<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


決意

「……やぁッ」
 白刃が翻る。
 木の杭に藁を巻き付けただけの簡易な的をかすった剣は、そのまま重力と反動とに従って地面に突きたった。
「………」
 地面に刺さった剣と、傷らしい傷のない的とを不本意そうに交互に見るのは、まだ青年に手が届くか届かないか、という年頃の少年だった。
「……ふー…。───…今日はこの位にしようかな……」
 彼…リュウ・アルフィーユは地面から抜いた剣を慎重に鞘に戻した。
 額に流れる汗をぬぐって、大きな岩に腰を下ろす。
 ここは彼の修行場の森。
 木が生い茂っているせいで日中も木陰が涼しく、それでいて木漏れ日の沢山差し込む明るい広場が彼は気に入っていた。
 そよそよと森特有のひんやりした風がリュウの背に生えた羽を揺らして通り過ぎていった。
 運動をした所為で暖まった体を冷やしてくれるようで、心地よさに目を細める。
 リュウはなんとなしに、その風がやってきた方を眺めた。
 ウインダーであり、なおかつ風喚師でもあるリュウにとって、風はごく親しい物だ。
 まだ日も高い。リュウは風に誘われるように、森の探索を始めた。




 数十分も経っただろうか。
 いきなりリュウは後悔しまくっていた。
「………迷っ、た………?」
 行けども行けども木木木木木。
 左を向いても右を向いても、前も後ろも木だ。
 勿論、自分がどっちの方向から来たのかなんて、もうとっくの昔に分からなくなっている。
 いつも親しんでいる修行場が有る森で、遭難なんて笑えない事は避けたい。
 駆け出しとはいえ、冒険者としてあまりにも情けない。
 心細さを必死で堪えて、どんどん進む。
 迷子はじっとしていろ、とは良く聞くけれど、まず探してくれる人がいない事にははじまらないではないか。
 それよりは、とりあえず進めば、いつかは出口に辿り着くだろう。
 そんな思いからの行動が、彼にとっての不幸の始まりだった。

 風がひゅうと通りすぎていく。
 その風に誘われて、奥へ奥へと進んだリュウは、洞窟の前で足を止めた。
 扉のついたそれは、明らかに人の住んでいる気配がする。
 小さな木の看板が立っているから、店なのだろうとは思うが、特になんの店なのかは書かれていなかった。
 看板に描かれた黒いシルエットの動物の絵に、一抹の不安を覚えもしたのだが。
「こんなところに店なんて…」
 迷ってやっと辿り着いたような森の奥なのだ。
 明らかに怪しい。あからさまに怪しい。
 迷っている間中リュウの傍を吹き抜けていた風が、扉の上部にある小さな小窓から洞窟の中へと吹き抜けていった。
 まるで彼を誘ってでもいるかのように。
 リュウはごくりと唾を飲み込むと、意を決してその扉を押し開ける。

