<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


麗しき廃城

●事の発端
 聖都エルザード郊外。
 青白い霧が濃く立ち込める中、針葉樹が鬱蒼と茂った森の奥深くに、それはあった。
 決して規模は大きなものではない。けれども、嘗ては栄華を極めた城――今では廃墟と化したそれ。
 対になっている門も、片一方は傾いた状態で茨が硬く絡みついている。まるで侵入者を拒むかのごとく、おどろおどろしい雰囲気に拍車をかけていた。
 とある貴族の持ち物であったのだが、年を重ねると共に権力は衰え、やがて没落。そのまま買い手も付くことなく、ここでこうして捨て置かれているのだった。
 ただでさえ不気味なこの廃城。
 誰も近づく者はいない。そのはずであったのだが……。

「いつの世も、くだらないことを考える者がいるものだ」
 呆れた様子を微塵も隠すことなく、ジャスティーナ・ソレイユは溜息をつき、濃い目のブラックコーヒーを煽った。
「怖いもの見たさという感情もまた、いつの世にも存在するものなのよ」
 オニキスのように濡れた黒の瞳をやや伏せ目がちに、やんわりと諭すは店主のエスメラルダ。小さくはあっても、艶やかな声音は良く通るものであった。
 ベルファ通り、黒山羊亭。
 抱えていた依頼の目途が立ったジャスティーナは、久しぶりに友人の顔を拝もうとこうして立ち寄ったのである。
 再会を大いに喜び合い、世間話も一段落が付いた頃、不意にぽつりと漏らしたエスメラルダの言葉。
「エルザード郊外の廃城で、行方不明になっている娘がいる」
 ジャスティーナがその情報に食らいつくのに、時間はかからなかった。いや、むしろ瞬刻であったといっても良い。その証拠に、眉根を軽く潜めていても、目は聡い光を湛えている。

 そもそもの事件の始まりは、カルロとアリーアという一組のカップルであった。
 普通ならば決して近づかないであろう廃墟も、彼らにとってはスリルと興奮で満ち溢れている。若い者同士、こういった場で深夜に密会を楽しむのも、また乙であるということなのだろう。
 ランタンを手に、面白半分で城内に侵入する。ほんの肝試しの遊び感覚であったのだ。
 だが、それが仇となってしまう。
「ねえ、やっぱりこういうのって良くないんじゃない? 帰りましょうよ」
「アリーアは怖がりだなぁ。大丈夫だって!」
 娘の手を引きながら、わざと元気よく励ましてみせるカルロの声も、どこか恐怖の色を含んでいる。
 その時、背後で何かが蠢く気配があった。悲鳴を押し殺しつつさっと振り返るも、闇の色が濃すぎてよく見えない。カルロが気配の主を確かめようと、そちらへランタンを高くかざした瞬間――
「きゃあぁぁぁっ!!」
 廃城に轟くアリーアの鋭い悲鳴。
 繋いでいた手が勢いよく離れ、同時に彼女の身体がずるずると何者かによって引きずられて行く。

「で、女性を見捨てて逃げ帰ったというわけか」
 憮然とした表情で、2杯目のコーヒーをお代わりする。
「あたしを睨み付けてもしょうがないでしょう。貴女のように、強い者ばかりではないの。まして彼らは一般人ですもの」
 エスメラルダが苦笑気味にコーヒーを注ぐと、カップを再び机上へ置いた。

 命からがら戻ってきたカルロによってもたらされた情報は3つ。
 その1、外見だけでいうならば、敵はモンスターというより人型であった。
 その2、辺りには微かに異臭(血の臭い? 腐臭?)が漂っていた。
 その3、アリーアは北側の広間へ運ばれていったらしい。

「暗がりの出来事だし、何より気が動転していたということもあって、どこまでが本当かは分からないけれど。実際は現場に行って調べてみる必要があるかもしれないわね」
「カルロ自身は……」
「ショックで寝込んでいるわ。この情報だって、やっと聞き出したのよ。彼に確かめようとしても、これ以上は望めないでしょうね」
 気だるげに首を横に振ってみせるエスメラルダに、ジャスティーナはゆっくりと頷いたのであった。

