<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


ドラゴンの爪を切れ!

 黒山羊亭に、久しぶりにやってきた青年がいた。
「どうも」
「あら。あなた『精霊の森』の……」
「こんにちは。また依頼にきました」
 『精霊の森』と呼ばれる森の守護者と自称する青年、クルス・クロスエア。
 エスメラルダは、彼がなにやら袋を抱えているのが気になった。
「ええとですね――」
 クルスはエスメラルダに話し始めた。「エルザード北東の山なんですが」
「ええ」
「そこに横穴がありまして。まあ洞穴ですね」
「それで?」
「そこにドラゴンが棲んでいると文献にあるんです」
 クルスは一冊の本を取り出して見せる。
 エスメラルダがのぞきこむと、確かにそういう記述があった。
「僕もいい加減魔力を増強しなきゃならないんですが……そのための材料に、このドラゴンの爪が必要なんですよね」
 爪? とエスメラルダはいぶかしんだ。
 頭の中で、何となくぐつぐつと色んなものを煮込んで魔法薬を作る魔女のイメージが思い浮かぶ。
「今、ご想像なさってるのとたいして変わりませんよ」
 クルスは笑った。そして、「その爪を手に入れたいんですが……困っているわけです」
「どうして?」
「獰猛なドラゴンなようで。『その長い爪を少し切らせて下さい』と言って、聞いてくれると思いますか?」
「……聞くわけないでしょうね」
「おまけに一緒に棲んでいる魔物がおりまして――えーと、バジリスクが二体だったかな」
「………」
 聞けば聞くほど危険な場所だ。
「それで……どうするの?」
「爪を手に入れてきてほしいんです。ただ、間違いなく荒事になりますが、ドラゴンたちを殺してしまうのも後味悪い話ですからね。ここに」
 と青年は手にしていた袋から、いくつかの液体の入った瓶を取り出し、
「あらゆる傷を治す薬があります。事が済んだらドラゴンたちを快復させてやってください」
「ヘンな話にも思えるけれど……回復薬があるなら最初から眠り薬とかしびれ薬とか」
「どうも、僕の知っている薬ではこのドラゴンたちには効果がないようで」
 そのあたりももっと薬作りを研究しようと思っているんですけどね、と彼は言った。
「さしあたってドラゴンとバジリスクです。誰か、人手はありませんか?」

     **********

 と、エスメラルダに説明が終わったところで――
 クルスはさっとその場からのいた。
 すかっ
「あっ。クルスてめっ避けやがったな俺の愛の抱擁を!」
「……そろそろキミの行動も予測できるようになってきた」
 クルスを抱きしめ――というより締め上げようとしていた大男を見て、クルスはため息をついた。
「キミはいつでもここにいるねえ……奥さんに怒られないのかい」
「つーかここで依頼こなして金稼ぐんだよ」
 相変わらずの筋肉むきむきぶりを披露しながら、オーマ・シュヴァルツが言う。
「……ああ、そうか」
 愚問でした、とクルスは謝り、「今日の依頼は一応お金払えるよ。最近作った薬を売ってきたから……」
 その言葉に、

