<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『オウガストの絵本*―森の中の人魚姫−』


< 1 >

「今、お茶を入れますね。あ、ええと、お茶って飲めるのかな?」
 部屋の住人、詩人のオウガウトは首を傾げてみせた。
「お水をいただけますか?」
 ソファに座るルヌーン・キグリルが微笑みながら答えると、頭上の大きな葉が揺れてかさりと鳴った。今は魔法が効いていて、普通の早さで話すことができる。動作も常人とそう変わらない。だが、マンドレイク・・・植物になりつつある自分には、刺激物(茶)より水の方が有り難かった。

 ルヌーンには呪いがかかっている。元は人間の形をしていた。呪詛を弱める魔法を獲得して日常生活では支障が少なくなったが、いつか人間に戻れると信じ、文献を探していた。魔女のダヌの家を訪ねたのは、魔法薬の書を見せてもらうためだが、呪いを解くのに役立つ記述を探す目的もあった。郊外の森の小屋に住み、殆ど街へ出ないルヌーンだが、意を決してここを訪れた。それなのにダヌは不在で。
 肩を落として扉の前で待つルヌーンを、隣のアパートメントに住むオウガウトが見つけ、「部屋で待つといいですよ」と招いてくれたのだ。

 居間のテーブルには、包装を解かれたばかりの数冊の絵本が乱雑に置かれていた。手描き手作りの一冊ものの絵本だ。
「さる富豪が、お嬢様の贈り物用に私に依頼したものですよ。同居人の画家と一緒に作りました。きれいな絵本でしょう?
 絵本の中に入れるようにというご所望で、その条件は満たしているのですが。不良品だと言うんで返品されて来たんです」
「不良品なのですか?」
「ダヌから貰ったインクで書いたら、それがどうもマジック・アイテムだったようで」
 読む人によって、ストーリーが変わってしまうのだと言う。

 異世界から持ち込またお伽噺たち。それらをオウガストなりに書き直したと言うテーブルの上の絵本は、不良品と言われても、表紙絵を見ているだけでも楽しかった。
「あ・・・」
 その一冊を目にした時、ルヌーンの手が止まった。この童話は知っていた。人間になった人魚の童話。
 オウガストがコトリとグラスをテーブルに置いた。透明の水。底からひとつふたつ、泡が浮かんだ。
「気に入った本があったら、どうぞ暇潰しにお読みくださいな」
「はい」とルヌーンは頷いて、『人魚姫』の表紙をめくった。


< 2 >
 
 さらさらと風が鳴り、葉が歌う。ルヌーンはずっとここに居る。大きな森深く、地下に根を張り、銀の髪の頭上で紫紺の花びらを揺らしながら。
 ルヌーンは、腰から下こそ根が幾筋も伸び土に埋まっていたが、上半身は若く美しい娘だった。そして銀の長い髪の上に更に大きな葉が生えている。今は花の時期で、甘い香りを無人の森に虚しく撒き散らしていた。
 時々、木々の間から陽が差し込む。鳥や蝶が遊びに来ることもある。だが・・・。
 ルヌーンは深くため息をついた。孤独が小麦色の細い肩に重くのしかかる。静寂の中の小鳥の囀りは、余計に音が無いことを際立たせた。
 王子は今頃、もっと広い草原で馬を飛ばしているだろうか。あの金髪をなびかせて。それとも、お部屋で本をお読みかもしれない。思慮深い青い瞳、整った眉を幾分か顰めながら。
 恋をするまで、ルヌーンはこの森の奥で咲き続けることに何の哀しみも抱かなかった。だが、数カ月前、足を痛めた栗毛を引いて森に迷い込んだ王子の姿を見てから、心が乱れ始めた。
 最初はおずおずと、『もう一度お姿を見たい』と心で願った。
『せめて私が城のお庭に植えられていたなら』
『この紫の花びらに手を触れて貰えたら』
『あなたの部屋のベランダを飾れたら』
 叶えられることの無い願いは、戯れのように大きく膨らんでいった。
「人間になって、あなたに会いたい・・・」