●回廊
 城というものは有事の際のため、隠し通路なども多い。地の利においては、敵が優勢。ならばそこを通るのは危険というオーマ・シュヴァルツの案により、一行は小細工することなく正面より潜入していた。そのオーマ、今は子犬程度の銀色の獅子となって、散策に勤しんでいる。
「へぇ、嘗ての城の持ち主でも、まだ死にきれないでいるとか? 怪談っていや夏だろうに、冬の怪談も珍しいこった」
 足元のオーマを蹴飛ばさないよう、用心しながら歩を進めるは倉梯・葵(くらはし・あおい)。皮肉げな笑みも、彼の端正な顔立ちには良く似合う。今回の敵に対して大いなる興味を抱いている葵の本音が、そのまま露見している台詞だ。
「異形と退治するは久方ぶりだが、怯えている女性を放っておくわけにもいくまい」
 敵に感づかれぬよう最小限の灯りのみということで、キング=オセロットが用意したカンテラを掲げて、藤野羽月(とうの・うづき)が葵の後に続く。
 灯りで照らされた皆の影が、何倍にもなって廊下の壁にちらちらと映っている。ともすれば、闇の生き物がそこに潜んでいるかのようにも見えた。勿論、その程度の事象で臆する羽月ではない。

 破れた窓ガラスの隙間から、厳しい寒風が吹き込んでくる。華やかなる陽光が燦々と差し込むものであったはずのそれも荒れ果て、見る影のない有様だ。
 カルロとアリーアにとって、今こそが黒き神による試練の時でもあるだろう。彼の女性に安息があるよう祈る清芳(さやか)のヴェールが煽られて、漆黒の髪が露になった。
「足元に気を付けて下さいね」
 新しい血痕の有無、埃や蜘蛛の巣の状態、内部に茂った苔などの植物が倒れた方向に注意しながら前方を進む馨(カオル)がちらりと振り返り、彼女の手を取る。
 もう一方の手には、城内の間取り図の写しが握られていた。前もってエルザード城の図書文献に古城の持ち主の記録がないか調査してきたのである。
 といっても、得られたものは極々微々たるもので、歴代城主の名や出生没年月日、簡素な家系図程度であった。間取り図とて、抜け落ちている箇所がいくつもある。抜け道、隠し部屋などは記載されていない。オセロットが念のためにと、マッピングを行っていることから考えても、かなり簡略的なものといえよう。
 元々、城の所有者である貴族――ブーゲロッテ家は、さしたる権力を所持していたわけではないのだ。見方を変えれば、その程度の貴族に相応しい詳録量なのかもしれない。
 古今東西のあらゆる書物があるのではないかと噂されるガルガンドの館なら、あるいはもう少し得られるものがあったのではないかとも、今更ながら馨は1人、心の中でごちた。

 ブラド・ブーゲロッテ3世。
 ブーゲロッテ家第13代目の子孫にして、最後の当主でもあった人物。没後、80年近い年月の経過と共に、人々の記憶からは既に忘れられた存在――過去の人である。
 29歳のブラドが当主としてその地位に着いた時、既に家は傾いていた。それでも彼は贅沢とは無縁な性格であったらしい。一般的な貴族とはかけ離れた質素を好んでいたようで、「身一つあれば何とでもなる」という信念を生き様から貫き通したという。貴族としての誇りなど、微塵も持ち合わせていない無骨な男であった。
 そのブラド、31歳の時に1人の娘を娶っている。やはり貴族の娘であった。決して悠々自適の生活とはいかなかっただろうが、それでも最愛の妻とのひと時は幸福なものだったに違いない。
 だが、時は止まることなく、幸せもまた長くは続かない。因果なものである。
 間もなくしてブラド夫妻は疫病の魔手にかかり死去。ブーゲロッテ家の歴史は幕を閉じた。
 悲しき廃城に込められた謎とアリーアを追って、一向は進んで行く。

●北の広間
 北側の広間に近づくに連れ、異臭は濃くなっていた。それはつまり、敵の懐へ近づきつつあることも意味している。
 しかし、オーマが具現能力(霊視)で探ってみても、エスメラルダから与えられた情報以外に得られるものはなかった。何か、強大な力によって邪魔されていると言うのだ。
「輩の能力は不明、安全に見える場でも目がどこに潜むか知れず、か」
 軽い舌打ちの音も、虚しく響くばかり。
「今も広間にいるとは限らんが……敵は単体なら向こうから来るだろ」
「ふむ。人質を盾に取られることも考えて、まずは早急に女性の保護を優先するべきだろうな」
 葵とオセロットの意見に、他の面々が異議なく頷く。