 じとーっ

 いつもよりも長ーい沈黙と、むうううとした視線で見つめてくる気配を感じて、クルスは両手をあげた。
「待った、待ってくれ千獣(せんじゅ)。僕が魔力を増強するのは精霊のためだから」
「……回復、薬……売って、きた、薬……」
 じとーっ。
 千獣と呼ばれた十七歳ほどの少女は、椅子にちょこんと座ったままクルスを見つめていた。
 ふくれっつらに見えなくもない表情で。
「その、薬、もしかして……」
 クルスは苦笑した。
「もしかしなくてもファードの樹液から作ってるよ。回復薬はね。売ってきたほうは葉だけれど」
「………」
「お怒りは分かるけれど勘弁してくれ。この頃キミたちとかと出会えたおかげで、ありがたくも精霊たちが外に出られるようになった。僕ももっと精霊たちを自由にしてやるために強くならなきゃならないから」
「……まあ……いい、の、かな……」
 むう、と千獣はクルスをにらむように見たままつぶやいた。
「ナニ増強ってなぁアレか。ついに明日の聖筋界精霊筋界を担いやがるイケメン下僕主夫あっはんロード☆大胸筋ダイブの気になってかね?」
 オーマに肩をぐわしと抱かれ、るんるんと言われて、クルスは「何でそうなるんだ」とつぶやいた。
「他に考えようがない! よーし、お前のその決心のために今日も一筋二筋脱いでやらあ!」
「いや、どこか間違ってるけど……まあキミが来てくれるなら心強いよ」
 千獣は? とクルスはまだ彼をじとーっと見ていた少女に聞いた。
 少女はむー、ともう一度うなってから、
「……とりあえず……ドラゴン、から、爪、もらってくるん、だよね……」
「ああ、手伝ってくれるかい?」
「……ドラゴン……あんまり、おいしく、なかった、かな」
 ぼそり。
 え、と一瞬聞いていた人間が硬直する。
「というのは、さておき……」
「……うん、さておいたほうがいいと思う」
 クルスが首筋をかきながら苦笑いした。
 エスメラルダは店内を見渡していた。
「他に誰かいるかしら――ああ、アレスディアさん!」
 呼ばれて、千獣とは少し離れた席にいた、銀髪の女性が振り返った。
 あなたもどう? と問われ、詳細を聞いて、アレスディア・ヴォルフリートはうなずいた。
「ふむ……ドラゴンの爪をどのような薬にされるのかは分からぬが……クルス殿のこと、悪用されたりはせぬだろうし、私も手伝わせていただこう」
「ありがとう、助かるよ」
 クルスは微笑んだ。
「俺もやってやろーじゃねえか!」
 どげしっ!
 クルスの背を背後から思い切り蹴りながら、ひとりの少年が口を挟んでくる。
「あたっ。……誰かと思えばグランかい……」
「おうよ」
 外見年齢十四歳、しかして実年齢は二十歳。パラと呼ばれる小人族のグランディッツ・ソートは、クルスが痛そうに背中をさするのをけけけと笑って見ていた。
「そろそろ精霊の森に行こうと思っていたんだ。協力するぜ」
 と彼は含み笑いをする。
「……何か企んでいるようにしか見えないんだけどねえ」
「ドラゴンとバジリスクったってなあ、そう簡単にはいかねぇだろ。相応の報酬をもらうからな!」
 グランはぐっと顔をクルスに寄せてにらみをきかせる。
「いや報酬は払うけど」
「じゃあ、クルスも行こうか」
「待て僕はちょっと……いてて」
 背中をまださすっていたクルスは、しばらくしてようやく立ち直った。
 そんな様子を見ていたオーマが、深刻な顔で「おい、クルス」と口を開いた。
「……お前本気で、精力増強したほうがいいぞ。今の蹴りごときで立ち直るのに時間がかかるなんて……」
「悪かったね。僕は体力はからきしなんだよ」
「それっぽいよな。森に閉じこもってやがるからよ」
 こりゃいかん、とオーマは拳を打ち鳴らす。
「そんなことでは下僕主夫は務まらねえ……! おら、早く薬作るためにドラゴンの爪きりに行くぞ!」
「あのう」
 次々と準備に取りかかろうとした面々に、傍らからかわいらしい声がかかった。
「お仕事でこっちの酒場着ていて立ち聞きした形になりましたけど」
 あたしはカーディナル・スプランディドと言います――と猫獣人の少女が言った。
「あたしも参加していいでしょうか。あたしも魔力の強化を図りたいので」
「ああ、完成品を分けてほしいんだね」
「はい」
「報酬代わりになるけど、いいかい?」
 持っているお金に限りがあるものだから――とクルスがカーディナルに尋ねると、カーディナルはかわいらしい猫の目で微笑んだ。
「はい。それで充分です」

