<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜貴方の心の暖かさ〜

 ティナがその森にやってきたのは、その森の不可思議すぎる気配に興味を持ったからだった。

     **********

「動物……いない」
 静けさと優しさが同居するその森の中を、四本足でゆっくり歩きながら、ティナは木々を見上げていた。
 遠くには、水のせせらぎも聞こえる。
「動物……いないのに……こんな、心地いい場所……」
 初めて、とティナはつぶやく。
 黒髪に黒い瞳。獣人であるティナには狐の耳や尻尾が生えている。
 五感もすべて人間より鋭い。だからこそ、この森がいっそう不思議に思えた。
 と――
 ふ、と気配がして、ティナは警戒した。
 ――誰か、いる――?
 しかし、警戒しながらもゆっくりと歩を進めたその先にあったのは、

 一本の巨木だった。

「………?」
 たしかに気配がしたのに。
 ――この樹……から?
「おかしな、樹……」
 ティナはそろそろと近づいて、ちょこんとその手で幹に触れてみた。
 暖かい。
 樹の中に流れる水の脈動が、聞こえる気がする。
「でも……それだけ、じゃ、ない……」
 幹に触れたまま、ティナはそっと目を閉じた。

 ――カサリ

「―――っ!」
 人間の足音、そう直感してティナはきっと振り向いた。
 そこに、ひとりの青年が立っていた。
「こんにちは」
 眼鏡をかけた青年は、ティナに向かって微笑みかけた。
 ティナは警戒を解かずにいた。今の今まで気配を感じさせなかった、そんな人間にたやすく心を許せるわけがない。
 しかし青年は何を気にするでもなく、
「ありがとう」
 と言った。
 ティナは、思わずきょとんとした。
 何に礼を言われたのか分からなかったのだ。
 青年はゆっくりと近づいてくると、ティナではなくティナが触れていた巨木にそっと手を触れた。
 ティナは青年の横顔を見上げる。
 青年は、ひどく穏やかで優しい顔つきをしていた。
「……キミのおかげでファードが心地よさそうだ。ありがとう」
 彼はまた意味の分からないことを言った。
「だれ?」
 ティナは問う。だんだんと警戒心が解けていくのを感じながら。
「僕かい? この樹かい?」
 おかしな反応が返ってくる。
 ティナは青年を指差した。
「僕か。僕はこの森の守護者のクルス。クルス・クロスエア」
「クルス……」
「そしてこの樹に宿っている精霊はファード」
 ――精霊?
 ティナは巨木を見上げる。
 こずえがさやさやと鳴った。
「よかったらこの森の話を聞いてくれるかな」
 クルスはそう言って微笑んだ。「ファードも、キミが気に入っているようだし」
 ティナは戸惑いながらも――こくんとうなずいた。


 ここは、『精霊の森』。
 精霊の棲む森。
 そしてクルスは、彼ら精霊を護るためにこの森に住んでいる人間。
 ――彼は言った。精霊たちは、誓約により普通の状態ではこの森から出られない。
 けれど――
 誰かが、体を貸してくれれば外に出られる……と。

「外の世界を教えてやりたいんだ」

 青年の語り口調は穏やかだった。
 クルスの力があれば、精霊たちは誰かの体に宿ることができる。その状態ならば森の外にも出られるから――

「さがしているんだ、体を貸してくれる人々を」

 ティナは訊いた。
「ティナでも、いい?」
 青年は微笑んだ。
「もちろん」
 ティナは巨木を見上げた。
「この樹、精霊、いる?」
 青年は木肌をなでながらうなずいた。
「いるよ。ファードという名前の……女性の精霊」
「………」
 人間は信用できない。
 けれど、この樹の暖かさは、ティナを惹きつけてやまなかった。
 ティナはうなずいた。
「ティナ、ファードに体、貸す」
 青年はもう一度、ふわりと微笑んだ。
「そう言ってくれると思った。……ありがとう」


 意識を重ねる瞬間は不思議な心地――
 まるで枝葉が伸びるように、手足の先まで何かが侵入してくるかのような感覚がしたのに、ちっとも不愉快じゃなかった。
『初めまして、私はファード……』
 頭の中で、優しい女性の声がした。
 ティナはその状態のまま、手足を動かしてみた。
 ――自由に動く。
「ほんとに、宿ってる?」
『はい。貴方の体は心地いいですね』
「………」
 ティナはほんの少しだけ照れた。そして、
「ティナは、ティナって言う名前。よろしくね?」
『はい、ティナ』
 傍らではクルスが、目元を和ませてティナとそこに宿った精霊を見ていた。