 北の広間前――。
「アンデッドによる操作が出来れば何よりだが、ここには死体がない。……自らが赴くしかなさそうだな」
 すっと目を細めて、広間のドアをねめつける清芳。どこから侵入したのやら、城門同様に茨が絡んでいた。初夏になれば枝の端々に可憐な花を付けるそれも、今は行く手を遮る厄介な仕掛けの1つに過ぎない。
 この事態を引き起こした化け物には、相応の罰を受けてもらわねばなるまい。娘の安否を思えばこそ、一層その想いも強くなるというもの。
 金剛杵をぎゅっと握り締める彼女の足元で、
「そんじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
 と、身軽な銀獅子オーマが、もそもそと茨の蔓延っていない通気口の中に潜っていく。
 この広間が罠という可能性も捨てきれない彼は、一網打尽を警戒し、偵察へと向かったのであった。

 何となくその場が無言になった頃、
「広間と言えば面白い話がある。私がかつていた場所にて、洋物に詳しい人物より聞いたことなのだが……」
 おもむろに、羽月が切り出す。
「ある婦人の話をしてくれたのだ。彼女は美しい女性ばかりを広間に集め、手伝いたちにその首を切らせ食事をしたという。無論、流れ出る血に自らの身体を浸す事も忘れず……」
 歴史上のさる人物であり、実話である。
 ますます怪談じみていく廃城の廊下に、一際鋭い一陣の風が駆けて行った。
「すまん、聞いていて気持ち良い話ではなかったな。だが、その様な気味の悪い者がいるのも確かな話だ」
 思案気にふっと目を伏せる。
 生真面目な羽月がこの状況下でこういった話を持ち出したのは、そういう意図からである。アリーア救出は火急を用するのだ。
 ややして、オーマが帰還する。
「中は蛻の殻だった」
「殻だと?」
 張り詰めた空気が一同中流れていただけに、オセロットは心底拍子抜けした。鸚鵡返しに答えたのが、何よりもその表れであった。
 とにもかくにも、一度自らの目で中の光景を確かめるべく、茨を断ち切ろうとナイフを構える葵。その行為を止めたのは馨であった。
「私にお任せ下さい」
 微笑を含んだ意味深な唇。言葉に違うことなく馨が地術師としての力を振るえば、難なく茨は冒険者達へ道を譲る。

 広間は予想以上の荒れ具合であった。あまりの酷さに、皆が息を飲んだ程である。
 テーブルに椅子、燭台など、ありとあらゆる物があちこちで引っ繰り返り、黄ばんだレースのカーテンは無残に垂れ下がる。果ては何枚もの羊皮紙と、割れたシャンデリアが床に散らばっている始末。
 唯一、時の流れに逆らいつつ、どうにか原型を留めているとすれば、あの立派な暖炉だけだ。
 それでも油断することなく、一行は慎重に踏み込む。
 と、ジャスティーナが何かに興味を持った様子で、壁際へと吸い寄せられるように向かって行った。大小の額縁。それが方々に傾いだ状態でびっしりと掛かっていたのだ。
 これは、代々の当主とその家族達の絵だろうか。ブーゲロッテの栄華を漂わせる作品もあれば、悲壮感剥き出しの肖像もある。
 ただ、全てに共通しているとすれば、何者かによって切り裂かれているということ。刃物傷というより、爪で引っかいたような痕である。まるで、獣のような……。
「おい、これ……」
 あれこれとジャスティーナが考えを廻らせていると、テーブルの脇で葵が何かを発見したようだ。皆が集うと、ひびの入った大理石の床を指し示した。
「何かを引き摺った痕だな、これは」
「アリーアが連れ去られる時のものか」
「それだけじゃない。よく見てみろ」
 羽月と清芳が葵に言われるがまま、暗がりで目を凝らせば、それより逸早く馨から声が上がる。
「獣のような足跡と、踵の高い靴跡――靴は大きさからして、多分女性ものでしょう」
 ということは、敵は単体ではなさそうだ。少なくとも2人はいることになる。
「だがしかし、ここでないとするならば、娘はどこに連れ去られたのか」
 顎に手をやり、首を傾げるオセロット。このような状況でなければ、彼女の仕草は実に優雅であったことだろう。
 もっとも、皆が床に這いつくばって埃塗れになった結果、オセロットの問いは難なく解くことが出来た。奇妙な足跡が暖炉へと続いていたのである。よくよくその辺りを調べてみれば、
「隠し扉があるぜ。こっから別の部屋へ続いているって寸法か?」
 暖炉の中から出てきたオーマは、頭から灰を被って白獅子となっていた。それら全てを、ぶるぶると身体を揺すって払い落とす。
 痕跡を隠そうともしない。敵は、それ程までの相手であるというのか。