     **********

「とりあえず、ガンガルドの館でドラゴンやバジリスクについて調べてみませんか」
 言い出したのはカーディナルだった。
「爪なら生え変わりや爪とぎなんかで、洞穴内に落っこちてるかもしれません」
「ってゆーかお前、冒険者じゃねーだろ」
 グランがカーディナルを見てぼやいた。「荒事できねーんじゃねえのか」
 カーディナルは苦笑した。
「はい、正直言いますと。でも魔石錬師ですし」
 ほら――と少女は続ける。
「私の聖獣装具は紅焔衣ですから。それに魔石で魔力付加すればドラゴンのブレスもバジリスクの視線も防げると思います」
「人には人の戦い方があらぁな」
 うんうんとオーマがうなずいた。
「爪の生え変わりではちょっと困るんだなあ」
 クルスがあごに軽く手をあてて、カーディナルに言った。
「必要なのは爪の表面じゃなくて、爪の中の成分なんだ」
「ああ、そうなんですか」
「まあ、爪とぎの拍子に折れた爪とかが落ちていればそれはいいかもしれないけど……」
「ばっか。いい薬作るためなら最初からいいモン手に入れること前提で動けよ」
 グランがげしげしとクルスの横っ腹を蹴飛ばす。
「だから痛いって。僕は体力がないんだから」
「情けねえ男だなーお前」
「何とでも言ってくれ」
「……ドラゴンの、こと、調べる……?」
 千獣がマントをはおりながらつぶやいた。
「戦わず、に……済む、って、こと……?」
「それは分からぬ。千獣殿」
 アレスディアは少しだけ眉根を寄せて千獣に言った。「先にクルス殿が持っていた文献では、あまりいい結果が出ていなかったのだから」

 クルスの持っていた文献では――
 ドラゴンは炎を吐き。
 バジリスク一体は冷凍光線を。
 もう一体は石化光線を目から出す、という。

「この本を書いた人物は、命からがら逃げ帰ってきたみたいだね」
 クルスの持っている本はそれほど古くはなかった。
 カーディナルを先頭に、オーマ、千獣、グラン、アレスディア、そしてクルスの六人はガンガルドの館にやってきた。
 たくさんの蔵書。その中からカーディナルは慣れた手つきで本をさがしだす。
 そして、少しだけその猫顔をしょんぼりさせた。
「……戦わずに済ませるのは無理そうです。そのドラゴン、洞穴に侵入者があったらその気配だけで動き出してしまうと書いてあります」
「ふーむ」
 オーマがうなった。「こりゃ、やっぱ荒事かな」
「最初っからそう言ってんじゃんよ」
 とグランが言い、
「……残念なことだ」
 アレスディアがふうと息をつく。
 千獣はひとり、呆然としながら、たくさんの蔵書をきょろきょろと眺めていた。

     **********

 洞穴までには、山を登らなくてはならない。
「おら。クルスは俺のグライダーに乗りやがれ」
 強制連行のクルスは渋々グランのグライダーの後部座席に乗った。
「二人乗りだからな。後の連中は勝手にしてくれ」
「ああ、じゃあ俺が乗せてってやるよ」
 オーマが巨大なる銀獅子に変身し、残りの三名に背に乗るよう促す。
 かくしてグランのグライダーと、銀獅子オーマが飛び立った。

「俺の聖獣装具、スライジングエアなんだよな」
 空中遊泳を楽しむような様子でグランは言う。
「それで爪だけ切り落とせないのか? そうすりゃ後は回収するだけだ」
「その回収が大変だろうね」
 後部座席のクルスが言った。
「どれくらいの量がいるのですか?」
 カーディナルがクルスに訊いた。
「ああ、キミの分も作るとなると……そうだな、たしかさっきのガンガルドの文献に前脚の爪が四本ずつと書いてあったから、前脚の八本全部、というところかな」
『けっこう多いじゃねえか』
 精神感応でしゃべる獅子オーマが、驚いたように反応する。
「ああ。今回の薬の一番の核だから」
 その爪にね――とクルスは、苦笑するように言った。
「毒が含まれているんだよ。普通だったら、爪で引っかかれても終わりってことさ」
「その毒成分が、薬になるとおっしゃるのか?」
 アレスディアが真顔で訊いてきた。
「そう。毒っていうのは言い換えれば薬だ」
「そうですね。特に何かを増幅させるのに毒物系統は欠かせません」
 カーディナルがクルスの言葉に続く。
「………」
 千獣はひとり、話についていけないのか――単に興味がないのか、銀獅子オーマの毛並みをなでて、
「気持ち、いい……」
 とつぶやいていた。


