<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


■涙を遺した老いた魔女■



 最期の時に零れ落ちた一滴。
 それが地を潤す魔法になればよかったのに。

 今も響く歌。

 あの子は今も歌い続けているのだと思えばそれは。
 なんて悲しいのだろう。なんて、なんて、なんて。


** *** *


 涸れた土の亀裂は、そう容易く埋もれはしない。
 けれど降る雨の勢いは確かに強くなり、まだ小雨程度ではあったがいつかの時よりもしっかりとした雨足だった。

 オーマ・シュヴァルツがあえて雨に濡れるのはその想いを知りたいと想うからだ。
 ルベリアの花を一輪携えて、その花弁も雫に揺れて踊る。
 花に映る想いはあるだろうか。感じ取る想いはあるだろうか。
 器用に瓦礫を乗り越えて移動する足元の人面草が何かに気付いてその茎を捩ればその先には、墓所。そこに人面草が一体暮らしている。
「やっぱ親友だよなぁ」
 濡れそぼった身体を動物のように震わせて水気を飛ばし、オーマに先んじて移動し始めた人面草の後を追って歩きながらそう呟く。
 けれどそのまま墓所にオーマは向かうつもりは無かった。
 気配は感じるけれど、そちらに老いた魔女の想いはさほど感じ取れないから。
 まず知るべきは、魔女の想い。望み。
 その思念が残る場所、と言うならば。
「お前さんは、何処で最期を迎えたんだ」
 雨にもっと強い感情が染み込んでいればまた違うのに、衣服を湿らせ肌を走る雫は微かな、本当に微かな気配を感じさせるばかりだ。ただただ誰かを案じる朧な気配ばかり。
 遣る瀬無い。
 ふ、と肩の力を一度抜いてから魔女と娘の想い出らしきものを感じ取れる場所を探った。
 人面草が気にする墓所にも、一度足を向けるべきだろうとは、思うけれど。
 いっとき足を止めてオーマは思案する風にし、一度は逸らした足先を結局墓所へ。

「ただの魔法じゃねぇ」
 雨が無数に飛沫を上げて瓦礫の上で踊る。
「想いに応えて、そうして案じながらも掛けた想いの形だ」
 それは泣き伏す魔女の姿を脳裏に浮かび上がらせて、もしかしたら以前に見た歌人形の記憶の――送る事を許されなかった後の魔女の姿だろうか。悔いるばかりの記憶に男らしい面を歪めずにはおれない。
「結果は確かに大事だが……想いまで、悔いてくれるなよ」
 儚い雨音に溶けて歌が鼓膜を擽っていた。


** *** *


 墓地に踏み入れば、歌ははっきりと雨音を押しのけて聞こえ出す。
 いつぞやの歌と同じ声だけれど、まるで違う言の葉の音。
 今の器を作り上げた年若い、どこぞの異界から来た青年を思い出すオーマの前を先導する如く進む人面草。
「――よう、元気にしてたか」
 目当ての辺りに見えた影に呼びかけると、声の代わりに情熱的な視線でもって返された。
 今回一緒に来た人面草が、足というか根というか、ともあれそれを早めて駆け寄る先の同じ姿をしたものは、歌人形が街中でひとりきり歌っていた頃に共に来た人面草。歌人形の傍に、残ったのである。
 その小さな影の向こうに歌い手は居た。
 過日、最後に見た時と同じ姿勢のままただ歌っていた。
 いい加減に水気を吸って重みを増した衣類だとか、髪だとか、それらを一度はためかせてオーマはその正面に膝をつくと人形を覗き込む。傍から人面草が、まるでもう一体を紹介するように姿を見せていてなんだか微笑ましい。
「仲良くしてくれてたんだな」
 その人面草を指先で示して問う。
 笑うような気配が感じ取れて、抱いた輝石が雨の雫さえ光らせる。
「また、来たんだがよ」
 歌は止まない。
 懐で雨を遮るようにして抱く輝石。
『おばあさん?』
「……ああ」
 よもや言葉を――精神感応の類だったとしてもだ――投げられるとは思わず、瞳を瞬かせた。
 雨を遮る為に作った小さな祠のような場所で人形は歌い続けている。