「ほう、マンドレイクだ。めっけもんだな。遥々来た甲斐があった」
 箒から降りた黒ローブの魔法使いは、ルヌーンに傍若無人に手を伸ばした。
「やめて!」とルヌーンは腕で魔女の手を払った。
「勝手に私を抜かないで」・・・私にはまだ会わねばならない人がいるのだ。あの人に会う前に死ねるものか。ほろほろと漆黒の瞳から涙がほとばしった。
「おやまぁ。あたしは、あんたの根っこの細い部分を二、三本貰えればいいんだが。何かお礼はするよ」
 マンドレイクの根や実は、幻覚剤や精力剤として珍重された。石化の呪いにも効く。
 ルヌーンが人間になりたいと言うと、魔女は散々人間の悪口を言い散らかした。だがルヌーンが動じないのを見て、肩をすくめた。
「根の端切れと交換に、あんたを人間にしてやろう。だが、嫌になったらいつでもマンドレイクに戻るんだよ?この薬を飲めば戻れる」
 魔女は掌に乗る小さな薬瓶を草の上に置いた。
「きっと、すぐに戻りたくなるさ」
 そう悪態をついて、魔女は呪文を唱えた。

 人間の娘になれたルヌーンは、王室で薬師見習として働くことになった。魔女は王室付き薬師と友人で、ルヌーンを紹介してくれたのだ。
「王子に恋だなんて。叶うわきゃないのに、馬鹿な娘だね」
 そう言いつつも、魔女は慈しみの掌で、人になったルヌーンの豊かな髪を撫でた。もう頭からは葉も花も消え、腰から下にはすらりとした足が伸びていた。
「時々お姿を拝見できればいいのです」
「いつか、もっと欲が出るよ?それにあの王子にゃ婚約者がいる」
「大丈夫です。今までは、お姿さえ見ることができなかったのですもの。夢のようです」

 ルヌーンの仕事は薬草の育成や手入れだった。庭師に混じって手を荒らしながら薬草園を耕し、雑草を抜いた。
 近くの庭園に王子が姿を現すこともあった。
 赤い薔薇の咲き乱れるアーチの下の、その影が金髪の青年だと気付いた時には、スコップを握る手が震えた。走り寄りたい衝動が起こり、足に力を込めなければならなかった。足が根のままなら、もっと楽かもしれないとさえ思った。風が吹き、王子が金の髪を抑えた。天使の輪のように髪がきらめいて見えた。
 そのアーチは王子のお気に入りのようで、婚約者と思われる女性と連れ立っていたこともあった。彼女は黒髪をきりりと結った知的な女性で、ドレープの少ない深い緑色のドレスがよく似合っていた。宰相の娘なのだと聞く。
 王子にお似合いの美しいひとだ。それに比べて自分は泥まみれ。苦笑しつつ、目を細めて二人を眺め、髪を掻き上げた。
「あっ!」
 髪を一つに結んだ紫のリボンがふわりと解け、風で飛んだ。ルヌーンは慌てて追う。それは、何の悪戯か薔薇のアーチへと舞った。そして王子の足元へ落ちるのが見えた。 近くまで走って来たルヌーンは立ち竦んだ。王子の白い指がリボンを拾う。
「これはおまえのものか?」
「さ、触ると指が汚れます!泥だらけです!」
 礼より先に悲鳴のような上擦った声が出た。王子はゆっくりと微笑んだ。
「庭師はごつい男ばかりだと思っていたが。おまえのような若い娘もいるのか」
「土にまみれても、女の子はお洒落がしたいものですよね?」と、婚約者もルヌーンに微笑みかけた。滲みも汚れも無い白い肌に、うすく桃色が差していた。
「私は、庭師でなく薬師見習です」
 二人の顔が眩しくて正視できず、ルヌーンは足元の土の色ばかりを見ていた。言葉を交わせた喜びより、恥ずかしさの方が強かった。