「あの横穴だ」
 クルスが指を指す。
 山の岩盤にぽっこりと、たしかに横穴がうがたれていた。
「入っただけで気配を感じ取ってしまうんでしたよね……」
 カーディナルが緊張した声音で、聖獣装具のマントを握りしめる。
「戦術はどうするよ?」
 横穴の周辺で空中にうまくグライダーを泳がせながら、グランが訊いた。
「やっぱ俺が爪きりしてやっか?」
「あの、八本も切り取るのですから……」
 カーディナルがそろそろと手を挙げた。「全部うまく切り取れるとは限りません。怪我をさせてしまうかもしれません」
「俺の腕を疑うってのか」
 グランがむっとしたように言う。
「というかね、グラン」
 先に言わなくて悪かったけど、とクルスがなだめるような口調で、「さっきガンガルドで分かったんだけどね。どうやら爪に感覚神経が集まっているらしくて、一本でも切ると一気に凶暴度が増す――」
「ほんとに先に言えよそれ!」
 グランは腹を立てて、思い切りグライダーを急降下させてやった。
 気持ちの悪い浮遊感がクルスを襲い、「うっ」とクルスは口を押さえる。
「ざまみろ」
 ゆっくり横穴のところまで戻ってきて、グランは後部座席に向かってべっと舌を出した。
『てことはだな――』
「やはり直接対決するのが一番ということだな」
 オーマの言葉を、アレスディアがつなげた。
「私はバジリスクの相手をしよう。……光線を受けると石化してしまう、と」
「石化解除の薬はあるよ……」
 気持ち悪いのをこらえながら、クルスが手をあげる。
「いくら薬で回復できるとはいえ、石化させられぬに超したことはない」
「それは、そうだろうね……」
「バジリスクを気絶させる戦法で行こうと思う。千獣殿はどうされる?」
「私、は、ドラゴン……」
 千獣は相変わらずオーマの毛並みを気持ち良さそうに撫でながら、「ドラゴンを、気絶……させる……」
『俺もサポートすっからなー』
 撫でられて気持ちいいのか、オーマが機嫌がよさそうに言った。
「んじゃ、俺は剣かスライジングエアでやっぱ爪きり役じゃねーか」
 グランがむっつりとした表情で言い、
「そ、それじゃああたしは……爪拾いに徹します」
 カーディナルは遠慮がちに口を挟んだ。
「んで?」
 グランは後部座席に声をかける。「肝心のお前はどーすんの、クルス」
「………」
 返事がない。
 どうやら吐き気を抑えるのに、必死のようだった。

     **********

 横穴は、ちょうど太陽の光が入る時間帯だったおかげで明るかった。
 全員は慎重に横穴に降り立った。
 グランがグライダーをそっと入り口付近に配置して、いつでも飛び立てるようにし、オーマは背に乗せていた三人をおろすと獅子から人間の姿へと戻る。
 なぜかオーマは、いつの間にやら腹黒親友――と思っているクルス――の下僕浪漫に燃えギラリマッチョ全筋全霊下僕主夫番長ルックとなっていた。
 その姿のまま、
「おいクルス――」
 依頼人に向かって何かを言いかけたが、
「………」
 クルスは壁に片手を当て、もう片方の手で口を押さえて必死で吐き気を抑えている様子だった。
「……ダメだありゃ。真剣に鍛えてやらんといかんな」
 オーマは肩をすくめた。
『我が命矛として、牙剥く全てを滅する』
 アレスディアがコマンドを唱える。
 刃を幾重にも束ねたような、突撃槍の形をしていた彼女のルーンアームがみるみる姿を変えていく。
 アレスディアは黒装に、漆黒の槍を持つ姿となった。
 その隣で――