 私を、自由にする約束をしたから。
 お婆さんは、自由になれないの。


 織り込むように響く人形の想い。
 雨が髪から滴り大腿に落ちては濡れた衣服を更に重くする。
 確かに涸れた街を潤すのだろうそれはけれどまだはるかに足りない。
「まあ、その辺は俺が確かめてくるからよ」
『本当に?』
「任しとけ。男に二言は無ぇ!」
 ただ、無闇と歩き回るばかりでは魔女の思念の残る場所を見つけるのにも時間がかかるだけだ。
「家の在った場所だとか、思い出の場所だとか、教えて貰えるか?あと、輝石をちっと貸して貰えりゃあお前の今と想いをこっちと通じて伝えられるかも知れねぇ」
『場所は、いいけれど』
「輝石は駄目か?」
 なるべくなら早く見つけ出して、そうして想いを伝えてやりたいと思うオーマの言葉に人形が予想に反して渋る様子を見せる。眉を上げて少し苦笑したオーマだが、その目の前で慌てて駆け寄る人面草達に支えられながら倒れかけた人形の姿。
「おい」
 オーマのフレンズがいなければ半ばを雨に打たれる形で転がしていただろう人形に声を上げる。
 歌はそれでも止まない。
 それはどこか痛ましい音で、墓所に立ち入った時の歌とは違う。
「……お前」
『だめよ。だめ』
 転がり出た輝石をオーマが拾う。
 人形の制止はそれに対してではない。
 人が、倒れたまま自分を見上げるようなイメージ。
 僅かに見開いた瞳を痛ましげに細め、オーマの大きな手が人形のあまりに小さな手を取った。
『だめ。私、が』


 此処にお婆さんも眠っているのに。
 けれど私の歌はお婆さんに聴こえていない。
 届かない。届かないの。
 お婆さんは何処で私を待っているか解らない。
 歌は、聴こえていないのでしょうか。


『私を連れて行って』
 そう言っているのだと知れた。
 静かに、心配そうに茎を曲げる人面草達の間から人形に手を伸ばして抱き上げる。
「この雨に、その『お婆さん』の気持ちがちぃっとあるんだが」
『何処かにいるの』
「そうだな。雨からは本当に少しだ。……だから、俺と一緒に会いに行こうじゃねぇか」
 応えの声の代わりにかたりと小さく揺れる音。
 歌を紡ぎ続ける人形の腕に、拾い上げた輝石を戻す。持ってきたルベリアも一緒に乗せると雨に揺れる花弁が時折輝石に触れては色を変える様が見えた。
 足元を人面草達がついてくる。
『雨からは解らない』
「そうか」
 あまりに朧な想いの糸端は、歌人形には掴めないらしく切なく落とされた言葉にまるで宥める風にしてオーマは軽く歌人形の身体を揺すり上げた。


 居なくなった人。もう居なくなる私。
 歌が好きで、好きで。
 だから雨を呼ぶ歌の代わりに拒む歌を。
 歌い続けられるようにとお願いしたの。
 けれど、けれど。
 その為に今も気持ちを遺すなんて思わなかった。


 動かない人形がただ歌う。
 けれどその想いはルベリアと輝石から強く感じ取れてオーマは雨に隠して息を吐く。
「お前の想いも、婆さんの想いも、結果としてこうだが――嘆くもんじゃねぇ。大事にして誇ればいいんだ」
 な、と足元のフレンズにわざと大仰に笑いかければ応えて熱く頷く二体の人面草。
 雨に濡れないようにと人形を覆って進むその空から落ちる雫。雨粒。魔女の涙とも思えるそれ。