●地下
 暖炉の扉は、大人1人がやっと通れるくらいのもので、地下へと石段が伸びていた。特筆すべきは一定の間隔ごとに据えられた吊るしランプに、炎が灯っていたことである。
「はっ、どこまでも余裕綽々で侵入者を歓迎するってわけかよ」
 毒づく葵。苛立ちが微かに滲み出ているが、それは皆の気持ちを代弁したにすぎない。ランプの芯が燃える僅かな音も、今は耳障りなだけだ。
 空気中にめいっぱい含まれている黴と埃の臭いが、酷い異臭によって掻き消されている。気分が悪くなりそうだ。
 もしも、ここで敵襲に遭ったなら――清芳はそう思うだけでぞっとするのであった。おまけにアリーアを盾にされては十中八九、こちらから手出しは出来ないだろう。
 自然、石段を降る速さも増すというもの。

 清芳の危惧の念に反して、辺りは沈黙を保っていた。
 一行の足音以外、聞こえるものはない。
 無限にも続くと思われた石段は、やがて終着点へと差し掛かる。前方に、木製のドアが姿を現したのである。驚いたことに、今まで目にしてきた廃城の有様とは異なり、朽ちてもいなければ、傾いてもいない。
「ここは頻繁に出入りがあるという証拠。建物とは、人が住まねば荒れていく一方だからな」
 羽月の持つカンテラによって、浮かび上がるドア。何の変哲もないこれを隔てた向こうには、冒険者らの予想に違うことのないものが待ち構えているだろう。
「行きましょう」
 馨の静かな声が、闇に響く。

 ギギィ――……
 ぎくりとするような油切れの蝶番の音に後押しされつつ、各々の武器を手に部屋へと入る。
 目はすぐに慣れた。石段のランプと同じものが無数に吊るされていたし、大きな松明も掛けてあったがためである。
 思いの他、内部は広い。それがオーマの最初の感想であった。
 入り口から真正面に祭壇があり、大きな燭台が2つ、左右から祭壇を照らし出している。背後に祀られているは聖獣、デーモン像か。但し、首は刎ねられていた。
 地下礼拝堂。ここは、祈りを捧げるべきための空間なのだ。
「来客がこのようにあったは、何十年ぶりかのう?」
 不意に、女の声が辺りに木霊した。寒々しいまでに混じり気のない澄んだ声。
 声の主を追って、こうべを回す羽月。蒼のまなこが女を捉える前に、半開き状態だった入り口のドアが勝手に閉まった。
「なっ! 開かない!?」
 清芳が取っ手に手をかけ、力づくで開けようとする。だが、外側から閂が下ろされたかのごとく、びくりともしない。
「折角ここまで参ったのじゃ。ゆるりと寛がれよ」
 デーモン像の影から姿を現した艶やかな椿柄の着物を纏った長い漆黒の髪の女――容姿だけで判断するならば、20代後半程度といったところか――が、扇子で口元を軽く押さえている。
 『見目麗しき憂いの貴婦人』という表現がぴったりな女性であった。動作1つからして流れるような立ち居振る舞いは、まるでこの世の者とも思えぬ美しくも残酷な印象を放っている。
 彼女の登場により、室内は禍々しい威圧感で満たされていった。
「さらった女性をどこにやった?」
 からからの喉からついたオセロットの疑問へ答える代わりに、貴婦人が閉じた扇子をゆっくりと部屋の隅に向ける。一段と濃い闇に包まれながら、アリーアがぐったりと横たわっているのが見て取れた。
「清らかな娘の鮮血、誠に甘露であった」
「やはり、吸血鬼か」
 表情1つ変えずに、羽月がぽつりと呟く。
 実は黒幕が吸血鬼ではなかろうかとは、一行の殆どが薄ら予期していたことである。
「安心せよ。辛うじて生かしてあるわ。本来なら、我が城の侵入者故、命を奪うところであったが、それでは面白味に欠ける。とはいえ、このままでは長くは持つまいがな」
「では、全てはわざと……?」
 この女によって、仕組まれたことだと言うのか。オーマが牙を剥き出す。
「ふふ、冒険者風情にも賢き者はいるようじゃ。そう、この娘は餌よ。あるいは我が手を逃れたあの間抜け面の青年がのこのこと現れるやもと思うたが、それよりも少しは楽しめそうじゃのう」
 一同をぐるりとねめ回し、貴婦人が満足気に頷く。