 ざうっ

 千獣が右手を獣の手に変えた。
 巨大な、人の顔よりも大きな獣の手へと。
「うおっ!?」
 あまりにも唐突に、淡々とそんな変化をされたものだから、グランが驚いて一歩退いた。
「きゃっ」
 マントにしっかり身を包んだカーディナルも思わず飛び上がった。
「………?」
 その様子の意味が分からなかったのか、千獣が小首をかしげる。
「千獣殿」
 アレスディアが苦笑した。「これからは身を――そうやって変化させる場合は、一言言ってからにして頂けるか」
「………? うん……」
 きょとんとしながら、千獣はうなずいた。
 クルスを入り口に放っておいて、五人は奥へと歩く。
 ――強大な気配が待つ、奥へと――

 ぐるるるる……

 うなり声が聞こえ、五人は緊張した。
 否、
「ドラゴンよ……!」
 番長ルックのオーマだけが、るんるんとした様子で何か紙らしきものを付きつけた。
「爪きり果たし愛状だ! 受け取れ!」
「んなこと言ってる場合かーーー!」
 なぜかつっこみ役になってしまったグラン、そして他全員の目にも――
 映っていたのは――

 一体の巨大なドラゴンと、
 二体のぎょろりと目が大きい魔物――バジリスク。

 ドラゴンの口が開いた。
 その奥から見えたのは――炎の渦。
「早速かよ……!」

 ごおう……っ!

 洞穴一杯に広がるほどの強力な炎に、
「任せろ!」
 オーマが全員をかばうように立ち、桃色の木刀を振りかざした。
「召喚、下僕兄貴焔魔人……!」
 どこからか現れた下僕兄貴焔魔人が、強力な炎を燃えマッスル抱擁し相殺した。
 呆気にとられる他四名。
 と、続いてバジリスク二体の視線が同時に動く。
「ふ……っ甘い!」
 取り出したるは美筋神アニキみけらんじぇろもどきマッチョ石像。
 なぜかその石像が、石化光線を吸収。
 さらに召喚したるは人面草と霊魂軍団。
 気色の悪い熱ぅ〜い熱視線で、冷凍光線を桃色撃退。
「はっはっは! このていどでしまいか、我が好敵手たちよ……!」
 番長ルックのオーマが胸を張る。
 額にまいた桃色ハチマキが、風もないのにハタハタとなびいた。
 ……背後では他四名が、ぼーぜんとその様子を見ていた。

 ドラゴンとバジリスクたちまでぼーぜんとさせたその出来事は――
 しかし一瞬後には、消え去った。

 ぐあおおおおおああ!!!

 洞穴内に反響するような咆哮をあげて、ドラゴンたちが突進してくる。
 なにやらドラゴンたちも、ヤケになったようだった。
 風を切るような音がして、鋭い爪が振り下ろされる。

 がしゃぁぁん!

 砕かれたのは、オーマの美筋神アニキみけらんじぇろもどきマッチョ石像。
 すかさずバジリスクの一体が石化光線を放ってくる。

 かきん

 妙な音を立てて石化したのは、オーマ自身だった。

 ドラゴンが洞穴内をひとまわりするかのような勢いで尾を振り回す。
「あ……あぶ、ない……」
 千獣がぱっと飛び出し、オーマ石像を抱えて退いた。
「石化の薬は!?」
 アレスディアが声をあげる。
「く、クルスさんご自身が……」
 カーディナルが困ったように答えて、グランがずるっとすべって転びそうになった。
「ありえねえ! こらクルース!」
 ここからは入り口の様子が見えない。
 クルスからの返事がない。まだ吐き気と戦っているらしい。
 振り回された太い尾が、霊魂軍団はともかく人面草たちをなぎたおしてしまう。
 冷凍光線が放たれた。
「あ、しま……っ!」
 クルスのほうに意識をやっていたグランが、霊魂軍団で少し弱まった冷凍光線の一部を浴び、右腕冷凍状態になった。
「くそ……利き腕じゃなくてよかったぜ!」
「と、とにかく」
 アレスディアが、オーマの石像を安全な位置まで移動させる千獣の様子を見ながら言った。
「私たちが動きを止める。グラン殿は爪を頼む……!」
「しょーがねえな、分かったよ!」
 千獣がなでなでとオーマの石像を獣の手で撫でて、
「危ない、から、ここに、いて、ね……」
 そして戦いの場へと戻ってきた。

