<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜暖かな炎に包まれて〜

 『精霊の森』に唯一存在する、人間が住むための小屋。
 そこでは、春夏秋冬、暖炉の火が消えることがない。
 また、小屋を出れば――一年を通して、そこでは焚き火の炎が消えることがない。
「そうねえ……暖炉のほうに、当たらせてもらおうかしら」
 そう言って、小屋の主であるクルス・クロスエアに、蟠一号(わだかまいちごう)は微笑みかけた。


 『精霊の森』に訪れる人間に、クルスがほぼ必ず頼むことがある。
 それは、
「精霊に外の世界を見せてやるために、その体を貸してやってくれないか」
 それが無理ならば、
「精霊の話し相手に」
 と。

「ボクの体で出来ることなんて、ほとんどないだろうし、むしろ何か傷つけてしまいそうな気がする。彼のことも、自分のことも、他の誰かのことも」
 ぱちっ
 暖炉で火がはじけた。
 ――暖炉には、火の精霊がいる。
 普段は姿も見えず声も聞こえないその存在を、クルスは実体化・擬人化させた。
 暖炉の精グラッガ。すねたような印象の、外見は二十歳を少しすぎたかどうかくらいだ。
 グラッガを見つめて微笑むのは、美しい金髪に赤い瞳の映える、美しい――存在だった。
 男性なのか、女性なのか分からない。本人いわく、「おかま」だという。自分のことを「ボク」と言うが、外見が女性に近いためなのか、口調は女性だ。
「お話だけさせてもらおうかしら。外のことをできるだけ歌って――」
 と、抱えた吟遊詩人の楽器を示し、
「魔力でその景色を見せてあげる……」
 ぱちっ
 再び暖炉の火がはじける。
「それくらいしか、ボクにはできないわ」
「充分だよ」
 蟠と並んで座り、クルスは微笑む。
 蟠はその美しい顔をクルスに向けて、やんわりと微笑んだ。
「クロスエアくんとも、仲良くできればいいわね――」
 暖炉の火は変わらず燃え続ける。
 精霊グラッガはあぐらをかいて、むすっとした表情でそこにいた。
「さて、どこの景色を見せてあげましょうか」
『……見たくない』
 グラッガはそっぽを向いた。
 あらあら、と蟠は困ったように柳眉を寄せる。
「困った子ね。どうしたの?」
 クルスが苦笑した。
「いつもこうなんだ。外のことなんか知りたくないって」
「まあ。どうして?」
「……寂しがりやだから、かな」
『違うっ!』
 精霊は怒ったように火花を散らした。
 ぱちっ ぱちっ
 はじける火花は――やたらと美しかった。
『精霊は――どうせ長く外にいられない! だから外のことを知ったって仕方がないん――だ!』
 グラッガが叫ぶ。
 まあ、と蟠が痛ましそうな顔をした。
「ほんと……さみしがりやさんなのね。知ってしまって、それから離れるのが嫌なんだわ。とても優しい子」
『子供扱いするなっ!』
「ふふ。何だかかわいいわねえ」
 蟠は微笑む。自称「おかま」でさえなければ、世の中のどんな男でも振り向かせられそうな美しい華だ。
「それじゃあ……どうしましょうか」
 蟠は虚空に視線をやった。「普通にお話しましょうか……」
 それとも――と蟠はクルスを見やり、
「キミの見たいものは? 見せてあげられるわよ」
「僕の見たいものか……」
 クルスは暖炉に枯れ枝を放りこみながら、苦笑した。
「一番見たいもの、というなら、精霊たちの笑顔ってことになってしまうんだけれどね」
「あらあら」
 精霊も精霊なら、守護者も守護者ね――と蟠は笑った。
「ならせめて、音楽を奏でましょう。グラッガくんの心に届くといいのだけれど」
 彼はシンプルに竪琴を取り出した。
 美しい銀細工に、ところどころ金をあしらい、また宝石もあしらった素晴らしい一品だ。
「どう、この竪琴。美しいボクにぴったりでしょう?」
「そうだね」
 クルスは嫌味でも何でもなく、本心からうなずく。
 蟠は誇らしげに笑みを浮かべた。
「ボクの美しさが分かるなんて、クロスエアくんは見所があるわ」
「ありがとう」
 クルスは笑って聞き流した。