 そして、彼は己の迂闊さを呪った。

「やあ、いらっしゃい。私はケットシーのイヴォシルというよ」
 イヴォシルは一つお辞儀をして見せた。そして続ける。
「さて、何かご入り用かな。……道案内くらいなら、無料で貸し出せるけれど」
 中にいて、にやにやと笑みを浮かべているのは子供程の背丈の………猫。
 猫だ。
 どうみても、ちょっと二本足歩行をして服なんか着込んでいるけれど、猫。
 ぶあ、っとリュウの全身に冷や汗が吹き出した。
 運動の後の汗とは違って、流れる傍から冷たさに鳥肌が立つ。
(来るんじゃなかった…!)
 ひきつった笑顔のまま固まって、冷や汗をとめどなく流すリュウを見て、イヴォシルはくつくつと笑う。
「くく…。まあ、そう邪険にしないでくれたまえよ。同じ風喚師じゃあないか」
「…………」
 リュウは無言のままだ。正確には、喉がひきつって声を出せないだけなのだが。
「……」
「…………」
 つられてイヴォシルも無言になり、少し真面目な顔をして見せた。
 リュウは無言のままだ。
「…………フゥーーーーーーッ」
「……ひぃっ!?」
 唐突にイヴォシルが全身の毛をふくらませ、鋭い呼気を吐きだした。
 たまらずリュウはびくり、震える。
 彼は猫が…というか犬や猫などの、『追いかけてくる』動物が大の苦手だった。
 他の人の前では媚を売って、愛らしく見えるその生物たちは、何故かリュウを見かけるとけたたましく鳴き声を上げながらひたすら追いかけてくるのだ。
 いつもなら、背中の羽に物を言わせて逃げられる。
 …………だが。
(いつもは飛んで逃げられるのに…。こ、コイツは羽なんか持ってるよ〜っ!)
 リュウの反応に吹き出し、今もツボに入ったように笑い続けるイヴォシルの背で、一緒に小刻みに揺れているのは黒いコウモリのような羽。
「くっくっくっく………っ、っはぁ、…いや、失敬失敬。あまりにも予想通りの反応を返してくれると、つい楽しくてね…」
 巨大な黒『猫』は苦しそうに深呼吸を一つすると、笑いのあまり涙すら浮かべた目でリュウに謝った。明らかに誠意は感じられない。人でなしだ。
「……と、まあ失礼をしたままじゃ申し訳ないからねえ。どうだい、お詫びに一つ、何か君にアクセサリーを作らせて貰えないかな」
 いりません。
 リュウはすんでの所で出かかった台詞を飲み込んだ。
 寧ろそんな物はいらないから、早く帰らせてください、とかも思ったりしたのだが相手は恐怖の大王、もとい巨大な羽付き猫。
 怖くて言えるわけがない。
「もうだめだ………」
 リュウはもう、逃げ腰では無い。
 というか、完全に抵抗を諦めた表情で呟いた。
 具体的には、冷や汗にプラスして、滝のような涙が流れていく。
「……ぷ……い、いや失敬。そういえば、私はまだ君の名前を聞いていないのだが、伺っても支障は無いかな?」
 有る。なんか怖いから物凄く支障は有る。だが……。
「…僕の事は、リュアル、って呼んで下さい。……よ、よろしく……」
 勿論怖くて言えるわけはないので、大人しく自己紹介をする。
「ふむ、リュアル君だね。さて、何をご所望かな?たいていの希望には沿えると思うがね?」
 楽しそうにイヴォシルは長い尾をぱたりぱたりと左右に揺らした。
 その、猫が獲物をじっと待つ時に見せる仕草に、うっと呻きつつもリュウは何とか我に返る。
「とりあえず、ペンダントは綺麗な物をもうつけているようだから、止めた方が良いかな。…だとすると、耳飾りか腕輪、指輪くらいかなあ」
「……あの、僕は、冒険者なんです」
「うん?」
 意を決してリュウは切り出した。
「……それで、あの。犬とか、猫が苦手なんです」
「……そのようだねぇ…」
 先程までのリュウの反応を思い出したのだろう。少し間を空けてイヴォシルが深々と頷く。
「…男として、冒険者として、だらしないそんな弱気な僕に、勇気を与えてくれる物が欲しい、……です」
「…まあ、そうだねえ。犬猫が苦手というのも個性の一つでは有るとは思うけれど、そこまで怯えていたら冒険者としての仕事に支障が出る可能性も否めないね」
『何にでも立ち向かえる勇敢な冒険者となれるように』
 リュウはそんな決意を込めて、イヴォシルを見た。
 黒い猫は意味深に目を細め、のんびりとした笑みを浮かべている。
「……ふむ。だったら、耳飾りとかではなく、いつもすぐに視界に入る物の方が良いかね。剣を使うのなら、かっちりした腕輪とかの方が邪魔にはならないかも知れないね」
「……ええと、じゃあそんな感じで」
 すでに流されかけてはいるけれども。
「ああ、ならば任せたまえ。……それから、一応言っておくけれども、強気になるのは私でも、私の作った腕輪でも無い。君だからね?」
 私はあくまでも、君がくじけた時でも、その決意を思い出して貰えるよう、手助けの品を作るに過ぎないよ、とイヴォシルは笑う。
 リュウは頷いた。苦手な猫だけど、しかも大きいから余計に苦手だけれど、イヴォシルの言っている事はもっともだと感じたからだ。
「なら良いのだよ。さて。腕をふるうとしようかな」
 イヴォシルは笑って、銀色の薄い金属板を取り出した。
 強い火にかけて、溶かす間に鋳型を整えていく。
 特殊な材料で作られた型に溶けた金属を流し込み、冷えるのを待つ間に作業机の引き出しから親指の先程の石を取り出した。
 無色透明な水晶の様に見えるそれの中には、淡いグリーンの模様が浮かんでいる。
 その模様が不意に形を変えた気がして、リュウは首を傾げた。
「あの、それはなんですか…?」
 イヴォシルは答えず、リュウの近くまで歩み寄ってきた。
 身構える彼の手の中に、その石を押し込む。
 イヴォシルの、爪は出していなかったが毛皮に覆われた手や、肉球の感触に鳥肌を立てて飛びすさるリュウにくつくつと黒猫は笑う。どうやらわざとやったらしい。鬼だ。
「それは、魔水晶の中に、風を閉じこめた物だよ。台座の加工をしている間、それを見て決意でも固めておいてくれたまえ」
「は、はあ……」
 イヴォシルは楽しそうに作業に戻っていった。
 リュウは手のひらの中でくるくると模様を変えるその石を眺めて、溜息をこぼす。
 いつも脳裏に思い描くだけの、理想の冒険者としての自分の姿。
 現実は理想とはほど遠く、いつも不安に飲まれてしまう。
 その不安が自信をなくし、そしてまた、理想の冒険者像は遠くなる。
 思考が堂々巡りをくり返し、もう一度溜息をついた。
 石の中の模様もぐるぐると緑の帯が渦を巻いていて、まるでリュウの心象を表しているようだ。
「…はあ……」
 リュウが三度、溜息を吐いたその瞬間だった。
「………にゃーーーーーーーーーァ」
 すぐ後ろから、鳥肌の立つような猫の鳴き声が響いて、飛び上がるようにして振り返る。
 そこには、にたにたと笑みを浮かべるイヴォシルの姿があった。
 どうやら気配を殺して、リュウの背後にいたらしい。
 ばくばくばく、と波打つ心臓を押さえてリュウはイヴォシルに問いかけた。
「な、な、なんですか?」
「ふふ、石を見てみたまえよ」
 リュウが手の中の石に目を落とす。
 酔いそうな程、ぐるぐると巻いていた渦模様が消え去り、それどころかどこにも緑の筋の模様は見えなかった。澄んだ色の水晶に彼は首をひねる。
「その石には、風が閉じこめられている、と言っただろう。私たち風喚師と常に共にある風だ。……共鳴して、姿を変える位の芸当はするのだよ」
「……共鳴?」
「さっきまでは君が悩みに悩んでいたから、石も悩んだ。君が私に驚かされて頭の中が真っ白になったから…」
「…模様が消えたんですか?」
 イヴォシルは得たり、とばかりに微笑んだ。
「あまり中の『風』を困らせない事だね。…さて、台座にはめこむから、それを寄越してくれるかい?」
 リュウは、恐る恐るだが、イヴォシルの差し出した手にその石を乗せた。
 やればできるじゃないか、と黒猫が笑う。
 