 ドラゴン爪が振り回される。
 思わずその爪を腕ごと折ろうとした千獣は、慌てて止めた。
「いけ、ない……」
 がしっと爪を受け止め、弾くように押し返し、
「腕ごと、折っちゃ……ダメ、だっけ……」
 ひらりと身軽に爪を避け、狭い洞穴の中を何とかドラゴンの背後に回る。
 傍らでは黒装のアレスディアが、素早くバジリスクの死角に回ろうとしている。
 バジリスクは目玉が飛び出していて、視界がものすごく広い。しかし一箇所だけ死角があった。――真後ろ。
 黒装のときのアレスディアの黒い槍は攻撃力が高い。しかし、
「薬があるとは言え……バジリスクたちに傷がつかずに済むのであればそれに超したことはない」
 アレスディアは槍の先ではなく、柄を使ってバジリスクの頭を殴りつける。
「命ではなく、爪だからいいだろう、とはこちらの言い分。抗うのは当然――」
 一発では気絶はしない。アレスディアは胸を痛めながらも連打を続けた。
「が、それを押してでも爪を得ねばならぬ。すまぬが――少しおとなしくしていてもらおう!」
 がんっ!
 何度目か分からない打撃で、バジリスクがようやく動きを止めた。
 体が地面に沈み、瞼が閉じる。
「そちらは石化ですね……!」
 カーディナルがほっと息をついた。「これで大分戦いやすくなります……!」
 冷凍光線が放たれる。再びグランの方向へ。
 カーディナルがグランの前に飛び出し、ひとつの魔石を取り出して、鋭く叫んだ。
「『火』!」
 ごおうと炎がうずまき、冷凍光線を相殺した。
 その熱の余波が、凍っていたグランの右腕を溶かした。
「ちっ」
 グランが悔しそうに舌打ちする。「女の子にかばわれるなんて、かっこ悪ぃ」
「ごめんなさい、火属性だけは得意なので、つい」
 カーディナルはかわいい仕種で、ぺろっと舌を出した。

 千獣はひらりひらりとドラゴンの爪と尾をかわしながら、完全に背後を取った。
「ここ、で、いい、かな……」
 皮膚、少し、硬そう……と千獣はつぶやき、
「突いたり、斬ったりするのは、難しい、から……」
 そういう場合は。
「……ぶん、殴る」
 同じような戦法を取っていたアレスディアが、千獣のつぶやきを聞いて何となくずるっとこけそうになった。
 何とか体勢を立て直し、アレスディアはもう一体のバジリスクの元へと駆けていく。
「頭、殴れば……気絶、させられるかな……」
 つぶやいた千獣は、
「何度も、殴ると、傷も増える、から……重いのを、一発、ごつん、と」
 言うなり、
 顔よりも巨大な己の手を拳に構え、

 どごん!

 とドラゴンの頭を一撃した。
 それは「ごつん」じゃない! とひそかにアレスディアが心の中でつっこんだ。

 千獣の重すぎる一撃はさすがに効いたらしい。ドラゴンがへたりと腹を地面につける。
「けっ。ドラゴンのくせに弱ぇーの」
 グランがバカにするように言い、
「スライジングエア!」
 さぅっ
 見えない手裏剣型の聖獣装具が空気を裂く。
 ばきっ、とドラゴンの爪のひとつを切り落とした。
「へへん。案外簡単じゃねえか」
 とグランが言ったとたん――

 ぐおおおおお!!

