったように同時に外を見る。
 今も降っているけれど、それは雨と呼ぶには弱くあまりに儚い。剥き出しの地面に幾つも走る亀裂を癒すだけの力を持つ筈も無いそれは無力な雫でしかなくて。
 オーマが、伴って来た人面草をそこかしこで光合成させてみたり掃除だの外の瓦礫を除けて採光を良くしてみたりと、動き回ったおかげで当初よりは幾らか明るくなった室内は、それでもまだ彩に欠ける。覗く空は重苦しく厚い雲が広がって確かに雨が降ってもおかしくない様子であるのに降量は微かで――歌人形が拒むが故かと改めて思わせた。
「だがなぁ」
 崩して歌を止めれば終わり。
「そんなモンでいいのかって言やぁ、違うしなぁ」
 間に異なる男の姿を挟んで元の風体に戻ったオーマがこちらは人形に持たせた花を覗きながら言う。
 そうだな、と口々に同意して振り返るそこに緩く腕を広げる人形の姿。
 舞台上であるかのように朗々と歌い上げる姿勢を見せる、自分達よりも一回り小さなそれは若い娘の姿をしていた。
 その細い腕の先、ゆるりと開かれた手に乗るのは偏光色の花。ルベリア。
 羽月にしろ、オセロットにしろ、肯定否定で返答出来る質問を繰り返して会話を進めるつもりだったのだけれど、オーマが示したその花のお陰で意思疎通は幾らか簡単になった。主だった遣り取りはオーマの精神感応を軸にし――彼特有の言い回しに人形さえもが応じ損ねる事は何度かあったが――ルベリアの作用で人形の返答を二人も聞いたのだ。
「時間の前後が混ざっていたようだな」
「何度も思い返していればその程度の混濁はあるだろう」
 そうか、とオセロットの言葉に短く頷いて羽月が見る先では甲斐甲斐しくオーマが人形の埃を再度払っている。
 静かにそれを見ながら結局どうするのかと口に乗せた。
 羽月の言葉に、共に長身の男女が人形を見下ろす。
 思案する様子であるのはきっと誰もが同じ理由。

 お婆さん。貴方。貴方達。

「むしろ映像と言うべきかな。今に至る経緯は――」
「まず『貴方』と会話していた人形、次に『貴方』が死んだ」
 オーマに倣った訳でも無いだろうけれどオセロットが人形の頭をそっと汚れを払うように何度が撫でつつ言うのに羽月が続く。
「雨を止めたいからと言って『お婆さん』に頼んで『人形』に、てワケか」
 オーマが精神感応による会話中――今も三人の遣り取りを聞きながら時にその色を鮮やかに翻す、人形の手にある瑞々しいルベリアを一度手に取りながら更に。
「ラブは聖筋界を救うがな、これじゃ報われねぇってもんだ」
 人形に向かうようにしてのオーマの言葉を聞く。
「移して元の……いや、詮無い事か」
 言いかけて止めたオセロットが薄暗い屋内で鮮やかに主張する金髪を揺らして首を降ると、束ねたそれが灯火のようにいっとき見えた。深い、けれど思うところを悟らせぬ声音で付け加える言葉。
「あなたは、私と同じようなものだな」
 彼女の見詰める先で人形は今も歌っている。
 携えた刀剣を握って羽月もまたその一人きりの人形を見遣れば小さく唇が動いた。
「どう、在りたい」
 問う言葉とは思えぬ程にはっきりとした声だけれど、確かに人形の望みを確かめる言葉。
 羽月の言葉は短かったけれど、人形の応えがあるわけでもなかったけれど、オーマとオセロットが羽月の声に瞳を向ける。歌人形も同じように、彼の声を聞いているのだろうとそれぞれが思う。

 高く、低く、遠く、近く、深く浅く細く鋭く儚くけれど強く。

 偏光色の花弁が歌声に合わせてちりりと揺れた。


** *** *


『幾千の文字を重ねたとて音楽にはかなわない』
 それは、どこで知った言葉であったのか。
 硝子森で聞いた今回の話。
 皮肉も自嘲も無く、ただ同じ人形として出自に興味を抱いた事もあって訪れた街。
 雨の中、一人きり途切れる事無く歌うその人形の望み。
 愉快な事では無いだろうと考えながらまずは人形の歌を聴いた。