 拾って貰ったリボンは、ルヌーンの宝箱にひっそりとしまわれた。疲れた夜や師匠の薬師に叱られた夜、そのリボンをそっと手に取り、頬で触れた。ルヌーンは幸福だった。
 

< 3 >

 ルヌーンの幸福は、愛する人の笑顔の上にあった。その笑顔が苦悶の表情に変わった。婚約者がバジリスクに遭遇して石化するという事故が起こったのだ。
 師匠もルヌーンも王に呼ばれたが、薬園に石化の解毒剤は無い。師匠もストックは持たなかった。
「解毒に使うマンドレイクは・・・抜く際に悲鳴のような声を出します。その声を聞いた者は命を落とします」
 師匠が告げずとも、王も王子も宰相も十分承知していた。有名な話だ。金目当ての採取者もそれでよく絶命する。自分の命を奪われるその植物は、相手も地獄へと道連れにするのだ。
「己が助かる為に他の人間が死ぬなど・・・。娘は、そんなことは望みますまい」
 顔半分を埋めた髭を涙で濡らし、宰相が声を絞り出した。王子は下を向いたまま、片手で顔を覆った。骨ばったしなやかな指が小刻みに震えていた。
 王子の悲しむ姿など見たくなかった。
 王が「何か良い方法は無いのか?」と師匠へと迫るが、彼も首を垂れるだけである。

「恐れながら」と、ルヌーンは顔を上げた。ポケットの中の、薬の小瓶を握りしめた。人間にしてくれた魔女が与えた、あの小瓶を。
「悲鳴を挙げないマンドレイクがあります。私は、それが生えた場所を知っています」
 皆が一斉にルヌーンに注目し、走り寄った。
「娘、それは本当か?」
 王子がルヌーンの腕を掴んだ。祈りが込められた指は痛いほど二の腕に食い込んだ。それは王子の、彼女への愛の強さそのままだった。
「はい。夜までにその場所の地図を書いておきます」
「そうか!ありがとう!ありがとう!」と王子はルヌーンの腕を振る。
 だが、王は冷静な瞳でルヌーンを見下ろした。
「その話、虚偽なら採取者が死ぬのだ。正しいという証拠はあるか?」
「この見習に抜かせます!」と師匠が叫んだ。いや、ルヌーンが抜くのは無理なのだ。娘は咄嗟に嘘をついた。
「女性が抜くと悲鳴は起こります」
「では薬師、おまえが」
「ご、ご勘弁を」の声にかぶって「私が抜きますから」と王子が立ち上がった。
 ルヌーンは思わず瞼を閉じた。ぎゅうと拳を握る。涙が溢れないよう、目の奥に力を込めた。

 地図を自室の机に置くと、ルヌーンは静かに城を出ていった。庭の薔薇のアーチにはちょうど夕陽がかかって、赤い花をさらに燃える真紅に見せた。オレンジの太陽はまるでマンドレイクの果実のようだった。
 城の者があの地図を見つけ、印の場所を探し出す前に、先に辿り着かねばならない。早く歩く為に、ルヌーンは手に持った宝箱を胸に抱え直した。中には、リボンと薬の小瓶が入っていた。

* * *

 さらさらと風が鳴り、葉が歌う。ルヌーンは、月が出る前からここに居る。大きな森深く、地下に根を張り、銀の髪の頭上で紫紺の花びらを揺らしながら。
 ルヌーンは待っている。愛するひとが来るのを。

 それは至福の時と呼んでいいのだろうか。


< END >


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2656/ルヌーン・キグリル/女性/21/元魔術師の解毒屋

NPC 
オウガスト
魔女
王子 他お城の人々

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
海でなく森の話になりましたが、人魚姫のテイストを感じていただけると嬉しいです。