 気絶していたかに思えたドラゴンが、唐突に咆哮をあげて再び起き上がった。
「あ……」
 ドラゴンの尾が激しく動き、千獣は背後から強烈な一撃をくらう。
「いた……」
「千獣殿、大丈夫か!?」
「うん……」
 その隙に冷凍光線が、バジリスクの両目から放たれた。
 バジリスクの視線は両目が同じ方向に向いているわけではない。ひとつはカーディナルに向き、カーディナルは再び魔石でそれを無効化したが、もうひとつの光線はアレスディアに向かった。
 アレスディアの左腕が凍りつく。
「く……っ」
 凍傷に似た痛みが彼女を襲う。
 しかしアレスディアは、グランと同じように「利き腕でなくてよかった」と唇の端に笑みを浮かべて言った。
「すまぬが、そちらも気絶していてもらうぞ……!」
 左腕が凍ったまま、アレスディアは黒い槍の柄をバジリスクの頭へと一撃する。
 一撃、そして気合を入れ直し、もう一撃。
 二体目は、一体目よりも早く気絶した。

 千獣は再び、
「重いの……もう、一回」

 どごん!

 やはりドラゴンはこの一撃に弱いらしい。千獣に一撃されるたび、へたりと地面に崩れ落ちる。
 その隙にグランが透明な手裏剣を放ち爪を切った。
 スライジングエアは使用者の意思通りに空中で動かせる。一度の気絶中に一本、二本と爪を切り落とそうと試みるが、

 ぐおおおお!!

 まるでループのように、一本切り落としただけでドラゴンは復活してしまう。
 ガンガルドで見つけた本にあった通り、感覚神経が爪に集中しているらしい。

 どごん!

 ばきっ

 ぐおおおおお!!

 どごん!

 ばきっ

 ぐおおおおお!!

「もう、一回……」
 千獣が構えると、アレスディアがその腕を止めた。
「そのナックルパンチを繰りかえしていては、いくらドラゴンでも死んでしまうかもしれぬ」
「死なせてしまってはいけません……!」
 バジリスクが復活しないように警戒する役目を担っていたカーディナルが口を挟んでくる。
 すでにドラゴンの左前脚の爪はなくなっていた。
「でも……他に、方法、ある……?」
「くっそ、じゃあ動いてるうちに爪切ってやらあ!」
 グランがスライジングエアを放とうとした、そのとき、
「――なんだ、オーマが石像化したのかい……」
 まだ具合が悪そうにしながら、クルスが奥へとやってきた。
「おっせえんだよ、お前!」
 グランが怒鳴りつける。
「元はと言えばキミが……」
 クルスは反論しかけて、うっと口を押さえる。
 そして彼はしゃべるのをやめたらしい。
 腰につけていた道具袋の中から、ひとつの瓶を取り出す。
 透明な液体が入っていた。コルク栓を抜き、クルスはそれをオーマ石像にふりかけた。