 音楽とは魂が魂に話しかけるのだと言う。
 ならばこの人形の歌はどうなのだろう。

 望みを叶えるつもりではいる。
 愉快な願い事だとは思わないが、望むように動いてやろうと考えて歌を聴く。
 そして聴きながら、思うのだ。

(例え、人形の望みを叶えたとて、この人形が崩れ逝くことに、変わりはないのだろうな)

 皮肉でもなく、ただそう思う。
 いつか朽ちる運命の人形だ。それが遠くない事は同じように訪れた羽月からも聞いた。
 それでも、あるいはそれだからこそ望むのかもしれない。

「雨を拒む歌、を止めたいのは確かだが」
 オーマの示したルベリアの花。
 それによって知った人形の望みは確かに雨を降らせる事だろうけれど。
 望む歌を歌って、望む相手に語り掛けたいのだろうか。
 所詮、当人ではないのだから気持ちは知る事など出来ないが推し量る事は出来る。
 絶えぬ歌を聴く傍らで、羽月が動く気配を感じた。

「安らかに息を引き取るだけでも雨は止むだろう。だが、望みを聞きたい。その歌を止める術は他にもある――貴方が真実、望むものはなんだ」

 歌声さえ打ち消すかと思う羽月の凛とした声が響く。
 己の意思では止まらぬ歌人形の歌だけがどれだけ流れたのか、ややあってルベリアが揺れた。

『うた、を』


 贈りたいの。


** *** *


 雨足が僅かに強まった気がする。
 空の重苦しさに見合った降りには遠いが、ぽつぽつと地面に思い出したように滲む染みの数が増えた。

 伴うは羽月の能力によって作り出された小さな人形。
 歌人形の外観に似た、けれど遥かに小さな乳幼児程度のそれを抱いて羽月は歩く。
 彼の後をオーマとオセロットがついて歩き、幾つかの人面草も更にその後ろから従って向かう先は荒れた、供えるなにものも無いおそらくは墓地である筈の。
 ざりと細かな石だか乾いた土だかを擦りながらそれぞれに足を止める。
『ここ』
 羽月の腕の中で人形がかたりと揺れて、音がそこから落ちた。
 重ねて明確な言葉が短く響く。ルベリアの偏光色は、曇天の下で儚い。
 軋みも無く人形の腕が幼子のように頼りなく彷徨ってから一点へと伸ばされると、三人はそちらへと再び向かう。言葉は無い。
『――花が』
 吐息のような声。いや、思念と言うべきなのか。
 す、と洩れる音。

『花がとても綺麗に咲く街だった』

『雨上がりの緑が光に揺れて眩しくて』

『みんな笑顔で』

 小さな人形が抱くルベリアの色が凍える程に薄く硬い印象のそれになる。
 その特殊な作用が手伝って人形の中に残った意識の記憶がまた、広がって。

 歌い続けて雨が止んで、皆は再び降る雨を恐れて。
 助け合っていたのに。
 支え合っていたのに。
 人形の中に残した気持ちと声を。
 誰もが向かう場所へと送らせなかった。

 人形なのにぶると身を震わせる。
 その小さな身体を羽月が僅かに強く抱き締めれば、オセロットが気遣う様子で瞳を向け、オーマはついと人面草を一体ルベリアと合わせて人形の腕に抱かせる。羽月は流石に顎下の人面草にはいささか引き攣らないでもなかったが、口端をきゅうと引き結んで言葉は控えた。
 さして広い訳でもない。
 すぐに辿り着いた場所に他と同じく荒れた墓。
 言われなければ墓とも解らないそこで、人形が望む位置に下ろしてやる。
 かたりと下ろされたその下には『貴方』が居るのか『お婆さん』がいるのか。
 ちりと揺れるルベリアがまた色を変える。
 ありがとう、と不思議と明瞭に聞こえた人形の精神にそれぞれの表情で返してから周囲を見ると見事に何もない涸れた土ばかりであった。
 あちゃあとオーマが頭を掻く間にオセロットが上着を脱いで人形にかけている姿に羽月は内心で僅かに息を洩らした。オーマといい羽月といい彼女程簡単に脱いでしまえる装いではなかったので――理由は異なるが。
「しばらく、こうしていて頂けるかな」
「じき戻る」
「俺のイロモノフレンズが一緒にいるから安心しな!」
 言うなり再び街中へと戻る。
 示し合わせた訳ではないのだけれど、なにか。