「お前は何者だ?」
 ジャスティーナがレイピア『ヴァルキュリエ』を手に、女を見やる。
「わらわはこの城の住人。現当主。それ以上の説明は不要じゃ。死に逝く者にとっては、殊更よ」
 どう見てもブラドではない。彼は既に故人の身である。しかも女性ではなかったはずなので、別人と考えるのが妥当なわけだが。
 ならばこの者、我が物顔で主のない城を闊歩しているということになるのだろうか。
 今にも切りかからんばかりの体制を崩さないジャスティーナを制し、馨が静かに口を切った。
「世は善悪二元で割り切れるものでなし、互いに傷つかずに済む方法はないものでしょうか?」
 淡々と諭す彼の言葉に、次第に貴婦人の笑みが消えていく。
「わらわがそなたらと馴れ合えと申すか。笑止の至りよな。全ては己が偽善を満たすにすぎん戯れ言よ」
「それは違います。私がこうして意見を主張するように、貴女にも貴女なりの価値観がおありでしょう。以心伝心なんて長年連れ添った夫婦にだって、そうそう容易いものではありません。話していただかなければ、何も始まらない」
 話が進むにつれ、憎悪の炎を漆黒の瞳に灯す貴婦人。誰かを恨まねばこの世に留まれぬかのごとく、それは暗く激しく勢いを増す。
「そなたには、世の理から説かねばなるまいか。光あるところに闇は生ずるもの。切っても切れぬ間柄にも関わらず、決して相成れぬ存在もまたあるのじゃ。それがわらわとそなたの縁(えにし)と思え」
 何をそこまで憎む必要があるのか。目を見開く女性の形相は夜叉のそれであった。
「口が過ぎたな」
 ややうんざりした様子で小さく息を付くと、女はおもむろに片腕を突き出して、掌を下へ向ける。
「わらわの手を汚すまでもない。否、今のそなたらではわらわの相手は出来ぬ。出でよ、我が僕達」
 彼女が皆まで言う間もなく、聖堂の床に幾何学模様のような魔方陣が浮かび上がったかと思うと、暗黒の瘴気を放つ異界の者が這い出てきた。
「見縊られたものだな」
「丁度、腕が鈍っていたところだ。準備運動にはもってこいだ」
 オセロットが息をつく傍らで、清芳が軽い笑みを浮かべる。
「彼奴を見事打ち倒すことが出来たならば、褒美に娘は返してやろう。わらわに余興を見せてたもれ」

●戦闘
 召喚された魔物は、2足歩行の狼のような容姿であった。「ような」と形容するのは、眉間の辺りから鋭い一角が生えていたからである。狼にも、まして他の生き物にも属さない。あえて表現するならば、それは「異形の者」。
「まるで何かのホラー映画のようだが……しかし、やれやれ、それが現実に起こるのだからな、この世界と来たら」
 苦笑を隠せないオセロットであるが、構えた銃口はしっかりと魔物の足を狙っている。移動手段を奪う作戦だ。
 あの女はこいつを倒せば、娘を返すと言った。とはいえ、相手は魔性。どこまで信用出来るかも怪しいところだ。ここは連携で一気に攻めて、蹴りをつけるしかない。
 前衛のオーマが巨大な獅子へと変貌し終えると、咆哮を上げた。揺らぐ空気に魔物が一瞬たじろぐ。今だ。
 ――パァン、パァン!!
 能力『神の眼』によって、五感を最大限に引き出したオセロットが、躊躇うことなく引き金を引いた。乾いた銃声が轟くよりも先に、鉛が魔物の両太股の辺りを貫く。
「グオォォォッ!!」
 天井がばらばらと落ちてきた。この部屋だけ手入れが行き届いているとはいえ、やはり廃墟の1つである。派手に立ち回れば、たちまち瓦礫と化してしまうだろう。
 銃弾を浴びて、少しでも魔物の動きが鈍るかと思いきや、逆に怒り狂って力任せにこちらへ突進してくる。そこへオーマが躍り出た。
 獣と獣が激しい威嚇の声を撒き散らして、互いにがっぷりと組み付いている。押しつ押されつのこの勝負、少しでも気を抜いたものが敗者となる。
 低い唸り声が瞬時に甲高くなると同時に、オーマの爪が魔獣の左目を突き、また魔獣の牙がオーマの右腕に刺さった。
 魔物が口の端からだらだらと唾液を流す中、しなやかな動きで咄嗟に身体を離すオーマ。