「まっすーる!」

 わけの分からないかけ声とともに、生身オーマは復活した。

「石像になっていても見えていた! お前らがんばったな!」
 うむうむと満足そうにオーマはうなずき、「後はこの俺に任せろ!」
 ばっと取り出したるは、
「これぞ腹黒商店街マツモト筋シドラッグストアおすすめ、強制親父神祈祷肉々乱舞踊り化ドリンク! アーンド桃色下僕主夫ルック変身ドリンク!」
「言ってる意味分かんねえ……」
 グランがぼそりとつぶやいた。
 そんなことは構わず、オーマはしゅばっとドラゴンに近づき、二本のドリンクをドラゴンの口の中に放り込んだ。
 なぜかドラゴンの目がぐるぐると回りだした。まるで混乱したかのように。
 さらに、なぜかドラゴンの姿が、桃色エプロン姿になった。
「とどめ!」
 オーマはカカア天下素質ガッツリのメスドラゴンと二体のメスバジリスクを召喚した。
 なぜか突然、気絶していたはずのバジリスク二体が飛び跳ねるように目を覚まし、
 なぜか突然ピンク色エプロン姿となったドラゴンがガタガタと震えだし。
「ふっふっふ。下僕主夫はママンには逆らえないという世の中の理! カカアの前ではドラゴンもバジリスクもガタブルナマ絞り、行動不能!」
「理屈無茶すぎ」
 クルスが傍らでつっこみ、
「そんなことつっこむヤツにはナウ筋サマーソルトキック☆」
 オーマのサマーソルトをクルスは面倒くさそうに避けた。
 他四名、ただひたすら呆然。
「おうおう。四本も爪切っちまって悪かったな。ありがとうな」
 オーマはカカアメスドラゴンの前で縮こまったドラゴンの前にかがみこみ、
「悪ぃんだが、右前脚の四本の爪もくれや? もっかい生えるだろ?」
 用意したるはマッスル爪きり。
「おおう。そうだ爪切る前にその爪でだな」
 と彼はごそごそと懐から書類を取り出した。
「腹黒同盟、な、加盟な? サインよろし筋」
 ドラゴンやらバジリスクやらにまで同盟加盟を迫るあたり、彼はどこまでも腹黒同盟総帥だった。
「……僕もその同盟の一員だっけねえ……」
 遠い目をしながら、クルスがつぶやいていた。

 結局、オーマの思惑通りドラゴンは本当におとなしく爪を切らせてくれてしまい、バジリスク二体を含め同盟強制加入させ、戦いは終わってしまった。

     **********

 グライダーと獅子オーマの力で、エルザードではなく『精霊の森』の近くまでやってきた六名。
「ありがとう、みんな」
 グライダーから降りたクルスは、オーマ・千獣・グラン・アレスディアの四名に報酬を渡し、
「カーディには出来上がったらまた城下に行って渡すから――会えないようだったら黒山羊亭のエスメラルダさんに頼んでおけばいいね?」
「ええ、お願いします」
 カーディナルはにっこり笑って、「これでもっと魔石強化できる……!」とにゃにゃんと飛び上がった。
「じゃ、みんな本当にありがとう――って、うわっ」
 びしゃっと頬に緑色の液体をかけられ、クルスは「なんだいこれは……」とグランを見た。
 グランはにいっとクルスに向かって笑って、
「さっきのドラゴンの血をこっそり採取しといたのさ。爪切るついでにちょっとだけ切ってやったからな。けけけ、色男になったぜクルス!」
「おい……ちょっと待て、このドラゴンの血はなかなか落ちな――こら、グラン!」
「やーい。色男のまま生きてろクールースー!」
 小人のグライダー乗りは素早くグライダーに飛び乗って、逃げ去ってしまった。
「だ、大丈夫かクルス殿?」
「服にまでついた! 僕は持っている服は少ないんだよ……!」
 珍しくクルスが嘆いて天を仰ぐ。
「あらまー」
 オーマが、「こりゃ下僕主夫に鍛える前に経済状態だな」とつぶやき、
「え、ええと安い古着屋さん紹介しましょうか?」
 とカーディナルが言い、
 アレスディアが「いらない布はなかっただろうか……」と慌てて自分の体をごそごそとさぐり、
 そして千獣が、
「クルス……」
「なんだい?」
「……みどりいろ……いろおとこ……」
 ずるぅっ。
 オーマとカーディナル、アレスディアの全員がこけた。
 クルスは情けない顔をして、
「千獣。頼むから、知らない言葉を軽々しく口にしないでくれ」
 と言った。
 千獣はきょとんと首をかしげるだけで、クルスの言葉の意味さえ分かっていないようだった。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(腹黒副業有り)】
【2728/カーディナル・スプランディド/女性/15歳/魔石錬師】
【2929/アレスディア・ヴォルフリート/女性/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女性/17歳(実年齢999歳)/異界職】
【3108/グランディッツ・ソート/男/14歳(実年齢20歳)/異界職】

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■         ライター通信          ■
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グランディッツ・ソート様
お久しぶりです、笠城夢斗です。
とても楽しいプレイングをありがとうございましたw元気のいいグラン君を書くのは楽しかったです。
またお会いする機会がありますよう、願っております。