 きっとこれから強くなる、雨を遮るものをと。

「汚れたな」
「なに、洗えば落ちるのだから構わない」
 瓦礫を器用に削ったり組み合わせたり、時にはオーマが力技というか能力であるのか不思議な筋肉的な何かを造りかけるのを押し留めたり、それなりに時間はかかったが完成した小さな家屋を眺めつつ羽月とオセロットが言い交わす。
 二人の前ではオーマが人形に抱かせていたルベリアの花を輝石化させている場面がある。
 そのしゃがみこんでいる巨躯の背後からなにやら訴える人面草。
「ん?」
 振り返ったオーマとなにやら意思疎通を図り、にこりと笑ったオーマが立ち上がると人形の傍らに収まった。
「……あれは?」
「もう帰るんじゃないのか」
「いやぁ、寂しくないように傍に居るって言うからよ」
 流石はフレンズ、とびしりと親指を立てる彼の向こうの少しばかり暑苦しい人面草の顔を眺めながら「そうか」とだけ返す。悪い事ではないし、とそのまま立ち去る事にした。
 人形には、もう声をかけた。
 これでいいと人形自身が言ったから作り上げた小さな家屋の中に休ませて。

 かつての名前さえも忘れる程に歌い続けた人形だけれど。
 朽ちるまで、後は朽ちるその時まで好きに歌うのだと言うから。


 ――オセロットがふと思い浮かべたのは、元の歌人形の姿だった。
 背を向けた瓦礫の小さな家屋。その中で歌っているらしく、訪れた時とは異なる歌色が粒を大きくしつつある雨の中耳に届く。それを耳に入れながら思い返したのだ。
 長い時間を今は墓地で歌う者と共に過ごしてきたそれ。
 歌い続けてその中で望みを抱いた存在は、オーマや羽月と共に今日、オセロットの見る前でその望みを叶えた。
 足元の瓦礫の感触を朧に知覚しながら歩く。
 そういえば、この世界に渡ってから幾つの出来事を見てきただろう。
 叶った事、叶わなかった事、正否も善悪も始まりも終わりも。
 いっとき関わった事柄のいかに多い事か。
 記憶の籠からそれらをちらりと引き出してみながら空を見る。
 曇天は変わらず頬を打つ雨だけが僅かに力を増していた。
「最後に会って行こうか」
 くるりと足を元の人形が居た場所へと向ける。
(多くの者が多くの望みを抱え、時には叶え、時には挫折し)
 いつかは全てが等しく――ただの像となった人形は、早々に朽ちるのだろうか。

(けれど結末だけは、みんな同じ)

 あえて視線を落とし、石段を踏んだ。


** *** *


 花は無いけれど、緑も無いけれど。
 せめて代わりになるかしら。


 涸れた土の上から土の下の人々へ。
 いつか花がいつか緑が見える頃まで。
 そうして声も気持ちも溶けるまで。


 ただ歌を私は歌う。
 雨は人が呼び拒むものではないもの。
 ただ歌を。
 私はただ歌を。



 ――貴方達へと贈り続ける。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【1989/藤野 羽月/男性/16歳(実年齢16歳)/傀儡師 】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。ライター珠洲です。
 歌人形の望みを聞いて下さり有難う御座います。
 個別部分も少なく弱いお話となりましたが、穏やかだったり優しかったりするプレイングでライターは嬉しく思いつつ書かせて頂きました。何度も書いては削除を繰り返した後の出来としては、如何なものでしょうかとビクビクしつつ。少しでもしんみりする箇所があればいいなぁと思いながらお届けです。

・キング=オセロット様
 少し距離を置く形の印象がどうしてもあって、全体に控えめな描写になってしまいました。
 剥き出しの優しさではないのだろうと思いながら、何気無い気遣いは常にされるイメージです……が、軍服はちょっと汚れただけですのでご容赦下さいませ。
 結末は同じ、と言いながら全てを投げ捨てている訳ではないプレイングはむしろライターがなんだか感動した次第です。