 状況を見紛うことなく馨が漆黒の鞘から抜刀し、一気に踏み込んで切りかかっていく。大人と子供程も違う身の丈も、彼にとっては問題ではなかった。無駄のない動きで、闇雲に突き出される魔物の爪をひらりと交わしつつ、刀を振るう。
 と、荒縄のような魔物の尾が、ひゅっと空を切って足払いをかけてきた。予期せぬ攻撃に体制を大きく崩してしまった。馨にかぶさって、その喉仏に食らいつかんとしたその時、
「迷わず受け取るが良い。仏のなす裁きを」
 真っ直ぐに魔物へ向けた三叉の金剛杵より、『ブラックホーリー』が放たれる。対象に聖なる力を集中し、ダメージを与える攻撃魔法であり、邪悪な者は魔法抵抗ができないこの技、僧兵の清芳ならではの聖なる制裁だ。
 その間にジャスティーナが馨の服を掴んで、助け起こす。

 清芳の術に束縛されている隙に、羽月の『フリーズ』の魔法が続いた。だが、動きを鈍らせる魔法は僅かに逸れて、左腕に凍傷を負わせたに過ぎなかった。
「この程度では効かぬか。では、致し方あるまい」
 すっと目を閉じ、神剣『非天』の召喚に取りかかる。藤野家に伝わる神剣である。藤野家の長子にしか抜けず、またそれ以外の主を認めない剣でもあるこれは、「斬れぬものなし」といわれていた。
 現れた刀を抜き放ち、金色の炎を纏いつつ魔物との距離を縮める。オーマの潰した左目のおかげで遠近感を掴めないでいる魔物の振り上げた爪も、虚しく空を描くばかり。そこへ羽月が神剣を叩き込む。
 深手を負う魔獣。
 雨霰と続く攻防戦。

 非科学的な事は信じたくないが、ここにいるとそうも言ってられないからと、葵は念のために銀弾を用意していた。
 魔物は銀に弱いという性質を持っている。もし邪なるものが相手であるならば、これは有効手段であると考えてのことであった。
 出来れば、あの女に用いるべき武器であったかもしれない。けれど、魔物は皆の攻撃を浴びて、そろそろ限界にきているだろう。今、確実に仕留めねばならないのは、この荒れ狂う獣なのだ。
 羽月と組み打つ魔物へ葵が銃の照準を合わせた。
 だが――魔物の唇が僅かに動いているような気がして、彼は引き金を引く手を止めてしまった。
 何か、言っている……?
 訝しくもよくよく見れば、呟いているようにも感じられるのだ。
(「……ロ……セ…………。私ヲ……殺、シテ……クレ……」)
「!?」
 確かに魔物は自分を殺してくれと言っている。どういうことだ。こいつは女の僕、穢れの者ではないのか。
 躊躇する葵。
 そこへ
「無駄口を叩くでない。興が冷めてしまうではないか」
 件の貴婦人が扇子を一振りすると、傷だらけの魔獣と冒険者達の間に黒き衝撃波が巻き起こった。敵味方がそれぞれ聖堂の端へ吹っ飛ばされる。
 何という力であることか。今の自分達では相手にならないと言うあの女の言葉は、あながち嘘ではないようだ。