 ぽろん……

 蟠の美しい指先が、竪琴の弦を弾いていく。
 つまびく指先の動きさえ美しい。

 ぽろぽろぽろろん……

 やがて竪琴の鈴の音のような音に、伸びやかな蟠の声が重なっていく。
 伸びやかで――涼やかで――しなやかで――なめらかで――
 優しさそのものを声にしたような声が、小屋中に広がっていく。
『………』
 グラッガは黙って聞いていた。火花を散らすことをやめて。
「………」
 クルスは詩人の歌声に酔いしれた。
 その歌は、森を表現しているかのようだった。
 この、動物さえいない『精霊の森』の静けさを。
 静けさの中にある穏やかさを。穏やかさの中にある美しさを。
 美しさの中にある優しさを。

 ――森よ 愛する森よ 永遠に――

 歌声は留まるところを知らず、

 ――精霊よ 愛する者たちよ 永遠に――

 クルスの表情が一瞬、泣きそうな顔に変わる。
 しかしそれはすぐに消え、いつもの穏やかな笑みに変わった。
『………』
 グラッガは彼らの守護者たる青年の表情の動きを見ていたが、何も言わなかった。

 ――彼らに笑顔を 彼らに安らぎを
 ――彼らに喜びを 彼らに幸福を

 ――永遠に この美しさよ 永遠に――
 ――永遠に この優しさよ 永遠に――

 ぽろん……
 つまびく指先が、余韻を残してとまる。
 ぱちっ ぱちっ
 暖炉の火が、拍手のようにはじけ飛ぶ。
 そして本物の拍手が、クルスの手から送られた。
「――素晴らしかったよ」
「そうでしょう。ボクはこの世で最高の吟遊詩人だから」
 蟠はにっこりと微笑んだ。
「グラッガ。お前も嬉しかったろう?」
 クルスは暖炉の精霊に言う。
『……歌なんか知るかよ』
 素直じゃない精霊はそっぽを向いた。
 蟠とクルスは二人で笑った。
 何かお礼をしなきゃな――とクルスは立ち上がろうと腰を浮かす。
「どうしようか。傷薬でもいるかい?」
「え?」
「その腕の傷。よくきく傷薬があるよ」
 蟠の腕――
 隠そうともされていないその場所には、いくつもの傷があった。
 戦いのための傷でないことはすぐに分かる――自傷の傷だ。
「これはいいわ」
 蟠は何に頓着するでもなく、笑顔で断った。
「どうせ、治っても治るころには増やしているもの」
「そう」
 クルスは立ち上がりかけていたのをやめて、再び腰を落ち着ける。
 そんな『精霊の森』の守護者の姿を、蟠が目を細めて見つめた。
「? どうかした?」
「キミは――」
 蟠は、つぶやくように言った。「何も言わないのね。これを見ても」
「―――」
 クルスは苦笑した。
「言ってほしいわけでもないだろう? 隠そうともしていないのに」
「そうなんだけれど。珍しいな、と思って」
 少しも動揺していないから――
「……まあね」
 クルスは再び枯れ枝をグラッガの炎に放り込んだ。
 彼の眼鏡に映った炎が、ゆらりと揺らめく。
「僕も、似たようなものだから……かな」
 と、クルスは言った。
「あら、そうなの?」
 蟠はこちらも頓着する様子なくあいづちをうった。
「そうだね。と言っても、昔の話だ」
 暖炉の炎が、クルスの緑の瞳の色を変える。
「……昔だよ。僕がこの森の守護者になる前……」
「以前は、何だったの?」
「さあ」
 わけの分からない返答をして、「キミも投げ入れる?」とクルスは蟠に枯れ枝を差し出す。
 蟠は受け取った。
 ぽい
 グラッガの炎が、再び揺れた。
 グラッガが横を向いたまま、唇を噛むような表情をしている。
 それがなぜなのか、蟠には分からなかった。
「僕は記憶喪失だったから」
 唐突に、クルスはつぶやいた。
「そして今は、その記憶を取り戻せないから」
「どうして?」
 聞いてはいけないことなのだろうか――
 否。
 聞いてほしいことなのだろうか――
「不老不死になる代償が、失われた過去を二度と取り戻せないようにすること、だったから」
 暖炉の炎の中で、
 グラッガが、びくりと震える。
 クルスは、微笑みを浮かべたままだった。
「僕はこの森にたどりついたときは、すでに記憶喪失だったからね。それで――体中に、わけの分からない傷があった。腕にもね。戦いの傷とは思えないものも、たくさんあったよ」
「そう……」
 蟠はそっとクルスの腕を押さえる。