 歌は、届かないのだろうか。

 そんな事は無い。
 想いは届く。届けてやろうじゃないか。
 むしろそんな気持ちで天を仰いでオーマは歌人形と共に墓所を出た。



 墓所を出てさほども歩かぬ内に、街中から現れた二人連れは見知った人間。
 藤野羽月、リラ・サファトの夫婦が連れ立って歩いて来る。互いにすぐ相手を認めてどちらともなく足を止めて話したのだ。
 羽月とリラが見つけた瓦礫の下の小さな雫の事だとか、気配だとか。
 或いはオーマが人形を連れて来た理由だとか。
 そうして互いに話しながら、そうして瓦礫の下で揺れる一滴の元に向かった。


** *** *


 オーマの手がそっと、人形を下ろす。
 雨に濡れないようにと覆いながらその一滴の傍に座らせれば、その小さな水が揺れる。
 理解している、と三人に思わせる反応だ。
「解るだろうか――この子が」
 濡れた地面に躊躇い無く誰もが膝をつく。
 じわりと染み込む冷たさはけれど気にするものでもない。
 下ろされた人形の肩に手を乗せて羽月が言う意味を、一滴の凝りは理解している筈だ。
 ぱたりとまた強く水音を響かせる。本当に、涙のような音。
「……解るんですよね……約束を、した人ですよね」
 リラの声にまた跳ねる一滴。その凝りは想いだ。
 滔々と流れる人形の歌声は途切れる事がない。羽月が造ったその身体は歌を強制するものではないのだから、人形自身が呼びかけているのだろうか。訴える、歌。
「こうしようか」
 オーマが腕を伸ばして人形からルベリアを摘み上げるとそのまま一滴の上に浸した。
「想いを、伝えてやるといい」
 どちらに向けての言葉であったのか、どちらにもであったのか。
 ともあれそれで、雨に打たれては揺れていた花弁が留まっていた雫を滑らせて――落ちる。広がる波紋。それはルベリアと同じように偏光色に滲み輝石がちりと雨粒を弾き。


 おそらくは死の床で訴えた娘。項垂れる老婆。戻らない誰か。
 雨が止んでも自由になれない娘。想いも歌も魂も送れない老婆。
『いつも一緒で、仲が良かったのに傍にも行けないなんて』
 雨は降らなくなって、けれど誰もが歌人形を止めようとしても魔女の手によるものは容易く壊せなくて、けれど魔女はもう弱って力を失っていて。
『せめて緑が消えないようにと思ったのに』
 土はもう涸れ始めていて、誰もが長くは保たない街を悟っていて、見る間に去って行く事が簡単に知れる場所に一人残される姿を思って。
『歌が聴こえ続けて雨は弱くて』

 糸のように細い息がリラの咽喉から洩れた。
 歌は聴こえていたのだ。けれど歌が変わった事が解らなかったのだ。

 最期の時にまで思ったのは歌を好んだ一人の娘。
 脳裏にまざと映るように思えるのは、魂が離れる時の眦に浮かんだ涙さえもを雨にと思う魔女の草臥れ果てて老いた顔。たった一滴のそれを動かない体の中で眼球だけで追い掛けて。
『歌い続ける魔法なんて』
 その雫が落ちていく様を見ながらどれ程に悔いた事だろうか。
 せめてあの子がどうなるかを見届けたいのに。こんな風に一人にして。
『緑も花も無くなる街に一人きりなんて』

 想いの結果を悔いている老婆の声にオーマはぎゅうと拳を握った。
 違うだろうと言ってやりたい。応えてかけた魔法を悔いるのは違うだろうと。

 ルベリアが触れる一滴が跳ねる。
 だから遺ったのだと言わんばかりに強く音を立てる。
 歌人形を想うあまりに気持ちを遺したその凝り。涙。

 羽月は、人形に触れたままでいたから揺れたその身体に気付いた。
 揺れて輝石がちりと鳴る。あるいは触れた音なのか。
 ルベリアの花に応えるようにルベリアの輝石が雨粒にさえも色を映す。
 震える歌声を励ますような思いをふと抱いて人形を静かに撫でる。
 歌は、とてもよく透った。雨を抜けて街にとても、よく。


 聴いて、聴いてお婆さん。

 呼び掛けるような歌声が、花と輝石によって垣間見えた一滴の凝りの内から三人の視界を戻す。
 ルベリアの、余韻でもあるのかもしれない。
 人形が魔女に語る言葉が気配で知れた。