「何を躊躇う? 早う止めを刺さぬか。我らを殺すつもりで勇んで来たのであろう?」
 今の衝撃波で、相当のダメージを食らっている魔物の息の根を止めろと、彼女は言っているのである。猫撫で声で一同の顔を伺う女。彼女は、心底この地獄絵図を楽しんでいる。死闘は余興であり、血と涙は最高の美酒であると言わんばかりに。
「貴様ぁっ!!」
 命を弄ぶ女の態度にぎりりと奥歯を噛み、立ち上がったジャスティーナが、満身の力を込めてレイピアを投げつけた。
 風を切り、一直線に貴婦人の心の臓を貫く。
 手応えはあった。それなのに、女はただただ可笑しそうににたりと笑っている。
「ほんに非力過ぎるのも、また罪というものよのう」
 と、次の瞬間、女の姿が紅の花弁に包まれる。椿の花だ。死臭ばかりが漂う聖堂にそぐわない芳しい香りが混ざる。
「ふふ、今宵の宴はここまでか。再び、そなたらと剣を交えることも遠くあるまい。わらわは椿。『椿の君』と見知り置け」
 声が徐々に遠ざかるにつれ、椿の嵐は収まっていった。カランと音を立てて、ジャスティーナのレイピアが床に転がる。

●過去
 オセロットが我に返り、真っ先にアリーアへと駆け寄った。大丈夫。衰弱しているが、まだ息はある。
「わ、私は……?」
「我々は貴女を救いに来た冒険者だ。何も言うな」
 水をゆっくりと飲ませてやると大分落ち着いたのか、そのままオセロットに身体を預けて気を失ってしまった。

 あの女――椿の君が去り、呪縛が解けたかのように魔物はもはや、一行に牙を向ける素振りは見せなかった。荒い息を繰り返し、祭壇の前に横たわっている。
 殺気が感じられないことを確認すると、葵がゆっくりと近づいていった。
 魔獣は濁ったまなこだけを動かして、葵に焦点を合わそうとしているのだが、それもままならない。
 先程と同じく微かに動かす魔物の唇に、羽月が耳を寄せる。
「……我ハ、ブラド……」
「!!」
 何と、この魔物こそが廃城の最後の当主、ブラド・ブーゲロッテ3世であったというのか。
 皆が動揺を隠せない中、魔物は更に続ける。
「北ノ広間……額縁ノ裏、ヲ…………」
 喉から懸命に声を搾り出してそれだけ伝えると、魔物は1つ、大きく息を吐き出して、それきり動こうとはしなかった。

 ブラドを名乗る魔物に言われるがまま、もう一度北の広間へと引き返した冒険者一行。
 ずっと銀獅子の姿で行動していたため、満身創痍となってしまったオーマを馨とジャスティーナが支える中、他の者達で額縁の裏を虱潰しに調べた結果、清芳が一通の封筒に入った手紙を見つけた。
 開封してみると、殴り書きの文書でこう記されていたのである。

『最近、城内で妙な出来事が頻発している。
 体内の血が全て抜き取られた鼠や蝙蝠の死骸が、庭のあちこちに散乱しているというものだ。首筋には獣の牙を付きたてたような、2つの穴が開いている。まるで、吸血鬼という魔物が獲物を貪るあの有様に酷似しているではないか。
 とはいえ、被害が鼠や蝙蝠だけならば、私はさして気に留めなかったかもしれない。
 状況は次第に激化していくこととなる。

 野良猫、野良犬と来て、次は料理人の飼い猫。馬小屋に繋いでいた栗毛馬がやられた時は、流石に私も身の危険を感じ始めていた。
 もしや、城の者の仕業ではあるまいか、と。
 1人、また1人と城を後にする者が日々増える中、私は手を拱いているばかりであった。しかし、これは全てそのような甘さが招いた事態といえよう。
 ついに若い娘が狙われたのである。我が妻の次女だ。
 何ということだろう。悪夢。まさにこれは悪夢を見ているようだ。
 もし、次に愛しい妻が魔物の毒牙にかかったとあっては、私は生きていけない。

 だが、私はついに見てしまった。この憎き魔物の正体を。
 妻の寝所を訪ねた時のことだ。これは到底信じたくないことだが、その夜は既に来客があった。1ヶ月前、庭師として雇った若い青年が妻と共にそこにはいた。
 ベッドで眠る青年。若々しい肉体に覆いかぶさる妻。彼女は若者の首筋に牙を突き立てたのである。
 妻こそが、一連の事件の犯人であったとは。
 彼女は、音を立てて美味そうに青年の血を啜っていた。