 眼鏡の青年はくすっと笑った。
「今はもう、そのほとんどの傷がないんだ。さっき言っただろう? この森では最高の傷薬が作れる……樹の精霊の力を借りれば、ね」
 樹の精霊が――と、クルスは言葉を紡いでいく。
「自分から、『どうかその傷を』なんて言ってきたから。……彼女の樹液を取らなきゃその薬は採れないっていうのにね。こっちの傷を治すのに、彼女を傷つけてどうするんだか」
 くすくすとクルスは笑う。
 そのときを思い出しているのだろうか。
 蟠はクルスから、暖炉へと視線を移した。
 赤い瞳に、赤い炎はまざりあうように映った。
「ボクは、寂しくなるとつい傷つけてしまう……」
 蟠がつぶやく。
「……多分、僕にも分かるんだよ、その気持ちは」
 クルスは穏やかに応える。
「でも今の僕には精霊がいて――なかなか寂しさは感じないものだから」
「はっきり言うのね」
 蟠は笑った。「寂しいときがあるって言ってるボクに向かって」
「真実だからさ。――それとも同情されたかった?」
「……いいえ」
 蟠は首を振る。
「キミには、綱渡りをしている危険な匂いがするわ。……精霊がいるから寂しくない、それは逆に言えば、精霊がいなくなったら……もう、ということでしょう」
 たぶん、と金髪の美しい存在は囁く。
「キミは本当に……ボクの気持ちが分かるんだと思うわ」
「―――」
 クルスはおもむろに、服の袖をまくった。
 蟠は導かれるようにその腕を見て――軽く目を見張った。
 森の守護者の腕には、明らかに自分自身の手によるだろうと思われる――横一文字のくっきりした傷が一本、あった。
「どうしたの? これは薬では消えなかったの?」
「違うよ。これだけはね……」
 クルスは袖を下ろしてそれを隠し、笑った。
「唯一。この森に来てから、自分でやったものだ。記憶がある唯一の傷だ」
 だから――
「……癒してしまわないほうがいいと、思ってね」
「……そう」
 蟠は静かにうなずいた。
 何がどう、というわけではない。
 ただ、通じ合う何かが、二人の間にある。
「おっと」
 クルスは自分の傍らを見て、「いけないな。歌と話に夢中になりすぎて――枯れ枝がもうない」
 ちょっと外から取ってくるよ――と、クルスは腰を上げた。


 森の守護者が小屋から出て行って――
 暖炉の精霊と二人きりになり。
「ねえ、暖炉の精霊くん」
 蟠は優しく訊いた。「本当に、見たい場所は……ない?」
『………』
 グラッガは、クルスの出て行ったドアをずっと見つめていた。
 その瞳がひどく悲しげで。
「場所じゃなくて、見たいものはあるの?」
『――俺は――』
 俺は、唯一、とグラッガはつぶやいた。
『……唯一、この小屋の中にいる精霊なんだ』
「あら、そうなの?」
『他の連中は泉やら川やら、外の焚き火やら樹やら岩から動けないし、風のやつらは小屋の中には入ってこようとしない』
「それで?」
 蟠は自然と話を促していく。
『それで――』
 グラッガは、苦しそうな顔をした。
『たぶん、俺だけ、なんだ……』
 しぼりだすような声、で。
『クルスの笑顔が……いつも、作ったようなものなんだってことを知ってるのは……』
「………」
 蟠は竪琴をそっと傍らに置く。
 そして、暖炉の火へと手を伸ばした。
 グラッガが目を見張った。
『お、おい! 火傷するぞ……!』
「あら、キミに触れたりはしないのねえ」
『するわけねえだろ!』
「それは残念」
 蟠はおかしそうにふふふっと笑った。
 そして、すっと目元をやわらげて火の精霊を見つめる。
「それで、キミの一番見たいものは……?」
『……だから……』
「言ってごらんなさいな」
『……あいつの……本当の笑顔……』
 ぱちり、と暖炉の火がはじけた。
 蟠は優しくその赤眼を笑ませた。
「そうだろうと思ったわ」
 どうしましょうねえ、と蟠はつぶやいた。
「彼のそれを見るためには、キミたち精霊が喜ぶことが一番だと思うのだけれど?」
『……分かってる、そんなこと……』
 ぶすっとした顔で、グラッガはうつむいた。『でも、外を知るのは……やっぱり怖い』
「クロスエアくんのために、でも……?」
『………』
 グラッガは長い長い間、うつむいていた。
 蟠は無言で、ずっとずっと待ち続けた。