 今は雨なんて気にしていない。
 ただ贈りたいだけ。歌を贈りたいだけ。
 いつか緑と花が戻るまで。

 ルベリアの花が示す色は、雨に隠れそうな程に薄い色。
 けれど優しい印象を覚える色だと誰もが思う。


「貴方がした事は間違ってはいない」
 静かに羽月が唇を開いたのは、本人の意図とは異なった。
 思ってはいても敢えて言葉にする場面でもないと噤んでいたのにするりと零れ落ちたのだ。
「そして人形がした事も間違ってはいない」
 けれど一度言葉にしたのであれば、と続ける彼の声に一滴が震えたようだった。
 雨に打たれたのではなくルベリアが揺れる。
「――あ」
 それを契機とでもいうように、一滴がじわりと広がり見る間に消える。
 歌人形の歌が響く中で、存在しなかったように。
 伝わった、と詳しくは知らずともそれを思った。
 ルベリアをオーマが拾い上げる。じっとそれを見る彼の足元を潜って人面草達が羽月の手に支えられている人形の傍に行き覗き込むのを眺めてリラは唇を綻ばせて。
 気付いたのは、誰というわけでもなかった。
 ただ、示し合わせたようにそれぞれが視線を一度逸らしてから一滴のあった場所に戻し――そこで、見たのだ。ルベリアの花弁から落ちた雫の辺り、波紋の中心だろう位置から小さく覗くそれ。

『おばあさん』

 歌が止まり、代わりに耳に届いた声。
 ああ、言葉を。
 歌人形がただ一言を落とした先にそれがある。
 瓦礫の下から弱々しくもしっかりと覗かせて。
 涸れて未だ割れた土も多い街中で。


 ひとかけらの、緑。


** *** *


 墓所に戻ると言う歌人形をゆっくりと下ろすやいなや、人面草達が傍に寄る。
「こりゃ、今回も俺は帰り一人だなぁ」
 おどけてオーマが言いながら、何気無く覗き込んだのはその小さな建物の影だった。
 ほんとうに、ひょいと動いた拍子に見てしまったようなものなのだけれど。

「…………おいおい」

 素晴らしいじゃねぇか、と沈黙の後に笑う。
 目を丸くして凝視してしまったのは勘弁して貰いたいところだ。
 だって、そこに見えたのは間違いなくオーマの手に持つルベリアの花で。
 群生とまではいかずとも、開きかけだの蕾だのがあるのだ。
 しばらくそれを眺めていたオーマは、幸せそうに笑うと魔女の一滴に触れたルベリアもまた其処に混ぜた。簡単に土を掘っただけであるのに見る間に自らで立ち花を輝かせる。
 次に来る事があれば、もう少し増えるだろうか。
 なんとなく今にも一面に咲きそうな気もする。

 勘、であるのか。
 何某かの予感に胸の裡を擽られてオーマはまた笑った。
 雨に濡れる事なぞ気にもならないまま。


** *** *


 あの子は今も歌っているけれど、優しい歌を歌っている。
 遠くにも近くにも聞こえる透る声のなんて眩しいこと。

 地を潤す程の力は無くても。
 最期の時の一滴から気持ちは広がる。

 ほら、その気持ちから。

 緑が生まれる。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1879/リラ・サファト/女性/16歳(実年齢19歳)/家事?】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【1989/藤野 羽月/男性/16歳(実年齢16歳)/傀儡師 】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライター珠洲です。ご参加ありがとうございました。
 色々とプレイングを活かしきれなかったりもしたのですが、優しいプレイングばかりを有り難く拝見しながら綴らせて頂きました。本当に全て活かせたら良かったのにと思います。

・オーマ・シュヴァルツ様
 人面草は更に居残りパターンです。
 ルベリアの花が本当に咲くといいなぁと思いながら、そのシーンは後日の予想という状態にしてみました。予感レベル好きです。
 オーマ様には歌人形に先に回って頂く形となりました。人面草の状況想像するのがちょっと楽しくて脳内で癖になりそうですね。