     **********

 森を出ると、爽やかな空気がティナの肌に触れた。
 ティナが「気持ちいい」と思うと、どうやらそれがファードにも少しだけ伝わるらしい。
『いい風ですね、ティナ』
「うん。今日はいい天気」
 少しだけ強い風が、ティナの短い髪をなびかせる。
 ファードの気持ちも、ほんの少しだけティナに伝わってくるようだった。
「ファード、風、好き?」
『はい……好きです』
「そっか」
 それを聞くなり――
 ティナは四本足で思い切り駆け出した。
 広い草原を、思い切り。
 風を切るように走る。駆けて駆けて、駆けて――
「どう、ファード? 気持ちいい?」
 本当は聞かなくても伝わってくるのだけれど。
『とても気持ちいい……ティナは、走るのが速いのですね』
「えへへ」
 ――ファードは樹の精霊だから、普段はまったく動けない。
 そのため、動くこと自体が大好きなのだと、森の守護者たる青年が言っていた。
「えっと、えっと」
 もっとファードに喜んでほしくて、ティナは色々考えた。
「樹の精霊、あまりやらないこと……って、なんだろ」
『何でも嬉しいです、ティナ』
「でもねでもね、えっと」
 首をひねって考えてみても、なかなか思いつかない。
 えっとえっととうなっていたら、頭の中でふんわり微笑むような気配がした。
『ティナの好きなことをしてください』
 とファードは言った。『きっととても気持ちのいいことですね、ティナの好きなことなら』
「―――」
 好きなこと、好きなこと……
「――泳ぎに、行こっ! ファード!」
 ぴょんと跳ね上がり、そしてティナは海に向かって走り出した。


 広大な海を目の前にして、ファードが驚いたような気配がする。
 海を初めて見たらしい。
『水の源……海とはこんなに広いものなのですね』
「うん」
 ティナは大きくうなずくなり――
 ざぶん!
 海に思い切り飛び込んだ。
 ざぶざぶざぶっ
「泳ぎは、得意!」
 ティナは遠く遠くまで泳いだ。
 そして海面から顔を出して、前も後ろも、右も左も海の場所をぐるりと見渡した。
「広いでしょ?」
 自慢げに精霊に語りかける。
『すごい……』
 ファードは本当に驚いているようだった。
 ティナはぺろりと海の水をなめてみる。
 海のしょっぱさ、それさえも嫌いじゃなかった。
『不思議な味……』
「ね、普通のお水と、違うでしょ?」
『ええ、違います』
 ファードの声は、そのまま微笑みのようだ。
 ティナは嬉しくなって、さらに泳ぎ回った。
『あの』
「なに?」
『海の水、もう少しだけ、なめてもらってもいいですか?』
「いいよ!」
 ぺろっ ぺろっ
 ごくごくと飲むような水ではないから、ティナは舌を出して海水をなめとってみる。
『不思議……』
 ファードが嬉しそうだ。
「ファードは、お水、好きなの?」
『え……』
 精霊は少しだけためらって、それからうふふと照れたように笑った。
『食べることが、大好きなのです。ティナ』
「食べるの好き? ほんと?」
『はい』
「じゃあ――」
 ティナは再び泳ぎ、陸が見えてくる位置でざぶりと思い切り海へと潜った。
 目的は魚を捕まえること。もう手慣れたもので、一匹口で捕らえる。そして陸に放り出しては、もう一度海に潜って魚を捕らえ――それを繰りかえした。
 三匹ほどそうやって捕らえたところで、ティナは陸にあがった。
 髪が濡れて顔に貼り付く。ぷるぷると頭を振って水を切ろうとしたら、ますます顔に貼り付いて少し困った。
 陸でびちびちと跳ねていた魚が、すでに息絶えている。
『ああ――』
 ふと、ファードが苦しそうな声を出した。
 その心が伝わってきて、ティナの心も苦しくなった。
『そうです……ね。食べるには……生き物を殺さなくては……』
「――ファード、元気出して!」
 自分にとっては、魚の捕食は当たり前。だからティナは一生懸命精霊に伝えようとした。
「かわいそう、だけど、その分おいしく食べてあげるんだ」
『……そうですね』
 ファードの心の痛みが少し和らいだ。
 ティナはほっと微笑んで、そして次の食材を手に入れるために、魚を加えて山に向かった。