 ――海。

 グラッガがつぶやいた。
『あいつは、海が好きだって言ってた。だから……』
 竪琴を膝に置き、蟠は微笑んだ。
「どこまでも優しいのね、グラッガくんは」


 枯れ枝を抱えて、クルスが小屋の中へと戻ってくる。
「ちょうどよかったわ、クロスエアくん」
 蟠は振り返り、つややかな微笑を見せた。
「今、グラッガくんのリクエストをようやく聞き出せたところなの。魔力に乗せて歌うから、キミもぜひ聴いてね?」
 クルスが目を見張った。
「グラッガ……」
『うるさいうるさい何も言うな!』
 グラッガは思い切り首を向こう側に向ける。
 枯れ枝を枯れ枝置き場にどさりと置いて、クルスは蟠の横に座りこんだ。
 嬉しそうな顔で。
「そうか、グラッガも少しは素直になったんだなあ」
「いいえ、まだ素直じゃないわねえ。――ほらグラッガくん、今ならたぶん見られるわよ」
「え? 何の話だい?」
「ああほら、もう、そっぽなんか向いてるからっ。だめよ! グラッガくん!」
『ううううるさいっ』
 クルスには分からない内容の会話が、蟠とグラッガの間で交わされる。
「それでグラッガのリクエストはなんだったんだい?」
「それはこれからのお楽しみね」
 うふふ、と蟠は微笑んだ。
「美しいボクに任せなさい。あっちもこっちもね、グラッガくん?」
『うるさいっ!』
「何の話だい?」
 小屋の中がにぎやかになり――
 そしてしばらく後には、

 小屋が大海に包まれて。

 世にも美しい吟遊詩人は、海の深さ、海の広大さ、その存在の偉大さを見事に歌い上げた。
 クルスが目元を和らげた。
 それを見て、初めて――暖炉の精霊が、ちょっとだけ笑った。
 どこか恥ずかしそうに。どこか――嬉しそうに。

 ――素直におなりなさいな、グラッガくん?
 金髪の美しき吟遊詩人は、立ち去る前にそう言い置いて、ウインクした。
 それにグラッガの『うるさい!』という怒声が飛び――
 それを見て守護者がくすくすと笑い――
 ――素直じゃなくても、見られるかもしれないわねえ。
 蟠はそう言って、くすっと笑った。

 暖炉の炎はどこまでも、暖かく笑顔を包み込んでいた。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3166/蟠一号/無性/16歳(実年齢26歳)/歌姫/吟遊詩人】

【NPC/グラッガ/男/?歳(外見年齢22歳)/暖炉の精霊】
【NPC/クルス・クロスエア/男/25歳?/『精霊の森』守護者】

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■         ライター通信          ■
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蟠一号様
初めまして、ライターの笠城夢斗と申します。
このたびはゲームノベルにご参加いただき、ありがとうございました。
しんみりしたシリアスなお話は、この精霊シリーズでは珍しいのでいつもと違う気持ちで書かせて頂きました。とても光栄に思います。
NPCの話が多くて申し訳ございません;
本当にありがとうございました!またどこかでお会いできますよう……