 完成したのは、厚みも飾りもあまり無い、リストバンドのような銀製の腕輪だった。 一番太いところで、リュウの人差し指、第一関節分ほど有って、蝶番の様になかばで折り返して付け外しできるようになっている。
 金具を止めてみれば、柔らかな曲線を描く台座は計ったかのようにリュウの手首にぴったり沿った。
 丁度、手の甲を上に向けた時に中心に来る辺りには、例の水晶が埋め込まれ、その石を中心にして左右対称に、翼の文様が刻まれている。
「お気に召したかな?…これからの君の行動指針の一つにでもして貰えると、幸いだがね?」
 腕輪を手に付けて、ためつすがめつ眺めるリュウにイヴォシルは笑いかけた。
「………はい、有り難う御座いました」
 リュウが礼を言うと、楽しそうに目を細める。
「…そう言えば、君は迷子だったかな。…おいで」
 イヴォシルに招かれるまま、洞窟の扉を抜けたリュウは木々の間から漏れる光に目を細めて、息を吐いた。
 その彼の前に、白い小鳥が一羽、舞い降りてくる。
「その鳥が、出口まで君を案内してくれるそうだよ。……それとも、この森の奥にいる山猫や狼なんかにお願いしてみた方が良かったかい?」
 くつくつと笑うイヴォシルに物凄い勢いで首を横に振ると、リュウはもう一度礼を言い、ゆっくりと前を進む白い鳥の後を着いて歩き出した。

 ……でもとりあえず、猫はしばらくいいやと思いながら……。

 

 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3117/リュウ・アルフィーユ/男性/17歳/風喚師】

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■         ライター通信          ■
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リュアル様

こんにちは、そして初めまして。
新米ライターの日生 寒河と申します。
この度は猫の石屋へと足をお運び頂き、大変有り難うございました。

猫嫌いの方のご来店、と言うのは少し斬新な感じで、書いていて非常にどきどきしておりました。
どちらかというといじめっ子な猫なので、数々の暴言申し訳ないです…(笑)
リュアル様が、犬猫嫌いを克服して、仲良くなって下さる日を心待ちにしております。

ではでは、本当に有り難う御座いました。
口調等、不備がない事をお祈りしております。



日生 寒河