 山を見るのも、ファードは初めてだったらしい。
『まあ。不思議な場所……』
「えへへ。普段は、ティナ、こういうところに棲んでるよ」
『そうなのですか?』
「うん。果物とか、木の実とか、いっぱい採れる」
 まずこの場所で、とティナは少し開けた場所をさがして、そこに魚を置いていく。
 それから山を駆け登り、足場の悪い場所もひょいひょい身軽に乗り越えて、木の実や果物のついている木のある場所へと向かった。
 地面に転がっている木の実を集め、
 木を軽々と駆けのぼり、果物を取る。
 それを両手に抱えたら、さすがに四足歩行ができなくなったので、仕方なく後ろ足二本で立った。二足歩行は動きが遅くなるから好きではないのだけれど。
 魚を置いてあった場所に戻って、そこに木の実や果物も置くと、いよいよ食事タイム。
 火がないから焼くことはできない。それでも充分だと、ティナ自身は思っていた。
 ふと――
 嫌な思い出が脳裏を横切って、ティナは慌てて頭を振った。
 そして、
「さ、食べる」
 まずは大好きな魚から。ティナは思い切りかぶりついた。


 ファードが食事好きというのは本当らしい。魚も、果物も、木の実も、食べるたびに嬉しそうな気配が頭の中から伝わってきた。
 ティナ自身、食事が大好きだから、それを一緒に分かち合うのは何て楽しいことなんだろうと思った。
 ――久しぶりのことだったから。
 誰かと、楽しく食事をすることなんて。


『ティナ……』
「なに? もっと食べる?」
 ファードを宿しているからなのだろうか、いつもよりもお腹がすく。
 果物をもっと採ってこようかと思っていたティナに、ファードが語りかけてきた。
『辛いことを……思い出させてしまっては、いませんか?』
「え?」
 ティナは思わず聞き返した。
『いえ……』
 ファードは申し訳なさそうに、『何だか……さっき、辛そうだったような……気がしたので』
「………」
『ごめんなさいね。聞いたら余計に思い出してしまうわね』
「……大丈夫」
 ティナは自分の首につけられた首輪を、指先で弾いた。
 色んなことがあった。
 人間の見世物にされていた時期。
 自分を拾って一緒に暮らそうとしてくれた人間がいた時期。
 火を通したものを食べたときの思い出は、いつだってどこか痛い。
 だけど、それでも――
「色んなことがあった、けど、ティナ、ティナのままだから」
『………』
 ふわ……
 体全体が、何かに包まれたような気がして、ティナは思わず体をすくめた。
『ティナ。……ありがとう』
 ――なんでお礼を言うんだろ?
 ティナにはさっぱり分からない。だけど、
「……あったかい」
 体から力がぬけていく。
 自分を抱いてくれているのは精霊だと、無条件にそう思った。
「あったかい」
 もう一度つぶやいた。
「ティナ、あったかいの……好き」
 微笑みとともに。
 ねえ――と囁いた。
 ティナも、ファードをあったかくできた――? と。
 答えを、他ならぬファードの口から聞きたくて。

『ええ……だって、ティナの心が暖かくて』

 ティナは驚いた。
 その拍子に、目じりから何かがこぼれそうになった。

 ティナ……

 呼んでくれる声。久しく、他人から呼ばれていなかったような気も、する。

 ティナ。

「ファードのほうが……あったかいよ」

 ティナは上を向いた。
 目元が熱くなってくる。よくわからない雫が、下にこぼれてしまわないように――

     **********

 精霊の森に戻ってくると、ファードの本体の樹の元で、クルスがもたれて待っていた。
「お帰り、ふたりとも」
 楽しんできたかい――と尋ねた相手は、精霊だったのかもしれないけれど、
「うん、ティナ、楽しかった」
 ティナはそう答えた。
 青年は微笑んだ。
「なら、ファードも楽しかったろうな」
「だめ。ファードは」
 ティナはつんとそっぽを向いた。「まだまだ足りない」
 ――そうだ、足りない。一日くらいじゃ足りない。
 もっともっと、いっぱい一緒にいたい。
 もっともっと、いっぱい楽しく過ごしたい。
 もっともっと、いっぱい一緒に嬉しい気持ちになりたい。
 もっともっと――
「だから、また来るんだ」
 ファードを分離させ、本体の樹に戻し。
 ティナは巨木の幹に抱きついた。
「ね。もっと一緒に泳いで、遊ぶんだ」
 こずえがさやさやと鳴った。
 幹からファードの鼓動が聞こえる気がして、ティナは目を閉じた。
 ずっとずっと聞いていたかった。
 もしもかなうなら、ずっとずっと――


 ―Fin―


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【2447/ティナ/女性/16歳/無職】

【NPC/ファード/女性/?歳(外見年齢29歳)/樹の精霊】
【NPC/クルス・クロスエア/男性/25歳?/『精霊の森』守護者】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

ティナ様
初めまして、ライターの笠城夢斗と申します。
このたびはゲームノベルにご参加いただき、ありがとうございました!
ファードにとっては初めてのことだらけで、とても喜んでいると思います。素敵なプレイングで嬉しかったです。
またお会いできる機会を楽しみにしております。