 妻への愛情が一気に冷めると同時に、気が狂ってしまいそうだった。その半分は、少なからず庭師に対する嫉妬の念があったからかもしれないが。
 とにかく、あの化け物をこれ以上野放しにしておくわけにはいくまい。
 そう思い、数ヶ月前から内密に作らせた地下礼拝堂にて、今宵、彼奴を封印する。例え刺し違えて命を落としたとしても、最愛の者と信じ、裏切られ続けていた私に、今更失うものなどあろうか。

 これを手にした者があるならば、どうかあの礼拝堂には一切触れぬよう。そして、二度と封印を解いてはならない。

 ブラド・ブーゲロッテ3世』

 あまりにも凄まじい内容に、一同は発する言葉を失った。
 妻とは、つまり椿の君を指している。では、ブラドがあのような姿へと変貌してしまったのはなぜなのか。
 それはきっと、何らかの秘術を用いた椿の君の仕業なのだろう。あのような強大な力の持ち主である。人1人を異形の者へと変えることくらい、容易いに違いない。
「信じていた人間、それも最愛の者に裏切られるなんざ、悲しい話だな」
 切なげに首を振って、溜息を吐き出すオーマ。
「それでも、嘗ては美しい城であったはず。やがて緑と花に埋もれた優しい場所になりますよう」
 馨に続いて、全員が黙祷を捧げる。
 その願いは、ブラドへ、そして城へ届くだろうか――。

 多くの謎が残ってしまったまま、帰路へと着いた一行。一先ず今回の依頼自体は解決したが、随分と後味の良くない結果ではある。
 唯一、アリーアが無事であったことと、それによってカルロの病状が回復に向かっていることだけが救いであった。
 椿の君が最後に言っていた通り、近いうちに彼女とはまみえることになるかもしれない。
 その時まで、冒険者らへ安寧のひとときあれ。


―End―


【登場人物(この物語に登場した人物の一覧)】

◆倉梯・葵(くらはし・あおい)
整理番号:1882/性別:男性/年齢:22歳(実年齢:22歳)
職業:元・軍人/化学者

◆オーマ・シュヴァルツ
整理番号:1953/性別:男性/年齢:39歳(実年齢:999歳)
職業:医者/ヴァンサー(ガンナー)/腹黒副業有り

◆藤野 羽月(とうの うづき)
整理番号:1989/性別:男性/年齢:17歳(実年齢:17歳)
職業:傀儡師

◆清芳(さやか)
整理番号:3010/性別:女性/年齢:20歳(実年齢:21歳)
職業:異界職(僧兵)

◆キング=オセロット
整理番号:2872/性別:女性/年齢:23歳(実年齢:23歳)
職業:コマンドー

◆馨(カオル)
整理番号:3009/性別:男性/年齢:23歳(実年齢:27歳)
職業:地術師

※発注順にて掲載させていただいております。


◇ジャスティーナ・ソレイユ
NPC/性別:女性/年齢:20歳
職業:剣士

◇その他NPC:カルロ&アリーア/ブラド・ブーゲロッテ3世/椿の君/エスメラルダ


【ライター通信】
 明けましておめでとうございます。そして、初めまして、もしくはこんにちは。ライターの日凪ユウト(ひなぎ・―)です。本年も何卒よろしくお願い致します。
 この度は、黒山羊亭冒険記『麗しき廃城』にご参加いただきまして、誠に有り難うございます。そして、お疲れ様でした。
 
 今回、私にとって黒山羊亭初の依頼ということで、いかがでしたでしょうか。随分とシリアス調な上に純戦闘物……チャレンジ精神の名の下、執筆させていただきました。
 ご覧の通り、椿の君につきましては、現地点では謎多き女性であります。今後、彼女がどう物語に関わってくるのか、どうぞご期待下さい。

 クールな葵さんならば、きっと魔物の唇を読んでくれるはず、と彼の冷静な判断により、魔物の正体は明らかになりました。ちょっぴり悲しい結末になってしまいましたが、お気に召していただければ幸いです。
 なお、違和感などありましたら、テラコンにて遠慮なく著者までお申し付け下さいませ。

 それでは、またご縁がありましたら、どうぞよろしくお願い申し上げます。


 2006/01/05
 日凪ユウト